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2008.3.8

コイヘヤを作ってからちょうど10年が経ちました。
最初は「シ的な部屋」だったんですよね。

さっきある場所に動画を投稿しました。
おおお、これは初めてだ。
昔大学で放送サークルにいたときビデオカメラ買ったり
編集なんてちらっとしてみたけども、
一人で映像作品作れるなんて隔世の感があるね。(古くさっ!)

近年、創ることに興味を持っております。
その世界に憧れは持っていたけれど
現時点で思うこと。
それは、自由に創るには名がない方が良い。
むろん自分の作品には責任(と自負)を持ってるから
名乗れといわれれば文句なく名乗る。
だけど「創る」って裏切りだと思うんですよね。
その名にいくばくか期待する消費者を裏切る、
そして自分が想像していた自分を裏切る。
人はいろんなことを思いつくし
いろんなことに感化されながら知らない未来に向かっていくので、
受け取った物にインスパイアされて物を創るんです。
それが今までの自分と違ってようと、それが意欲ってもんだから。
そこに「名」があると邪魔になることがあるみたい。

名、というのは他者に関わるときに必要になるんだと感じました。
名を売って、他人からお金をもらって経済活動にしたい、
名を名乗って人とコラボしたい、
名が知れて尊敬されていい目を見たい。
いわゆるラベルですか、
そのラベルには「力」が付随していくんだけど
その力は一定方向に集約されてるから力なのであって、
逆に言えばその力は追い風ではあるんだけども
違う方向に針路を取りたいときに自分をすらままならなくさせる。

だから本当の自由な創作を存分に堪能するならば
名はないほうがいいよなあと思いました。

ぼくは、創ることよりも、名の方に憧れていたけどね。
だから名に力を持たせたかった。
創ることを本気で愛したら、かえって名に力を持たせることは
鎧。
・・・他人に影響力を持ちたいのか、作り続けることをただしたいのか。
力はね、欲しかったよ、ぼく。
弱いと思っていたもの。振り回せる威力あるナタが欲しかった。
愛よりも力。

10年かあ。
だからといってなに、はない。
ただ、あああんときから10歳増えたのね、というのはある。
誕生月だし。

ほんの軽いきっかけからだったけど
ホームページを作って書き始めて良かった。
人に触れられる場所で書き始めて良かった。
それが今に繋がっていて、
今ぼくは書くことを創っている。
いまだってほんの軽いきっかけで何かを始めてる。

そんな10年目。というあたりで今日は締めにしよう。

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