2007年

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2007.11.5

じつは密かにこのホームページで定番コンテンツだった
ウォーターボーイズ関連。
ふとしたきっかけで観た映画版から思えばずっと
ファンだったような気がします。

そしてさっき観ました
全国ウォーターボーイズ選手権の第2回、
2005年夏。

そう、今年の夏はとっくに過ぎてますが
2005年自体がとっくに過ぎてます。
ハードディスクレコーダーにずっと残っていたのです、
2005年9月に放映されたこの競技会を。

そういえばハードディスクレコーダーを買った一つの理由として
ドラマ版を録画したいというのがありました。
ドラマ版後に放映された選手権第1回は
なぜだか今も消せずにレコーダーに残っています。
そして一年後ウォーターボーイズのお話は
夏のスペシャルドラマにて完結し、
そしてその後に放映されたこの選手権第2回で
ブームの終焉を迎えるのです。フジテレビ上では。

縁あって見始めた男子高校生達の夏のお話、
ドキュメンタリー色を持たせたこのムーブメントを
二年も経った今になってやっと観たような、
ファンだか違うんだか分からない姿勢ですが
それでも見終えました。
今感動したとしても誰も共有してくれませんね。
時代後れに一人余韻に浸りつつここに締めとして書き込んでます。

現実にはすでに結果が出ている競技結果。
そして高校生だった出場者も今は違う現実の中で
過ごしてるんでしょう。
いくらハードディスクレコーダーがタイムシフトを象徴する機械とはいえ
あまりにずれてますね。

それでもネットでつい検索してしまいます。
そして火は沈静化していてもやはりウォーターボーイズで
暑い夏を過ごした形は載っているのです。
視聴者としてはメディアに載った物がすべてで、
僕としては「やっとすべてを観た」という今の心境ですが、
未だその熱を続けている人たち、少年たちはいるのでしょうね。
視聴者のため、メディアのために
『ウォーターボーイズ』をやっているわけではない彼らが。

祭りは終わり、
僕もこの祭りから帰ってきます。
2年も観ていないという、なんだかんだいっても
自分の中で避けていた人間ですけど。
録った時点で満足してしまっていた僕ですけど。
その2年のギャップは自分の情熱の波の低下っぷりを感じさせますね。
WBに対してってだけじゃなくて、なにか
「他のことをしたくて忙しいから」という余裕の無さが。
人生の楽しんでなさが。
今なら自覚しますね。

そうして本来は人々と共有すべき祭りの、録画物を
一人きりで楽しむという形になりましたが、それでも観ました。
観るオレで良かった。
「いつかは」的保留事項をやらない自分もありえるからね。

そんなわけで感動なんだか自戒なんだかわからないことを
ここに述べ述べして、ふと湧いた熱を冷ましきろうと思います。

2年前の玉手箱に入っていた若き子らはきっと今は
それぞれの人生をどんな目に遭ってるかは分からないけど生きていて、
僕も2年も保留するようなぎりぎりな時間を送ってきているけど
それでも前に進むために生きていて、
わずかな接点の喜びを過去の思い出にし皆自分のために
未来へとそれぞれ進んでいるんだと清々しくまとめようと思います。

すっかり書き込まなくなっているコイヘヤですが、
それでも遅まきでもいいから、書き続けていたWBについて
今も書ける形で残っているのは良いことですね。
こういう場を破棄せずにきちんと生きていた自分を、こんどは
うれしいと思ったりしますよ。

一応キザったらしいけど書いとくか。
WBありがとう。とか。

2007.10.13

すっかりここは更新していません。
他のところで言いたいことを言っています。

今日、「必要」と「大切」についての違いを考えました。
かつて必要にしていたものでも今の自分にとってそうではなくなったら
放っておくようになる。
放っておくけどそれはやはり大切なままなんです。

生きている限りどうしても移り変わってゆく。自分も外界も。
だから必要とする物も者も、必要としてくれる者も人々も、
いずれはそうでなくなるのは摂理。
でも現役ではなくなるけど、大切であるということは心懸けていたい。
ついおろそかになりがちになる。
だから「ごぶさただけど大切に思っていますよ」という行動を伴った表明は
ぜったいやるべきだと思う。

大切だったものをなくすときもっとも心残りになるのは、
与えてもらったいろんなことに僕は感謝してるんですよ、
と伝えられないことなので。
放っといているのは、もうすでに大切ではないという意味ではないので。


このホームページも現役でないのは認めざるを得ないけど
大切ですよ。発祥の地だし。
懐かしみもあるしそれにこの程度の文章を書くのに
今の僕にとってはちょうどいいなというのもある。
貴方を見てはいませんけど後ろに控えててください、お願いします、
という求め方かな。

2007.6.4

おおお。
18000のキリ番を取ってしまったから
思わず更新してしまうよ。(<言うことはそれだけか?)

せっかくだから近況を。
ここ見てる人いるかわかんないけど。
でも見てる、って声もなくもないし
そもそもカウンター上がってるんだから
だれかはきてんのか。
一年で1000ですね。

僕もここから始めた
世間への声の発信ですが
今ではそういう場所もいくつかあり
粗密もはっきりしてますね。

このホームページ、
いやなんかホームページってのも今じゃマイノリティ?
ブログやSNSが個人の発信場所としてメインになってる気がしますが、
まあ話もとに戻すと
ホームページを作ってみることから始めた僕の
活動、10年前に新卒で入った就職口を辞めて
それから自分でレール敷いては方針替え方針替えして。
そういう歩みと共にはしてるんですわ、ここは。

今はまたちょっと自由に歩いてみたくて、
自由であるとともにその中に収入手段もあるという、
これはこれで初の試みをしています。
今までは自由であることと稼いでいることが相容れなかったので。
いや、なんとなくわかってもきてます。
どこかの傘に通っている方が
確実でかすかな自由は得られると言うこと。
人生全てをシームレスに自由にしてしまうと
遊びなのか稼いでるのか境が曖昧になって
完全に何も考えずに自由な“休日”ってなくなるんですよね。
ぶつぶつ言いながら平日を安給料で過ごしてたって
休日は嫌なこと考えずわがままで居れたからね。

親の傘、組織の傘などにいて庇護された暮らしというのは
日本らしさかな。
甘えきる“休日”・・・人生の休日(夏休み、ロンバケ)を返上する人生は
たぶんほんとの自由を手に入れられるけど
大人になってしまうんだろうな。

2007.3.4

ルールというのは
力の作用を表したもの。
力というのは
状態の変化の仕方。

何をしたら何がどうなる。
それを判明した目で
自分が及ぼせる力を用いて
なるべく自分に優位な流れを作る。

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