「廃村と過疎の風景(4)」

「廃村 千選」 I −東日本編− (甲信越・東海以東)



東京都八丈町(八丈小島)の廃村 鳥打(とりうち)の学校跡(門柱)です(平成16年9月)。




編者が確認した全国の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」(学校の所在は昭和34年以降)は 1030か所です(廃村838か所,高度過疎集落192か所,以下「廃村 千選」と略す)。

「廃村 千選」は,「廃村と過疎の風景」の一連の旅(平成17年8月以降)に並行して全国の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」(以下「廃校廃村」と略す)を「へき地学校名簿」,「全国学校総覧」,地形図,住宅地図などの資料を調べて,独自に編集・作成したものです。

「廃村 千選」は,全国の廃村の様子をより客観的に見ることを主眼としています。公的な施設である学校は,規模やへき地等級,開校年・閉校年などのデータがあるため,廃村の様子を調べるための拠り所となります。
また「廃村 千選」は,50都道府県(北海道は4分割)の分類を基本としており,東日本編では北海道,東北,関東,甲信越,東海の24道都県(北海道は4分割)の701か所の「廃校廃村」をまとめます。
冊子は,地図や詳細資料を加えて,「廃村と過疎の風景(4)」〜「廃村 千選」T −東日本編− としてまとめています。1年遅れで「廃村と過疎の風景(5)」〜「廃村 千選」U −西日本編− もまとめました。

廃村を目指した旅が,里山歩きのように一般的なものになれば嬉しく思いますが,同時に地域の方に迷惑をかける機会が生じる心配も感じます。
廃村を訪ねるとき,注意したい事項は,次の4点です。


 ◎1 「廃村」は地域の方のものであり,「見せていただく」という気持ちを大切にする(「神社やお地蔵さんを見つけたら手を合わせる」など,具体的な形を身につけておくとよい)。

 ◎2 住居がある「廃村」をクルマやバイクで訪ねるときは,なるべく早く下りて,歩いて探索するよう心掛ける。

 ◎3 現地で地域の方とお会いしたときは,積極的に「こんにちは」などのコミュニケーションを取るよう心掛ける(このとき「学校跡を探して訪ねたのですが,どちらにあるのでしょうか?」という明確な目的が会話に含まれると,スムーズにコミュニケーションを取ることができる)。

 ◎4 「ごみを捨てない」,「ものを持ち出さない」などの基本的なマナーを守る。



「廃村 千選」には,ダムに沈み離村記念碑しか残されていない集落,碑も立てられず林に帰した集落も含まれています。また,少数の地域の方が住まれる集落(高度過疎集落),出作小屋や別荘が立ち並ぶ集落も含まれています。そして,訪ねたことが実感できる,往時の学校の建物が残る集落,敷地跡が残る集落も含まれています。
その全容は,全国すべての「廃校廃村」をひとつひとつ,訪ねてみなければ知ることはできません。

「廃村」を目指して旅をされるのであれば,是非「集落の要」として位置付けられていた学校跡を訪ねてください。「廃村」がもつ「わびしさ」「さびしさ」「のどかさ」,そして「おどろき」が感じられるのではないかと思います。


「廃村 千選」がまとまるまでの道のりを,下記にまとめます。


 ○1 「廃校廃村・高度過疎集落リスト」(=「廃村 千選」)の作成開始(平成17年5月)
    ※ リストの作成は長野県と岐阜県から始めました(予想数は500〜600か所)。
 ○2 「廃村と過疎の風景(3)」〜学校跡を有する廃村〜,Web公開開始(平成17年8月)
    ※ これまでとは異なり,リストを基に目的地を決めた旅が始まりました。
 ○3 冊子「廃村と過疎の風景(2)」〜Discover Japan,Disucover My Life〜出版(平成18年2月)
 ○4 新潟県を最後に,リストが全国一巡(平成18年7月)
    ※ この時点で見出せた「廃校廃村」は927か所(年末に1000か所になり,この数で落ち着く)。
 ○5 リストの精度を高めるための調べ物,地図の作成などを続ける(平成19年〜21年)
    ※ 多くの方々から力添えをいただきました。

 ○6 冊子「廃村と過疎の風景(3)」〜学校跡を有する廃村〜出版(平成21年2月)
    「廃村と過疎の風景(4)」〜 資料集T(東日本編)
    「廃村と過疎の風景(5)」〜 資料集U(西日本編)
    「廃村と過疎の風景(6)」〜 全県制覇への道,Web公開開始
 ○7 全県制覇への道を,T(東海・北陸以東)とU(関西以西)に分割(平成21年6月)
 ○8 資料集を「廃村 千選」に名称変更(平成21年10月)。
 ○9 冊子「廃村と過疎の風景(4)」〜「廃村 千選」T−東日本編−出版(平成22年5月)
 ○10 冊子「廃村と過疎の風景(5)」〜「廃村 千選」U−西日本編−出版(平成23年5月)



「廃村 千選」作成開始からWeb公開開始まで丸4年,冊子(東日本編)完成までは丸5年かかりました。振り返れば,全国一巡から先の調べ物,地図の作成などに時間がかかりました。西日本編を分けてまとめるという判断ができてよかったです。





鳥打の学校跡(校舎)の横には,水平線が広がっていました(平成16年9月)。




(注1) 「廃村 千選」とは,編者が確認した全国の「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」約1000か所のことをいいます。また,「廃校廃村」とは,「学校跡を有する廃村・高度過疎集落」を略した呼称です。

(注2) 「廃村 千選」における廃村(集落跡)は住民がいない集落(1戸程度が残るもの,冬季無人集落を含む),高度過疎集落は5戸以下程度(冬季分校所在地は3戸以下程度)の集落です。廃村の数は,廃校廃村の数から高度過疎集落の数を除いた数です。

(注3) 「廃村 千選」における学校は,昭和34年4月以降に存在した小学校とその分校,冬季分校,夏季分校です(中学校,高校等,昭和34年3月以前に閉校した学校は含みません)。

(注4) は編者が廃校廃村を完訪した都道府県,は編者が訪ねた廃校廃村がある都道府県,は廃校廃村のない府県です。

(注5) 学校数,へき地等級のデータは,昭和34年4月現在のもので「へき地学校名簿」(教育設備助成会刊)によります。

(注6) 東京都小笠原村のデータは,復帰後の資料(「へき地学校便覧 2001年版」(全国へき地教育研究連盟刊)」と「全国学校総覧 昭和46年度版」(原書房刊))から推定したものです。

(注7) このページの市町村名は平成13年4月現在(平成の大合併直前)です。

(注8) 平成23年以降に生じた廃村は,原則追求していません。

(注9) お気付きの点があれば,お知らせいただけると幸いです。




「廃村と過疎の風景(5)」〜「廃村 千選」 II −西日本編−