ベートーヴェン・プロジェクト第2回
三鷹芸術文化センター風のホール
1999.4.3
これから私の時代が始まる
L.V.ベートーヴェン:交響曲第1番ハ長調作品21
<第1>が初演された1800年時点のヨーロッパは、新しい体制に向かう動乱のさなかで、フランスのナポレオンが皇帝になる4年前、イギリスでは産業革命を支える新技術が続々と開発中、ところがウィーンの市民は、フランス革命の火の手を見て見ぬふりで娯楽にうつつを抜かしている、という状態でした。音楽的にはハイドンやモーツァルトが築いた偉大な交響曲の金字塔が目の前にあることを、ベートーヴェンは意識せざるをえず、なんとしてもそれらを正統的に引き継ぐもの、あるいは越えるものを作りたいと強く思ったに違いありません。
ハ長調なのにヘ長調の和音から始まる冒頭からして、作曲者の時代感覚と気概がよく感じられる(あるいはひねくれている)、当時としてはかなりユニークな作品です。
S.N./第2ヴァイオリン奏者
ロバ君、元気を出して!
W.A.モーツァルト:ホルン協奏曲ニ長調K.386b(412+514)
これは従来<第1番>として親しまれてきた曲ですが、近年の研究では、作曲年代は四つのホルン協奏曲のうちの最後、しかも作曲者の死の年、1791年と考えられています。それにしても何と素朴な曲想でしょう(出だしはドラマ「北の国から」のテーマに似ていなくもない)。第2楽章ロンドは、モーツァルトが残した未完のスケッチをもとに、弟子のジュースマイヤーが作曲したものですが、スケッチにはホルンのソロに添えて次のような書き込みがあるそうです。
「静かに−君、ロバ君、元気を出して−早く−続けろ−頑張れ−元気を出して−
畜生−ああ!−ああ!憐れだな−ブラヴォー、みじめな奴め」。
そして最後には
「やれやれ、もうけっこう、もうけっこう」。
S.N./第2ヴァイオリン奏者
俺にまかせろ
W.A.モーツァルト:歌劇<フィガロの結婚>K.492 第1幕より
・カヴァティーナ<もし踊りをなさりたければ>
・アリア<もう飛ぶまいぞ、この蝶々>
フィガロの有名な独唱を二つ。1曲目は、許嫁のスザンナに言い寄ろうとする伯爵の計略を知ったフィガロが、そうはさせるかと啖呵を切る場面で、「逆にこっちが思い知らせてやるぞ」という意味のことを歌います。
2曲目は、小姓のケルビーノが悪さをして伯爵の怒りをかい、軍隊の前線に送られるはめになったのを、フィガロが大げさにからかう歌ですが、ケルビーノに心理的圧迫を加えて、伯爵のたくらみを暴く計画に引き込もうとするフィガロの思惑が裏にあります。いずれの歌でもフィガロはちょっと自信過剰で、みごと伯爵の裏をかいて見せようと意気込んでいます。しかしそう簡単にはいかないというのが、このあとに続くお話です。
S.N./第2ヴァイオリン奏者
7番が人気だけど、私はこっちがいいと思ってる
L.V.ベートーヴェン:交響曲第8番ヘ長調作品93
<第8>は、英雄的な<第7>とパワー全開の<第9>に挟まれて、 軽く見られることが多いのですが、作曲者自身は<第7>より音楽的にはるかに優れ、 また<第6>と並んで「詩的」な作品であると述べています。
<第1>から12年後、ボヘミアの保養地テプリッツにておもに作曲。と言えば「不滅の恋人」への手紙を書いた頃です。ベートーヴェンがそれまで様々な苦難に遭い、実績も積んだ40歳代に入ったところでの真剣な恋愛。その渦中に書かれた作品であることを意識すると、異様なまでの陽気さの中に、恋の悩みが感じ取れるような気もします。精神的にはベルリオーズの<幻想>につながる曲かもしれません。
「不滅の恋人」は、アントーニエ・ブレンターノであるというのが最有力説です。貴族出身の人妻ですが、ベートーヴェンは彼女とウィーンで知り合ってかなり親しくなり、テプリッツでの密会を前に熱く燃える気持ちを手紙にしたためました。しかし結局は大失恋に終わり、実弟とのトラブルやらも重なって、この曲以降4年ほどは創作面でのスランプに陥っています。
S.N./第2ヴァイオリン奏者
(禁)無断転載
第7回
|
第6回
|
第5回
|
第4回
|
第3回
|
第1回
|
第0回
これまでの演奏会の記録 TOP
トピックス
|
プロフィール
|
コンサート
|チケット|
メンバー募集!
リンク
|
メンバー専用
|
メール
|
TOP
|
HOME