その名は「荒ぶる男」、あるいは「須佐の男」の意味を持つ。
長い髭をたくわえた偉丈夫で、暴風神、あるいは雷神としても考えられる。
天照大神に次いで今日も知られる神の一人ではないだろうか。
伊邪那岐命が御祓をしたときに、不浄なる鼻から生まれたとされている。
素盞鳴尊は、日本神話の主役の一人として、あるときは善玉として、またあるときは悪玉となって登場する。
多重人格的な訳の分からなさは、変化に富んだ謎の多い神としての神秘性と、人間に近い性格を備えた俗っぽさを感じさせる。
なによりもこの神が日本人の人気を集めているのは、神話に描かれる波瀾万丈のドラマ性である。
素盞鳴尊ははじめ、神の世界の秩序を乱す反体制的な乱暴者として描かれる。
このために、世の中の悪しきものの元祖などといわれたりする。
はじめ父伊邪那岐命は、素盞鳴尊に海原を治める任務を与えたのだが、素盞鳴尊はこの任務を投げ出し、母の伊邪那美命のいる根の堅州国(ねのかたすくに・冥府のこと)に行きたいといってだだをこねる。
このとき青山は枯れ、河や海はことごとく干上がったという。
なにもこんな時に海神として与えられた力を使わなくてもいいのだが、神の悪行というのは世の中の悪神に活気を与えるもとになる。
見かねた伊邪那岐命は、素盞鳴尊を高天原から追放してしまう。
さらに、姉の天照大神に暇乞いをするといって訪ね、姉に警戒されて武装されるや一時は和解して誓約を行い子をもうけるが、
その後で天照大神の造った田を壊し、神殿に糞をし、機屋に皮をはいだ馬を投げ込んで機織り女を殺すなど、悪行の限りを尽くした。
そうして、天照大神を天の岩戸に逃げ込ませ、世界から太陽の光を消してしまうのである。
こうした乱暴狼藉が多くの神々の怒りを買い、素盞鳴尊は償いとして髪と手足の爪を切られて高天原から追放されてしまう。
キリスト教など西洋的な罪悪感からすれば、その罪を激しく問われて獣なり虫なりに変えられて追放されるか、あっさりと命を奪うかしたところである。
ところが日本ではそうはならなかった。
高天原を追われた素盞鳴尊は、出雲の国に行く。
そもそも伊邪那岐命が御祓をした地が出雲といわれているから、天界から地上世界の故郷に帰ったわけだ。
そして、ここからその性格が悪玉から善玉へとがらっと変わる。
そのあまりの変貌ぶりが多重人格といわれる所以でもある。
とにかく出雲の戻った素盞鳴尊は、八岐大蛇退治をして人身御供となっていた美しい姫を救い、正義の味方としての英雄像を確立するのだ。
このときの話で印象的なのは、素盞鳴尊が策を用いて八岐大蛇を退治したということである。
ギリシアやキリスト教世界の英雄たちはこんなことは決してしない。
彼らが悪者を退治する手段は、自らの肉体の力と、神から授かった神具による力である。
ところが神武天皇や日本武尊など日本の英雄たちは策略を駆使するのは当たり前といった印象を受ける。
これは非常に日本的な特徴だといえる。
ある意味詐欺師的な、信仰による不自然な倫理観のない精神文化として、建て前と本音のルーツともいえるかもしれない。
とにかく、見事に怪物退治をしてのけた素盞鳴尊は、大蛇の尾からでてきた「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」と美しい櫛名田姫神を手に入れ、名実ともに英雄神となったのである。
櫛名田姫との結婚に際して素盞鳴尊は、かつての姿を忘れさせるような繊細な一面を見せる。
結婚生活のために出雲の須賀の地に新しい宮殿を建てたとき、素盞鳴尊は次のような詩を詠んだという。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」
この歌の意味は、結婚して新居を営む2人のために建てられた家をたたえ、そこに住む者の幸福を祝うものである。
豪快で力あふれる神であるという印象が強い素盞鳴尊にも、こうした繊細で文学的な一面があるということである。