神武天皇
ジンムテンノウ
別称:神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)、若御毛沼命(ワカミケヌノミコト)、豊御毛沼命(トヨミケヌノミコト)、豊毛沼命(トヨケヌノミコト)、神日本磐余彦火火出見尊(カムヤマトイワレビコホホデミノミコト)性別:系譜:鵜葺草葺不合神玉依姫神の第四子。初代天皇で建国の祖神格:軍神神社:橿原神宮、宮崎神宮、狭野神社
 建国神話の中心人物としてよく知られる英雄神である。 彼についての伝説は神武東征でほぼ書きつくしてしまった。 九州に生まれた王権が大和(奈良県)に進出するときの軍事的シンボルであり、同時に大和王朝の建国者で第一代目の天皇と伝えられている。 ちょうど神と人との中間にあたるような人物であり、そのどちらともいいきれない存在である。 彼についての伝説は神武東征を参照いただきたい。
 神武天皇といえば金鵄がとまった弓を手にして彼方を見つめる勇姿を描いた絵を思い浮かべる方も多いであろう。 これは神武東征神話のなかでももっとも有名な場面からイメージされたものである。 天皇の軍は東征のなかでも最強かつ最後の敵、長髄彦(ナガスネヒコ)と戦い、敵の大反撃にあって苦戦していた。 そのとき、天空から一羽の鵄が飛来し、天皇の弓にとまった。 そしてあたかも雷光のごとく照り輝き出すと、敵軍はみんな目がくらんで戦意を喪失し、敗走してしまった。 戦前、旧日本軍が兵士の武勲をたたえた「金鵄勲章」は、この話にちなんだものである。 この鵄もおそらく八咫烏と同じように天神から派遣されたものだったのだろう。 また、弓矢というのは古くから支配の象徴とされてきた武器である。

 とまあ、別項にもわたってずいぶんと神武東征神話を書き続けてきたわけであるが、はっきり言ってしまえば、この話は作り話である。 実際に大和に朝廷があったかどうかも疑わしい。 天武天皇や崇神天皇など、彼のモデルとなったのではないかといわれている後代の天皇は数多くいる。 だが神話以降に大和に朝廷があったという記録は天武天皇の飛鳥浄御原政権の以前にはなく、だいたいにおいて大和は陸海の交通の便が悪すぎる。 もしも都をおくとしたら難波の地の方がどれほど適当であったかしれない。 天武天皇においては反乱を起こして皇位についたわけであり、防御的思考からこの土地に遷都したのもいくらかはうなずけるのだが。 このような、神話の裏側から史実を読みとるという研究は数多くの学者が行っており、その説も数え切れないほどある。 これらは信じる信じないは別として、少しでも興味があれば楽しめると思うので、古本屋などで見つけたならば是非手に取ってみていただきたい。 ここではあくまで神話として、大和朝廷建国の祖である神武天皇を追っていく。
 天照大神から続く皇祖の系譜は、神武天皇の父の鵜葺草葺不合神までが、いわば神の世界に属する存在である。 それに対して、大和朝廷の初代の天皇となった神武天皇は、「神代」に生まれ「人代」の世界に足を踏み入れた存在という境目に位置するのである。 それだけに伝説そのものも、史実か虚構かということで研究者を悩ませる要素も大きいというわけだ。 そういう意味でも、なかなかに特異な神さまである。 一説に、伝説の神武天皇像は、複数の古代有力首長の人物像伝承が重ね合わされて作られたのではないかともいわれる。 その根拠とされるのが、神武が数多くの異名を持つということである。 こうした例は、有力な神さまの場合もよく見られることで、無名の地方神の伝承がまとめられて多様な性格が備わったり、複数の名前で呼ばれたりしている。 その代表格としてあげられるのが大国主命であろう。
 ところで、神武天皇について語るときに反省の意味も込めて触れておかなければならないのが、武神、戦神としての一側面が偏重されて日本のナショナリズムの高揚に利用された歴史である。 明治以降、「神武東征」を基調に武勲、国民精神の高揚の歴史教育が行われ、神武天皇は偉大な軍神として、軍国主義の精神的な支柱とされた。 それ故に、今日でも神武天皇というと、過去の戦争の悲惨なイメージと結びつく感情を抱く人も多い。 わたし個人として、これは許すまじきことである。 国民に神話を教えるのはけっこうだが、神話のなかでの真実の姿を歪めて教えるのは許せない。 多様な性格を持つ神を、一面的に取り上げるなどもってのほかである。

 さて、それでは神武天皇というのはどういう神さまなのであろうか。 軍神、英雄神といった一側面は一般によく知られているところだが、本来的にはどのような精霊なのか。 結論からいえば、稲種の精霊である。
 そもそもこの神の曾祖父である邇邇芸命は、高天原から地上に降った稲穂の神(穀物の精霊)である。 神武天皇の別名の「穂穂手見」は、稲穂から連想された名前で、さらには「穂穂手見」の名称は、稲の豊穣を祈る古代の農耕祭儀と関係する呪術的な意味合いを持つ。 別名の若御毛沼命の「ミケヌ」は「御饌」のことで、神の食物=穀物を意味しており、この神の原初的な性格は稲作儀礼に深く関わる神霊であるということができる。
 さらに厳密に考えれば、父神の鵜葺草葺不合神の母は豊玉姫命であり、神武天皇の母は玉依姫命である。 この二神の女神は姉妹で、海神の娘であるから、神武天皇には血筋として海の神としての性格も備わっているということができる。
 以上のように、神威としては一般に軍神としての側面が強調され、実際の信仰でも神話にちなんだ長寿や開運といった霊力が注目されている。 しかし、その本源的な性格は、農業の神あるいは海の神として、豊穣を約束し生活を守護する機能を持つ神といえよう。