日本武尊
ヤマトタケルノミコト
別称:小碓命(オウスノミコト)、倭建命(ヤマトタケルノミコト)、倭男具那尊(ヤマトオグナノミコト)、日本童男命(ヤマトオグナノミコト)性別:系譜:第十二代景行天皇の第二子。妻は宮簀姫(ミヤズヒメ)、弟橘比売(オトタチバナヒメ)、フタジノイリヒメ、子は第十四代天皇仲哀天皇神格:武神、軍神、国土神(農業神)神社:熱田神宮、建部大社、十和田神社、刈田嶺(カッタミネ)神社、都々子別神社、鷲神社、花園神社、焼津神社、気比神宮、大鳥大社
 日本武尊は、日本神話の中でももっとも武力に優れた英雄のひとりである。ギリシア神話の英雄のように半神半人であり(ギリシア神話の主神ゼウスは大変な女好きであり、見かけた人間の美女のほとんどに子を産ませた。ギリシアの神々の多くが、こういったゼウスと人間との混血である)素盞鳴尊のような生粋の神と違って、その人生の結末には死がある。いってみれば、菅原道真のように死んでから神に祀られる存在と、初めから神である存在との中間にあるといった感じである。
 出生は景行天皇の皇子という高貴な身分で、その体躯は幼い頃から雄々しい気迫にあふれていた。やがて成人すると身の丈2メートルとなり、逞しい顔つきで、人並み外れた腕力と武力を誇るようになった。そうした超人そのものの日本武尊が、軍人として西へ東へと駆け回る姿を描く神話伝説は、折口信夫の「貴種流離譚(古代伝承のパターンのひとつで、神か、神に近い身分の者が都を離れて辺境を放浪する、といったもの。数々の苦難に遭遇する主人公が描かれる)」にも通じる。また、最後に不運の主人公になるという点では、のちの義経伝説にもつながるといえる。
 彼の伝説については、別項東国平定で詳しく述べてある。まずはそちらを読んでいただいたほうが話が早い。この先、内容がかぶる場面ではこの項では省略させていただく。この伝説は強大な大和朝廷が反抗する地方の勢力を次々と服従させていく構図を象徴したものである。そこでの日本武尊の存在は、大和朝廷の軍事力のシンボルであること。また、その人物像は、さまざまな地方伝承がひとりの皇族将軍の名のもとに集約されたものらしい、ということも定説になっている。

 超人の日本武尊の性格は、異常に猛々しく、非常に冷徹で過酷だったようである。結果的には、それが災いしてその生涯に悲劇的英雄としての色合いをつけることになった。そのあたりの事情は東国平定で述べた。その日本武尊の生涯を守りぬいた剣として草薙剣があるが、これはおおもとをたどると素盞鳴尊が八岐大蛇の体から取り出した宝剣である。蛇は山の神(または水の神)であり、豊穣に関係する神霊であるから、この剣の神霊は豊穣を守護する神格も備えているといえる。そして、この剣を手放して戦に出た日本武尊は、あえなく命を落とすことになる。

 伝説で語られる日本武尊は、権力に近い(そのものともいえる)存在であり、武神・軍神としての神格が中心的なイメージになっている。しかし、先ほども触れたように、その人物像にはさまざまな地方伝承が集約されており、いろいろな民俗や信仰をその背後にうかがわせる。それが、この神に親しみを感じさせる要素にもなっている。
 その中でも、地方伝承の面影を残し、伝説の中でも一番ロマンチックな純愛、そして悲劇性を盛り上げているのが、弟橘比売(オトタチバナヒメ)の入水自殺の話だ。この話は、海神や水神を祀る巫女が、入水して神の妻となる古代信仰を反映したものである。
 また、最後に日本武尊は伊吹山の神の祟りにあって亡くなるが、死に際し、故郷への思慕の情を込めた次のような歌を遺す。

「倭は 国の真ほろば たたなづく 青垣、山隠れる 倭しうるはし」
 日本武尊の最期は、故郷大和の地への帰還を目の前にした無念の死である。死後、白鳥となって飛び去る話も印象的だが、その白鳥が舞い降りてきたという伝承は全国各地にある。よく知られる和泉国(大阪府堺市)の鳳神社(大鳥神社)などもそうで、この地は古くから白鳥の飛来する地形的な特徴を持っていた。つまり、低湿地帯で肥沃な稲作に適したところだ。一般に河口近くの肥沃な沼沢地は、早くから水田耕作地として開墾された場所で、弥生時代の稲作の中心地だった。大鳥神社の祭神には、日本武尊とともに五穀豊穣の守護神である天照大神が祀られている。これは日本武尊の穀霊的神格に関係するものだろう。
 さらにいえば、日本の稲作の起源について全国各地に残る古い伝承には、大鳥が稲穂をくわえて飛んできたというものが多い。その鳥は、鶴でもあり白鳥でもある。こうしてみると、雄々しい武神のイメージの背後に、白鳥となった日本武尊の霊魂が稲穂をくわえて飛翔する姿が浮かんでくる。