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ACT4:おわりに…



気難しいまでに、品位を尊んだ彼女のような者に、 特にそのような死の打撃を与えるとは、なんという残酷な 死の一撃だろう。
……ローレンス・オリヴィエ


ここで、ヴィヴィアンの死について触れておきたい。
1967年、結核が重くなり、ヴィヴィアンはついに医者から安静を告げられた。 しかし彼女は、次の舞台劇『微妙なバランス』の役作りに余念がなかった。 ラリーの写真、ヴィヴィアンが大好きな花々、世界中から寄せられたファン励ましの 手紙の束に囲まれて…。

7月7月、金曜日。
その日、ジャック・メリヴェールが劇場から戻ると、ヴィヴィアンは、 いつものようにシャム猫をそばに置き、眠っていた。 ジャックは一安心し、静かにドアを閉め、食事を作ろうと台所に行った。
15分ほどして、ヴィヴィアンの様子を確かめようとドアを開けると、 彼女は床にうつぶせに横たわっていた。ドアの方に行こうとして、つまづいたのだろう。

ヴィヴィアンは、目をさまして、発作が起こって呼吸が苦しくなり、 水を飲もうとしてテーブルのポットに手を伸ばし、テーブルを引っくりかえしたのだった。 (もう彼女は歩くのもやっとだった) やっと起きあがって、寝室のドアに向かおうとした時、閉所恐怖症が 彼女を混乱に陥れた。彼女はそのとき肺に液体が満ち、窒息したのだった。 肺結核の患者にはよくある症状で、そのことを彼女に誰も教えていなかった。
発作による錯乱状態の中、ヴィヴィアンは自分の死を知らずに逝った。

オリヴィエは、病に倒れ入院していたが、ヴィヴィアンの訃報を聞き、 すぐに駆けつけた。美しいヴィヴィアンの死に顔を見つめながら、 その中に映るかすかな嫌悪の表情をオリヴィエだけは見逃さなかった。
オリヴィエは通夜の間に、バスルームへの床の上に着いた染みを見つけ、 すべてを察したのである。そしてオリヴィエはうめいた。
「気難しいまでに、品位を尊んだ彼女のような者に…」と…。




「私は映画スターではありません。女優です。
映画スターであることは、ただ映画スターであることだけではうわべだけの偽りの人生です。
偽りの価値と宣伝のために生きているだけです。
女優だったら、いつまでも永続きして、つねに素晴らしい役を演じる機会があります」
…ヴィヴィアン・リー

『風と共に去りぬ』のスカーレットは、ヴィヴィアンに世界的な名声を もたらし、いくつになっても、どこへ行っても「スカーレット!スカーレット!」 とおおぜいのファンに囲まれた。
彼女は意外とそれに無頓着で、『哀愁』『美女ありき』以降、 セルズニックと交わした7年の契約期間、彼の出演依頼を、ある時は無視し、 ある時はきっぱりと断っている。 (この7年契約とは、ヴィヴィアンの仕事はすべて、セルズニックの許可 なしにはできない、という契約)
一方セルズニックも、裁判まで起こしてヴィヴィアンをなんとかハリウッド映画に 出演させようとするが、敗訴している。
そのことが災いして、1943年、オリヴィエの映画『ヘンリー5世』 のヒロイン・カサリンに、ヴィヴィアンを予定していたが、 セルズニックの許可が下りなかった。

だが皮肉なもので、契約期間が終わり、自由に作品が選べるようになるころには、 彼女の美貌は衰えのきざしを見せて始めていた。
1947年、オリヴィエの映画『ハムレット』のオフィーリアの時も、 まだまだヴィヴィアンは美しかったが、オリヴィエは、 スカーレットのイメージに作品のバランスを崩されることを嫌い、 ジーン・シモンズを。映画『リチャード3世』では、 若いクレア・ブルームを、そしてヴィヴィアンの当たり役だった『眠れる王子』 (映画では『王子と踊子』)のメァリー・モーガンには、売出し中の マリリン・モンローに…というように。

淀川先生は、映画女優ヴィヴィアン・リーについて
「『欲望という名の電車』以降のヴィヴィアンの映画は、ブランチをなぞるような 役ばかりでしたね」と書いていたが、まさにその通り。
それ以降のヴィヴィアンは、作品こそ少ないが、主役脇役を問わず「若さを失うときの女性の最後の輝き」 をスクリーンで演じることに、映画女優としての存在価値を見出して行ったのだから…。






普段ヴィヴィアンは、真っ白な手袋を好んで着けていたが、
この手袋に彼女の心や人生が映し出されているような気がしてならない。
……SACHINEKO

「白い手袋」…このエピソードの中に私はヴィヴィアンを見たような気がする。

ヴィヴィアンは、小さな体には似合わないほどの大きな手を気にしていたが、 上流階級のレディらしく、いつもその手には必ず手袋をしていた。
自宅の衣装ケースのひきだしの中には、いつも75枚の白い手袋が、 薄紙に包まれてきれいに並べてあった。少しでもシミがついた白い手袋を するのをいやがり、汚れたらすぐに換えられるよう、バッグの中に いつも一組み余計に入れていたという。

ヴィヴィアンの「心の白い手袋」は、人生を歩んでいくにつれて、 少しずつシミができ、汚れて行った。彼女は不安を抱きこすれ、 まだ気付かなかった。そしてカソリック教徒には、あるまじき幻想を抱き、 離婚し、オリヴィエと結婚した時にはその汚れは隠しようがなかった。 まばゆいばかりの目の前の世界の光で、その手袋の 汚れに気付かなかった。気付いていたとしても、前に進むしかなかった。 若さと情熱が、前に進ませた。

しかし、その光が少しずつ輝きを失ないかけて初めて、「擦り切れ、汚れた手袋」 という現実が目の前に晒された。
ついにその手袋は破れ、心の病を得る。発狂寸前まで追いつめられる。 バッグの中には、もう一枚の白い手袋はあったが、「ヴィヴィアンという白い手袋」 は一枚きりしかなった。換えることはできなかった。
しかし、ヴィヴィアンは負けなかった。その破れた手袋で、自らの手からも 血を流しながら自分の運命と闘い続けたのである。そして、回りの人間たちも、 そんな彼女の手を優しく包んだ。

「成功と挫折の人生」などとよく言うが、ヴィヴィアンはなみの女性ではなかった。 彼女のあたまの中には「成功」という言葉はあったが、「挫折」という言葉はなかった。 『風と共に去りぬ』のスカーレットは、 決して敗北を認めない美しくたくましい女性だったが、 実際のヴィヴィアンもまた、女優として「挑戦」し続け、人生においては、逆境と「闘い」 ぬいた見事な人生だったと思う。

美貌と情熱のスカーレット女優と言われた、ヴィヴィアン・リー のすさまじい生きざまに私は驚愕し、感動した。 彼女の素晴らしさが、英文にも立ち向かわせ、この作業をもやりとおさせてくれた のだと思えてならない。
最後に、一人の映画ファンとして、女性として、ヴィヴィアン・リーという女性に 羨望と尊敬の思いを込め、そして、みなさまに少しでもヴィヴィアン・リーという 人間の生きざまを知っていただけたらという願いを込めて……。

長い拙文、おつきあいくださってありがとう。(_ _)

Act1:信仰と情熱のはざまで Act2:ヴィヴィアンとオリヴィエ
Act3:勇気ある戦い Act4:おわりに…

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