トップへ    ホームへもどる
ACT1:信仰と情熱のはざまで


「私の心は、敬虔なカソリック信者の母と、 自由で楽天的な父の間で、
いつも交錯しておりました」
……ヴィヴィアン・リー

ヴィヴィアン・リーは、類まれなる美貌と情熱、それらに劣らぬ才能に恵まれながらも、 後半生は、病と懸命に闘いながら、最後まで女優として生きぬいた女性である。
そんなヴィヴィアンの人生を半ば決めてしまったのは、幼いころの環境であった。
ヴィヴィアン・リーは、1913年、インドのダージリンで生まれた。
母・ガートルードは、アイリッシュで、厳しい戒律を守る敬虔なカソリック信者。 父・アーネストは、フランス人独特のエレガントさと優雅さを持つ楽天的な自由主義者。

このように対照的な夫婦であるから、いつも父と母の間はギクシャクしていた。 その上、父・アーネストは、英国人でもインド人でも、狙いをつけた女は、 ことごとくベッドを共にするほどの女ったらし。 そういうことも重なって、ガートルードは信仰に救いを求めた。

アマチュア役者の父に連れられ、舞台を踏んだり、優しい回教徒の乳母に 世話をしてもらいながら、自由な気風の中で、ヴィヴィアンはすくすくと育っていった。 しかし、そんな環境に不安を覚えたガートルードは、ヴィヴィアンが 3歳になると、なついていた乳母を英国人のカソリック信者に交代させ、 英国人としての宗教教育を施し始めた。
インドの自由な空気、父と過ごした華やかな舞台やパーティの日々… そんな彼女の生活は一変する。

7歳が近づくと、そんな母の強い希望で、「いっしょにインドへ帰りたい」と父親に泣いてすがる ヴィヴィアンを、戒律の厳しい修道院に入れた。
修道院でのヴィヴィアンは、表向きは、常に従順でそつなく振る舞い、成績も良く、友人にも好かれ、 毎朝5時のミサを欠かしたことはなく、母の望んだ通り、敬虔なカソリック信者のレディに 育っていたかに見えた。

しかし、修道院長はヴィヴィアンは2人いると考えていた。
一人は、皆の前で、慎ましくも快活に振る舞うヴィヴィアン。そしてもう一人は、 たった一人で湖を見つめるヴィヴィアン。
暗い石壁に囲まれた、慎ましいも厳しい修道院の生活を従順に送っているヴィヴィアン であったが、父親と共に舞台に立った、あの興奮を忘れられなかった。 一人になると、華やかな生活、少女らしく、たくさんの男性に囲まれ、 仮面の王子さまと激しい恋に落ちる自分を想像していたのであった。 しかし、カソリック信者にとっては、「邪心」「神に対する冒涜=罪」であった。
他にも、そんな事実を裏づけることがある。それはヴィヴィアンの手紙であった。
母・カートルードに書く手紙には、短い、子供のような内容で、末尾には必ず聖書の一節が 書き添えられていたが、父・アーネストの手紙には、そして成績が悪かったと謝り、 「インドへ帰りたい、父と母に会いたい」と、書いている。

2人のヴィヴィアン…このことは、一生ヴィヴィアンの心の奥深くに巣食い続けることになっていく。
とりあえず、少女・ヴィヴィアンは、自分の気持ちは、心の奥深くしまいこみ、 父と母を、そして自分の回りの人々を喜ばせることに自分の存在価値を見出し ていたようであった。



「スカーレットが、お母さんが死んで、私がどんなに悪い娘になったか
見ることができなくてよかったわっていうところがあるでしょ。
つまり、あれが私よ」
…ヴィヴィアン・リー

思春期を何不自由なく終え、現実の厳しさに晒されることも、 実らぬ恋に心をわずらわせることもなく、19歳の時ヴィヴィアンは、 裕福な法廷弁護士のハーバート・リー・ホルマンと結婚。一年後には、娘・スーザン を出産した。

子守りは優秀な乳母がすべてしてくれた。家のことは、お手伝いが片付けた。 その日一日が、時間きざみに組まれていた修道院の生活しか知らないヴィヴィアンにとって、 何もしない毎日は辛かった。 そんな毎日に不安といらだちを感じ選んだのは、幼い頃からの夢「女優への道」であった。

夫と娘を持ちながら、彼らへの無為の奉仕を至上としたカソリックの信者が、 職業女優となる。その上、ローレンス・オリヴィエと恋に落ち、 「姦淫の罪」そしてカソリックにとって最大の罪「離婚」の罪が加わることになったのだ。

1940年、ヴィヴィアンはオリヴィエと結婚した。湖を見つめながら思い描いていた 仮面の王子の姫となったのである。
それまではまだ、ヴィヴィアンの精神は、宗教と結びついていたし、 まだ自分をカソリック教徒と考えていて、独りで祈り、旅先には必ず聖書を持って行った。 しかし、オリヴィエとの結婚を境に、彼女は教会にもまったく通わなくなった。 まるで自分を「背信者」「異端者」でもあるかのように感じ、彼女を支配していた信仰の世界から 自らを遠ざけた。

興味深いのは、自分は「異端者」「背信者」だと思ってはいたが、 カソリックの団体から寄付を頼まれると、快く応じていたことである。
ハリウッドでも成功し、英国劇壇の王の妻になり、まぶしいほどの 世界を手に入れた彼女だったが、心の奥底では神を 忘れられないでいたにちがいない。

若く、美しく、オリヴィエと歩んでいた光り輝く栄光の道…その光は、 ヴィヴィアンの思い出の地を破壊した戦争、年齢による容貌の衰え、 役者としての自分の限界、そして不治の病によって、徐々に失われていく。
まぶしいほどの光が消え、彼女には何が見えたのだろうか…。
母の愛を受けることができず、寂しさに泣く娘・スーザン、過酷な現実を 受け入れながらも、常にヴィヴィアンの傍らで、彼女を暖かく包んだ最初の夫・リー。 カソリックの教育を無理やり強いた母・ガートルードの苦悩。 彼女と生きることに疲れ、倒れる寸前のオリヴィエ。

リュック・ベッソン監督の『ジャンヌ・ダルク』の冒頭にこんなシーンがある。
純粋で敬虔なカソリック信者のジャンヌが、一日に何度も告解に来るのである。
(告解というのは、カゴの中の神父に向かって、信者が行った罪を告白し、 神父を通じて神に許しを乞う行為)
「今日は3回目じゃないか。どうしたね、ジャンヌ」
「聞いてください。私は今日罪を犯しました」
「何をだね」
「貧しい人に靴を恵んであげました」
「それはいいことじゃないか」
「父親の靴なんです、それが。父に黙ってあげてしまったんです」
「きっと、神は許してくださるよ。さっ、心配しないで外へ遊びに行きなさい」
ジャンヌは、子供っぽく「わーいわーい」と小躍りしながら、草原へ駆けて 行く。ジャンヌほどの教徒と言えど、子供などと言うものは、そんなものなのである。

あまりの自分の行為に告解をも拒否し、自ら沈黙を強いたヴィヴィアンは、どんな気持ちだったのだろうか…。 悪いことに、リーにもオリヴィエにも、父にも母にも、自分の気持ちを彼女は 話すことができなかった。羞恥心、自尊心が邪魔をしたのかも知れない。

みなさん、銀幕でのヴィヴィアンや彼女のポートレイトを思い出してみてください。
つつましく、美しい容貌、洗練された立ち居振舞い。ただひとつその情熱的な瞳が、 野性を感じさせませんか?
その美しさの中に輝く情熱の炎…その情熱こそが、彼女の命の源であり、魅力だったと私は思う。 その情熱と信仰のはざまで、ヴィヴィアンは一生悩み続けた。 「自分の選択はまちがっていたのだろうか…」

「離婚が最大の罪であることは、わかっているわね。自分で始末をつけるのよ」
…… ガートルード

"狂気"という悪魔に飲み込まれそうになりながらも、ヴィヴィアンは懸命に闘った。 彼女は始末をつけることができたのだろうか…。もう誰も知る由もない。
しかし、私は彼女にこう言葉をかけてあげたい。
「あなたは決してまちがっていなかった。あなたは私に夢を見せてくれた。 もしまちがっていたとしても、精一杯生きたあなたの 人生は、誰にもまねできることじゃない」…と。

この項の最後に、ヴィヴィアンの葬儀について、一言触れておきたい。
カソリックは、葬儀に関しても厳しく取り決めがあるのだが、 亡くなる一年前、ヴィヴィアンは、自らの"野辺の送り"に関して遺言を残し、彼女の葬儀は、その通りに執り行われた。
ヴィヴィアンの亡骸は火葬され、その灰は、晩年、ヴィヴィアンが愛して止まなかったティカレージ荘の 庭に蒔かれた。

カソリックとして育てられたヴィヴィアンが、最後に自ら選んだ道は、 自然の摂理に従い、土に帰ることであった。

Act1:信仰と情熱のはざまで Act2:ヴィヴィアンとオリヴィエ
Act3:勇気ある戦い Act4:おわりに…

トップへ  ほのぼの掲示板へ  私もヴィヴィアンに一言  ほのぼのチャットへ