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ACT3:勇気ある闘い

ヴィヴィアンの最大の失敗は、『欲望という名の電車』に出演したことだよ。
なぜかって、あのブランチという役は、彼女の実生活そのままだからね。 ヴィヴィアンにとって、あの役を演じることは残酷な仕打ちだったな。 それが彼女の致命傷になってしまったんだから…。

……サー・ジョン・ギールグッド


「ブランチは、年を取って、衰えていく容色を支えるには、 過去があまりにも孤独で、愛に恵まれなかった悲劇の女であり、 身だしなみに心をやつす生活の最後の機会にすがり付いて、 必死に戦い、幻想がついに狂気をもたらした女性でした」…ヴィヴィアン・リー

ヴィヴィアンが、ブランチの性格の中で重要であると思ったのは、 精神の美しさと空想と夢であった。彼女は、若いブランチが どんなであったかを観客に見せようとした。
ヴィヴィアンの危険な兆候に初めて気づいた人間は、 『セント・マーチンズ・レーン』で、ヴィヴィアンと共演したチャールズ・ロートンであった。 1938年のことであった。
このことが、オリヴィエとの不義の中が公然となったころと一致するのは、 とても興味深い。

はっきりとわかる分裂的精神行動が、彼女に現れたのは、1944年のことだった。 あの暗い戦争、流産、結核という病が、疲れたヴィヴィアンの体を痛めつけ、 彼女の心までも、少しづつ蝕んで行った。
しかし、気丈にもヴィヴィアンは立ちあがり、やがて気が狂ってしまうだろうという 不安と闘いながら、一本の映画(『アンナ・カレーニナ』)と10本近い舞台に 立った。『アンナ・カレーニナ』以外は、劇評も好評だった。 オリヴィエも、この悪夢はそのうち去るであろう、と 簡単に考えていたのも確かだった。

しかし、運命とは皮肉なものである。
『欲望という名の電車』のブランチは、今のヴィヴィアン自身であった。 例えば、少年を引き止め誘惑するシーンがある。 それは異常な時のヴィヴィアンと同じであった。ただ、ブランチのように 実際に行ったわけではなく、彼女の場合は妄想のみだったし、 少なくとも、ヴィヴィアンは孤独ではなかった。過去もそして今も。なのになぜ……。

ブランチという女性は、彼女が演じるにはあまりにも現実的すぎた。 ヴィヴィアンは、このブランチという役に憑りつかれたように没頭した。 彼女の頭の中から、ブランチがいつも離れないようだった。 周囲の人々は、「本当にヴィヴィアンはブランチになってしまったのではないか」と 心配したほどだったという。
『アンナ・カレーニナ』で、夫と子供を捨てて愛人の元へ走る主人公を 演じた時も抑鬱症状になったが、『欲望という名の電車』のアメリカ公演は、 ヴィヴィアンの身も心もこれまでにないほど痛めつけ、 ついに、千秋楽まで舞台に立つことができなかった。

そんな状況でも、ハリウッド映画を嫌っていたヴィヴィアンが、 『欲望という名の電車』に出演したのは、オリヴィエのためであった。 このころオリヴィエは、新会社を設立し金が必要だったし、 『黄昏』に出演中のオリヴィエのそばにいられる…という気持ちからだった。

映画『欲望という名の電車』は、エリア・カザン監督、マーロン・ブランドなど 「メソッド演技」を信条とする アクターズ・スタジオの色濃く出ている作品であった。
そういう演技を要求されれば、ヴィヴィアンにとってどういうことになるか結果は見えている。 彼女の才能はそれに見事に応え、ヴィヴィアンに二度目の オスカーをもたらしたが、この作品が、その後のヴィヴィアンの人生に落とした影は大きかった。

『巨象の道』の撮影中、手がつけられないほどの発作を起こしたとき、 「私が火事だって叫ばないうちに、ここを出て行ってちょうだい!」「火事よ、火事よ!」という 『欲望という名の電車』 第九場の幕切れのセリフをを叫んでいたことは、あまりにも有名な話である。

「私がヴィヴィアンを追いつめすぎたのかも知れない」……ローレンス・オリヴィエ

(演技のテクニックを使わず、 リアリティを出すためにその役に入りこみ、自分の中のすべてを燃焼させ、 演技ではなく現実のものとして演ずる演技法。これは極端な例だが、 ロバート・デ・ニーロがそうである)



「嵐が起こるからと言って、海を嫌い、暗くなるから言って、
空を嫌うでしょうか。嫌いません。
生きている限り、嵐の収まるのを待ち、海がふたたび穏やかに なり、太陽が夜明けの空に昇るまで待ちます。
ヴィヴィアンに対しても同じことです」
…ヴィヴィアンの友人の言葉
右の写真は、オリヴィエ演出の舞台『欲望という名の電車』

ヴィヴィアンの病名は、躁鬱病であった。
彼女の中には、少女時代にはぐくまれた「罪の意識」が根を張っていて、 医師たちもそれを拭い去ることができなかったという。
女性に対して自由奔放な父親の影響からなのだろうか、 彼女の妄想には、性的欲望がたぶんに含まれていた。 "勤労者階級"の男性とセックスを行うという考えが、わずかでも 罪の意識を軽くしていたようだった。しかし、不幸なことに、そのような妄想は 心にキズを残し、一つの罪の意識がもう一つの罪の意識に取って変わられるだけだった。

そのどうにもならない感情のほとばしりは、主に躁症状の時に現れた。 躁症状の時は、だれかれかまわず口汚く罵り、気難しく、残虐になった。 人前では、とても恥ずかしくて言えぬような言葉が、次から次へと飛び出した。 ある時は、部屋をメチャメチャにし、自分の洋服を引き裂き、手がつけられなかった。
鬱症状になると、誰にでもすがりたがる怯えている少女のようだった。
ヴィヴィアンは惨めだった。

そのほかの時は、優しく、魅力に満ちて、賢く、思いやりのあるレディだった。
ヴィヴィアンは友人たちを大事にし、いつも礼儀正しく謙虚であった。

「私が誰を傷つけたのか、おっしゃってちょうだい。
お詫びの手紙を書かなければならないわ」


不安と絶望が、彼女の心を捕らえてはいても、自分の病気のために 誰か傷つけたのではないかと、たえず思いやっていたのである。
実際、彼女の回りには、いつも30人くらいの友人たちがいたという。 彼女が最悪な状況にあっても、友人たちは彼女を好きだったし、 立ち去ることはなかった。(もちろんすべてではないだろうが…)
前夫・リーも自分と子供を捨てたヴィヴィアンを怨むことはなかった。 母・ガートルードの開く美容院の近くで暮らし、必要とあらば すぐにヴィヴィアンの元へ駆けつけた。 そんなリーの献身的な態度は、ヴィヴィアンが死ぬまで変わらなかった。

ヴィヴィアン・リーという人間の魅力が、美しい容貌だけではなかったこと、 そして、その魅力は病をも超えたものだったということだろう。




「どうしてそんなことを恥じる必要がある。
あなたはたとえ、そういう症状があっても、闘って克服して成功することができる、という見本だ。
あなたは多くの人々に勇気と希望を与えている」

……ジョン・メリヴェール


オリヴィエと別れてからのヴィヴィアンは、病に加え、その悲しみと闘わなければならなかった。 一人で生きて行かなければならなかった。
そんな彼女の支えになったのは、ジョン・メリヴェールという俳優であった。
病は確実に進行していたが、ジャック(ジョン)は、ヴィヴィアンを励まし、 またヴィヴィアンも彼を心の支えにしながら、二人で「奇跡」を起こすべく闘い始める。


ヴィヴィアンは、母・ガートルードにもリーにも頼った。
症状が起こりそうになると、ガートルードやリーを呼び、ずっとそばにいてもらった。 特に、前夫であったリーがそばにいると、ヴィヴィアンは落ち着いていられた。 リーを男性としては愛せなかったが、父親のような存在だった。

衝撃療法も取り入れた。
躁鬱症状がでる前に、麻酔をかけ眠らせる。その間に、こめかみに電気を 流しショック状態を起こし、人為的にその時期を終わらせるという治療法である。
1960年、『天使たちの決闘』のアメリカ公演では、衝撃療法のためにできたこめかみの やけどのあとを化粧で隠しながら、演じきった。

また、あまりにも短い睡眠が、彼女の体力を消耗させた。強力な睡眠薬も、 もうすでにヴィヴィアンには効かなかった。 そこで、睡眠薬を投与し、体を冷やし、体温を下げることによって睡眠を 起こさせるという過激な治療も行った。
それらの治療で、小さな体はやせ細って、さらに小さくなった。 そして彼女の体力をも確実に奪い、その結果「恐ろしい肺の黒い影」がまた姿を現すという 悲惨な結果になっていくのである。

彼女の壮絶な闘いは、その後7年で終わりを告げるのだが、 その間に、2本の映画(『ローマの哀愁』、『愚か者の船』)と、 3本の舞台(ミュージカル『トヴァリッチ』、『伯爵夫人』『イワノフ』)に出演。
特に、『トヴァリッチ』は、ヴィヴィアン初のミュージカル出演であった。 48歳のヴィヴィアンが、ミュージカルにも果敢に挑戦していったのである。 『トヴァリッチ』の演技で、彼女は見事トニー賞を受賞した。

鬱状態の時、ヴィヴィアンは舞台に立つのが怖くて、袖で震えていたが、 舞台に上がると、ミスもなく、完璧にこなしたという。

そのときの様子を
「まるでライオンのように立ち向かって行った」とジャックは回想している。

"「奇跡」を起こすべく"と書いたが、その「奇跡」とは、「病気の治癒」という奇跡ではなく、 躁鬱病と肺結核という不治の病(当時は)に犯されながらも、舞台に立ちつづけ、 新しいことへも挑戦し、観客に夢と希望を与えつづけたことであった。
余談かも知れないが、ヴィヴィアン・リーの海外サイトの中には、 ヴィヴィアンの生き方を知ってもらい、励ましになれば… と躁鬱病患者のためのHPに相互リンクを張っているところさえもあった。

『欲望という名の電車』…私はもう一度観てみようと思う。 ブランチを演じるヴィヴィアンを見て、「どうしてこんな惨めったらしい役を…」 などと、もう決して思わないだろうから。

Act1:信仰と情熱はざまで Act2:ヴィヴィアンとオリヴィエ
Act3:勇気ある戦い Act4:おわりに…

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