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1999/11/30

 以下の文章はフィクションです。
 
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 髪を切ろうかな、と思った。
 だからバスに乗った。
 適当なところで降りると、そこはおもいっきり適当だったらしく周りに美容院なんて全然なくって、停留所二つか三つぶんくらいを余計に歩かないといけなかった。
 椅子が二つという美容院だった。
 他に客もいなくて、待たずにすんだ。慣れた応対、慣れた手つき。目を閉じているあいだに胸まであった髪が消えていた。
 こんなにも軽い。
 気づかなかった。
 店を出るとき、コートを羽織ろうとして、襟首のあたりでちょうど終わっている自分の髪を引っ張ってみる。軽い。軽くなって、でも、なにが変わったんだろう。
 ありがとうございました、という声に追い出されて外に出ると、空は今にも雪が降り出しそうな色。
 さむい。
 こんな日に切るなんて、馬鹿だったかな。
 でも、早い方がいいよね。
 だって冬が終わるのを待っていたら、すごいことになっちゃっているだろうし。
 停留所までのあいだ、くしゃみ三回。
 私がどういう冬を過ごすか、美容師さんには関係ない。
 今日、髪を切った。
 
*/

1999/11/25

 読書にも相性ってのがあると思いますのことが最近でございます(何語?)
 なんとなれば、面白いけどーあーうーぬあー、と、そんなのをちっとづつ読んでいるのでございます。面白い、けど、一気には読めない。どっか違うなーという部分を感じつつのそんな読書。いつになるかわかりませんけど、そいつを読了したら、この違和感のごときモノをひょっとしたらここに書くかもしれないことも無いであろう風味です(何語……)
 で、それはともかく、相性が図星な短篇集「未来のゆくえ/やまむらはじめ」、どれだけ図星かといいますと、OURS掲載時にそれぞれココですべてコメントしてあるんですな。図星度高。収録作は“最後の夏”、“最後の夏 〜 Second take 〜”、“まつりの景色”、“よるのむこうに”(雑誌掲載時の題は“ONE NIGHT STAND”)、“肩幅の未来”、“OUR DAYS 〜されど我等が日々〜”。本人も後書きで言ってますが、青春モノ、とでもいうべき短篇群。
 とりあえず、読め、の一言以外に付け加えることもあんまりないんですが、ま、いいや、書いちゃえ。ただしネタばれあるかもですんで、以下そのつもりで。
 ワタシ的破壊力で測れば、最強はやはり“肩幅の未来”になります。ここまで抑制を効かせて、それゆえ破壊力を持ち得たというのは滅多に無いっす。かっちょええ。まず情報量というのが無愛想極まりない。物語全般に断片的に挿入されるものを繋ぎあわせてようやく女の子が余命わずかな状態でいるということがわかる。で、わかった瞬間、読者はハマったということです。だから読み返す。そのとき、ぶっきらぼうな態度の男と明るく振る舞う女の子の二人が乗り越えてきた葛藤というのが問答無用で伝わる。しかもそれを直接表現しないで、代わりにこれまた素っ気無いコマ割りを積み重ねてどうということのない日常を描いて。語らずに語るってのを“漫画で”やったというのがスバラシイです。そんな印象も手伝って、きわめて音楽的であるとゆーか。交響曲的な構造美じゃなくてフーガ。
 ワタシ的図星度で測るとベストは“最後の夏”。怪我で引退した陸上部員のヒネた性格した主人公が、とりまく状況は変わらず恋愛らしきものも結局実らないんだけど、最後にちょっとだけ前向きになる……ってところで、すぱっと終わり。余韻があってよろしいです。なにより部室で主人公の多島くんと秦野さん(めがねさん)が交わす会話が図星にクリティカルヒットなのですよ。「で 私は どうしたら いい訳?」
 そんなこんなで読み返してるうちに九月十六日の小文も、元ネタのゲーム以上にこの二つが色濃いってことを思い知らされました次第。どこがぢゃと言われてもうまく説明できんのですが、なんとなく。

1999/11/20

 えと、米村孝一郎がポスター描いてるウルトラジャンプ、紀伊国屋で買いましたです。
 連載終了、「寡黙の刻/よしのひろみち」。オチを連載第一回の冒頭に見せるというワザを使っていたこの時間SFモノ。それだけに、正直言って最終回前の数回分のモタツキは辛かったです。芝居が間延びしてたり、その一方で説明セリフが冗長に感じられたりで。過去の世界の登場人物減らすか、あるいは逆に終盤さらにエピソード追加するか、とにかくペース配分もうちょっとうまくやって欲しかった。追加するとしたら、新生人類という設定がおもしろいなーと思ってたんで、悪役の委員長ってのを希望。ともあれ、少々強引ではありましたがハッピーエンド、でした。
 「アガルタ/松本嵩春」、今回はー、表紙にー、お出ましのー、きゅーとな紅花がー、ナンでこんなチョイ役なんねんっ、ってな具合で肩透かし気味ですが、庭師の背後に存在するであろう組織が垣間見えて油断ナランです。ああ、美少年。そんでもってRAELですが、さらにlayerが剥がれました。剥がれるたんびにイイ表情してくれます。

1999/11/19

 毎度書いてるコトからして自明でありますが、私はマンガ好きです。かなり。雑多なマンガ読みます。性描写をためらわないやつも読むし、ソレだけの、いわゆる十八禁なのも読みます。ですので今月一日にいよいよ施行とあいなった「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」(以下、児童ポルノ法。全文概要警察庁のページ内で参照可)というのは気になります。
 この児童ポルノ法の目的は第一条にありますが、児童、および児童の権利の保護となってます。で、第二条の定義。その1で児童とは“十八歳未満の者”とあります。その2、これは児童買春の定義。その3、これが児童ポルノの定義です。ちと長いですが引用。

 3 この法律において「児童ポルノ」とは、写真、ビデオテープその他の物であって、次の各号のいずれかに該当するものをいう。
 一 児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写したもの
 二 他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するものを視覚により認識することができる方法により描写したもの
 三 衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するものを視覚により認識することができる方法により描写したもの

 どれもヴィジュアルな表現が対象なので、小説などは外れるようですな。んで、一号と二号は従来から問題視されていたような狭義のチャイルドポルノってことですか。三号、うーん、これはどうなんだろ。被写体が十八歳未満なら水着写真集ダメってことにもとれるようなとれないような。
 ところで被写体と呼べるもののない完全な創作物は対象になるんでしょうか。なりません。だって第一条の目的から外れます。たとえば第十五条、第十六条は心身に有害な影響を受けた児童の保護について述べてますが、それは“児童買春の相手方となったこと、児童ポルノに描写されたこと等により心身に有害な影響を受けた児童”であって、読んでイタかった読者の保護じゃないんです。各所の自治体が出してる条令とは違うんです。
 ところで、紀伊國屋書店がこの児童ポルノ法施行を受けて、十八歳未満の登場人物の性描写のある漫画を店頭から撤去したとかいう話をネット上で目にして、ホンマかいなと途中下車して新宿南口店に寄ってみたところ、少なくとも十一月十九日現在、そういう状況にはありません。まあ、ここも久しく行ってなかったんで以前の品揃えと比べてどうこうということは言えませんが、「センチメントの季節」はしっかり並んでました。はい。
 ただ、レジのところには、児童ポルノ法を遵守するという旨の貼り紙がありました。同様に、紀伊國屋書店インターネット仮想書店 BookWebでは、『児童ポルノ法』施行にあたってのお知らせなるものが。実際、児童ポルノ法では第七条“児童ポルノ頒布等”で定められているケースになれば犯罪になりますので、これを受けての反応でしょう。
 ですが、懸念してしまうのは、ポルノの範囲。ちなみに、かつて与党三党として法案を提出した社民党見解(自治体政策集・政策Q&Aの68)でも対案を出した民主党見解(1998年6月11日 児童買春・児童ポルノ規制法案に関する見解)でも、絵画・イラスト・漫画は特定のモデルが存在するような場合を除いて規制の対象から外れます。現在、書店側の自主規制があるという話は確認できませんが、“自主”規制というやつはソレとなく察して手控えるって種類のものですから、知らず知らずのうちにその範囲が拡大、てな具合になるような気がしてしょうがないのです。特に今回名前が挙がったのは大手ですからね、なおさら。一企業の判断をとやかく言うなという向きもありましょうが、なら一消費者の主観を言わせていただきたい。文化の一端を担う者として、どうか己の株を下げるような真似だけはしてくださるな。附則第六条の施行三年後の再検討ってのにも影響しかねないのでね。

1999/11/14

 今月のビンボー譚、もとい、「NIEA_7/安倍吉俊」@エースネクスト。人類代表というのに貧しさに負けてとうとう着てしまった、まゆ子の宇宙人民服姿が泣けます。そこに二人の下宿している銭湯を切り盛りする女経営者登場、お約束ながら取り立てがシビアです。商工ローンほどではなく人情味のある所もお約束。んでも、こなれたセリフと達者な絵で楽しめてしまうあたり油断ナラン(なにがだ)。扉ページのアオリにはSFコメディとかあるこの話、すっかりSF貧乏四畳半劇場。女の子と宇宙人っていうのが「男おいどん」とは違うけど。

1999/11/11

 連載終了しておりました「エイリアン9/富沢ひとし」、最終巻が出たのを機に三巻まとめて読み返してみました。
 あーもーむっちゃえーわー
 時に残酷、時にほのぼの、とにかく容赦無い怒涛の展開がこれでもかこれでもか。「寄生獣/岩明均」と並ぶかもと一巻の感想として以前書きましたけど、いやあ、ワタシ的には「寄生獣」を超えましたね。S・レムのコンタクトもの三部作でいえば「寄生獣」は「エデン」、「エイリアン9」は「ソラリスの陽のもとに」、「砂漠の惑星」というところでしょうか。(この順はワタシの偏愛の順と思ってくだされい)
 「寄生獣」では人間とパラサイトの対立する構図の中で、人間シンイチとパラサイトのミギーが双方自我を保ったまま共生してしまったという中立的な視点によって物語が語られるわけですが、さすがに単純な善悪二元論に陥ることはありません。後半に登場する市長と殺人鬼が共に人間であるところなど象徴的です。
 だけど「エイリアン9」ではもはや善悪などすっ飛ばした次元で話が進行。世界は既にエイリアンの存在が当たり前になっていて、おまけに舞台は小学校、対策係が“対策”しなきゃいけないエイリアンは次から次へと現れてってな具合で(ココらへんは二巻の感想として書きましたが)そもそも観念的に苦悩する余裕が最初っから与えられてません。起こる事件が凄まじいので、かえって理屈の部分がいらない、というより触れられていない。久川先生が自分の正体を隠して先生として話すときは空々しくて中身が無い言葉しか言いませんしね、戦う決意を固める理由にはなりえない。少なくとも三人の女の子たちはそんなこと考えてません。図書の係が本を整理するように対策係はエイリアンを駆除する。淡々と。ゆりちゃんもアブナイキタナイだからイヤだと思ってはいても、エイリアンを狩ることそのものに葛藤したりはしません。かすみちゃんのケースだと、もう完全に楽しんでます。
 そんじゃあ、ただのスプラッタな話かってゆーと、それも違う。対策係の仕事とかで毎度ヒドイ目にあわされる三人の女の子には、トモダチでいようね、という、人類とかエイリアンの運命ってレベルではない小さいものではあるけど譲れない感情があります。その感情が表に出てくる、その出方というのが、またいいんですな。先生たちエイリアンたちの思惑と、女の子たちの想い。この重ねられていく縦糸と横糸の距離がなんとも絶妙。終盤、先生が何をやろうとしているのかを知って、くみちゃんが最後の行動に出るところなど特に。
 そして結局、友情で問題がすべて解決したりはしないんですよね。だから読者によったら、この三巻のラストはひどく後味悪い終わり方かもしれない。だけど私には、とても誠実な終わらせ方だと思えるんですよ。これ以上は「エイリアン9」が「エイリアン9」でなくなるというギリギリ、それがあの最後のヒトコマになってるんじゃないでしょうか。などと邪推。

1999/11/09

 連載終了でございます「ビリーバーズ/山本直樹」@ビッグコミックスピリッツ。視点の人物の空想と現実が緊張を孕んで対立するという、この人らしい構成の最終回でした。その一回前がいささかスカシ気味だったのもこういう終わらせ方するためだったんですなー。さて最終回、の、ラスト。解散を強いられた教団の残党がテロをやってのけ、獄中の“オペレーター”さんを解放しようとしますが、彼はそれを断ります。(当局に)洗脳されてしまったんですか、というかつての仲間からの問いかけに対する彼の答えがスバラシイ。そうかもしれませんね。コレっすよ、コレ。コレが山本直樹的あてぃてゅーど。

1999/11/03

 さすがにコンビニじゃ見かけないCOMIC CUE、忘れた頃にやってくる天災的ともいえるコレも、もうvol.7なんですな。今回はロボットという題で十一編と、そのほかに二編。その中で気になったのいくつか。
 「ロボ道楽の逆襲/とり・みき」、道楽ってナニってーと、カニ光線を放つカニ型ロボット……てな調子でいつものとりみき。とはいえ「SF大将!」みたいにヒネまくったものを描くこの人にしたらずいぶん大人しいといえるのかも。
 お目当てだったのがコレ、「鋼鉄クラーケン/黒田硫黄」。巨大ロボットなイカ、その相手がカイ、その間で振り回される人間たち。などと書いてしまうと力が抜けてくるような話ですが、例によってマックロ炸裂の力の入った絵でブッ飛ばす九十ページは快感です。舞台が英仏で植民地争奪戦をしていた頃のインドだというのもマニアックでよろし。
 意外な収穫だったのは「HONG KONG-A/小原愼司」。街に落ちた隕石が放射性物質だとかで周辺住民は避難生活、その中でマニアな少年が出動した自衛隊の写真を取りに行こうとすると、あたしも行ってもいいかな? と女の子がついて行こうとするがその理由は……、という話。正直言ってこの人の作品は「ぼくはおとうと」も「菫画報」もなんとなくウェット過ぎるような気がして敬遠してたんですが、これは視点も描写も淡々としていて良かったです。アイディアはウェルズの「宇宙戦争」の逆であり(タイトルが香港Aってのはコレ)、話としては少年少女のささやかな恋物語であり、そんでもって状況はなんとなく「終末の過ごし方」であったりもします。ぎりぎりでガマンしてる時にふと人を好きになる瞬間があるのなら、それもまたよし。

1999/11/02

 やまむらはじめ氏、OURSで次号から連載だそうです。コミックガムに続き。
 それはともかく今月。デンパが快調、っていうか怪調っていうか、な「エクセルサーガ/六道神士」。アレはアレでいいんじゃないかと。ナベシン認めれば。それでもやっぱり原作の方がパワーあるのは否定できないですなー。イキナリ最初のページでジオブリで社長のやった一発芸を返してしまいました、怒ってませんとか言って。アニメのオリジナルキャラ(?)“大宇宙の意志”もさっそく原作に登場、リセット芸カマしてくれて、期待通りってゆーか。
 「トライガン−マキシマム−/内藤泰弘」は引き続きナイヴズがかっちょええっす。ミッドバレイの話なんだけどなー。ま、いいや。ただ、回想の中でバンドマンたちが切り刻まれるシーン、こういうのは沙村広明と比べざるを得ないので、ちと惜しい。
 でもって、社長の更なる一発芸が期待されてヤまない「ジオブリーダーズ/伊藤明弘」。今月の教訓、RPGに限らず携行ロケットはバックブラストに注意しましょー。そんでもって、走行中の出張君に乗ってて高速の路面に顔を押し付けられそうになる田波くんが、映画「ドーベルマン」を彷彿とさせて、哀れをさそうヒキでした。


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