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1999/09/30

 なんだかんだで今月は30KB超。アタマに血が昇ると質はともかく量は増えるのでしょーか。

1999/09/27

 半年続きましたTV版「それゆけ!宇宙戦艦ヤマモトヨーコ」、とうとう放映終了でございます。これまでもイロイロ書きましたがこれで終わりということなので全体の印象など書きます。
 全体を通して感じるのは、一貫性の欠如、というところでしょうか。三回か四回分くらいの単位で設定された話を半年分になるまで並べた、そんな印象が拭えません。これを多種多様のエピソードを見せてくれたと肯定的に評価しきれないのは原作のSFぅなトコロに惹かれた私の偏見もあるでしょうが、それぞれあまり変わり映えしなかったと感じたから。洋子と残り三人の内からひとり、という焦点のあて方で作っていた話が多かったんですが、ほとんど三十世紀を舞台にしなくてもいいような話。三十世紀の紹介という点は、絵的にも話の筋からも最初から抜け落ちていたといっていいので(アレでマジにやったといわれたら困る)、それでも律義に毎度ラストにあった艦隊戦は逆に付け足しくさく見えてしまう。二十世紀と三十世紀、両方よくばった結果、散漫になったような。序盤の設定紹介的な話と終盤のオールドタイマーがらみな展開以外は思い切って二十世紀だけにしてもよかったんじゃないでしょうか。手はあります。レッドスナッパーズという所詮脇役というのにいちいち台詞のある四人姉妹を一切出さないこと。これで中盤はだいぶすっきりするはずです。終盤、彼女たちは本筋からは退いていましたしね。
 レッドスナッパーズ以外の脇キャラでも疑問があります。総じていえるのはみんなバカってこと。特にリオン提督とローソン、そりゃポジションでいったら洋子たちの上級生がせいぜいなんでしょうけれど、言動まで高校生なみではあんまり。しかもそういう描写しかせずに説明役はしっかりやらせるもんだから見ていて苛ついてしょうがない。テンツァーとフーリガーは、まあいいです。そういう人間がいて話が進むなら。綾乃の祖父については後述。
 ところで以前、オールドタイマーを出してくれないだろうかと書きましたが、終盤はサラ、山本洋介、ゼンガーなどなどオールドタイマーがらみなキャラが前面に出てきて、そういう意味ではよかったです。オールドタイマーの遺産そのものについての描写はがっくりでしたけど、そこらへんは艦隊戦のところでわかってましたし、まあ、割り切って見ました。だけどここでもキャラの言動がバカってのが響いてます。後半、毎度のようにちょろっとだけ登場して、何をするかと思えば怪気炎を上げていただけのゼンガー。そんな場面まとめれば十分くらいの時間にはなったはずですから、それを使ってゼンガーのネスでの位置づけとかオールドタイマーに魅入られてしまった理由とかを描けばずっと人物に厚味が出たはず。サラの過去についてのシーンは、ほとんどローソンの説明台詞だけでしたけど、一応ありました。だから敵の首魁である人物には当然あるべきだと思うんですけどねえ。薄っぺらいキャラ、場当たり的な言動、つまりはバカ。だからして「オールドタイマーってバカ?」という洋子のセリフには、二重の意味で笑ってしまいました。いや、もう泣き笑い。
 えーと、誉めるところ、ないではないです。各話のオチ、問題であったものについて洋子が笑い飛ばすことで話をしめるというのが多かったんですが、これはあっけらかんと宇宙戦争しちゃう女子高生な雰囲気が原作同様出ててよかったです。対山本洋子殲滅デバイスという山本洋介、この発想は面白かった。だからして繰り返しすぎた魚肉ソーセージがギャグを通り越して寒くなってしまったのは惜しかった。惑星ソラリス的展開を期待していたとゆーのに(←無理すぎ)。洋子チームの仲間割れというのも良かった。というかお約束だしやらなきゃならんでしょう。まどかと洋子、これは口喧嘩をヒートアップさせればいいですからね、簡単。まどかがTA-25に乗ってわりとすぐにやってくれました。紅葉はローソンを巡っての確執ということで、これは原作でもにおわせていましたし納得。そして綾乃、これは伏線というには唐突すぎる仕掛けしかしてなかったこの番組では珍しく気合いれてじっくり(といっても三話か四話くらいだけど)描いていたので見応えありました。戦闘シーンも洋子×綾乃の場合くらい極端に描けば、イメージに逃げてるのは同じにしても見ていて楽しめるものになります。
 うーぬ、誉めようとしたら欠点に触れてしまいましたが、演出、というか絵について。オデコな小技続けるくらいなら基本を押さえてくれーというのが正直なところ。慣性質量って知ってる? 真空中の爆発煙ってどう広がる? 加速粒子の飛び方は? などなど疑問がつきない戦闘シーン、イメージで表現しているととれなくもないですが、どーも本気でそう描いているような気がして、そのたびに脱力でした。
 脱力といえば、最終回見るまではこれもアリかなあと思ってた綾乃の祖父。それまで狂言回しにもならない埋め合わせ的ギャグキャラだった綾乃の祖父でしたけど、二十世紀に行った山本洋介と会ってから話に関わり始めました。それでどうなるかと思ったらあの最終回、そりゃないよいくらなんでも。この人は表に出ちゃいけないんだってば、基本的に。なのによりによってこの人が話にケリつけちゃうんだもの。ってわけで最後の最後に盛大に脱力してしまいました。
 いいたいこといいましたが、まあ、部分的には光るものがあるのは認めます、オデコだけでなく。ただしそれも散漫という印象を助長する方に働いてしまってます。前に放映時間の面で苦しくてもオールドタイマーを出して欲しいとワガママいいましたけど、終わってみての感想はその逆です。オールドタイマーの遺産、それに絞って半分の一クール十三回でやれば、かえって緊迫感のあるものができたんじゃないでしょうか。そういう展開の上ででも女の子同士の友情とかは表現できます。いや、それをやってこそ「それゆけ!宇宙戦艦ヤマモトヨーコ」になるでしょう。TV版への私の評価はこんなところです。

1999/09/23

 チェックしてる三作のうち二つまで休まれるとがっくりですけどチャットでその存在を聞きつけて以来気になってしょうがなかったやつの続編が載ってるというので読んでみました「モーニング」、ちなみにチェック対象三作で今週も載ってるのは「えの素」です。
 というわけで「水と銀/吉田基已」、読み切りシリーズでこれが第三回なんですが一読して、こんなん二回も読み逃してたんかー、と後悔することしきり。絵の印象は、柔らかです。トーンを使うところを細線のアミで表現してるんですが、その濃淡のつけかたが気持ちいいです。あと星クンのほっぺた。
 舞台は女子校。赴任した美術教師から見た、人付き合いの不器用な二人の生徒の話。思い込みから悩んでしまってそれが態度に出て悪循環……などということは誰にでも、特にこの年頃ならあることでしょうが、それがふわりと解けていく過程をゆったりしたテンポで描いています。見所は微妙な表情の繊細な表現。カラーページでの叶さんもいいです。あと星クンのほっぺた。
 この第三回が44ページということで単行本にはまだちょっと足りないんでしょうけど、もう一、二編あればまとめられると思うので、続編熱烈希望です。こんなのが雑誌掲載だけで流れるなんて惜しすぎる。あと星クンのほっぺたも流すには惜しすぎる。
 ところで、表紙の記載で作者名の“已”が“己”と誤記されてます。お探しの方、間違いませぬよう。

1999/09/22

 今日の一枚、technosphere、[Gallery]→[星みがき]

1999/09/21

 なんとなくAN HTTP Serverなど入れてみたり。どうせ確固タル目的持って使ったってロクなことがないと決まってるのがPCなんでこれでいいでしょ(ホントか)。
 それはともかくウルトラジャンプ。次号から、なるしまゆり。その次の次から、六道神士が連載で描くとのこと。楽しみっす。
 先のことはいいとして今月の「アガルタ/松本嵩春」、おお、lainだ。ってのは冗談にしてもですね、人格という単語にlayerとかルビふりたくなるですよ(逆でも可ですが)。ピーウィーの見ているRAEL、ジャドの前にいるRAEL、これまでの子供のようで時々スイッチ入っちゃって狂暴化するRAEL、それぞれをlayerと呼びたいのは、剥がす重ねるって動詞が使えそうだから。受容体って言葉も真人格って言葉も出てきているし。そんなわけで助走期間に数ヶ月かけていよいよ話の動きが大きくなってきました、serial experiments RAEL(をひ)。

1999/09/18

 隙が無いというのはそれだけ作り込まれているということもありますが、なんというか「終末」の価値は「終末」という閉塞にこそあるのであって、そこに後から何かを加減すると、少なくとも時間軸上で後のことをつけたしたりなんぞすると、ようするにそれはカタルニオチルということになってしまうわけで、まあ勢いで書いてしまいましたが、そこがわかっただけでもよしとしましょう。

1999/09/16

 最初にお礼をば>kazさん。シナリオ差分、堪能いたしましたです。多謝。金曜日の屋上でもう一度「明日も屋上にいる」ってのがとってもいいです。

 これまでのあらすじ:kazさんとこの6/30,9/9,9/13の日記、ココの9/9,9/10をお読み下さいまし。
 前もって補足:えーと、Prefab Sproutってバンドが出したCarnival 2000って曲がありまして、それはJordan:The Come Backというすんばらしいアルバムに入ってるんで是非とも聞いて頂きたいのですが(日本版がエピックから出ていたハズ)、とりあえずPrefab Sprout SongBookというところに、その歌詞が載ってますです。
 

 で、以下はいろはの心臓のことを知りつつ歌奈エンドという卑怯というか外道な分岐をした末の「終末の過ごし方 The World is drawing to an W/end.」ファンフィクション。ただし自分で前回あんなこといっときながら、ハッピーエンド、では、ありませんです。申し訳ない。どーしてもこーなっちゃうんだよーう。しかも長いし。あう。「終末」って余計なものをつけにくいですな。ある意味、隙が無いです。実感しました。

/*
 
 歌奈を抱いたことを、知裕は後悔していない。
 夜空が白々と塗られて、否応無くその日が来たことをひとり思い知らされても、後ろめたさや、やましさという類いの感情は湧いてこなかった。
「俺は、歌奈を、愛している」
 唾をふき、涙をぬぐうと、知裕は身支度をして家を出た。
 歌奈はこの日を家族と共に過ごすといっていたが、知裕の家族は終末騒ぎの時に海外にあったため音信不通だった。
 
 その日、耕野知裕は遠回りになる繁華街をぬける道を選んで、学校に向かった。
 道すがら見る街の様相は、この二ヶ月の変化の終極とでもいうべきもので、予想通りではあった。
 死相、という単語が知裕の脳裏ではじけた。
 街並みが世界の終わりに先駆けて死んでいるのだ。
「死……」
 ふと、声が出ていた。
 もっとも、それを聞きとがめる人間はいない。既に街は死んでいる。略奪者さえ見当たらない。
 知裕は、無軌道な行為に走る人間が、いよいよこの段階になっていなくなったということの理由を考えようとした。自警団がまだ動いている、奪うものが無くなった、この日になって最後に良心が勝った、単に飽きた、めんどくさい、それから……
 風が通り過ぎる。
 梅雨明けの生ぬるい風は、人の息吹を思わせた。
 ならば、死の間際の弱々しい呼吸ということになるのだろうか。
 知裕にはわからない。
 知裕は死者を見たことも、死を看取ったこともない。
 
 校門をくぐる。
 いつもなら、ひとりランニングを続けている瑞沢千絵子の姿が、この日はなかった。
 そのランニングをぼんやり見つめているはずの、自称詩人、松原の姿もない。
 知裕が怪我で陸上を断念したのは、終末騒ぎの前のこと。千絵子とも先輩後輩という付き合いはない。
 あるはずのものを欠いた状態というのが死相ならば、知裕はふと思った、俺の顔ってもう穴だらけだな……。
 校舎の中にも人の気配はない。
 世界の終わる日であるせいか、日曜日であるせいか、それともその両方なのか。
 ときおり風の通り抜けるだけの無人の空間は、知裕には心地よかった。
 理由は、わからない。
 なぜか笑いたくなった。
 同時に、笑いを抑えていた。
 この状態は笑声一つでこなごなに崩れてしまうのではないか、そんな気がした。
 そして教室に入り、自分の席に座る。
 笑わず、怒らず、静かに目を閉じる。
 眠りは訪れず、かえって神経は鋭敏になった。眼鏡をかけたままでいることにまで意識が向いた。
 右手が放り投げた眼鏡が黒板に届かずに教卓のあたりに落ちて音を立てるさまは、裸眼であるためにぼやけて見えた。
 風が通り過ぎる。
 昨日、学校の戸締まりに手抜かりがあったらしい。知裕がやってきたとき無人の教室の窓はそのいくつかが空いており、そのせいで床や机が砂っぽい状態だった。
 風が通り過ぎる。
 目を閉じる。
 何を見るわけでもない。
 そもそも、眼鏡を何のためにしてきた。
 なぜ、この教室の、この席に座る。
 くだらない理由が、否定しきれない感情が、いくつもいくつも通り抜けていった。
 知裕は通り抜けていくままにさせていた。
 でなければ、空いている窓から一足先に飛び降りていそうで。
 
 乾いた音とともに、扉が戸袋へとおさまった。
 その直前の足音はとらえていたから、知裕にとって驚きは少ない。
 ただ、そこに立っていた少女が、キュロットにタンクトップといういでたちの大村いろはであることには、意外な気がした。
 いろはは窓際の列に座る知裕を認め、ついで床に落ちた眼鏡に目をとめると、それを拾い上げながらいった。
「耕野くんの?」
 問うまでもなかった。知裕の顔に眼鏡がない。
「それ、もういらない」
「なんで?」
「いまさらって、そんな気がするんだ。なんとなく」
 いろはは、くすりと笑った。
「そうだね。ぜんぶ、いまさらな日だね」
 そして笑いながら、知裕の眼鏡をつまむように持ってそれを窓の外につき出して、じゃあ捨てるよ、といった。
 お互い、探るような視線が数秒交わった。
 いろはの腕が手元に戻った。眼鏡もまだそこにあった。
 知裕の声が低くなる。
「……からかってる?」
「捨てないでくれって顔だった」
「俺が?」
「かけたら、眼鏡。かけなくてもいいけど」
「どっちなのさ」
「どっちでもいい日」
 いろはは、緩く笑った。
「もうすぐ、なんだよね」
 知裕には心なしか、いろはが普段よりも多弁になっているように思えた。この二人でいる場合、どちらかといえば話しかけるのは知裕の方である。
「もうすぐよね……」
「大村さん、うれしそうだ」
「そう?」
「そう見える」
「どこらへんが?」
 おどけるように眉を曲げたあと、いろはは手を広げてバレリーナのようにつま先立ちでまわって見せた。うれしそう、どころではなかった。表情の乏しいいろはを見慣れている知裕は狂ったのかとも思ってしまったが、微笑をたたえるいろはの瞳には少なくとも狂気の光はない。
「体に悪いんじゃない」
「これくらい、いいのよ」
「だけど発作が起きたら、もう」
 学校の保健医も頼れないと知裕が指摘する前に、いろははいいきった。
「だから、いいのよ」
 
 知裕は稲穂歌奈を抱いた。
 小柄な歌奈が自分の腕の中を泳いでいたとき、知裕はたしかに歌奈を捕らえたと思った。
 これから訪れる終末へのどうしようもない不安を吐露していた歌奈の心をつかんだと、そう思った。
 星座早見盤の扱い方を教える歌奈のにおいが自分の肌にも残っていることが、気恥ずかしくも嬉しかった。一緒に星空を見上げ、望遠鏡の視野に霞のように広がるアンドロメダを二人で交互に眺めている間、知裕の心から終末の影は失せていた。
 そして終末の日の朝。
 体を重ねた余韻は残っていた。
 歌奈のあどけない笑顔も、強がりの笑顔も、涙目の笑顔も、キスの笑顔も、記憶に鮮明だった。
 そのすべてが今日のこの日のためにあるのなら。
 知裕は寝床を跳ね起きて便所に駆け込んだ。吐くためだった。星空晩餐会、などといいながらゆうべ歌奈と食べたサンドイッチのなれのはてが便器に落ちていった。吐くものがなくなると胃液だった。吐き気は止まらなかった。酸っぱさに耐えているうちに胃液が途切れ途切れになった。最後は涙と鼻水だった。
「俺は、歌奈を、愛してる」
 知裕の肩の揺れが便器をつかむ手を伝わったのか、濁った水が揺れた。
 
「体は正直、だね」
 いろはは、知裕の胃が空腹の抗議を主張するや、知裕に反論の隙を与えずにいってのけた。
「んなこといったって」
 わずかに赤くなりながら、知裕は朝から胃の中身を空にしたままであったことを思い出した。
「あさごはん、大村さんは食べたの?」
「食べた」
「家族の人と?」
「そう。普通通りに、普通通りの」
「それなら、その、そのまま家族一緒にって、そうするんじゃないか、普通」
「散歩」
 世界の最期を吹き抜ける生ぬるく湿った風が通り過ぎる。
 いろはのショートカットの髪が乱れた。
 知裕に風は止められない。
「いいのか」
「親が揃っていうの、あまり遠くに行かずにってね」
「だったら帰った方がいい」
「耕野くん、ご両親とは離れてるんだよね」
「知ってんの?」
「歌奈からね、聞いた」
 いろはの、緩く笑みをたたえた表情は変わらない。
「歌奈、耕野くんのこと話しているとき、嬉しそうだった」
「会ったの?」
「電話。ゆうべ、じゃなくて今日になったあたりかな。不通になる直前。もう携帯じゃなくても駄目になってるのよ、知ってた?」
「……知らなかった。まあ、かける相手もいないし」
「歌奈には?」
「歌奈ちゃんは……」
「電話でね、歌奈、こんなこといってた」いろはは、おそらく最後になるであろう歌奈との会話の内容を、風に吹かれながら話し出した。「祈るって。どうにもならないことかもしれないけれど、それでも祈らずにいられないからいっしょうけんめい祈るって。どうか世界が終わりませんように、耕野くんの分も私の分も、一緒にお願いするって」
「歌奈ちゃんらしい」
「うん」
「だけど大村さんはさ」
「なに?」
「祈ってないだろ」
 「どうかな」
 
「クール・ミュージック・ウィ・プレイ、ダンス・アンド・セイ」
 ささやくように歌いだすいろは。
 記憶をたどりながらなのだろうか、とつとつとした歌いだしだった。
「カーニバル・トゥサウザン」
 息の細さは先天性の心臓疾患のせいだろうかと知裕は思った。
「ライヴズ・カム・アンド・ゴー、バット・ライフ・ノー・ディナイアル」
「イズ・オールウェイズ・イン・スタイル」
「ウェルカム・トゥ・カーニバル・トゥサウザン」
「ラヴズ・カム・アンド・ゴー、バット・ラヴ・アバヴ・オール」
「イズ・ベル・オブ・ザ・ボール」
 砂っぽい教室に、風にかき消されそうなささやき声が続く。
「カーニバル・トゥサウザン……」
 なにかを祈るように。
 
「なんて歌?」
「西暦二千年を楽しんじゃえって歌。カーニバル・トゥサウザント」
「能天気」
「でもないんだけど」
「歌じゃなくてさ、大村さんが、いい方悪いけどやっぱり能天気っていうか、その、少なくとも俺はそんな気分じゃない。やっぱり死ぬのは怖い」
「怖いよ、私も」
「だからさ、うまくいえないけど、こう、怖いの種類が違うんだ」
「そう。私も、歌奈も、耕野くんも、みんな違う」
「それでどうして歌うわけ?」
「散歩の途中で学校の側まで来て、それでなんとなく入ってみたら律義に制服着た耕野くんがいた。だからおかしくって、カーニバル・トゥサウザント」
「そんなもんなんかな」
「そう思ったの」
「へえ……。ライヴズ・カム・アンド・ゴー、の後、なんだっけ」
「ライヴズ・カム・アンド・ゴー、バット・ライフ・ノー・ディナイアル・イズ・オールウェイズ・イン・スタイル」
「人生行ったり来たり?」
「違うってば。ええとね……“生まれて死んで、だけど生きることまで無かったことにはできないさ、そいつはいつもスタイリッシュ”だいたいこんな意味かな」
「へえ……」
「ね」
 
 歌奈は祈り続けているという。
 いろはは歌をくちずさみつつ家へと戻っていった。
 知裕は眼鏡を拾い上げた。
 ぼやけた世界が元に戻った。
 死相を呈していた街並みを思い出す。いよいよ訪れるという終末を前にした悪魔の饗宴とも天使の祝祭とも対極の静寂。ついに人類は迎えられない西暦二千年のカーニバル。
 風は止まない。
 風に押されるように教室を出てみると、廊下も、下足所も、うっすらと砂が積もっていた。そんなことにいまさら気づくのはなぜだろう。眼鏡をかけたせいなのか。
 校庭に出てみれば、トラックの白線が消えかかっていた。
 世界が霞んでゆく。それでも世界は知裕を圧倒した。再び知裕の胃が蠕動した。唾と胃液が少量、足元の土を湿らせた。
 この瞬間まで胃液を作り続ける自分の肉体に驚きつつも、知裕は折り曲げた体を戻して空を見上げた。
 雲が切れ切れに浮かんでいる。
 風は止まない。
 終末の日。
 何もかもの意味が霞んで消えてしまうその日、どこまでも人間でいたいと、そう思いながら、知裕は最期の疾走を開始した。
 
*/

 おそまつ

1999/09/10

 うーぬ、新声社が破産でっか……(ソース:ZDNetの当該記事)。
 そういや、「終末の過ごし方」の原画集ってあそこから出てたですな。他にもアンソロジーとかで、手に入れようと思いつつ逃してたのがあったかもしれない……、店頭からは回収されてる……かなあ(溜息)

 えー、溜息はどこへやら(コラ)、表紙見てレジに即行持っていってしまいましたのはエース・ネクスト。ですが、角川系の雑誌というのは、実はあんまり買わないようにしてます。もちろん惹かれる作品は各誌それぞれに一つ二つとあるんですが、全体を読んでみて目当て以外の作品で面白いのを発見する、という雑誌ならではの楽しみというのが滅多に無いんですよ、ナゼか。アフタヌーンとかアワーズだったら、それがちゃんとあるんです。新たな発見というのが連載作品ならその雑誌をもっとフォローする気になれるし、読切でも作者名はしっかり印象に残ります。ところがそういうケースが、角川系だと不思議と無いんですね。
 どうも角川って、やたらと厚いのを創刊する割には、それぞれのカラーの差ってのをあまり感じないです。なら、一つの雑誌の中でバラエティが出ているかというと、それも違う。同じようなのが並ぶ中で、ぽつぽつと浮いてる作品がある、そんな感覚です。しかも私の惹かれるやつというのが、その浮き上がってるのだから、余計に買うのを躊躇してしまう、と。エース・ネクストでいったらビクトリア朝の修道院や娼館が舞台の「クーデルカ/岩原裕二」は面白いかなーと思ってましたが(ガサラキはもう一歩)、それだけで五百円代の雑誌は買えないです。
 で、今回買ってしまったのは、表紙にもなってる新連載「NIEA_7/安倍吉俊」のせい。読み方悩みますが“ニア・アンダーセブン”です。居候の浪人生まゆ子(地球人)と、その部屋に居候してるニア(宇宙人)のほのぼのコメディ、っていうより貧乏話。宇宙人と地球人が暮らす社会、二人の部屋からは煙の立つクレーターが見えて、ついでにニアは宇宙人なら大抵ついているはずの頭のアンテナがないアンダー7(7未満?)。
 これだけの設定をゆっくり間をとりギャグを交えつつさらっと語ってしまうのは、さすがです。これから話の膨らんでいく予感も十分で、あー連載初回ってこーだよなー、って感じです。なにより貧乏具合がナミダもの、うるうる。
 ところで、まゆ子って、ハッちゃん@エクセルサーガにちと似てる……。

 と、ここまで書いたところで更新するべと思いながら繋げたら、ぬう、昨日のツッコミkazさんからReツッコミが。は、はやい(汗)。ええっと、以下「終末」未プレイの方々にはロコツなネタばれになっちまいますが、ま、いいや(をひ)
 濡れ場とそれ以外との文章のギャップや繋がりの弱さについては同感です、まったく。香織、緑、歌奈、いろはの四人についていえますです。んでもって、この四人のなかで誰とヤっちまおうかというとき(コラ)、まあ好みの子とヤればそれでいいんですが(コラコラ)、やっぱり“終末”というのを単なる別れでなく死別という点で捕らえないと、物語としてみたとき、せっかくの設定がもったいないなあなどと私としては思ってしまうわけでございます。そこら辺、緑さんが弱いなってのは、この人の場合は知裕と幼なじみという二人の親密度からいえばプラスの設定が前もってあって、それだから逆にセックスのきっかけとして終末とかいう問答無用のマイナス要因でなくてもいいんじゃないかとか、そう考えられるんですよ。
 いろはさんの場合ですが、心臓に疾患があるってことで、この四人の中ではただ一人だけ自分の命が限りあるものだってのを実感として持っている人です。女の子に限らず、登場人物全員が終末に対してそれぞれ複雑な心境ですけど、その中でもいろはさんだけは、何というか皮膚感覚で死をとらえているわけで、しかも普段はそんなこと表に出さずに屋上でのんきに昼寝なんかしちゃったりなんかして、だからして保健室に運ばれてから知裕にぽつりと「明日も屋上にいる……」なーんてこといっちゃったりしたらですね、あーもうどーしてくれようってなカンジになってしまうわけですよ(謎)。実際、抱いてくれと知裕に迫るのもいろはさんが一番積極的ですが、それが(私にとって)納得できるのは、彼女がペースメーカーの電池交換を拒否してるという、いってみれば緩慢な自殺ってのを、それも終末以前から選択していたからです。後ろ向きではあっても、内に込められたものの大きさは相当なものだと理解出来るんで、命懸けのセックスというのも納得出来る、と。
 そんでもって、知裕くん。真性無気力症が終末ってことでなおさらターボ入ってしまったようなキャラクターで、いろはさんとは好対照。そういう人間がですね、いろはさんには心疾患があると留希先生に告げられた後の段階でセックスしちゃうというのは、猿でもない限り自分のペニスが相手の命を削るノミになっているって意識があるわけでして(にしてはサルのごとくヤってたよーな(汗)、ま、そういうゲームってことで)、これは一種の殺人。しかも故意。駄目人間のままなら絶対に出来ないことをヤってます。終末という異常事態に後押しされるようにではありますが。
 などとゆー解釈を私はしてますんで、いろはさんが内側に込めていたものを爆発させてそれを受け止めることで知裕が変わっていくにはセックスするというのが、ゲーム上の要請からだけでなく、物語としてのインパクトからも、安易ではありますが一番効果的ではないかなーと。
 んで、知裕がいろはさんを思いやって、逃避的にでなく積極的に葛藤した上で抱かないという決断をした場合、いろはさんの電池切れしたペースメーカーの扱いが問題になるんじゃないかと。これがある限り二人は同じ場所に立てないと思うんですよ。別に同じ立場になる必要も無いし、それならそれでこの二人はそれなりの付き合い方が出来る人間でしょうけど、こういう展開は少なくともハッピーエンドとはいえないでしょう。知裕がいろはさんの心臓を気遣って思い止まった時点で、どうせ終末だからという虚無的な態度に二人が戻ることは出来なくなってしまい、その上で終末を迎えることになります。終末の日が訪れた後、生き延びた二人揃って病院に行って電池入れ換えの手術をするというならそれは一つのハッピーエンドかもしれませんけど、こうなると「終末の過ごし方」の範囲を踏み出す話になっちゃいますからねえ、難しい。
 ってわけで、そこらへん上手く処理した『いろはさんシナリオエッチ無しヴァージョンなファンファンクション』が読みたいなー、えいっ☆(電波発信)

1999/09/09

 ゲームソフトをココで取り上げるのははじめてじゃないかしらん。しかし、はじめてという割には18歳未満お断りというシールが貼っちゃってあったりしますが、まあ、それ、ソコはソレ。なので一八歳未満の方、いらっしゃいましたら以下はお読みになりませぬよう。そして十八歳以上の方、そういうものだとわかった上でお読みくださいますよう。
 えーと、いささか時期をハズしましたが、取り上げるのは「終末の過ごし方 The World is drawing to an W/end.アボガドパワーズ」。内容はというと、「めがねさんのめがねさんによるめがねさんのための“ひとめあなたに……”」[(c)kazさん]ってので済んでしまいます。“ひとめあなたに……”同様、非常に淡白な物語。ところでこのパッケージ、「story 大槻涼樹 graphics 小池江里加」と、メインスタッフの記載があります。割と大きな文字で。そして確かに文章と絵の双方から、統一性とオリジナリティを感じることができました。新井素子とまではいかないにしろ、記名性ということでは充分でしょう。つまり、語られるストーリーよりは語り口の方に惹かれた、というのが感想になりますか。
 ただし、ストーリー内容そのものは薄いというのは、これは製作者の方も意識してたはず。 ──次の週末に人類は滅亡だ。  というのは、パッケージにも印刷され、マニュアル冒頭にもデンと載ってる文句ですが、この言葉を放り投げた時点で、すでに作品世界を敢えて小さなものに限定しています。これは私のような二歩進んで三歩下がって一休み人間にとってはひどく心地好いんですが、一般受けということでいえば、たとえば、でも二人の間はえいえんだよ、などと言い訳が続く方がいいんでしょうな。そして、この作品では、そこは潔いです。もっとも、男女のカラミというのはプライベートの極致なので、あんまり話が大きくなっても、ソレを描くゲームとしてはしょうがないんですけどね。
 ですが、ですな。描写を学園生活に限って、登場人物の言動にも内向的内省的な成分を大にしてあるにも関わらず、この物語を成り立たせているのはやっぱり ──次の週末に人類は滅亡だ。  なんですな。どこまで行ってもこれは変わらない。小さな人間関係に焦点があたっているはずなのに、どうしてもその背後にあるものがちらついてくる。だからして、大状況の中の小さく切り取られた世界だけを描く、ということに対しての製作者の自覚的な姿勢というようなものを強く感じるわけです。特に、解答を与えないエンディングに、それが顕著です。状況は変わらず、個人に心的転回が起こるでもなく、世界は終わる。Just drawing to the end.物語の終わり方として、「終末の過ごし方」という名前に恥じないものになっていると思います。
 あと、もう一点。男女のカラミ。ゲームとしてはこれが目的であるはずなんですが、私的にはここが本作品の弱点です。非日常的状況下で過ごす平穏たる日常、とかいう設定の魅力というのは、私にとっては、焦燥やら諦念やらが入り交じったアンバランスな状態というように解釈できるんですが、そこからセックスに持っていくのに、必然性が少々欠けてます。特に緑さんシナリオでは“終末”というのがイマイチニ活かしきれていないきらいが。彼女の場合、幼なじみだとか他の理由であってもいいでしょう。成功してるのは……、いろはさんシナリオかな。命懸けでセックスするというところが。シナリオ以外でも、文章そのものでややひっかかりました。セックスの描写とそれ以外とで言葉の選び方に落差があるんですよ。なんというか、広角レンズ主体の映像の中にあって、セックスシーンだけ接写になってしまっているような印象。ここは全体にあわせて淡白な筆致に止めた方が良かったです、私にとっては、ね。
 
 ってわけで、今更ですがkazさんの六月の日記にツッコミ(をひ)
 私としては、緑さんといろはさん、甲乙つけがたいですが、まあ、そういうわけですんで、いろはさんシナリオはエッチ抜きではまいりませんのです、はい。

1999/09/04

 ようやっと手に入れました「ジオブリーダーズ/伊藤明弘」、第五巻。オマケ的なビデオ予告掌編まで雑誌掲載時から手が入っているのが、まず嬉しいです。
 この巻に収録されているメインの二編、これはもうアクションの連続ですが、二つを通じて隠れた主役は“何年も前に生産終了した”ノートパソコンでありましょう(PC110か?)。映画とかで銃撃戦のさなかに流れを変えるギミックとして、弾切れとかジャムなんてのはよく使われますが、それと同じ効果。とくに「立山サンクション」編では笑いのネタにまでなってます。
 後半、「ブレイクダウン」では、神楽・ハウンド・入江さんの三元同時進行。といっても、バラバラに進むんではなくて、DAX-1の誤動作による停電というところで三局面が鮮やかに交差。ここらへんが気持ちいい。あと、特に入江さんの悪辣ぶりと、ハウンドの成沢さんの孤軍奮闘が光ります。そして新たな移動手段を得た化け猫たち。連載の方でもさっそく使われていますが、これとDAX-1とで、人と化け猫の戦いがどう変わるのか。それともルールが少し変わるだけ、なのか。
 中編として数話ごとにまとめつつ、同時に大きな物語を進行させる作者の手腕。相変わらず気持ちいいくらい冴えてますな。

1999/09/01

 うーぬ、作品間のパロというのがなんともOURSらしいってゆーか。
 イベントのせいでか高見ちゃん不在のまま神楽・ハウンド・入江さんの三元同時進行「ジオブリーダーズ/伊藤明弘」、特にハウンドvs化け猫での薬莢の飛び散り具合がいつになく気合入ってましたが、それ以上にハカイ的なのが神楽方面における社長の一発芸でありましょう。“エクセルの美咲”、参りました。ついでに、“恐怖の報酬”はオリジナルの方がいいという梅崎さんに一票。
 社長にネタにされてしまった「エクセルサーガ/六道神士」は十ページ使ってEXTRA MISSIONってのが嬉しいです。秋の新番組という副題に、アニメのブラックジョークも最低限これくらいはヤってくださるであろうと曲解。ヤってくれよう。
 「トライガン−マキシマム−/内藤泰弘」はウルフウッドの外伝、終了。迫力だけで問答無用に楽しめる銃撃戦はさすが。ところで今回の前後編の二回分、初期の頃ならもっとページ圧縮してたでしょうねー。もちろんこの方が緩急ついていて、いいです。
 話が巧い、と唸ったのは「未確認の愛情/犬上すくね」。シリーズで描いて積み上げてきたキャラクターと新たに登場のキャラとで、違和感無く読めるサイドストーリー。タバコとか髪の毛とかの小道具も、あざとくならない自然な使い方。巧いわ。


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