世界の鼓動と心の希望




  【10】



 シーグル達の隊が、樹海の村、ザラに来て一晩が過ぎた。天気は昨日に続いての快晴で、何事もなければ予定通り、食事後打ち合わせを軽く入れてから、いよいよ樹海に向けて出発という事になっていた。
 目に入るのは緑ばかりの朝の風景の中、鳥達の囀りが辺りを取り囲むように響いている。
 大きな森近くの村の朝は、ある意味騒がしい、とセリスクは思う。何せ、早朝だというのに鳥の鳴き声がやたらとやかましいからだ。中には鳥じゃないものも混じっているのだろうが、先ほど、現地の人間にあまりにも騒がしいがなり声の主を聞いたらやはり鳥だった為、もうどんなヘンな音も鳥の鳴き声だと思う事にしていた。
 朝早いのは最近では慣れて辛くはないものの、それでも大きなあくびが出てしまって、セリスクはあわてて姿勢を正した。現在、彼は朝食の支度に駆り出されている訳なのだが、実質の調理は村の者がやっている為、セリスクの仕事は主にその監視である。だからただ突っ立って見ているだけで、とにかくひたすら暇なのだった。
 監視というと聞こえは悪いが、外の敵より内の敵が怖いクリュースの事情的には仕方がない。好意的な村人達に申し訳ないと、せめて何か手伝う事があれば手伝うとはいってあるのだが、手慣れた彼らを手伝う必要もなく料理は完成しようとしていた。

「はい、にーさん、これあまったからこっそりもらっときな」

 突然、食事支度をしていた村の女から赤い果物を2つ渡されて、反射的にセリスクはそれを受け取った。返すのも悪いので礼を言って有り難く頂けば、とても嬉しそうに女は手を振って去っていく。
 さて、これは貰っても違反にはならないのだろうか、と手の中の果物をじっと見つめて悩んでいると、いつの間にか近づいてきていた何者かが肘でこづいてきて、セリスクは驚いて顔を上げた。

「いーですねぇ、そっちの隊は待遇良くて」

 ファサン領には多い、少し浅黒い肌の青年が、にかっと白い歯を見せて笑っていた。彼は、アッシセグで合流したカザン隊の兵で、セリスクと同じく、別の場所で料理中の監視をしていた筈だった。

「待遇……ってか、単に余っただけなんじゃないかと」

 言えば相手は豪快に笑って、セリスクの肩を叩いてくる。

「いやいや、そっちの隊の方々には、村の連中皆やたら愛想いいでしょー。まぁこっちにも無愛想って訳じゃないですけどね、そっちほどあれこれ気ィ使ってはくれないんですよね」
「それは……首都からの本隊って事でおべっか使ってるとか」

 首都では下っ端の予備隊とはいえ、騎士団本部所属であるからには、当然、地方所属部隊よりも格上とされる。更にカザン隊はラッサデーラの本隊ではない為、騎士の称号を持っているのはカザン隊長だけという状態であった。……まぁ地方は、騎士団員といってもそもそも騎士である事の方が稀ではあるのだが。
 その事情を考えれば、彼らがこちらに特に愛想がいいというのは理解できる。だが、向こうの男はまた大口をあけて笑うと、今度はバンバンと2回セリスクの肩を叩いてきた。

「いやーまぁ、それもあるんでしょーけどですねぇ、特に女達の愛想がいいと思いませんかぁ?」

 にやにやと、いやらしい笑み向けられて、今度こそセリスクも彼の言いたいことを理解した。

「あー……隊長か……」
「そーですよ、ここの田舎女共から見たら、あれぞまさしく王子様ってやつでしょー」

 田舎女じゃなくてもそうだろ、とは返さなかったものの、それなら大いに納得出来て、セリスクは苦笑する。
 普段外出時はほぼ兜を被っているシーグルも、カザン隊長への礼儀上、ここでは被っていないことが多かった。あの人を見たのなら、そりゃ女性なら少しでも覚えよくしてもらおうと思うだろう、と納得できる。
 そういえば、昨夜の夕飯はシーグルの分がやけに多くて、カザン隊長に対してとても気まずかったという話を、ここへ来る前に彼は聞かされていた。だから、今日はわざわざ、シーグルは小食だから量を減らして欲しいと伝えるよう言われていたのだ。

「つまり、本人へアピールする方法がないから俺達にきたって訳か」

 実際、それは間違ってる訳でもない。
 あの真面目な青年なら、部下からとても世話になったという報告を聞けば、礼の言葉くらいはわざわざ掛けにいくだろう、とセリスクは思う。
 どうせ最初から、雲の上の人過ぎて『あわよくば』なんて夢を見てるでもないだろうし、顔を見たいとか声を聞きたいとかいう程度の可愛らしい望みなら、ちょっとは協力してやろうかという気にもならなくもない。

「これも、隊長が食えるようなら持っていってあげるんだけどなぁ」

 赤く熟れた果物を見つめて、申し訳なさそうにセリスクは眉を寄せる。

「やっぱあんだけ細いだけあって、食えないってのは本当の事なんですか?」
「いやーもう、そこは本当で。全然食えなくて、こうして遠出の時とかは、あの人の場合、ケルンの実が主食って状態だから」
「げ、マジすか……」

 冒険者達の非常用常備食であるものの、その苦味と渋味で有名な実の名前を聞けば、まず皆あの味を思い出して顔を顰めるのが普通だ。例にもれずそうして口を窄めて眉を寄せた男を見て、セリスクは思わず吹き出した。

「それにしても、ウチの隊長が食えないってのをどこで知ったんだ?」

 首都周辺なら確かにシーグルは有名人ではあるが、さすがにこんなに離れた場所では、いいところ旧貴族シルバスピナ家の名を知っている程度ではないか。

「んー、噂の元は主に2つですかね。一つは騎士団の本部から、あのシルバスピナの跡取りが騎士団入ったらしいとか、相当の腕だとか、美人だとか」
「成程」

 まぁそれくらいはあるだろうとはセリスクも思う。なにせシーグルは将来の幹部候補だ、その彼に関しての事なら、彼らの今後が決まる重要な件に間違いない。

「で二つ目はあれです、街の商人経由。次期リシェ領主はそりゃー綺麗な青年で、おまけに真面目で公正、冒険者時代は安い謝礼で危険な仕事を請け負ったりもして、腕も相当いいらしい。贅沢もせず小食で、子供の頃は病気がちだったものの、努力して鍛えて……」
「おい……なんか随分詳しいな」
「それであれですよ……元あのセイネリアの情夫」

 そこで思わずセリスクは、ぶっと吹き出してから咳き込んだ。

「なんだその噂は……」
「なんだって首都じゃ有名な話だったそうじゃないですか。あのセイネリアが追いかけまわしてたって」
「セイネリアだって?」

 セイネリア・クロッセスの名を、セリスクも聞いた事がない訳でもない。ただ、彼が知っていたのは、元騎士団所属でとんでもなく強くて、今は傭兵団をやっていて相当恐れられているらしい、という程度のものだ。

「いや〜でもまぁ、噂は所詮噂ってとこなんでしょうけど、確かにあの人ならそんくらい言われるのはしょうがないですよねぇ。でもいいですなぁ〜、あの人が上司なら、そりゃやる気出るでしょうねぇ」

 セイネリアとの関係について頭の中でもやもやするものが残るものの、彼の言う通り所詮は噂だろうとセリスクは思う事にした。それになにより彼もシーグルに心酔しているからこそ、そのシーグルを褒められて気分がよくならない訳はない。
 だからこほりと軽く咳払いなどして、少し得意げに胸を張ってから、勿体ぶってセリスクは言う。

「まぁ、あの見た目だけじゃなく、本気であの人は強くて真面目で公正な人物だからな。しかも部下思いでこちらの事も心配してくれるし、部下に対して礼も言ってくれれば、ちゃんと謝ってもくれる」
「あんな若くて貴族様でですかぁ、そりゃぁ大した人物ですね」
「隊長は騎士団に入る前に、18歳で既に上級冒険者だったんだ」
「あの細い体でですか? そりゃぁ本気でお強いんでしょうねぇ」
「あぁ、俺達全員、隊長と手合せして、本気だされたらマトモに打ち合えもしない」
「はぁ、見かけによらないものですね」
「そうだな、例えばこういう事があったんだが……」

 『俺達の隊長』の自慢となれば、セリスクも自然と口の滑りがよくなる。シーグルのすごいところを話す為なら、いくらでも口から言葉が出てくるというものだ。何せ、セリスクは隊の中でも毎日日記をつけている事で有名で、将来は絶対後世に名を残す人物になるだろうシーグルについて、その記録を本にする事が夢だったりするのだ。シーグルに関する細かい隊でのエピソード等は、日記の中にいくらでも記録してある。

 だが、そうしてシーグルについてセリスクが熱く語っていると、急いで走ってきた村人の姿が視界の中を横切っていく。その村人は、酷く急いだ様子で中央天幕に駆け込んでいき、怒鳴り合う声が離れたセリスク達にも僅かに聞こえた。更には、周辺の兵たちが動揺して走りまわっている様まで見えれば、何か、ただ事ではない事態が起こったと思うのは当然だった。

「何があったんでしょうね」

 顔を見合わせた二人は、その天幕に向かって走っていった。







「はぁ?? 首都に帰れ、ですか? ここまで来て???」

 裏返った声でそう叫んだテスタの声を最初に、次々とざわめきが隊の者の間に広がる。

「王様の容態が相当に悪いって事でな、ついに退位を決断されたって話だ」

 声に耳を塞ぎながら返したグスの言葉に、テスタは気が抜けたように、はぁ、と返す。

 今朝一番に村へきた首都からの連絡便に、現クリュース王ソラスティアV世が退位を決意した事、つまり近々グスターク王子が即位する為、シーグルの隊は至急帰還するようにとの命令が含まれていたのであった。

「そらまぁ、即位式となりゃ騎士団にはいくらでも人手は必要だし、仕方ねぇ、よなぁ」
「ばっか、旧貴族の次期当主である隊長が式典に出ない訳にゃいかねーだろ。状況によっちゃ隊長だけ帰ってこいって命令でもおかしかねーよ」

 そうならず隊全体だったのは、恐らく今回、首都からの責任者がシーグル以外にいないからだろう。とはいえ、ここまで来ていて帰れとは、どうにも釈然としないものはある。……それでも、事が事であるから、それだけの危急の用件、な事は文句の付けようがない。

「我々が帰るという事で、ガザン隊の方も帰還が決った。今回は、計画自体が中止となったという事だ。ともかく、撤収作業を始めてくれ」

 シーグルの言葉に、一同は姿勢を正して了承の声を返した。




---------------------------------------------

次回、帰り間際に軽く一騒動あってセイネリアさんがちょいっと出てきてこのエピソードは終わり、となりそうです。




Back   Next


Menu   Top