世界の鼓動と心の希望




  【9】



 晴れ渡った青一色の空を、時折鳥達が横切っていく。
 彼らの目指す先は遠くに見えるどこまでも続く緑で出来た海原で、成程樹海とはよくいったものだとシーグルは思う。
 アッシセグでラッサデーラからの部隊と合流後、1日おいてすぐ出発したシーグル達は、それからさらに一日後の今、丁度グンデ山の峠を越えている最中だった。山を越えたら今日はこのまま、樹海の傍にあるザラという村の傍で一晩明かして、樹海に入るのは明日からになる。
 幸いな事に、天気の方は当分晴れ間が続くという事で、それによる予定の遅延は考えなくてもよさそうではあった。ただこの地方では、晴れとは言っても急に一時的な豪雨がある事は珍しくなく、その場合は大人しく一度行軍を止めて雨が止むのを待った方がいいとの事だった。

「南軍の隊の方は、流石にこの道は慣れてンな」
「そうでなきゃ困る。あいつ等道案内だぞ」

 グスとテスタの会話を聞いて、シーグルは僅かに口元を綻ばせる。さすがに二人は騎士団生活が長いだけあって、樹海に来たのも初めてではなく、樹海を見ても会話はいつも通りの調子だった。隊の他の者達は、樹海の風景が見えた途端、その出口の見えない緑の海原にこれから入っていく事を考えて、表情に目に見えて不安が表れていたが。

「山を降りればすぐザラだそうだ。この分だと午後すぐにはつきそうだな」

 列の最後にいるシーグルがそう声を掛ければ、各自から声が返ってくる。下りは自然と歩みは早くなるが、かといって足下が滑るため慎重さが必要になる。場所によっては崖際の道もある為、不注意で足を滑らせれば命の危険もある……事故を装って殺すにも都合のいい場所だと言えた。






 セイネリアの話から考えた末、シーグルはグスだけに、あの後、自分の現状を大雑把ではあるが話しておいた。婚約の件についても言えば、予想通り、グスも相手の名を聞いて考え直せないかと言ってきたが、シーグルがそれは出来ないと言えばそれ以上の理由は彼も聞かないと言ってくれた。

「貴方が分かってて決めたっていうなら、これ以上は反対は出来ませんよ」
「いつもすまない、グス」
「なぁに部下に謝ってるんですか」

 いつも通りの気楽な口調でシーグルの肩を叩いた彼は、だがその時は、そこで急に真剣な表情になってシーグルに向き直った。

「いいですか、いい機会だから言っておきますがね、俺ら隊の連中は貴方の部下です。上に立つ人間にとっての部下っていうのはですね、時に情を排してモノとして動かさなくちゃならない存在です。俺らの一人一人はただの駒ですから、欠けても隊は成り立ちます。でも、頭である貴方に何かあったらそこで全部終わりだと思って下さい。ですから貴方は隊全体を守る為、貴方自身を守る為、俺達を切り捨てる事もしなくてはなりません」
「それは……承知してはいる」

 将来領主となるシーグルは、そう考えるような教育も当然受けてはいた。それでも性格上、そして今までの境遇上、シーグルは親しくなった人間に情を掛けすぎる傾向があった。しかも、いつでも家族の為に自らを差し出してきた分、自分自身を軽んじる考え方に慣れてしまっていた。
 実際、何かあった時、自分がリスクを背負って他人を助けた方が、シーグルとしては精神的に楽なのだ。
 だが、いつまでもそれではいけないのだろう、とはシーグルも分かっている事ではあった。

「貴方のその……きっと部下の為にも危険を冒してくれるだろうってとこは、それはそれで美徳ですし、俺達はそんな貴方だからこそ従いたいって思っていますけれどね。でも……本当にいざという時は、俺達を切り捨ててでも貴方だけは助かってください。例え貴方が犠牲になることで俺達全員が助かったとしても、俺らの誰も喜びませんよ。貴方はもっと自覚すべきです、自分の立場と、皆が貴方に寄せる期待ってヤツをね」

 今回、樹海へいく前、兄は心配して何度も何度も気をつけてくれと言っていた。弟に土産を約束すると言えば、怒りながら絶対無事で帰ってこいと言ってくれた。部下達は、自分を切り捨ててでも助かってくれと言い……そしてセイネリアは『怖い』といったのだ、あの男が、シーグルが失われる事を考えるだけで怖いのだと。

「そんなに俺は、危うく見えるだろうか」

 考えたことを呟いてしまえば、グスは苦笑して、シーグルの肩に手を置いた。

「それだけ皆貴方に期待して、貴方を大切に思ってるんですよ……とそれだけで終わればいいんですけどね」

 言って彼はそこで眉を思い切り顰めた。

「俺の経験で言わせて貰うと、貴方みたいな性格は長生きしないんですよ。……だから、必要以上に心配になるってのはあります。せめて貴方がもう少し狡くて計算高いタイプならいいんですけどね」
「狡くて計算高い、か……」

 真剣にシーグルが考え込めば、実際は冗談半分に言ったのだろう、グスは目を細めて笑った。

「えぇまぁ、そうだったらもう貴方じゃないですけどね。まぁ、矛盾した、勝手な望みってやつです」

 言いながらシーグルを見る彼の瞳はどこまでも優しい。まるで父親と話しているような錯覚を覚えて、シーグルは胸が暖かくなった。
 だから。

「ありがとう、グス」

 謝る代わりに、ただ、感謝の言葉だけを告げる。
 そうすれば彼は照れたように頭を掻いて、目をあちこちにさまよわせる。けれども、そんなグスの様子にシーグルも口端を柔らかく上げれば、それを見た彼は手を下ろして一度軽く息を付くと、顔から笑みを消して視線を遠くに固定した。
 それから、ぽつりと、静かに彼は話し出した。

「実はですね……俺が、こんな腐った騎士団にずっと残ってた理由ってのは、それこそ楽だったからなんですよ。ここいりゃ、適当にサボってても生活は保証されるってね」

 それに少しだけ目で驚きを返したシーグルを見て、彼は苦笑してみせた。

「でも俺だって騎士になろうって思った時は、そりゃいろいろ希望やら理想もあったんですよ。でも騎士団入って、この国の膿を濃縮したような上の連中みてたら、なんか全部バカバカしくなっちまって、気付けば俺自身も腐っちまったわけです。他の連中も大抵そうです、皆最初は希望とか理想とか目指すものがあったのに、現実をみて腐っちまう、自分が何言っても変えられないから諦めちまう」

 その気持ちは確かにシーグルにも分かる。それくらい、今の騎士団はどうしようもない。
 そして、貴族でない者には、それに口を出す権利は最初から欠片もないのだ。これで、理想を諦めずにいるのは相当困難な事だろう。

「だが貴方には、俺達が諦めた事を実現できるだけの立場と力がある。俺達が一番希望と理想を抱いてた時の意志を持ってる。……ぶっちゃけ、部下だとか上官だとか以前にですね、俺達にとっちゃ、貴方の存在自体が今じゃ希望なんですよ。だから……何があっても、貴方だけはちゃんと生きのびて、俺達の希望を示しつづけていてください」

 正直、シーグルには、彼らの希望となれるだけの事を自分が出来るか、と問えば自信はなかった。それでも、自分が出来るだけの事はするつもりであった。例え与えられた望まぬ役目と地位であっても、やると決めたのが自分であるなら、誰にも文句を言われないだけの事をする。ずっとそうやってシーグルは生きて来たのだから。

 かつて幼いシーグルは、あまりの寂しさに、自分の置かれた境遇を恨んだ事もあった。いくら自分で選んだとしても、4歳の子供にはそれは仕方がない事であった。
 それでも今、この地位にいるからこそ出来る事がある。

「あぁ……肝に、命じておく」

 ただガムシャラに、役目を果たそうと努力するだけではなく、これからは別の覚悟がいる。
 だが……もし、自分が死んだらどうなるのだろうと、ふとシーグルは今まで考えた事がなかった事を思う。
 家の事を考える、家族の事を考える、リシェの領民の事を考える、目の前にいるグスや部下達の事を考える……そして、セイネリアの事を考えて、シーグルは胸を押さえた。

「まだ俺は成すべき事を何もしていない。死ぬ訳にはいかないさ」






 空の機嫌はその日一日良かったらしく、脅されていた突発の雨にもあう事なく、シーグル達は予定通り、何事もなく明るい内にザラの村に着いた。
 流石に人数が人数であるから、村とは言っても村そのものに全員で滞在できる場所などなく、今夜は村の傍にキャンプを張る事になっていた。ただ、ザラの村の住人達は、この手の樹海行きの一団の扱いは慣れたもので、シーグル達が着いた時には、滞在用の天幕は既に設置済みで、後はところどころに設置された松明に火を入れればいいだけ、という状態になっていた。

「随分と、至れり尽くせりだな」

 通常の感覚でいえば、この手の設置は自分達でするものだと思っていたので、ここまで準備されていた事にシーグルは驚いた。

「ここザラの村はですね、冒険者制度が出来てからは、樹海行きの連中相手の商売で成り立ってますからね。んでまぁ、樹海行きっていやぁそれなりの戦力揃えて行くのが常識なんで、こういう準備も慣れたモンですよ」

 隊の中では一番いろいろなところに行って回っているテスタは、実はかなり物知りでもある。ただし、通常時、彼の知識は主に色事方面にばかり発揮されていて、その博識ぶりを披露する機会は殆どないのだが。
 ただ今回は、元々が狩人であり、森での生活を長くしてきた彼は、この樹海の仕事では特に頼りになるだろうとシーグルは思っていた。

「ま、そういう事なんで、こんな辺鄙な村なのに、夜の営業をやってる店もそこそこありましてね、勿論一夜のお相手を探すのも難しい事じゃないっていう……」

 そこで、隣にいたグスがべしっとテスタの頭を叩く。

「そーゆー無駄知識披露はいらねぇ。今回は団で来てるんだ、夜こっそり抜けて遊びに行く暇はねぇぞ」
「わぁってるよ、隊長の面目を潰す事はしねぇって」
「……本当にお前は、あちこち回ってるのはいいが、どんだけあちこちに女作ってるか分かりゃしないな……歳がいもねぇ」
「あっちが元気な男は若いんだぜ、お前も枯れる前にがんばれよ」
「お前にがんばれとか言わたくねぇ」

 この隊の年長組二人の会話はいつもこんな調子で、内容のくだらなさは別として、見ているのは楽しいとはシーグルも思うところだった。
 普段表情に乏しいシーグルが口元に笑みを浮かべれば、笑われている筈のグスもテスタも笑う。無口なランは呆れるだけだったが、荷物整理をしていたアウドも笑い出す。

「そっちでがんばる前に、結婚したらどうだ」

 だが、呆れついでにランが言ったその一言で、彼らの笑いも引き攣る。シーグル以外は適齢期を過ぎた他の面々にとっては、隊唯一の妻帯者の言葉は耳が痛くもあった。

「俺ぁまだ一人に絞りたくねぇしなぁ」

 それでも話の発端になった人物は、すぐにそう言ってあっさり開き直った。
 グスは呆れたのか、肩を竦めてため息と共に首を振った。
 だがそこで、見ているだけだったアウドが横やりを入れてくる。

「これじゃぁ、次に結婚するのは、我々じゃなく隊長でしょうな」

 急に話を振られたシーグルは内心驚いたものの、苦笑でそれを誤魔化した。事情を知っているグスは話を変えようとしたらしく、軽く咳払いをして、目配せをしながら笑顔でシーグルに話しかけてきた。

「そういやそろそろ隊長もシルバスピナ卿ですか……。それで貴族院も昇格させようと焦って、こんな仕事寄越したんでしょうかね」

 だが話は上手く切り替わらずに、アウドやテスタが乗り気で聞いてくる。

「隊長、相手の方はもしかしてもう決まってたりしますか? 隊長の隣に立つ度胸があるのはどんだけの美人ですかね」
「もしかして、この仕事から帰ったら婚約発表とか?」

 これには、シーグルとしても本気で困るしかなかったが、それは丁度、食事支度に駆り出されていた若手組が帰ってきた事で逃れる事が出来た。

「隊長、ただいま戻りましたっ」

 そう言って、思いきり背を伸ばして張り切って礼をしたシェルサだが、その先を言おうと大きく息を吸った途端、いいタイミングでマニクが前に出ると、彼の方が先に礼と共に口を開いた。

「隊長、向うのガザン隊長が打ち合わせも兼ねて、中央天幕で食事をご一緒したいという事だそうなのですが」
「あぁ、分かった」

 シーグルの即答を受けると礼を返し、マニクは一歩下がる。自分が言うつもりだった言葉を言われたシェルサは不満げにマニクを睨んだが、その肩をぽんぽんと叩いて、若手の中では比較的止め役のセリスクが彼を宥めた。

「あぁ、マニク。お前、向うに隊長が了解したってのと、ただ食事には部下は二人連れてくってのを伝えてきてくれ」

 グスが言えば、マニクは了解を告げて回れ右をして走っていく。
 シーグルはそのグスに抗議の視線を投げた。

「グス、二人は流石に失礼になるだろ」
「だめです、二人連れてってください。一人は毒味役です、ですから何かあった場合、隊長一人にしない為です」

 そう言われればシーグルも反論は出来ないものの、表情が沈むのは仕方がない。
 元々極端に小食なシーグルとしては、毒味役が必要なくらいなら食事などいらないと思うのだが、今回ばかりは食べない訳にもいかなかった。

「ラン、アウド、頼めるか? 毒味役は……」
「それは俺がしますよ。ランの方が、いざとなったら隊長を担いででも運んで逃げてくれるでしょうしね」

 アウドの申し出にランは眉を寄せる。だが、シーグルがアウドに、すまない、と言えば、ランは何も言わない。
 毒味は危険な役だ。
 現在、外出時は、シーグルの護衛はランとアウドがつく事になっていた。それが正式に決まった時、アウドはシーグルにこっそり言いにきていたのだ。

『もし、ランと俺が両方いる時に何か起こったら、絶対に俺の方を見捨ててください。どうせ俺はこの足ではろくに走れませんからね、囮か食い止め役にしかなれません。適材適所ですよ。……それに、ランには奥さんとガキがいるんでしょう、だったら、出来るだけランの方を生かしてやって下さい。俺には家族も恋人もいませんから、死んでも嘆く人間も困る人間もいません』

 アウドは昔、足を怪我をしたせいで速く走る事が出来なかった。それでもいざ戦闘となれば、この隊の中ではシーグルを抜けば、1,2位を争う腕だと言えるだろう。特に、実践経験が他の連中に比べて圧倒的に豊富な為、相当頼りになる人物だと言えた。
 それでも、彼の言う事はもっともだと思うから、シーグルは了承を返した。
 ただ、実際にもしもの事があった場合、自分が本当に割り切ってアウドを見捨てられるか……シーグルには自信がなかったが。




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部下さん達が一気に出てきた感じですね。




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