世界の鼓動と心の希望




  【11】



 帰りは急ぎの強行軍となった事で、その日の内、ただしかなり遅くにアッシセグの街に帰ってきたシーグル達一行は、領主の家で仮眠を取り、翌日の早朝に船でリシェに向かう事になった。

「ったく、帰りこそ、転送であっと言う間にお帰り、って行きたいもんだよな」

 テスタは帰りの道中でもずっと同じ愚痴を呟いていて、またかと思う連中は苦笑いを返すしかない。

「しっかたねぇだろ。樹海行の転送は行きだけってのがお約束だ。首都なら都市間転送するだけの神官揃えられても、こっちで揃えるのは無理なんだからよ」

 明らかに怒りながらも、毎回律儀にそう返すグスにはシーグルも感心するしかない。実際、愚痴っても仕方ない事ではあるが、クーア神殿による都市間転送は、送る側の神殿にそれなりの大規模な仕掛けと、とにかく転送術の使える神官がある程度の人数必要になるらしい。だから基本、受けるだけならともかく、送る方が出来るのはクーア神殿でも大き目の都市にある神殿に限られる。
 もっともそれは『人間』を送る場合であって、『荷物』を送るだけならばまた話は別になるのだが。
 ともかく、樹海に行くならば、行きはザラにあるクーア神殿まで送って貰えるものの、あの小さな村の神殿に首都まで転送出来るだけの神官がいる訳もなく……それが、行きはよいよい帰りはめんどい、と冒険者達の間で言われる所以であった。

「んな中途半端な状況だから、何時までたっても樹海行の冒険者が増えねぇんだぜ。冒険者に樹海調査をやらせたいんならな、ちゃぁんと行き返り完璧にお膳立てしやがれってモンだ」
「まぁそれもわざとって説もあるけどな。樹海から何か持ち帰った場合、出来るだけそれを隠蔽出来ないためだってさ」
「け、そんなとこでケチるから、樹海の調査が進まないんだぜ」
「まぁなぁ。んでも俺は、もし行き返り楽々だったとしても、樹海なんざ自ら行こうとは思わないがね」
「あぁ、そりゃ同意」

 親父騎士二人は、それで互いに顔を見合わせ笑い合う。その笑顔は少々意地の悪いもので、彼らが国のやり方を皮肉っているのが分かる。

「シルバスピナ隊長、そろそろ船の荷積み作業が終わるそうです」

 知らせに来たアッシセグの警備兵に礼を返して、領主の館の中庭で待っていた彼らは一斉に立ち上がった。
 だが、彼らが荷物を背負い、出発前の確認作業をしているところで、館の使用人が急いだ様子で駆け寄ってきて、何事かと彼らは顔を見合わせる事になる。

「シルバスピナ隊長様、良かった、まだいらっしゃいましたか。主が最後に挨拶をしたいという事で、いらしていただけますでしょうか?」
「あぁ、分かった」

 言ってシーグルが前に出れば、すぐにランとアウドがそれに続こうとする。

「2人は待っていてくれ、大丈夫だから」
「しかしっ」
「最後の挨拶だ、こちらが警戒している態度を取るのは良くないだろう」

 それでも、抗議の目を向ける二人を厳しい声で制して、半ば強引にシーグルは一人で使用人についていった。実は、領主からの挨拶、という事でセイネリアがいる事も考えて2人を断ったという事情もあり、だからあまりあれこれと詮索されたくなかったのだ。

 けれども、二人を連れてこなかったのは実は失敗だったと、シーグルはすぐに思い直す事になる。

 使用人がシーグルを連れていったのは海に面している方の庭で、けれど、庭全体が見えた途端、そこにネデの姿を見つけられなくてシーグルは困惑する。しかも、庭についてすぐ、使用人はぐしゃりと崩れるようにその場に倒れ込み、嫌でもシーグルは緊張を纏って身構える事になった。
 だが、そこに現れた影に、一時的に、シーグルは警戒を解いた。

「ごめんなさい、騙すつもりはなかったんだけど、どうしても貴方に会いたかったんだ」

 現れた影は意外に小さくまだ子供といっていいもので、白い髪と赤い瞳の可愛らしいといえる容貌の少年だった。ただ、シーグルが警戒を解いたのは、それが少年だったという事だけではなく、その少年の胸に、黒の剣傭兵団のエンブレムである黒い花と剣の模様のペンダントを見つけたからというのがあった。

「その人にも怒らないであげてね。僕はアルワナ神官だから、ちょっと居眠りしてたその人を操って、貴方を連れて来てもらっただけだから」

 確かに、アルワナ神官なら、眠っている人物を操る術も不思議な事ではない。ただ、眠ったまま体だけ動かすのではなく、これだけ自然に動かす事が出来るとは聞いた事がない。この少年の歳でそこまでの術者である事は、個人的に興味が湧くところではある、とシーグルは思う。

 セイネリアの団の者であるなら、少なくとも自分に危害を加える事はない。

 そう頭の中にあるシーグルは、だからその時、少し油断をし過ぎていた。確かに、セイネリアを絶対とする黒の剣傭兵団の者であれば、彼が怒るだろう事をするものはいない筈である。それでもクリムゾンのような例を、シーグルは身を持って分っていた筈であった。それなのに油断をしてしまったのは、やはり相手が子供だったからと言われても仕方ない。

「分かった。話を聞こう」

 シーグルが警戒を解いた事が伝わったのか、少年はにこりと笑うと少しだけ近づいてくる。だが近くにきた少年が顔を上げ、シーグルが見下ろして目と目が会った途端、見開かれた少年の瞳からシーグルは目を離せなくなる。
 魔法の気配を感じる。
 少年の唇が小さく呪文を唱えて動く。
 これはまずいと自覚してももう遅く、眩暈と共に世界が揺れ、シーグルの意識は薄い闇に閉ざされた。

「さぁ、シーグル、起き上がって」

 白い髪の少年は、どうにか受け止めたシーグルの体を地面に寝かせると、その額に手をあてて命令する。眠りを司るアルワナ神の神官は、眠らせてしまえば他人を操る事が出来る。だからこうして眠らせてから操るのは、強制的に人を操る時の常套手段だった。

「さぁ早く、僕の声が聞こえるでしょう?」

 それでも、術の効きは人によってかなりの違いが出る。シーグルが油断していた所為で眠らせる事は上手くいったものの、操るには彼の心のガードが固い。意志が強い彼を操るのは、アルワナの司祭であったラストであってもそう簡単にいくものではなかった。
 それでも時間があれば、ラストの術はいつかシーグルに届く事は可能だったろう。……だがこの時は、その時間が全くなかった。

「隊長っ」

 近づいてくる、二人の騎士の姿。
 それは、やはり心配でやってきたグスとランで、彼らは倒れているシーグルが見えると、血相を変えて走ってくる。
 ラストの術はまだシーグルに効かない。焦っているせいで余計に術に集中出来ず、シーグルを操る事によってこの場を切り抜けるのは不可能と判断するしかなかった。だからどうすればいいのか分からなくて、ラストは泣きそうな顔で辺りを見回した。

「その人達を止めるんだ、早くっ」

 そこでラストが声を掛けたのは、傍に倒れていた、シーグルをここまで案内した使用人だった。使用人の男はゆっくりと立ち上がって二人の前に立ち塞がったものの、騎士である二人を相手にするにはやはり無理がある。ランの一蹴りで地面にまた転がり、障害物のなくなったラストの前に、二人が剣を抜いてやってくる。

「おいボーズ、その人に何をした? その人から離れろっ」

 シーグルの傍に座ったまま、ラストは立ち上がる事も声を出す事も出来なかった。完全にパニックを起こした少年神官は、助けを探すようにきょろきょろと辺りを見渡した。
 実際、彼は助けを探していた。予定通りであれば、レストが周囲を見張っている筈だったのであるから。
 だが、追い込まれた少年の目は、期待していた双子の兄弟ではなく、代わりに彼にとって一番信頼する存在の姿を見つけた。

「マスタぁ」

 黒いその姿を見た途端に、今にも泣きそうだった少年の顔がくしゃりと崩れて、完全に泣き顔になる。安堵と罪悪感にぽろぽろと涙を流して、ラストはしゃくりあげて泣き出した。

「ラスト、余計な事はするなと言った筈だ」

 一方、ただならぬ存在感を示しながら近づいてくる黒い影に、グスとランは身構える。

「ごめんなさい、だって、折角ここにきたのに……マスターがずっと会いたがってたのに、帰っちゃうって思ったから……だから僕、この人を引き留めなきゃって……」

 悠々と歩いてきた黒い騎士は、向けられるグスとランの視線など全く気にせず無視をして、泣く少年とシーグルの傍にくるとその場で膝を折った。

「全く、本当にお前は子どもに甘い……」

 言いながら彼が眠るシーグルの頬に手を伸ばすに至って、黙って身構えるだけだったグスが前に出る。

「セイネリア・クロッセス、隊長に触るな、あんたはこの人に関わっちゃいけない人物だ」

 そこで初めて、セイネリアが、その瞳をグスに向けた。

「シーグルの部下か」

 じっと、値踏みするように琥珀の瞳がグスを見据え、それだけで身が竦むのをグスは自覚した。
 グスはセイネリアの事をそれなりには知っていた。かつて騎士団に彼が所属していた時に、彼の姿も、戦い方も、実際に自分の目で見た事があった。
 セイネリア・クロッセス、奴に逆らうな、死ぬより恐ろしい目に合う、と。その噂が誇張でなく事実である事を、隊一番の古参騎士は見て実感した事がある。

「安心しろ、シーグルは眠っているだけだ、じきに目は覚める」

 だからふいに、興味をなくしたように視線をシーグルに戻した男の顔を見て、グスは内心驚いていた。
 あの、セイネリア・クロッセスが、こんな柔らかい表情をするのかと。
 眠るシーグルの顔から前髪を払い、『愛おしげ』としか言いようのない顔で、セイネリアはグス達の上官である美しい銀髪の青年を見つめる。だからグスは、それですぐに理解した、『シーグルはセイネリアのオンナだ』という噂の真実を。

「隊長を、どうする気だ」

 グスとランは剣を抜き、構えたままではいたが、それでも実力行使に出る事は出来ず、ただ見ている事しか出来なかった。セイネリアは帯剣はしているものの抜いてはおらず、更に二対一という状況ではあっても、仕掛ければ必ず自分たちが負ける事をグスとランは分かっていた。
 それでも、返答次第では、この男と戦わなくてはならない。
 ごくりと喉を鳴らしたグスが全神経を集中して見つめる中、黒い騎士はシーグルの体を抱き上げる。剣を向けられているこの状況で、肩に担ぎあげるのではなく、両手を使って大事そうに抱き上げるその動作で、少なくともこの男はこちらと戦う気はないのだと彼らは理解する。
 抱き上げる間も、シーグルの寝顔から目を離さなかった男が、ゆっくりと顔を上げてグス達二人の顔を見た。

「どうにもしない、シーグルはお前達に返してやる。まだ今は、な」

 思わずほっと、グスとランは息をつく。
 だが、見られただけで足が竦む琥珀の瞳は、その言葉に彼らが安堵を覚えた直後、今度は壮絶な圧力を掛けてくる。瞬間的に背筋が凍って、二人とも言葉を返せずその場で固まるしかなかった。

「だがもし、こいつが身を守れない状況になればいつでも奪いに行く。その時は例え、どれだけこいつ自身に拒絶されたとしてもな」

 セイネリアの声は強く、琥珀の瞳の威圧に騎士二人の足は自然と下がりそうになる。それでも、彼に圧倒されながら、グスは剣を納めて黒い騎士を真っ直ぐ睨み返した。

「その人は我々が守る、例えこの命に代えても」

 セイネリアは皮肉のように口元に笑みを浮かべた。

「覚悟だけはいいな」

 グスはその瞳を見つめ返し、横にいるランを肘で小突く。

「そろそろ船が出る。隊長を、返してもらいたい」
「……そうだな」

 ランが前に出てセイネリアに近づいていく。彼の喉仏が動くのを見れば、彼もまた相当に緊張しているのがグスには分かった。
 セイネリアは視線を腕の中に戻し、唇には自嘲を浮かべたまま、あの琥珀の瞳を細めてシーグルを見つめている。その表情に、苦しみや痛みといったものが読み取れてしまった時点で、グスは心が重くなった。
 セイネリアは、近づいてきたランに大人しくシーグルを渡す。だが、彼が背を向ける一瞬、その歯が噛みしめられていた気がして、グスは瞳を彼から離せなくなる。

「いくぞ、ラスト」

 不安そうに見上げる少年の頭を軽く押して、最強の名を冠する黒い騎士は去っていく。その背を視界から消えるまで見つめ続けてから、グスは大きくため息をついた。



END
 >>>> 次のエピソードへ。


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セイネリアとシーグルが会った事を知っているのは極一部の人間だけなので……双子達は知らなかったんですよね。
って事でこういうことになりました。まぁ、グスとセイネリアを会わせておくためのイベントですが(==;;



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