戦いと犠牲が生むモノ




  【10】



 現王軍の軍勢は、大きく分けて三つに分かれていた。先頭部隊、本陣でもある支援部隊、そして後衛の予備部隊である。ボウネージュ卿が指揮を取っていた先頭部隊は戦力としては主力で、支援部隊は魔法職と司令部――実践経験はないが貴族としての地位は高い上の連中――とその護衛用の兵で成り立っていた。そして後衛の予備部隊は、支援部隊のさらに後ろ、高台に陣取って、もしもの場合に投入される予備戦力という位置づけになっていた……のだが。

「さて、そろそろ終わりにしますかね」

 両軍暫くの放心の後、一斉にこちらに攻めてきた反乱軍を見て、その高台の予備部隊をずらりと従えた場所でキールは呟いた。
 ボウネージュ卿が全軍を下がらせたせいで、あの男が剣を使う格好の機会を作ってしまった。キールとしては思わず、せめてつっこんで混戦ににしていればいきなり使われる事もなかったろうに……と敵ながらあわれに思ってしまったくらいだ。
 しかも現王軍は下がった後に突撃用の陣形に整えていた為、密集していたところをまともに吹っ飛ばされて、当初の予定以上に被害は多かったと思われた。先頭部隊の六割近くが一瞬で消えて、残った兵も半数は使いものになる状態じゃない。とはいえ、単純な数の話では被害は千と少しといったところなので、まだ現王軍の方が総数では圧倒的に上になる。
 ただもう、兵士達は戦う気なんかないでしょうけどねぇ、と苦笑して、キールはのんびりと座っていた岩から立ち上がった。

「撤退だっ」
「勝手に逃げるな、陣形を整えろっ」
「まだ数はこちらが上だ、狼狽えるなっ」
「落ち着けっ、敵兵がこちらに来ているならもうあの馬鹿な魔法はないっ」

 あまりの事に呆然とした後、敵兵が攻めてきたことで逃げ出そうとする兵達を、どうにか上の者達は宥めて纏まらせようとする。さすがにこの状況では兵士が戦意をなくしているのは分かっているのか、かけている声は撤退を前提としたもので敵を倒せなどという勇ましい声はない。
 まぁ、参加している貴族たちからすれば、ここでの敗戦が決まったとしても責任は死んだボウネージュ卿に押し付けられるし、むしろ撤退する言い訳が出来たと思っているのかもしれない――キールは僅かに口角を上げた。

「思ったより崩れていないのはそのせいでしょうかねぇ」

 だからまだ、指揮系統の乱れは壊滅的とまで至っていない。その所為か一応兵達も落ち着きを取り戻してきているようで、撤退をするにしても好き勝手にというのではなく、ある程度纏まって陣形を保っているように見えた。

「んでは、そろそろいきますかぁ」

 言うと、キールはそこで杖を掲げた。
 現王軍が思ったよりも崩れていないのは、自分たちの方がまだ数で圧倒的に勝っているから。黒の剣による魔法がこないのなら、まだ自分たちに優位性が残っていると思っているから。
 キールの口が呪文を唱える。
 それと同時に、彼の後ろに整然と並んでいた兵士達の姿が消える。それからすぐにまた呪文を唱えて、次の瞬間には彼の姿もその場から消えた。
 キールが唱えた呪文は、何かの魔法を発動させるものではなかった。それとは逆に発動している魔法を打ち消す為のもの――つまり、実体のない兵士達を映すその幻術を終わりにする為のものであった。






 現王軍の軍勢はその時、撤退の為に陣形を整えながら、一部は反乱軍との戦闘状態に入っているところだった。とはいえ反乱軍側も剣によって出来た大穴を大きく迂回しなくてはならなかった為、一斉に襲い掛かれるような状態ではなく、現王軍の撤退は順調に実行されているように見えた。
 だがそこで、既に敵から逃れた筈の現王軍の後方――現在は撤退している為先頭にあたる部隊から大きな声が上がる。
 撤退しようとする現王軍の行く先、彼らの向かう先には味方がいる筈であった。高台に陣取り、自分達の撤退を援護してくれるおよそ千の無傷の軍勢が。彼らにまだ自分達が圧倒的に優位なのだと思わせる、その心のよりどころである味方の姿が――その時一瞬にして、彼らの目の前からいなくなったのだ。

 高台にいた予備兵達が幻術であるという事を知っているのは、現王軍内でも数人の、本当に上の人間だけだった。現場指揮を取っていた下位の貴族騎士達さえそれは知らされておらず、まだ残っていると思われた味方の4割近くが突然姿を消したという事だけしかわからない……それでこれ以上、彼らも兵に指揮など出来る筈がなかった。
 およそ千の見せかけの兵が消えれば、残存する味方は二千にとどかない程度になる。それでもまだ反乱軍より数だけなら圧倒的に多いのだが、それを冷静に考えて指示出来るものはもう残ってはいなかった。残った千もの味方が一瞬で消えた、というその衝撃が黒の剣による常識を外れた力を見せつけられた兵達にはだめ押しとなり、彼らをパニック状態に突き落とす。最悪な事に、そこで幻術の兵を知っていたこの軍の総指揮官であるザバネッド卿が血相を変えて兵を叱咤し逃げようとしたのが更に兵の不安を煽った。それが回りの兵達に動揺を与え、もうだめだという言葉を彼らの頭に刻んでしまった。

 幻術によって兵を増やしてみせ、それで味方さえ騙していたのは、こちらが数で圧倒的に有利なのだという安心感を兵達に与えると同時に、現王の力を見せつけ、兵を恐れさせるという思惑があった。
 それが逆に、今となっては仇となる。
 あの消えた味方が幻術だったと知らなかった兵達にとっては、味方の兵が理由もなく一瞬で消えたという事だけが事実の全てだった。黒の剣の力を見せつけられた後の今では、敵がまた更なる特殊な魔法を使って一瞬で軍勢を消したのではないかと考えても責められる筈がない。

 プラス方面の感情を広げるのは難しいが、マイナス方面の感情が大勢に伝わるのは一瞬で済む。そこが戦場で、常に不安と恐怖を抱えている兵達になら尚更。

「う、わぁぁぁあああああ、あぁ、ぁあああ」

 一人が叫べば、狂気は一瞬で伝染していく。
 最早陣形やら応戦やら考える余裕もなく現王軍の兵士達は逃走した。
 散り散りに、バラバラに、ただ恐怖に心を支配されて彼らは逃げた。戦う、などという言葉はもう頭に微塵もなく、今の彼らは逃げる事しか考えられなかった。

 一般兵も貴族も上官も関係なく、ただ我先に逃げる兵達を追う反乱軍――反現王軍の兵達の方は一方、逆にこの状況下で驚く程冷静であった。逃げまどう現王軍の兵士達を無視し、武具の違う貴族騎士や指揮官らしき者だけを探して追っていた。事前に、一般兵は向かってきた者以外は無視していい、と言われていた事もあったが、こちら側の者達もまた、黒の剣の力を見てその恐怖に頭の熱がすっかり冷めていたというのがあった。勝利に酔う熱もなくただあの男に逆らう恐怖を心に刻んで、彼らは速やかに言われた事だけを実行しようとした。

「戦う気がねぇ奴は投降しろっ、もともと同じ国のモンだ、殺したくねぇ、こっちにつくなら無条件で受け入れるぞっ」

 エルが叫べば、逃走していた敵だった兵達が足を止める。その場に座り込み、疲れ切った顔に望みを浮かべてこちらを縋る目で見上げてくる。
 あぁくそ、戦えって言われた方が楽じゃないか――そう考えながらも、喉を半分枯らしながらもエルは叫ぶ。この状況下で、黒の剣傭兵団のエンブレムがついている者の仕事は主に敵兵に対する投降の呼びかけだった。

 あの後――突撃命令後に兵達から遅れはしたものの、エル達傭兵団の面々はそこから馬に乗って全力で追い掛け、どうにか現王軍に追いついた。最初こそ多少の戦闘があったものの予定通り敵が崩れてからは、エルはずっと叫んで回る事に徹しなくてはならなくなった。なにせただの一般兵が呼びかけたところで恐怖でパニックに陥っている者達は簡単に信じてはくれない。セイネリア直下の傭兵団の者か、いかにも地位がありそうに見える貴族連中は、ともかく全力で兵に呼びかけるのが仕事となった。

 エル達傭兵団の者が叫ぶところ、おもしろいように敵兵が足を止めて降伏の意志を喚きだす。……これで反現王軍の人数は相当数増えるのは確実だろう。
 ただし、そこまで必死に敵兵を寝返らせる必要もない。逃げた者は逃げた者で、セイネリア・クロッセスの恐ろしさを伝えて回ってくれればそれでいい。恐らくこの戦いには様子見をしている各地の領主や貴族の部下が多く紛れ込んでいた筈である、彼らにはしっかり主のもとに帰って報告をしてもらわなくてはならなかった。
 セイネリアの見積もりでは、これで後は黙っていてもこちらの勝ちが確定する。
 ここから先は、ただ首都セニエティに向けて軍を進めるだけでいい、らしい。

「そらまぁ……まともな神経してりゃぁ、アレを敵に回そうなんて思わねぇだろうがね」

 苦笑と共に呟いて、それから改めて黒の剣の作った惨状を思い出してエルはゾっと背筋を震わせた。あの剣の力を見たのは初めてではないが、あれがあそこまでの大勢の人間に向けて使われたのを見たのは彼も初めてだった。分っていても改めて、自分が従うと決めた男のその持つ力に恐怖を感じる。たった一人の人間が持つには行き過ぎた力が、今後どのように使われるかを考えただけで恐ろしいと思う。もしあの男がその力の使い方を間違えれば……考えただけで血の気が引いて行くそれを、頭を振ってエルは思考から追い出した。

「頼むぞ、マスターを支えられるのはお前だけだからな」

 弟と呼ぶ事になった真面目な青年を思い出して、エルは呟く。
 今この場で叫ぶ傭兵団の者の中にシーグルの姿はない。彼自身は来るつもりだったようだが、それをセイネリアが止めて傍にいるように命令したからだ。だからエルは兵と共に出て行く前、今呟いた言葉と同じ言葉をシーグルに掛けてきた。

「その代わり、俺達は全力でお前を支えてやるからさ」

 この光景を見れば、彼は改めて実感するだろう……自分が、どれほどの力を持つ存在の運命を握っているか。自分の存在一つでどれだけのことが起こり得るか。
 自覚して、思い知って、そして恐れるだろう彼は、それでも逃げ出したりはしない筈だった。だからこそあの男があんなにも愛しているのだから。だからこそ自分達は、彼に主を託すのだから。




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 趣味に走り過ぎてすみません(==;;いや、その……次回はセイネリアとシーグルのいちゃいちゃなんで許して下さい。



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