戦いと犠牲が生むモノ




  【9】



 城塞都市グネービクデ、と呼ばれる程、この街を覆う強固な壁は有名である。
 そんな街に反乱軍が集結したとなれば、当然ながら現王軍は立てこもって守る敵を攻めるつもりで作戦を立てる。だから基本に従って、最初は弓兵や投石器による遠距離攻撃から入るのは当然ではあるのだが、これにはもう一つ別の意図もあった。
 それはつまり、敵側の魔法使いのレベルを測る事である。
 クリュースの軍隊にとって遠距離攻撃は魔法で防ぐものであり、だからこそ敵が他国や蛮族ならそこで一方的に優位に立てる。だが今回は敵にも魔法使いがいる、だからどの程度まで防がれるのかとそれを測る為の攻撃でもあったのだ。

「まったく届いていないか」

 現王軍、今回の初戦において先頭部隊の指揮を任されたボウネージュ卿は、口元の笑みを引き攣らせながらそう呟いた。
 そしてすぐに、敵からお返しとばかりに放たれた矢の雨を見て、彼は味方に一時下がるように指示を出した。

 簡単に魔法によって矢を防ぐと言っても防ぎ方は一つではなく、使用する魔法のタイプによって微妙に得手不得手というものがでる――という事を、国内の小規模な反乱を収めた事もある彼は知っていた。とたえば、風によって逸らすのなら一人の魔法使いで広範囲をカバーできるが大型の投石は完全には防げない、とか、空間の断層を作って防ぐなら、質量は関係ないが設置に手間が掛かる分あまり広範囲に出来ない上、あちこち穴があって矢を全ては防ぎきれない、とか。後は魔法使いの人数的にさすがに街全体を守ることも出来ないだろうと、弓部隊を分けて出来るだけ広い範囲から攻撃をしてみたのだ。
 なのに笑える程、一つもこちらの攻撃は届かなかった。つまり敵には複数タイプの魔法使いが術を重ねてこの街全てを守れる程十分な数がいるという事になる。そして向うからの矢の雨は、基本防げはしたものの被害はゼロではなかった。位置的な優位性は向うにあるとはいえこちらの方が攻撃の絶対数は多い事も考えれば、現状、こちらにいる魔法使いよりも向うの方が魔法使いの能力も数も上だと考えたほうがいいという事になる。

「魔法ギルドが向うについた、というのも本当なのかもしれんな……」

 それは他人に聞こえないように小声で呟いただけであったが、これだけの人数の魔法使いを動かせるとなればそうとしか思えない。ある経路で来た話では、クリュース城内の導師の塔は現王側についてはいるものの、魔法ギルドのあるクストノームとは現在連絡がとれていないということだ。それはつまり噂通り、魔法ギルドが向うについたという事ではないかと、現状を見てボウネージュ卿は思った。
 ならばこれは既にもう負け戦ではないのかと、不安に揺れる思考をどうにか彼は振り払う。

――いや、魔法ギルドはクリュース王家と契約している、だからこれはたまたま向こうについた魔法使いが多かったというだけの話だ。

 そうして頭を切り替えて次の手を考えるものの、互いに遠距離攻撃が無駄だとすれば、あとは他国のように泥臭く兵に壁を上らせるか、どうにかして門をこじ開けるしかない。どちらも相当数の被害がでるのは必至で、いくら兵の数で圧倒していてもこれだけの堅固(けんご)な守りの前ではその優位性はかなり削られる。しかもこの門が二重扉である事も知っているボウネージュ卿としては、当然魔法もかかっているだろうこの扉を外から開けるのは無理だろうと判断する。
 どうにかして扉を開ける方法……いや、相手に危険だと思わせるだけでいい。とにかくまずは、敵を外にあぶり出さないとどうにもならない、と彼は考えた。
 だが、悶々と考えて悩んでいた彼はそこで驚くべき光景を目にする事になった。

「門が開くぞっ」

 一人の兵が発した声に目を向ければ、こちらが見つめる中、確かにそれは開いていく。

「馬鹿な、何を考えているんだ……」

 門が開いた先、確かに表れた黒の剣傭兵団とシルバスピナ家の紋章の旗を掲げた軍隊を見て、ボウネージュ卿は間抜けに開いた口を閉じる事が出来ない程ただ驚く事しか出来なかった。なにせ、守る側の向こうがここで出てくる理由がない。壁を上ってくる敵兵を阻止する為だとか、せめて味方の攻撃にあわせた追撃だとか、そういう事がなければ向こうは壁に閉じこもって迎撃だけしていればいい話である。こちらとしては願ってもない状況ではあるものの、こんな常識知らずの戦法を取ってくるという事は、裏に何か、こちらの思いもしない意図が隠されていると思っていい筈だった。

 ボウネージュ卿は、この状況で誰もやりたがらない前線指揮を任されるだけの、貴族としては珍しく戦場経験のあるまともな人物であった。だがだからこそ彼は警戒して……警戒しすぎて、一旦、全軍を更に退かせて距離を取る事にした。それは一番には敵の出方を見る為の事であったが、平地での正面からのぶつかり合いならこちらが有利だという判断をしたからでもある。
 ここで出てくる敵を叩きに突撃を掛ければ、魔法では走る部隊を守るのが困難な為、敵にたどり着く前に壁上からの攻撃だけで自軍に相当数の被害が出る。だが敵を出来るだけ壁の外に誘い出し、単純な平地でのやり合いにもっていけるなら数が勝負を決める。更に言えば、現在は壁に篭った相手を攻める為、前に弓兵や歩兵がいて騎兵が後方にいるという配置だったというのもあった。前面にいた者達を後退させながら騎兵を前に出し陣形を整える、その為の後退でもあったのだが……。

 結果として、それが自軍の被害を拡大させる事になった。







 一方、反現王軍の方でも、敵であるボウネージュ卿と同じ声が上がっていた。

「馬鹿な、何を考えているんだあの男は……」

 敵が門から出てくるところを攻めてこないのもあってすんなり軍の大半の兵を外に出す事が出来たものの、外に出た者、そして壁上にいる者達は驚き過ぎて顔を引き攣らせた。
 何せ、整然と並んだ反現王軍の部隊の前に、セイネリア・クロッセスを筆頭にした黒の剣傭兵団の者が横一列に並んでいるのである。……いや、百歩譲って傭兵団の人間が先頭を務めるというのはいいとしても、この軍の総大将とも言えるセイネリア本人が馬にも乗らず、本当に軍の先頭に立っているのはどう考えても異常であった。
 当然、兵達の間にはざわめきが広がる。事前に配置を聞いていた自分の部隊を率いる貴族達は流石に表面上狼狽えはしなかったものの、肝が冷える思いで自分の兵に動揺が伝わらないよう叱咤していた。

 現在、傭兵団の一員であるレイリース・リッパー――シーグルも、当然他の団員達と共に先頭に立っていた。横一列に並ぶ中、中央にセイネリアがいて、シーグルはその隣に、もう片方の隣にはエルがいた。全員が馬に乗っていないのは主であるセイネリアに合わせているからというのと、彼らだけは、これから起こることが軍と軍による戦闘ではないと分かっているからだった。

『こいつを使う場合は、馬に乗れないからな』

 この作戦を聞かされた時、セイネリアはシーグルに苦笑してそう教えてくれた。黒の剣を帯剣しているだけならかろうじて乗せられる馬はいても、抜いても尚、まともに使える馬はいないらしい。考えればそれは当然で、鈍い人間達でさえもアレを見てまともではいられないのに、繊細な神経を持つ馬達が耐えられる訳がない。
 だからセイネリアは自分の足でただ立っている。乗っていたほうがハクはつくんだがと茶化していた彼だが、黒づくめのその長身はそれでも十分な存在感と威圧感を放っていた。

「そろそろ向うも気づく頃か」

 言いながらセイネリアが数歩前に出た。
 目を細めて敵を見れば、確かに引いて陣形を整えようとしていた彼らの動きは一度止まっていた。それからすぐに突撃を知らせるクリュース軍独特の風笛が鳴り響き、途端、土煙が上がる。シーグルはごくりと喉を鳴らした。

「レイリース、俺の背を支えていろ」

 唐突にそう言われて、シーグルは一瞬戸惑う。

「支えて……後ろで背を押していれば良いのですか?」
「あぁ、それでいい。剣は見るなよ」

 シーグルが急いで後ろに回って主の背を支えると、セイネリアは黒の剣を抜いた。
 言われた通りシーグルは剣を見ないようにしていたが、抜いたというのは肌で感じとれる。ぴりぴりと全身に刺さる魔力と、悪意が精神に圧力を掛けてくる。ただ立っているだけなのに荒くなる呼吸と冷えてくる体に、本能が逃げだしたいと叫ぶ。
 空気を感じとったのか、ざわついていた筈の兵達からの声も止まっていた。
 ただ聞こえるのは遠い地響き。
 張り詰めきった空気と沈黙の中、敵が迫ってくるその地響きの音が少しづつ大きくなっていく。
 そこで、はぁ、と大きくセイネリアが息を吐いた音をシーグルは聞いた気がした。同時にとうとう、彼の腕がゆっくりと持ち上がっていく。
 おそらく、彼は出来るだけ剣身を後ろの兵達に見せないようにしているのだろう。途中までゆっくりと動いていた腕は最後の振り上げから速くなり、そこから振り下ろすまでは一瞬で行われた。

 ドン、と何かとてつもなく大きな質量が落ちたような音と衝撃があった。

 後はただ、膨大な魔力の奔流が敵めがけて走っていく。
 ばりばりと空気が裂ける音と地鳴りが共鳴して、暴風が舞う、大地が揺れる。
 最初は聞こえていた悲鳴や怒声も、すぐに風と大地の音でかき消される。
 はためく彼のマントに包まれながらも、それでもシーグルはセイネリアの背から手を離さないよう、必死でその場に踏み留まって腕を伸ばした。彼の為に自分が出来る事があるなら、絶対にこの手を離してはいけないとそれだけを考えた。

 やがて、急激に辺りが静かになる。

 遠い雷のような音がするものの、静かになったその場には誰一人の声もしない。ましてや、こちらに迫って来ていた筈の敵軍勢の地響きもなければ、足音も、声も何も聞こえない。
 そこで初めて、シーグルの腕にセイネリアの体重が掛かる。
 支えていろと言ったのに最中はまったく重みを感じなかった腕に彼の重みを感じて、焦ってシーグルは腕に力を入れた。ふらりと、らしくなくよろけた彼はだがすぐに足に力を入れて地面を踏みしめる。それから、支えているシーグルに気付くとこちらを向いて、肩を貸せ、と小さく呟き、まるで抱きつくように体重を預けてきた。

 そうしてシーグルは、黒の剣が作り出した惨状を彼の肩越しにその目で見た。

 こちらに向かってくる敵影は見えない。
 目を凝らせばずっと遠くに敵の旗と部隊は見えるものの、そちらは動く気配がない。
 ただ見てすぐ目に入るのは、地面に空いた大きなくぼみ。大きく抉られた大地はただ黒く焼け焦げ、そこにいた筈の者達の痕跡はない。かろうじてくぼみの外周に、馬が数頭転がっているだけだ。
 何が起こるか覚悟して予想できてはいても、実際その目で見た光景に思わず一瞬自失する。失われた命の数を考えて、それが自分の為に引き起こされた事だと考えて、今更ながらに体に震えがわき起こる。

「後ろの連中に追撃をかけさせろ。ただし、下っ端共が逃げるのは無視していい。偉そうにふんぞり返ってる連中を出来るだけ捕まえろ、出来れば殺すな」

 シーグルに支えられながらセイネリアがそう言えば、いつの間にか傍に寄ってきていたエルがすぐさま横にいた団員達を伝令に出した。
 シーグルはそれでもまだ声も出せず、呆然と未だに焼け焦げた大地の風景に目を奪われていたが、ぎゅっと強くセイネリアに抱きしめられて我に返る。

 そうだ、これだけの事が出来るこの男の心が縋れるのは自分だけなのだ、と。




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 戦いの決着自体は次回。



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