残された者と追う者の地




  【6】



 明かりの弱い、暗い天幕の中。チラチラと頼りない炎の揺れる光が映った天井が、目が覚めて最初にシーグルが見たものだった。
 起きてすぐ、自分の状況が分からなかったシーグルだったが、周囲がちゃんと目に入ってくれば、じわじわと競りあがる緊張感と共に思考がクリアになっていく。見慣れない天幕、見慣れないランプ、見慣れない毛布、そして近くに置かれた見慣れない装備。それがクリュースのモノではなく蛮族のものだというのに気がついて、自分は敵に捕まったのかと理解する。
 一人で天幕に寝かされている事といい、一通りの治療処置がなされている事といい、この待遇からすれば相手はどうやら捕虜としてまともに扱う気があるらしい。となれば後はシーグルがどうこうというより、リシェにいる議会とシルバスピナ家の問題である。ただそれに関しては、議会とロージェンティなら上手くやってくれるだろうとシーグルは確信していた。彼らに迷惑を掛ける事は申し訳なく思うものの、交渉事に関しては自分より彼らの方が比べられないくらい優秀だ。きっと最善の条件でシーグルが開放されるように尽力してくれるだろうと信じられる。
 そこまでを考えて、シーグルは緊張に尖っていた神経をどうにか落ち着かせた。
 だが、それで目を閉じたシーグルは、自分が気を失う直前の状況を思い出してまたすぐに目を開いた。意識を手放す直前、自分は確かに部下達を見た。敵と戦っている内に意識が朦朧としてきたものの、最後に確かに、彼らが駆け付けてアウドが目の前に来たのを確認して目を閉じたのだ。

――なら、彼らはどうなったのだろう。

 彼らも捕虜になったのか、それとも……殺されたのか。蛮族は基本捕虜を取らない、敵は殺すだけだ。わざわざ生かして捕まえておくのは、それが金になると分かっている地位のある者だけになる。だから、自分が捕まっているこの状況を考えれば部下達は殺されている可能性が一番高い。
 いっそ、最後に見た光景は自分の望みが見せた幻覚で、本当は彼らは来ていなかったなら……そうであってほしいと願わずにいられない。
 だがそうして考えているところに足音が近づいてきて、シーグルは緊張を全身に纏う。その足音がすぐ傍で止まってばさりと入口の布がまくられれば、人影が中へと入ってくる。シーグルは眠ったふりをするかどうか考えたが、相手が裾の長い上着をきたひょろりとした体格の非戦闘員らしい人物である事に気付いて、目を開いて相手を見た。
 そうすればすぐ向うも、シーグルが目を開いている事に気付く。

「目は覚めましたか? 状況が分かりますか?」

 驚く事に、その言葉はアウグの公用語だった。
 だとすれば、自分はアウグの捕虜となったのだろうか。それとも、蛮族達がどこの捕虜かと揉めて一時的にアウグの部隊が預かる事となったのだろうか。ただ、どちらにしてもこの状況は不幸中の幸いとでもいうところではある。軍事国家とはいえまともな軍隊であるアウグはまだ、捕虜の扱いについては国家間の取り決めの最低限度は守ってくれるだろう。
 それにアウグ語であれば、シーグルも多少は話せるというのもある。

「あぁ……ここはアウグ軍の天幕か?」

 聞けば、僅かに眉を寄せた後、目の前のひょろりとした印象の青年は言った。

「そうです。ふむ……まぁいいでしょう。それ以上は黙って下さい。今我が主人を呼んできますので話は主人とお願いします」

 そうしてすぐにまた天幕を出ていく。それからさほど待つ事なく、もっとがちゃがちゃと騒がしい足音がやってきて、先程の青年と一緒に、今度は立派な体躯の男が入ってきた。
 すぐにシーグルは、その男こそが、一度剣を合わせたアウグの指揮官バウステン・デク・レザだと分かった。男は入ってきて直後、その場で止まってシーグルの顔をじっと見ていたが、急ににやりと満足そうに笑うと近づいてきた。

「しかし本当に……これはまたとんでもない美人だな。気に入った、こりゃー助けたカイがある」

 レザの様子にシーグルは不審の目を向ける。
 それでも相手は相変わらずの上機嫌で、近くに座ると腕を組んで勝手にしゃべり出した。

「いや、お前が林の中に倒れてるのを見つけてな、格好からボウ族だというのは分かったんだが、どうしても俺としては手放すには惜しくなってな。部族に返さずにこっちで治療したという訳だ」

 この男は何を言っているのだろうか。シーグルは頭が混乱してきた。

「まぁ拾ったのが友軍の兵士で良かった。もしクリュースの人間の、しかも偉い立場の者だったら雑族共に引き渡せとか言われるだろうし面倒な事になるところだったからな。それにしてもさすが我が軍の指揮下に入るよう選出された者だけある、我が母国語をちゃんと話せるとは勉強熱心な若者だ。ますます気に入った、都合もいい。出来ればここにいる間は我が国の言葉だけで頼む」

 その言葉のニュアンスとやけに説明的な内容、そして男の笑みがどこか含みがあるものに変わった事に気付いて、シーグルもレザの意図を理解した。
 この男はシーグルの正体に気付いている。
 だが、ここでシーグルの正体がばれると問題があるから、そのまま蛮族のふりをしていろという事なのだろう。

「そういう訳でな、お前さえ良かったら俺のとこにこないか? どうせその怪我じゃもうこの戦(いくさ)じゃ戦えないだろ、部族に帰っても役立たず扱いされるなら俺と来た方がいいんじゃないか? お前がうんと言ってくれるなら、族長の方は俺から話をつけておくが」

 早い話、この時点のシーグルの選択肢は2つだけだという事だ。レザの申し出を受けて蛮族の青年として彼と共に行くか、蛮族にその身柄を引き渡されるか。そしてその選択肢なら、マトモに捕虜として扱ってくれるだろう分、無事国に帰れる可能性を考えれば前者を選ぶしかない。
 だからシーグルは見つめてくるレザにこくりと頷いた。

「分かった、貴方と行く」

 みるみる内に、レザの顔が嬉しそうな笑みに輝く。それを見たシーグルは心の中で覚悟した。――おそらく、この男が自分の容姿を見て気に入ったというのは本当なのだろう。となれば彼が蛮族達から保護してくれる代わりに、この体を差し出すくらいはしなくてはならなくなるだろう――と。








「隊長が死んでる訳がないっ」

 チュリアン卿の天幕の中では、シーグルの部下であるキールとグス、アウドの3人が招かれてチュリアン卿本人と話をしていた。

「だが捕虜とした蛮族達の話では、シルバスピナ卿は馬で逃げた後、彼らの目の前で崖から転落したと言う事だ。勿論一人ではなく複数の証言がある」
「それがそもそもおかしいです。隊長の怪我はとてもじゃないが馬に乗って逃げるなんて出来ない状態でした」

 グスが言えば、後ろで控えていたアウドが前に出て言う。

「確かに、隊長の足は折れていました。ほぼ確実にそれ以外も怪我をしていたと思われます。あれでは例えすぐリパ神官の治癒を受けられたとしても、馬に乗って走らせるなんて不可能です」

 椅子に座ったままのチュリアン卿は、そこで唸りながら腕を組んだ。

「だがしかし、証言と状況からすればシルバスピナ卿は死んだものというのがフスキスト卿の判断だ。なにせ君たち以外では、一人で馬で飛び出したシルバスピナ卿が駆けていったところまでは見ているもののその後に見失った者ばかりで、馬が倒れた事も、彼が怪我をしたことも誰も知らないんだ。蛮族達の証言通り、追い詰めたが崖から転落した、というのが無理なく繋がってしまう」

 グスが拳を握りしめて黙り込めば、アウドは背を伸ばしてチュリアン卿をじっと見つめる。

「それでも、隊長が怪我をしていたのは本当です」

 チュリアン卿は力なく苦笑した。

「勿論私は君達が嘘を言っているとは思っていない。シルバスピナ卿は生きている、私もそう思っているとも」
「その、隊長が落ちたという崖の下はどうなっていたのですか?」

 グス達は同行を許されなかったが、戦闘が一段落した後、当然の事ながらシーグルが落ちたと言われた崖の下にも確認の為の部隊は送られていた。チュリアン卿はそれについて行っていた為、そもそもグス達はその結果を知りたくて彼に会ってくれるように頼み込んでここにいたのだった。

「あぁそれが、確かに辺りに血と、馬の死骸の一部はあったし、誰か落ちた者がいたらしいとは思える状態だった。ただ、遺体はなかった。とはいえ落ちたと言われた時点から我々が降りるまではかなりの時間が経っていたから、下の森に住む獣に遺体をあらされたのではないかと言う話になっている。実際馬の方はそうだった訳だしな」

 聞いてシーグルの遺体が動物に食われる姿を想像したグスとアウドの二人は、明らかに顔を青くして表情を強張らせた。
 そこで、黙って話を聞くだけだったキールが突然発言する。

「一つお聞きしたいのですが〜フィダンド様はいらっしゃらないのですか?」
「あぁ、フィダンド様は私が留守にする分砦にいてくれてる。実は今回、ここへ来るのを迷っている私にすぐいけといってくれたのはフィダンド様なんだ」
「そうですか……ふむ。となると難しいですねぇ」

 それでまたに黙って考え込んでしまったキールを見て、何か打開策を思いついたのかと期待したグスとアウドは明らかに落胆を表情に出した。だがアウドはそれで済ます気はなかったようで、そんな彼にずいと近寄って脅す勢いの声で尋ねた。

「文官殿、例のクーア神官の少年兵は貴方の知っている者だと聞いたのですが」

 そうすれば、いつもマイペースな魔法使いはあっさりと答える。

「えぇそうですが、その人物と今は連絡が取れません」
「なっ……それでいいんですか? どうにか探そうとしていないんですか? そもそもどういう素性の人物だったんですか?」

 今にも掴みかかりそうになって怒鳴るアウドにキールは手を前に出して発言を止めると、ふぅと大きく息をついて、やはり落ち着いた声で彼に言った。

「素性は分かってますが、ちょおっと言う訳にいかなくてですね。ただ向うも今必死でシーグル様を探してる事だけは確かですよ。どうも予定外の事がいろいろ重なったようですからねぇ」

 のんびりと言うその口調に苛立ちは募っても、アウドはそれで僅かに考え込んだ。

「探してる、って事は……」
「えぇ、崖から落ちて死んだと言われているのは別人ですよ」

 そう、当たり前のようにさらっと言われて、アウドもグスもその場で思わず一瞬口を開いたまま呆けた。それでもすぐに我に返ると、再びアウドがキールに向けて声を張り上げた。

「それが分かってるならさっさと言ってください。今すぐフスキスト卿に……」

 だがそう言い掛けたアウドの言葉を、またキールは手を前に出して止めた。

「残念ながらぁ〜証拠を出せない段階で言っても信じて貰えるかどうかぁ。それにですねぇ、とりあえずは『シルバスピナ卿は死んだ』という事にしておくのも悪くないとは思うのですよぉ」
「どういう事です?」
「自軍の中には、シーグル様を殺してこいって言われてる人達がいますからねぇ。シーグル様が現在どんな状況にあるにせよ、死んだという事にしておいた方がいろいろと都合は良いと思うのですがねぇ」

 それに、成程、と返したのはグス達よりもチュリアン卿で、彼は言葉を続ける。

「確かにそういう輩(やから)がいるなら、シルバスピナ卿は死んでいるという事にした方がいいかもしれない。後は彼の居場所をこちらで探すしかないな。……もし彼が敵に捕まっているというならその内向うから連絡がくるだろうし、とりあえず今は彼が死んだという事にしておいてた方が都合がいい事の方が多い」

 チュリアン卿が力強くそれを肯定すれば、グスとアウドも顔を見合わせてどうしようかという視線を交わし合う。
 そんな二人に、やはり気楽そうな魔法使いの声が掛けられた。

「えぇ、ですからその件はぁ隊のみなさん達にもこっそり言っておく事は勿論〜首都に帰ったらシーグル様のご家族様にも伝えておいて下さいねぇ」

 その役目を誰が引き受けるかを考えて、グスとアウドはほぼ同時にため息をついた。




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 次回は怪我して動けないシーグルをレザ男爵が……というエロ回です。



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