心の壁と忘れた記憶




  【3】



「うん、検査結果は全部マル。おめでとう、ちゃんと適合したみたいだね」

 紫の髪に紫の目の医者(ドクター)と呼ばれる魔法使いの言葉に、アウドは大きく安堵の息を吐いた。

「後は当分は歩き方の練習だろうね、長い事へんな歩き方してたから正常な歩き方忘れてるでしょ?」
「……ですね、実はそっちはかなり自信がないんですが」
「でも普通に歩けるようにならなかったらあの坊やの傍に置かないって言われてるんでしょ、死ぬ気でリハビリだね」
「そりゃぁ分ってますよ」

 動かない筈だった足が動く様を見ながらアウドは答える。そうして、あの灰色の髪と瞳の男が言っていた事を思い出す。

『さて、うちのボスからの伝言なんスけどね、まずあの坊やの傍にいるつもりならその足をどうにかしろ、だそうっスよ。なにせあんたがびっこ引いてあの坊やについて回ってたら、いくら顔を隠していても正体がバレバレになるでしょうスからね』
『どうにかしろといわれてどうにか出来るようならとっくにやっている、俺の足は医者もこれ以上は無理だといったんだ、これでもかなりどうにか……』

 そうすれば男はぴっと人差し指をアウドの眉間に当てて、身動きも出来ず口を閉ざしたアウドにその張り付いたような笑顔のままで言ってきた。

『えぇ普通の医者ならそう言うでしょうスけどね、ウチにはその道じゃぁ最高の腕の魔法使いがいる訳なんスよ』

 そうして連れて来られたのがこのドクターと呼ばれる植物系魔法使いの部屋で、彼はあっさりと自分の足を見ると、治せる、と断言してくれたのだ。

「言った通り、擬体パーツの寿命は2年は保証するよ、でも基本は1年半過ぎたら交換だからそのつもりで。ここにいる間はいいけど、遠出の仕事が入ったり、ここを離れるような事がある時はそれを見越して予定立てくれるかな」
「あぁ、分かった……ちなみに2年を過ぎたらどうなるんだ?」
「2年過ぎてすぐダメにはならないけど『枯れ』出したら早いからね。完全に『枯れ』たらへたすると前より動かなくなると思うよ、それに『枯れ』てから交換すると手間が掛かるんだよ、よっぽどの事がない限り2年経つ前に交換する事」
「了解、頭にたたき込んどく」
「そうして欲しいね、アンタ頭悪そうだから心配だけど」

 中々に毒舌ぎみのこの医者にも、流石に1月近く付き合えば慣れはする。それに諦めていた足を治してくれた恩人でもあるのだから文句が言える訳もない。

 このクリュースでは、腕や足など体の一部を失った場合に、植物をもとにして作った義肢で補う技術がある。それが作れるのは植物系の魔法使いで、だからこそ彼らは人間の体の構造にも精通していて医者をしている事が多い。
 とはいえ植物で作れるいわゆる植物擬体は基本は足や手や指といった体の一部分で、しかもとんでもなく金がいるというのがお約束だ。そもそも本人の体に合う最初の基礎体を作るのにとんでもなく手間がかかるうえ、元が植物だから作ればずっと使えるというものではなく必ず寿命があって『枯れる』から定期的に交換が必要なのだ。一時的な大金が積めるだけでなくその後も継続的に払えないとならない段階で平民には相当厳しい。
 と、その程度の知識はあったアウドだったが、この魔法使いは他の者と違って腕や足、指といった体の一部分だけではなく、それを構成するもっと基礎のパーツ、筋肉や腱、それらを構成する細胞レベルで作る事が出来るという。それがどれくらいの金が必要かなんて考えたくない。

「しかしまぁ、あんだけ悔しくても諦めるしかなかった足が今更治るんだからな……」

 アウドの場合、確実にこの足の所為で人生が変わってしまった。足が治っていればそのまま騎士団の守備隊で真面目で真っ当な騎士として今でもいられたかもしれない。貴族ではないから出世は望めなくても、こんな捻くれる事もなく、自分の信じる正しさのままに生きていけたかもしれない。
 けれど、そうであれば良かったのに、とは思わない。
 そうであればきっと、シーグルの部下になる事はなかった。命を捧げてもいいという主を見つける事はなかっただろう。酷い時もたくさんあったし遠回りをしてしまったが、それでも今のこの心の充実感はただ真っ当に生きているよりもずっと上だと確信出来る。

「まぁ普通は治らないよ。少なくともアンタみたいな下っ端でどうにかなる金額で治せるモノじゃないのは確かだし」

 それには、だろうな、と呟きながら笑みが引き攣るのは仕方ない。あの男のお抱え魔法使いだから命令一つで治して貰えたが、実際金で頼んだら最初の段階で自分では絶対に払えない金額になるだろう。

「ったく、気前のいいご主人様で恐れ入るよ」
「そりゃぁ、あんたにっていうよりあの坊やの為だからね」

 そう言われれば全て納得できてしまうのだから、自分は相当にあの男のシーグルに対する『想い』という奴に圧倒されたのだなと思う。これだけの事をされても、申し訳ないという気持ちにさえならなくなるのだから相当だ。

「ちなみに、あんたにマスターが期待してる事って分かる?」

 そこで唐突に聞かれた事には、最初アウドはさらりと返した。

「生きてる盾だろ、期待通り、俺の命を掛けて何があってもあの人を守るさ」

 シーグルを守る為なら例え多少保険がつく程度でも金を惜しまない、まさに今の自分に当てはまるなと動く事に違和感さえ覚える足の動きを見ながら言えば、ドクターは笑いながらも声の音を少し落として言ってくる。

「確かにそうだけど、そう単純な話でもないんだよ。そう……あんたは何があってもあの坊やを守る為に動く。それがマスターやあの坊や自身の命令に背く事になっても、坊や自身に恨まれるような事になってもね。例えばあんたならあの小さな王様の命よりもあの坊やの命を優先する、でしょ?」

 は、と思わず悪態をついてから、アウドは大きくため息を付いた。

「あぁ、そういう事か。つまりだ、俺が真面目な人間じゃないのが評価されたって事か」

 なんだか胸糞が悪くて少し嫌味を込めて答えれば、医者でもある魔法使いは今度は一見無邪気そうににこりと笑った。

「アンタが坊やの為に動く視点は部下じゃなくてマスターと同じだからね、だから坊やの傍に置いておくだけの価値があるんじゃないかな」







 弔いの鐘が首都セニエティの街に響く。
 今日は凶王リオロッツに逆らって処刑された悲劇の英雄アルスオード・シーグル・アゼル・リシェ・シルバスピナの処刑が行われた日だった。凶行を働く王に意見した旧貴族の青年は、丁度一年前の今日非業の死を遂げた。正式に彼と内乱での戦死者を弔うのは来月の鎮魂祭なのだが、今日は彼が死んだ日として国中のリパ神殿では処刑が行われたその時間に鐘が鳴らされる事になっている……という事だ。
 恐らく、今日は自分に付かずに事務仕事を手伝えというセイネリアの指示は、今日城へ行けばどうしてもそれについて話したり嘆いたりする人々をシーグルが見てしまうからだったのだろう。当時監禁されていたシーグルは処刑が行われた日を知らなかったが、昼過ぎにいつもなら外に行って一勝負しようといいだすエルが不自然に自分を避けようとしたため、彼を問い詰めて聞いたのだ。

「悲劇の英雄か……誰が英雄だ」

 将軍府の屋上から街を見渡していたシーグルの濃い青の瞳には、鐘が鳴り出した途端に足を止める人々の姿が映っていた。鳴り響く鐘の中、立ち止まった者達はそれぞれ祈りを捧げる。だがその風景も、鐘の音も、シーグルにとっては怒りさえ覚えるもので唇に皮肉な笑みが浮かぶのは仕方ない。

 自分の名に『英雄』と付けられればそれだけでつばを吐き掛けたい気分になる。褒め称える歌も、人々の祈りもやるせなさと怒りで涙が出そうになる。

「俺は何もしていない、この内乱を起こした訳でもなければ人々の為に悪しき王に逆らったなんて事実もない。ただ一方的にリオロッツから疎まれて投獄されただけだ。犠牲の上に別人としてのうのうと生きている俺が英雄なぞであるものか」

 セイネリアは言っていた、こうしてアルスオード・シルバスピナを英雄扱いをするように仕向けたのはシーグルを帰れなくするためだと。それは確かに効果的だったさとシーグルは思う。
 もしも、家族のもとへ帰った場合――生還を喜ばれれば喜ばれるだけ、人々に熱狂されればされるだけ、自分は自分が許せなくて耐えられなくなるだろう。シグネットの為に英雄でいなくてはならなくても、人々の前でそう振舞う事は絶対に出来ない。たくさんの人々の笑顔が想像出来るからこそ、自分があの場所へ帰る事は許せない、帰れる訳がない。

「英雄というのは偉業を為した者ではなく、英雄である事が都合のいい者がそう呼ばれるそうですよ」

 声に振り向けば、そこにはいつも飄々とした魔法使いが立っていて、彼は自分と目が合った途端、何も言わずに頭を下げた。

「それは、セイネリアが言っていたのか」
「えぇ、そうです。そして……私もそう思います」

 それにはやはり皮肉に唇を歪める事しか出来なくて、シーグルはため息を付くとまた街並みに目を戻した。ここからは街の中央広場が少しだけ見えて、多くの人々がそこに集まっていくのが見える。今日は広場に献花台が置かれている筈であるから、きっとたくさんの花が捧げられているのだろうとその人波を見て思う。

「一年前の今日、あそこで死んだのは俺じゃない。広場にあるたくさんの花は、ナレドのところに届いてくれるだろうか」
「そうですねぇ、届いてくれるとそう、思いたいです」

 気配で近づいてきた魔法使いは、それでも自分から5、6歩はあるだろう距離までくると足を止めた。

「ナレドさんの遺体はぁ……そのままシルバスピナ卿として葬られたそうです」
「……つまり、今はリシェの霊廟にあるのか」
「えぇ、左様です」

 あの葬儀で運ばれた棺の中には自分の代わりにナレドがいたのかと思えば、あの時の人々の嘆きも、祈りも、彼に届いてくれただろうかと考える。せめて、たくさんの人々が祈りを捧げる『英雄』として彼の魂が尊いものとなるように、彼が寂しくないように自分には祈る事しか出来ない。

「……なら良かった、少なくともちゃんと弔って貰えて。彼ならシルバスピナの霊廟でも過去のシルバスピナの魂達にきっと受け入れて貰えるだろう」

 誇り高い騎士の家系であるシルバスピナの者達なら、主の為に死んだ従者の青年を蔑ろにする筈がない。父はきっと彼に感謝するだろう、祖父も……彼を立派な従者だと誉めてくれるかもしれない。

「ですがぁナレドさんならぁ、畏れ多すぎると周りに恐縮しまくって大変かもしれませんけどねぇ」

 何時も通りに間延びした口調で魔法使いが言った言葉に、シーグルはそこで少しだけ笑みを浮かべた。

「かもしれないな。でもきっと父さんなら彼を可愛がってくれる筈だ」

 長く鳴っていた鐘の音がそこで止まる。多くの人々がいるのに静かな通りと広場を暫く眺めてから、シーグルは手を胸の聖石にあたる位置に置いた。
 
「慈悲深き我が神よ、貴方の傍に召されたこの魂を安らぎの地へと導き給え……」

 かつてナレドの母親にも掛けたリパの祈りの言葉を呟き、シーグルは目を閉じる。
 彼を騎士にしてやりたかった。真っ直ぐで一生懸命なあの青年を死なせてしまった事実を自分は一生背負っていかなくてはならない。今の自分に出来る事は、変わっていくこの国で、彼のような平民出の青年が望む道に進めるように働くくらいだろう。彼のような志の青年を今度は無為に死なせる事がないように、望む将来を掴めるように制度を整えていこう。それが彼への償いになるかはわからなくても、シーグルにはそれくらいしか彼にしてやれることが思いつかなかった。

「シーグル様、私はですねぇ……ナレドさんに頼まれた事があるんですよ」

 シーグルは目を開いてゆっくりと振り返り、今度は体毎魔法使いの方に向き直った。

「ナレドさんはですねぇ、自分が身代わりになったらきっと貴方が心を痛めるだろう事も分かっていましたよ。だから……自分は貴方に会えて幸せだったと、ありがとうございましたと、そう伝えて欲しいと言っていました」

 シーグルはそれに一度目を見開いて、それから歯を噛みしめた。言葉は何も出さず、ただ瞳からは涙が落ちた。

「それと私にですねぇ、貴方の味方でいてくださいねと……彼もぉ……分っていたのかもしれませんねぇ。私が何か別の意志の指示で動いていたことに」

 ならば多分、ナレドが気づいたのは、キールが『彼の意志で言う筈がない言葉』を言ったからではないかとシーグルは考えた。いくらシーグルを救う為とはいえ身代わりになれなどキールの意志で言う筈がない言葉だと、そうナレドは思ったからこの魔法使いの立ち位置を察したのではないだろうか。
 いつも飄々としている魔法使いは、そこで急激に足を折り、その場に跪いた。

「ですから……貴方に約束しましょう。ナレドさんの最期の言葉の通り、私は貴方の味方でいますと。いざという時はギルドの命より貴方の為に動きましょうと」
「キール、それは……」

 魔法使いである彼のその言葉の意味を理解してシーグルは驚く。いくら自分とセイネリアに関しては例外扱いとはいえギルドの意志よりも優先するなど、魔法使いが軽い気持ちで言える筈がない言葉だ。

「私は魔法使いになってからはずっとギルドの指示で働いていました……それが正しいといつも思えたのに……今回の彼の件だけはどうしても割り切れないのですよ。彼が死ななくてもいい道はあったのにと、どうしてもいつまでも後悔が消えないのです」

 跪いたまま下を向いている彼の顔は、シーグルには見えなかった。
 だが、いつも飄々として何事にも動じない彼の声が、その時初めて震えて聞こえた。

「私はぁ弟子を取った事がありませんでしたからねぇ。彼は私にとっても弟子のようで……えぇ、らしくなく情が湧いてしまったんでしょうねぇ。貴方の下に来てからは私は情に囚われるようになってしまったようです。ですからですねぁ、いっそこの情が思うままに行動してみるのもいいのではないかと思ったんですよ」

 だから、今度は本当に貴方の部下にしてくださいと、そう顔を上げて聞いてきた魔法使いの言葉をシーグルが拒否できる筈はなかった。



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 キールさん&アウドの事情的なお話でした。
 



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