心の壁と忘れた記憶




  【2】



 そうしてその日、呼び出されたかつてリオロッツを殺したと自ら名乗り出ていた貴族達には死刑が言い渡された。
 議会から引きずられていく彼らは、口ぐちにセイネリアに向かって罵りと呪いの言葉を吐いていったという。そうして皆、最後にはこう必ず叫んでいたという――悪魔め、と。
 彼らの死刑はそれから五日後に行われた。それはアルスオード・シルバスピナに死刑が言い渡された日から丁度一年後にあたる日でもあった。もしかしたら、セイネリアの事であるからわざとそれを分っていて決行したのかもしれない。
 その後すぐに、リオロッツ殺害を止められずこの悲劇を食い止められなかった事を理由にリパの主席大神官が辞任を表明した。代わりに新たな主席大神官としてテレイズの名を聞いた時にはシーグルも相当に驚いたが、かつて身近だった人々がこの国の中心人物になっていく現状には運命を感じずにはいられなかった。
 ただ、シーグルにとって手放しで喜べる良い事もあった。
 リパ大神殿の首席大神官の交代式の時、テレイズに従う神官達の中にクルスの姿を見る事が出来たのだ。自分の葬儀の席でついに見つける事が出来なかった彼の姿を見てその無事を確認出来た事は、シーグルにとってそれだけで胸の痞えが取れる出来事だった。

 ともかくもう、シーグルは誰も失いたくなかった。失ったという報告を聞きたくなかった。残った人々全てに幸せになって貰いたかった。きっとそれこそが……失ってしまった者に報いる事だとシーグルは思っていたから。







 事務仕事に呼ばれる時は、セイネリアの部屋から少し離れた資料室へ行く事になる。その中でも実際の資料のある大部屋は人の出入りがあるから、シーグルが行くのはそこから続く奥の事務長室になる。
 外の警備の者の礼を受けて内扉を抜ければ、そこで忙しそうに作業している者達を見て、シーグルの顔は自然と綻んだ。

「これはこれはレイリース様ぁ〜おぉ待ちしてました」

 奥の席に座っていたキールが顔を下に向けたまま口だけでそう言えば、他の席に座っていたソフィアが立ちあがる。

「あぁっ、申し訳ありませんっ、お迎えに出れなくてっ」

 それから机の上に頭を置いて、疲れたように拗ねた顔をしているアルワナ神官の双子の声がそれに続いた。

「あーやっときたーおっそーい」

 この将軍府における事務長に就任する事になったキールは、今ではこの部屋の主となって毎日事務仕事に追われている。そのおかげでシーグルやエルに回される事務仕事はぐっと減ったのだが、それでもここで全ての仕事が終わりはしない。重要書類は上の人間の承認が必要となるのは当然だし、単純に人手が足りない事もある。双子とソフィアがここにいるという事は後者は確実だといえるし、前者の仕事も勿論あるのだろうと思って、シーグルは軽く息をつくとソフィアの隣の席の椅子に座った。

「では、こちらの書類の方をお願い……致し、ます」

 そこになんだか緊張した様子でソフィアが書類を持って来たから、思わずシーグルは笑ってしまう。

「あぁ、分かった」

 受け取って、早速仕事に入ろうとしたシーグルだったが、ペンを手にとったところでまた戻し、それから兜を取る。慣れたとはいえ素顔を出せればほっとするのは確かで、それから篭手を取って改めてペンを持った。

「いやぁその恰好のままでお仕事するのかと思いましたがぁ〜」

 相当に忙しいのだろう、こちらを見もせずにそう声だけを掛けてきた魔法使いに、シーグルはため息をついて見せた。

「サインくらいならあのままでも出来るが、それだけでは済まないだろ。わざわざ内扉を閉めて外に見張りを置いてるのは、俺が顔を晒していても大丈夫なようにだと思ったが」
「えぇまぁ〜そうですねぇ」

 こちらを見はしなくてもその口調はいつも通りの彼で、シーグルは苦笑して仕事に取り掛かる。けれど仕事を始めて間もなく、おそらく今日はずっとここで事務仕事を手伝っていたのだろう双子が机に頭を置いたまま声を上げた。

「う〜朝からずっとでもう紙とペン見るのが嫌になっちゃったなぁ」
「だよね〜気分転換になんか体動かしたいよね〜」

 だがその双子の言葉は、飄々とした魔法使いの声に遮られる。

「なぁに言ってるんですかぁねぇ、さっき体を動かしたいならとお使いを頼んだら『僕達肉体労働は無理』とか言ってたじゃないですかぁ」
「え〜だってさぁ、あの荷物僕らにもたせるとか無理だと思わない?」
「僕達ずーーーっと重い物持った事がない生活してたしー」
「男がぁそれじゃ情けないですねぇ」
「えーいいんだよっ、僕達は神官で頭脳労働派なんだからっ」
「でしたらぁサボらないで頭脳労働に勤しんでくださいねぇ」

 それで途端に双子が二人して口を尖らせるのを見て、思わずシーグルも手で口を押えて笑ってしまった。
 事務仕事は基本好きではないが、最近ではセイネリアといて息苦しさを感じる事が多いため、ここに呼ばれて事務仕事を手伝う事の方が息抜きになってきていた。ここにいると騎士団の自分の部屋にいた時のような心地よさを感じて妙に落ち着くのだ。キールと双子やソフィアとのやりとりを見る度に楽しそうで笑みが湧いてしまう。

「まー確かに疲れましたしねぇ〜軽くお茶にしましょうかぁ」
「あ、では私がいれてきますっ」

 ずっと下を向いたままのキールが背伸びをすれば、彼の言葉を聞いてすぐにソフィアが立ち上がる。返事もないまますぐに外へ飛び出していった彼女を目だけで見送ってからキールを見れば、彼はにやっと昔はよく見た気楽そうな笑みを浮かべてこちらにウインクをしてきた。

「いやぁ、お茶を入れて貰う立場というのも良いものですねぇ」

 それにぷっと吹きだしてしまえば、彼の笑みが更に深くなる。

「お茶ならお菓子が欲しいよね〜」
「レイさんからクッキーもらってるよ〜♪」
「クッキーですかぁ、疲れた時の甘いモノはいいですねぇ……と、レイリース様は甘いのはお嫌いでしたっけぇ?」
「あ……そう、だが」
「えーそうなのー? なんでー?」

 信じられないという二対の赤い目に問い詰められて、思わずシーグルは笑みを引き攣らせる。けれども少し考えて、それから言い直す。

「いやでも……今日は、少しなら食べてもいい、な」

 そうすれば双子の顔がぱっと笑みに輝く。

「だよね〜レイさんのお菓子美味しいんだよ〜」
「お城にも持って行ってるお菓子だから気合入ってるしね〜」
「そう、なのか?」
「うん、フユが毎日レイさんのお菓子持って行って王様の子守の人達に上げてるんだってー」
「あぁ……」

 シグネットの子守というならきっとウィアや兄弟達だろう。ウィアとラークは甘いものが大好きだから嬉しそうに頬張る姿が目に浮かぶ。フェゼントはそんな二人を行儀が悪いと怒って……――かつてのお茶会の風景が頭の中に浮かんで、シーグルの顔は笑みを浮かべるものの同時に目頭が熱くなる。
 だから軽く頭を振って頭の中の情景を振り切ったシーグルだったが、直後に入ってきたキールとソフィアの姿に目が止まった。その姿がかつての別の光景と重なってしまって目が離せなくなる。

「あー〜ソフィアさん、今回の調合はかなりいいと思いますよ、ヴァロガンの実の渋みがいい感じに抑えられています」
「そうですか、良かった」

 こんなやりとりをシーグルはかつて何度も見た事があった。
 ナレドがキールにお茶のいれ方を習っていた時、毎回彼はキールの感想を聞いてはその度に笑ったり、落胆したりして、最後に恐る恐る自分に聞いてくるのだ。

『アルスオード様はどうでしょうか?』

――あぁ、だめだ。

 思った時にはもう目から涙が落ちていた。
 シーグルは急いで口を手で押さえて下を向く。いっそ兜を被ったままでいれば良かったと今更思ってももう遅い。涙は止まらなくて、嗚咽を漏らさないようにするのが精いっぱいだった。

「レイリース様?」

 気づいたソフィアが声を掛けて来ても、シーグルは顔を上げる事が出来なかった。
 今顔を上げたら、きっと心配そうに見てくる彼女の顔さえナレドに重なってしまう。真っ直ぐに自分を慕ってくれるその瞳が彼に見えてしまう。

「なん……でもない、少し、放っておいてくれる、だろうか……すまない」

 それだけをどうにかいうものの、彼女はやはり心配そうにこちらを見つめている。まいった、どうにかしないと、と思っても、どうにも涙が止まらなくてシーグルは必死に自分を落ち着かせようとする。

「そういえばぁ、アウドさんはぁですねぇ〜今日で検査終了だそうですよぉ。明日からは彼もここでこき使ってさしあげましょうかねぇ。主に肉体労働役で」

 その言葉でどうにか頭の切り替えが出来て、シーグルはやっと涙を止める事が出来た。



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 次回はちょっとアウドさんのお話。
 



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