勝利と歓喜の影




  【9】



 戒厳令下にある首都セニエティは、現在、常に緊張に包まれていた。
 いつもなら多くの冒険者でごったがえす筈の大通りは昼間でも閑散としていて、ずらりと並ぶ露店達も殆ど見当たらない。ヴネービクデ城壁外での戦いで王側が破れて以降、ヤバイ臭いを嗅ぎつけた者達は皆首都から出て、現在首都に残っている冒険者といえば仕事の最中で逃げようがなかった者か、ここに家がある者、あるいは身内がいて離れようがない者くらいだった。冒険者事務局も首都の門が閉鎖されてからほぼ動いておらず、実質現在、この国の特徴でもある冒険者システムは停止していると言っていい状態だった。

 兵達ばかりが集められ街を見回っている状態では一般人は外に出ようとする訳もなく、街の中をいく人影はほぼ親衛隊か警備隊の恰好をしている者達だけといってよかった。だがこの異様な状況には街の人間だけではなくその見回っている兵士達でさえ息苦しさや緊張を感じるのは当然で、彼らの中でも街の人間達とは違う方向性の不安が日々膨れ上がっていた。
 それでもまだどうにか各自の不安を抑え、命じられた仕事に動いていた中、ある事件が王宮で起こった。

 それはほんとうに他愛のない、王の側近兵の一人が口を滑らせたというだけの出来事だった。
 街も城も不気味な程静かになったものだと、兵の呟きをたまたま王が聞いてしまって、その場でその兵が処刑されたのだ。

 その事件については公にはされなかったものの、ひっそりと首都にいる兵達に実際にあった出来事として口伝えで噂が広がっていった。そうしてそれは彼らの中に一つの疑問を生んでいく。このまま王側に仕えていて自分達に良い事があるのか――と。

 首都で民間人による暴動が起こったのはそんな時、ある早朝の事だった。

 最初に発生したのは西の南区の端、城からも離れ、首都内でも貧民街に当たるこの周辺は元から治安が悪い事で有名で、王に反発した反乱軍の支持者が多く潜伏していた事もあってある意味予想された通りではあった。ただ暴動が起こったのち王の想定外だったのは、その辺りの担当警備の警備隊――それも王が新規に採用した者達ではなく、元から西区担当の者ばかりだったが――彼らがあっさり暴動側についてしまった事だった。
 すぐに他の地区担当の兵達が駆けつけるものの即暴動側についてしまう兵も多く出て、暴動側の戦力は徐々に膨れ上がっていった。ヘタに手を出せない程の人数になれば後はもう西の南区全部を取り囲むのがやっとで、だがそれは徐々に広がって南区全域が反乱軍支持者側に占拠されつつあった。

 そんな中、街の別の場所でまた暴動が発生した。

「私たちは話し合いたいだけですわ」

 言いながら笑顔で親衛隊の男に詰め寄っていくファンレーンは、甲冑を着ていないとはいえ騎士というだけあって体格的に威圧感があった。
 それを取り押さえようと横から親衛隊の兵士が飛びかかれば、彼らは見えない壁に跳ね返されて尻もちをついた。

「ここは慈悲の神リパの大神殿です。手荒な事はなしで平和的に話し合いましょう」

 言われて、警備隊の者達はぐるりと辺りを見回す。壁ぞいにずらりと並ぶリパ神官達は、全力でファンレーンを守ろうとすぐに術を使えるように構えていた。大神殿の中という事で彼らも武器を持っていない上、ここにいる神官の人数よりも彼らの方が少ないとなれば、外からの応援部隊が入ってこない限り出来る事はないと判断するしかなかった。

「なにが平和的だ……それにそもそも神殿は中立ではなかったのか?」

 親衛隊の男が悔し紛れに言えば、ファンレーンは貴族らしく優雅に笑ってみせた。その後ろには、装備はないとはいえ彼女の知人の騎士達が並んでいた。

 今朝もいつも通り、朝の礼拝が行われたリパの大神殿だったが、礼拝が終わった後、ファンレーンが率いる一部の礼拝客が神殿内の親衛隊連中を襲い拘束しだしたのだ。もちろん大神殿の中では武装出来ない為皆素手での戦いになったが、その最中神殿内の神官達が全てファンレーン側について術で守り出した為、王側の兵士は一方的に追い込まれる事になってしまった。

「勿論、政治的には神殿は中立ですわね。ただ神官様達は慈悲深きリパ神の教えに従って、非道なる王を諌めるべきだという考えに同意してくださっただけですわ」

 それは当然テレイズを説得した上での協力体勢だったが、ファンレーンはしれっとそう返した。

「随分な詭弁だな」

 言い捨てた男だが、降参だというように手を上げて見せる。ファンレーンはそれに満足そうに笑うと、目の前の男だけでなく、この場にいる王の兵達に向かって声を張り上げた。

「でも実際、貴方がたもそろそろ潮時を考えている時期ではなかったかしら。反現王軍はエフランの森まで来ています、ここにつくのももうすぐ。貴方がたはそれを迎え撃つ捨て駒になるつもりだったのかしら? どうせ勝てないのに、王が逃げるまでの悪あがきの犠牲になるほど王に忠誠を誓ってるのかしら? 貴方がたの事なんて気に入らなければ殺しちゃうような王の為に、あのセイネリア・クロッセスと戦いたいのかしら?」

 元がそれなりに腕に自信のある冒険者だったのが大半の親衛隊の面々は、セイネリア・クロッセスの名を聞けば鼻白む。

「勿論、貴方達も立場はあるし、ここでこちらに下ったら王に殺されると思ってるのでしょうけど、そもそも王が王でなくなれば恐れる必要なんてないじゃない」

 親衛隊の者達はざわつく。それを見てファンレーンが合図をすれば、ふわりと彼女の前に黒い服に身を包んだ男――フユが現れた。

「我が主セイネリア・クロッセスは、一般兵に関しては自らこちらに付いた者は無条件で受け入れると約束するそうッス。特に罰するとかもナシで。……ねぇ、要はあんた達は勝てる側に付きたいんじゃないスかね? だったら今どちらが勝つか、そろそろ見えてるんじゃないスか?」

 笑みを浮かべていた灰色の髪の男が、言い切ると同時にその笑みを消してその髪色と似た灰色の瞳を開いて男達を見つめる。
 それを聞いて一人がため息をついて座り込めば、親衛隊『だった』者達は次々とその場に座り込んだ。







 例年から少し早い雪がちらついた空を眺めて、兵士が呟いた。

「本格的に雪が降るまで持つか持たないか、だな」

 クリュース城、今まで外敵に直接攻められた事のないこの国の王城には、敷地内に王の居城以外の施設がいくつかある事が知られている。貴族院の建物である水星宮、騎士団本部、そして魔法使いの首都での拠点である導師の塔である。だが今、騎士団本部は実質監獄として使われ、水星宮――王の居城である太陽宮の次に目立つ美しい装飾のある貴族院の建物は――封鎖され、見張りが取り囲むだけの廃墟のようであった。そして導師の塔と言えば……兵士は高い塔を見上げて苦笑する。

「こんなんで本当に魔法使いは王様についてるんかね」

 元から導師の塔と言えば入り口がなく誰も出入りが出来ないオブジェのような扱いではあったといえ、今は更に勝手が違っていた。なにせ、前は入れないとしても触れる事は出来たのが、今では見えない壁が邪魔して建物自体に触る事が出来ないのだ。

「ま、一応魔法使い様は王様ンとこにいるらしいがな」

 彼と同じ塔を見張る兵士がやってきていう言葉に、彼は小さい声で聞き返した。

「でも、今は大半エフランに出払っちまって、王様の側には連絡役以外いないんだろ?」

 だからこそ彼らもこうして裏でこっそりこんな危険な会話が出来るというのもある。なにせ例の噂にある失言で命を失った兵士というのは、魔法使いによって王が城中の会話をかき集めさせたから、と言われているのだ。

「らしいな。魔法使いどもがいない間にって、こっそり逃げてる貴族様もいるって聞いたぞ」
「は、船を見捨てたネズミ共かよ。そうなりゃ俺たちはさしずめ沈没船の奴隷の漕ぎ手か?」

 兵士は盛大にため息をついた。
 いくら王にとっては捨て駒だと分かっていても、あの王の為に死ぬのなんて冗談じゃない。ただ、ここで逃げ出そうとしても逃げられる状況ではないと分かっているし、逃げるどころかそのそぶりを見せただけで確実に処刑だとも分かっている。どうにかしたくてもどうにも出来ないのだ。

「だがまぁ、俺たちはまだ王より望みがある。反現王軍は基本、投降した下っ端兵士は罰も拘束もなしだってさ。同国人は出来るだけ敵扱いしたくないってな、どうせ下っ端は付きたくて王に付いてる訳でもないだろーとさ」
「へぇ、そりゃ随分話が分かる」
「まぁどうせ、俺らにとっちゃ上が誰に変わろうが問題ないしな」
「なら、もし敵が攻めてきたら、出来るだけ速やかに降参すりゃいいんだな」
「だな、どうせ俺達には責任なんてないも同然だ」

 と、そこまで話してから、兵士の一人がもう一人の口を押えた。

「おっと、人がくる。こんな話してたのがバレたら殺されるぞ」

 歩いてきたのは彼らと同じ城内警備の兵士であったが、誰が王の機嫌取りにこっそり知らせてしまうか分からない。彼らは顔を見合わせるとその場で姿勢を正した。

――西区で暴動が起こったという話が王の元に届いたのは、この兵達の会話の直後であった。




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 ここから一気に王が追いつめられます。



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