勝利と歓喜の影




  【7】



 清々しい朝日がリパ大神殿の上に昇る。
 中央通りから大神殿へと抜ける参道を行けば、丁度朝日が大神殿から昇るように見えるのはわざとそう作られているからだ。三十月神教の神は自分の担当日の終わりに次の神に太陽を渡す事になっているから、神々の力の象徴である太陽と神殿が重なるようにしたのだろう。そうして三十月神教の主神であるリパの大神殿では、新しい神に太陽が渡った事を祝って朝の礼拝が行われるのだ。
 ……ウィアの場合、神官でありながらも正神官でない準神官であるから、強制されないのをいい事に朝の礼拝なんてまず大抵はサボっていたのだが。

「うへぇ……本当に兵士サン達がうろうろしてんだなぁ」

 前を行くファンレーンの影に隠れるように後ろを付いて歩きながらウィアが言った言葉に、貴族の女騎士は表情を少しも変える事なく答えてくれる。

「そう、全員親衛隊の恰好してるでしょ。じゃぁ騎士団の連中はどうしたかというとね、上は騎士団に閉じ込めておいて、下っ端だけは親衛隊の下に付かせるか警備隊と混ぜて然程重要じゃない場所で使ってるのよ。まぁこの間の戦闘に出したせいで、首都にいる騎士団の人間が少ないからでもあるんでしょうけど」
「へぇそっかぁ……あ、ってことはつまり、ここは重要な場所って事なんだ」
「そういう事ね。だってここで問題起こしたら国中の信徒が騒ぐじゃない?」

――そりゃ確かに、ちゃんと神様信じてる連中は騒ぐわな。

 神官のウィアが言うと何だが、自分の回りにいる○○神の信徒なんて大抵神殿魔法を使いたいだけで選んだ、という連中ばかりなのでなんだか実感が湧かない。いやでもまぁ、確かにシーグルとかは大神殿で王の兵士が無礼を働いたら怒るだろうな、と自分の周りで一番信心深そうな人物を思い出して納得する。
 ……だが、シーグルの事を思い出すと連鎖的にいろいろいろいろ思うところがあって、考えて、気分が沈んでしまうもの仕方ない。だからウィアはこっそり自分の頬をぺしぺし叩いて顔の筋肉を解した。

「ほら、あまり挙動不審な行動をしないこと。告白室にいくわよ」
「え? 申し込まなくていいのか?」
「昨日のうちにしてあるわよ。でないと大神官様を指名出来ないでしょ」

 あぁそういうシステムだったんだ、と今更にウィアは納得して、自分は本当に神殿の事を知らないんだと改めて思ったりする。というか、首都在住の神官のくせにここまで大神殿に来ないのは自分くらいだろうという自覚もある。なにせただ不真面目だから来ないだけでなく、兄が大神官であるからこそ近寄りたくない、と反発していた部分が確かにある事も分かっていたから。

 告白室前の廊下で名前を告げれば、すぐに迎えの神官がやってきてファンレーンを案内してくれた。本来なら侍女は部屋の外で待つところだから不審がられるかと思ったウィアだったが、その程度ファンレーンは想定済だったようで、部屋の前で足が止まったウィアをひっぱって『勿論貴方もくるのよ、一人じゃ心細いじゃない』なんて抱きつくという演技まで披露してくれた。……ウィアとしては思わぬ役得でちょっと顔がにやけたものの、いざ部屋に入って、中にいたテレイズと目が合ったところで笑みなんか吹っ飛ぶ。顔全体がひきつって、表情どころか体が固まった。

――うわあの顔すっげー怒ってるっっ。

 兄弟歴(?)の長いウィアには分かる。あれはとんでもなく怒っている。ぐっと睨み付けてくる兄の目は据わっていて、目があった途端ヘビに睨まれたカエル状態クモVS網にかかった蝶というか、とにかく瞬時に負けを認めて体が竦んでその場で動けなくなった。
 何を怒られるかはわからないけどとにかく謝る言葉を頭でぐるぐる考えていたウィアは、だが次の瞬間、走ってきた兄にぎゅっと抱き付かれてしまって、呆然と兄の肩越しに天井を見つめる事になった。

「ウィア、この馬鹿っ、どれだけ無茶をしてるんだお前はっ」

 声は震えていて、抱きしめてくる腕も震えていて、何度も何度も頭を撫でられて、ウィアはあっけにとられて一時止まっていた頭で考えだす。
 やたらとデキがよくてスカしてて嫌味の塊だったような兄だが、いつでもウィアの事を一番に心配してくれている事はウィアだって分っていた。分かっていたけど大嫌いで分かりたくなくて……そこまで考えていたのに、兄の震える吐息を聞いてしまったらなんだか自分も涙が出てきてしまった。

「うん……ごめん」

 だから言えた言葉はそれだけで、兄の嗚咽まで聞こえてしまえば涙がぼろぼろすごい勢いで落ちてくる。涙で天井も見えなくなって、ウィアもまたテレイズの肩に顔を埋めて、兄の体に抱きついて本格的に泣いてしまう。

「ごめん……兄貴、心配……掛けて」

 普段なら絶対言えないそんな言葉まで出てきてしまえば、兄がゆっくり顔を上げてこちらの顔を覗き込んでくる。

「ともかくお前が無事で良かった……」

 その頬に涙は見えなかったものの目は真っ赤で、それでも笑ってテレイズはウィアをもう一度抱きしめると、体を離してその場で姿勢を正した。

「ファンレーン嬢、ウィアをここまで連れてきてくださってありがとうございます」

 本当にあのプライドの高い兄が頭を下げたのを見て、ウィアは複雑な表情で目を逸らした。それをちらと見たファンレーンはクスリと笑って、テレイズに向けてお辞儀を返した。

「顔を上げてくださいませ、フィラメッツ大神官様。それにこの子を怒らないで上げてくださいね、たくさんの人がこの子のおかげで救われて、私もその一人だったんですもの。あとそもそも、彼をここまで連れてきたのは私の力ではありません」

 最後の言葉を受けて、テレイズの表情が硬くなる。

「反現王同盟、セイネリア・クロッセスか……」

 この兄なら、神殿に閉じ込められていたとしてもある程度の情報は仕入れている筈。兄の行動も性格も分かっているウィアは、誤魔化す事なく正直にここに来た目的を話す事にした。








 エフランの森の東、戦場となったここは今ではもう化け物達の姿は見えない。既に戦闘はほぼ終わっていたとはいえ、異形の化け物の所為で敵も味方もなく混乱した後はまともに戦いになどなる訳もなく、今はあちこちにある大穴から離れた場所で兵達は皆大人しく座り込んでいた。おもしろいことに、投降した敵方の兵達でこの混乱に生じて逃げようとした者は殆どおらず、大抵の者はこちらに付くと言っているという事だ。

「つまり、奴らは本気で魔法使いの為の足止め用の捨て駒だった訳だな」

 一時の足止めさえできれば後はどうなろうがいいという、本気でその為だけの部隊だったのだろう。彼らが寝返ってこちらにつくのも想定内で、とにかくシーグルを殺せばここから戦況をひっくり返す事も可能だと主張する魔法使いに王が乗った、というところだと思われた。

――確かに、シーグルが死んでいれば状況は変ったろうな。

 口元に自嘲を浮かべて、セイネリアは自分の天幕の入り口をくぐった。

「お帰りなさいませ」

 出迎えたカリンに手を上げ、セイネリアはすぐに布で仕切られた奥へと進む。
 現在、セイネリアの寝所として使っているそこには、今はシーグルが治療の為に寝ている筈だった。

「具合はどうだ?」

 彼の姿が見えてすぐに声を掛ければ、シーグルは急いで寝床から起き上がろうとする。大分良くなったのが分かるその顔色見て、自然とセイネリアの口元には笑みが浮かんだ。

「大人しく寝てろ、安静と言われてるだろ、お前は」

 言えばシーグルはしぶしぶといった顔で頭を枕に戻す。セイネリアは笑いながらマントを外し、椅子に掛けた。いつもならここで鎧を脱ぐところだが、鎧は地上に出た後に着替えをした時既に脱いでいたから、そのまま寝ているシーグルの傍に行って座る事にした。

「そもそもずっと寝ていなくてはならない程の重症ではないし、術のお蔭でもう殆ど治ってる」

 だがその言葉には、傍にいたロスクァールがセイネリアの代わりに答えた。

「元からかなりの大怪我ですよ。確かに大体は治しましたが、急激に治しすぎてますので暫く安静にしていてください」

 元リパの大神官である彼は、術での治癒役としてはこの傭兵団では一番の腕ではあるが人前に姿を出せない理由がある。その為団の外に出る事はまずなく、普段から裏の人間か幹部連中の重めの怪我の治癒だけを受け持っていて、シーグルでさえ外部の人間であった間は完全に気を失っている時しか彼に診させてはいなかった。
 ちなみに、団で医者と言えばサーフェスだが、流石に戦場では彼も忙しいだろう事は目に見えていたので、今回はロスクァールも連れてくる事になったのだが――。

『どーせあの坊やに何かあったらあんたは他放りだしてもあの坊やを全力で治せって騒ぐんでしょ。だったら最初からあの坊や専用のつもりで大神官様連れてってくれないかな。そーすればエルだって治癒役に回せるしね』

 というサーフェスの言葉で決定した事で、まさに今彼の言った通りの状況になっている事にセイネリアは苦笑を禁じ得ない。

「……だ、そうだぞ」

 ロスクァールに追従してセイネリアが言えば、シーグルは拗ねたように顔を顰めて天井を見た。その様子にセイネリアは自然と笑い声が出てしまう。

「大人しくロスクァールがいいというまでは寝てろ。ヘタに動いて術の掛け直しになったら元も子もない。俺としては一分一秒でも早く、お前に治ってもらいたいからな」

 言いながら寝ている彼の顔に手で触れれば、僅かに顔を赤くしたシーグルがやっとこちらに目を合わせてくる。

「というか、お前の治療はいいのか?」
「俺は治療するところなぞないが?」

 そこで何故か、彼は明らかに怒って怒鳴り出した。

「嘘だ、お前の鎧もマントも血で濡れてたろっ」

 寝ていた体を僅かに浮かせてまで真剣な顔で言う彼に、成程、と思いながらもセイネリアは笑って見せた。

「あぁ、あれはどうやら俺の下敷きになった動物がいたらしくてな、それの血だ。まぁその所為もあって俺も無事だったんだろうな」
「……どれだけの強運なんだお前は……」
「まぁ悪運はあるだろうな。もう少しで死んでいた、という状況なら昔はよくあった」

 それでシーグルは大きくため息をつくと呆れて目を閉じた。折角自分を見ていた彼の目が閉じられるのはセイネリアとしては少し残念ではあったが、彼が大人しく体から力を抜いて休む気になったらしいのは良い事ではある。だが、目を閉じた彼の前髪を払ってやれば、僅かに開いた瞼の隙間から、深い青の瞳が姿を現してセイネリアを映した。

「若い頃は、相当無茶してたらしいな、お前は」
「エルから聞いたのか?」
「……あぁ」

 唇に深い笑みを浮かべたまま、セイネリアはシーグルの前髪を指先で梳く。額を出すと普段より子供っぽく見える彼の顔を飽きる事なく眺めながら、指先に触れる彼の感触に意識を向ける。

「あいつと会った時は一番無茶な仕事をしてた頃だしな……なにせフリーになり立てで、とにかく評価を上げたかったし金も欲しかった。危険、と言われる仕事を選んで受けてたくらいだ」
「あぁ……そういえばエルが言ってた。危険だって注意指定のある仕事のメンツを見てみると大抵お前の名があったって」
「エルの奴は仕事で会うと毎回、『やっぱり今回もいやがった』と言って話しかけてきたぞ」
「お前がいるなら、危険でもどうにかなるって判断して仕事を受けてたそうだ。そのおかげで上級冒険者になれたと言ってた」
「あいつは本当に要領がいい」

 セイネリアが喉を震わせながら言えば、今度はそれにシーグルも笑った。

「……まぁだが、あいつがいると他の連中とのやりとりや、いろいろ煩わしい事を気にしなくて良かったからな。足手まといになる程弱くもないから邪魔にもならない。要領は良かったがずるがしこくはなく、義理堅いから恩を売っておいて損はない。信用と能力の面で『使えた』からな、あいつは」

 それでシーグルは、今度は声を上げて笑った。

「正しい分析だろうが酷く勝手な言い方だな、お前らしいが」

 セイネリアはそれで体を屈めるとシーグルの額にキスをして、それで笑い止んだ彼の唇に唇を合わせた。舌で触れればすぐにシーグルは唇を開いて、互いに舌を絡ませ、深い口づけになる。互いに相手の口腔内の感触を愉しんで、たまに唇を離せば、ほぅ、とため息のような吐息が彼の口から漏れる。それでまた唇を合わせ直して互いに求め合う……そんな事を何度も繰り返せば、外野から咳払いの声が聞こえてきた。

「その……始める前に、こちらに退席するように指示して頂きたいのですが」

 元リパ大神官の部下の言葉に顔を上げて、セイネリアは笑った。

「別に見ていてもいいが、好きな時に退席していいぞ」
「セイネリアっ」

 シーグルの抗議は笑い声で流す。
 ロスクァールはほっとした顔をして、それですぐにその場から去ったが、顔をシーグルに戻せば彼は上掛けを引っ張り上げて頭から被っていた。だからセイネリアがその上掛けを無理矢理剥がせば、赤い顔をして思い切り睨んできたシーグルと目が合う。

「なんだ? あいつはお前と俺の関係を知ってる。別に見られて困るものではないだろ」
「……お前の感覚はいろいろおかしいと思うぞ」

 それで顔を逸らしてしまった彼の顔をこちらに向けようとして、体勢的に面倒だと思ったセイネリアはそのまま彼の隣に寝転がる事にした。

「何してるんだ」
「あの体勢だと面倒だからな、俺も寝ることにした」
「……お前と寝ていると、怪我が治らない気がするんだが」
「そうか? 今日の俺はお前が大人しく寝ているようにここに押さえ込んでおく役だと思えばいい」

 言って抱き寄せれば、胸の中でシーグルは盛大なため息をついた。

「最高指揮官がここでサボっていていいのか」
「部隊は暫くここに留まる事にした。魔法使い共も後処理がいろいろあるようで暫くまだ動きたくないようだったからな」

 実はここに来る前にセイネリアは魔法使い連中の報告を聞いてきたのだが、ともかく一番捕まえたかった魔法使いは今回は無事捕獲出来たという事で、そちらに対する警戒はもうほぼしなくていいと言う事ではあった。ただ、この辺り一帯に掛けられた魔法陣を消さなくてはならないのと、あちこち大穴だらけになった地をどうにかしたいという事で、暫く留まりたいという魔法使い達を待つ事にして、部隊もここで一旦止める事にしたのだ。

「出来るだけ急ぐんじゃなかったのか」

 意外そうに聞いてきたシーグルに、セイネリアは笑みで返す。

「いや……ここまでくれば、後は待つだけでいい」

 もう王に残された手札は一つしかない。
 追い詰めれば手を出すだろうそれは、王の破滅を確実にはするが相当の被害が出る。だから後は更に追いつめるよりさっさと自滅して貰う方がいい。その為の仕掛けは既にしてある。へたに自分達が着くまで王が生きていてシーグルが情けを掛けて助けようと言い出さない為にも、今は待つべきだろうとセイネリアは思う。
 それに、術で無理矢理治したシーグルの怪我が完全に治るまでここにいるのも悪くない――抱き寄せた彼が身じろぎするのを笑って見つめて、セイネリアは腕の中にあるシーグルの顔に顔を近づけて、その目元やら頬に唇で触れた。

 全ては彼のため。
 彼という存在を、そのまま自分の傍に置いておくため。
 その為に彼を守り、彼の大切な者も守る。それ以外の状況はセイネリアにとって誤差でしかなかった。




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 次回はこのままエロです。



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