前を向く意志と決断の夜




  【5】



 港町アッシセグ、とっくに夏が過ぎたこの季節でもまだ動いていれば軽く汗ばむこの街の上には、今日は曇り空が広がっていた。

「今日の月は見えそうにありませんね」

 カリンが空を見て呟けば、手紙から目を離さずにセイネリアが言う。

「月が隠れていても、あいつが危険な事には変わりないからな。まだ祭が終わるまでは安心できないさ」
「そうなのですか?」
「あぁ、月が見えようが隠れようが関係ない。満月に魔力が強くなるとはそういう事だ」

 そもそも何故満月に魔力が強くなるのか分からないカリンとしては、彼女の主の言った言葉の意味はまったく分からない。それでもそれは聞き返してまで聞く話ではないだろうと、それ以上を聞く事はしなかった。

「それでも今回は、どうにか大きな事にはならなくて済みそうですね」

 言えば、報告書を読み終わったセイネリアが、それを机に投げて椅子に背を預けた。

「まぁな。あいつとしては悪い選択でもなかった……というところか」
「最善の手はやはり、王子を見捨てる事でしょうか」
「そうだな。あの王子はさっさと死んでくれた方があいつの為だ」
「けれどあの状況で死んだら、シーグル様はきっと悲しんで後悔すると思いますが」
「遅いか早いだけの話だ、最終的には始末される」

 セイネリアの声は幾分か不機嫌そうで、彼がこの結果をあまり喜んでいないのだとカリンは感じる。

「リパの修道院に入ったなら、安全なのでは?」
「今のところはな。だが、あの王が殺さずにいられる訳がない。あいつがやった事は少しの延命程度でしかない」

 カリンも首都からずっと離れている為、現王の事や宮廷内の状況はセイネリアがたまに漏らした言葉でしか把握できていない。ただ、ウォールト王子の人柄については聞いていたし、シーグルが助けた事を考えれば、出来れば王子という立場を捨てた今、ひっそりと生を送れれば良いのにとは思う。

「助かる方法はないのですか?」

 だからそう聞いてみれば、さらりとセイネリアは答える。

「そうだな、あるとすればその前に王が失脚するくらいだろうな」
「それは……そうそうある事ではないですね」

 現在着々と自分の権力地盤を固めているという現王を、そう簡単に失脚出来るような勢力はいないだろうとカリンは思う。
 けれども、カリンの言葉を聞いた直後、セイネリアが喉を軽く震わせて笑った。

「さぁそれも分からんぞ。例えば、あの王がこれで王子より先にシーグルを始末しようとしたなら……話は変るかもしれない。恐らくそれが、魔法使いどもの狙いだと思うが」

 琥珀の瞳は忌々しげに机上の書類を睨んでから窓の外に視線を移し、口元に皮肉めいた笑みを浮かべる。そんな主を見て、カリンは気付く。
 あぁそうか、この男ならそれが出来るのだ、と。
 カリンは改めて、この男の持つ力と、それを持つ事で彼がその身に抱えてしまった根深い絶望を思う。瞳に昏い光を宿し、曇り空を見つめる最強の男が何を見ているのかを考える。
 そうして理解するのだ、自分ではこの男を救えないのだと。彼の持つ闇に光を差せるのは、あの青年しかいないのだと。







 祭の最終日となれば、首都を後にする者達と、祭の最後を楽しもうとする者達で街にいる人々は二分される。とはいえ本式典の終わった後は大神殿へ行って祈る事がメインとなるため、祭といっても大騒ぎをするような類のものではなく、街は人が多いものの普段の日よりもひっそりとした印象になる。
 特に本式典後の二日間は、大通りを定期的に神官達の列が鈴を鳴らして歩いていく為、彼らが通っている間は皆その場で頭を下げて祈る事になっていた。だからリパの聖夜祭は、聖夜当日の前二日を動なる祭、後の二日を静なる祭と呼ぶ事もあった。
 一応最後のイベントとして最終日の今夜、真夜中に広場で大神官達による来年の豊穣の祈りが行われるのだが、ただ観光気分で街を訪れている者はそこまで残っていく者は少なく、そこに集まって共に祈るのは大抵は首都の住人か、付近の村やリシェの者達ばかりであった。
 ちなみに、砦を預かるチュリアン卿はのんびり祭見物など出来る訳もなく、本式典の終わった翌日の昨日には既に帰ってしまっていた。ただ今回は彼とはゆっくり話す機会があったので、シーグルにとっては予定外の収穫があったが。

「流石に最終日となると、人出もかなり落ち着いてきているな」

 それでも、大通りを馬で歩く、などという事は流石に賓客を連れている時くらいしかしないので、シーグル達一行は例によって一本裏に入った道を通ってはいた。

「まぁ派手な事はあらかた終わってますからね、俺はこの静なる祭の期間は結構好きですよ。セニエティの大通りが人が多い筈なのに妙に静かなとことか」
「不気味じゃないか」
「面白いだろ」

 相変わらずリーメリとウルダが言い合っているのを見てから、シーグルはふと視線をすぐ下のナレドに移した。そうすれば彼は下を向いていて、シーグルは疑問に思って彼の名を呼んでみた。

「ナレド? どうかしたのか?」
「あ、いえ、その……去年まで聖夜祭は一年で一番楽しみな日だったな、と」

 そういえば祭の間は、西の下区にも楽隊やリパの神官達の列が行って、そこで菓子やらパンやら食べ物を配って歩く事になっていたと思いだす。シーグルも冒険者時代にその護衛でついていった事があったので、その時の下区の住人達の嬉しそうに集まってくる姿は印象に残っていた。
 すると突然、ナレドが顔を上げてシーグルの顔を見上げてくる。

「アルスオード様、下区へやってきた神官様達はですね、最後に死者の碑に祈りを捧げていってくれるんです。その時の祈りの言葉があの時母さんに貴方が掛けてくださった祈りの言葉と同じで、俺はそれが聞きたくていつも最後まで神官様達の列を追いかけていたんです」

 無邪気に笑ってそんな事を言われてしまえば、シーグルは思わずちょっと恥ずかしくなる。貴族のパーティであちこちから賞賛の言葉を聞いても面倒だとしか思わないが、こうして何の打算もない賞賛と憧れの瞳は、どうにもむず痒いような気がしてしまって苦手だった。

「あの時の祈りの言葉は……俺も母のマネだからうろ覚えで、きちんと正しい祈りの言葉ではなかったと思う」
「いえ、だいたいは神官様のと同じだったですよ。それに言葉の正確さよりも貴方の気持ちが嬉しかったんです。俺、あの時からずっと貴方に感謝してます、今ここにこうしている事なんて夢のようで……俺、今すごい幸せです」

 それを涙まで流して言われてしまえば、益々シーグルは困る。言葉自体は嬉しいのだがどうにも困る。シーグルはこういう状況にどう返せばいいのか分からなかった。

「よっし、ナレド。その気持ちのままに鍛えろよ。いいか、祭が終わったら俺が一度思い切りしごいてやるからな」

 いつの間にか来たのか、ウルダとリーメリがナレドを両横から挟むように立っていて、二人してナレドの背中を叩いていた。

「はい、お願いしますっ」

 そうして笑いあっている彼らを、シーグルもまた笑って見ていた。
 そう、見ていた、見ていた……のだが、突然、笑っている彼らの声が急に遠くなって、代わりに妙な耳鳴りが聞こえてくる。

「なん……だ?」

 途端、今度は乗っていた馬が暴れ出して、シーグルは懸命にそれを抑えようと手綱を引く。けれども奇妙な事に、騒いでいる筈の馬の鳴き声も、蹄が石畳を叩く音も聞こえない。そして、下で同じく馬を宥めようとしているナレドやウルダ達も、口を開けて叫んでいる筈なのにその声がシーグルには聞こえなかった。
 どう考えても何かがおかしい。
 魔法使いの仕業かと辺りを見てみても、回りにいる人間達にそれらしい人物は見当たらず、皆驚いてこちらを見ている。そうしているうちに尚も耳鳴りは強くなって、馬も益々暴れ出す。とうとうナレドやウルダ達を振り切った馬はそのまま駆け出し、シーグルも振り落とされないようにするのが精いっぱいという状態になった。

 おそらく、馬が暴れている理由も、この耳鳴りのせいではないかとシーグルは考える。この音の所為で馬が暴れて走り出したなら、この音は地上よりも少し上、馬上にいるシーグルと馬にだけに聞こえていたのかもしれない。そうすれば、理由が分からないように驚いていたナレド達の表情も説明がつく。

 馬はシーグルの制御もきかずただ走る。だからシーグルはもう諦めて、馬を好きに走らせる事にしていた。どうせ、行く先は首謀者である魔法使いの元に違いないのだ、音に操られているのに無理をさせて馬を潰すのも出来ればしたくない。それに首都の中ならどうにか出来る手段もある、ならばまずは敵に会ってみないと何も解決しない――シーグルはそう考えた。
 そうして、魔法によって操られているのが分かるように、街の中のどこか、ある人気のない場所までくると馬は嘘のようにぴたりと足を止めた。大通りをどこも横切らなかった事を考えれば、おそらくは東の上区のどこかではあるのだろう。そして馬は、今度は逆にシーグルがどう動かそうとしても動かなくなった。
 耳鳴りはまだ続いている。ただし、先程よりも少し音が違う気もする。
 動かない馬の上にいる方がいざとなった時身動きがとれないかと思ったシーグルは、そこで馬を下りる事にした。ただ、下りても耳鳴りはしたままで、先ほどの予想は外れたのかとシーグルは思った、のだが。

――それにしても、どこまで来たんだ。

 確実なのは街の中だという事だが、辺りには建物はあっても人が住んでいる気配がない。西の下区ならこの手の人がいない場所はよくあるが、東の上区にはそういう場所はない筈だった。

――いや、そうとも言えないか。途中で飛ばされた可能性もある。

 どこかに魔法の罠的なものが仕掛けられていたなら、そこから別の場所まで転送された可能性はある。ただ、どちらにしてもその手の瞬間的な転送距離は街中がいいところな筈なので、ここがセニエティ内である事は確実だった。
 辺りには人影もなく、音も例の耳鳴り以外は聞こえない。ただ音に関しては、走り出す前から耳鳴り以外聞こえなくなっていたので、本当にここが音の聞こえないような場所なのかまでは分からなかった。
 それでも、ヘタに動かずにただ辺りに視線を巡らせていれば、やっとこちらに近づいてくる人影が見える。足音が何も聞こえてこないというのは気配を探るのもやり難くて、音が聞こえないというのは予想よりもやっかいだとシーグルは思う。
 けれどその人物がはっきり顔まで分かるところまで近づいて来た後、にたりと笑った魔法使いの男が口を開いた途端、シーグルの耳元に直接掛けられるようにその人物の声が聞こえてきた。

「私の招待に応じて頂いてありがとうございます、シルバスピナ卿」

 ねっとりとどこか狂気を帯びた嫌な声が耳のすぐ近くで聞こえてくるのは酷く不快だったが、それには我慢してシーグルは魔法使いを睨んだ。

「招待に応じた気はないが、用件があるなら聞こう」

 言いはしたが、その自分の声の聞こえ方がおかしい。聞こえないほどではないのだが、妙に遠く小さくて、向こうの声がやたらと近くに聞こえるのもあって、そのバランスの悪さが気持ち悪かった。

「用件、そんなもの決まっているじゃないですか。貴方のその溢れだす程の魔力を少々頂こう思いましてね」
「それに、俺が応じるとでも?」
「応じなくてはならなくなりますよ」

 それに重ねられる不愉快極まりない笑い声に、耐えられなくてシーグルは剣を抜いた。いや、抜こうとした。
 けれども、体を急に動かした途端、何故だかぐらりと視界が揺れる。
 目が回るというか、体が上手く動かせない。
 真っ直ぐ立ちたくても立っていられなくて、よろけて、足が崩れて、シーグルはその場に膝をついた。

「何が起こっているんだ?」

 シーグルには状況が分からなかった。ただ、耳鳴りは未だにしていて、それが前よりも酷くなってきている気がした。そうして今度は体だけでなく、なんだか気分も悪くなってくる。体にも力が入らない、当然立ち上がろうとしても立てない。シーグルはその場でとうとう両膝と片手をついてしまって、ぐらぐらと揺れる視界の中、魔法使いが近づいてくるその足を呆然と見ている事しか出来なかった。

「何が起こっているか、教えてさしあげましょうか?」

 本当に不快な笑い方をする魔法使いは、シーグルの目の前にまでやってくる。
 けれどもやはり体が重くて、腕を上げる事さえ億劫で、シーグルにはその魔法使いの顔を見上げるのがやっとだった。

「私の能力は空気の振動を操る事でしてね、人間の頭のこの辺りにある空気を揺らして差し上げるとですね、こうしてマトモに体を動かす事が出来なくなるんですよ」

 魔法使いの手がシーグルの顔を撫で、もう片方の手の指で耳の近くを軽く叩く。

「体中の機能を把握している筈のアッテラ神官でもそこまでは知りません。彼らの専門は所詮戦う事ですからね、そういう部分まで気にした事はないんですよ」

 言いながら男は、動けないシーグルの頬を手で擦ってからべったりと舌を出して舐めてくる。嫌な相手の息遣いの音が聞こえないのは幸いだったが、その感触は鳥肌が立つほどおぞましかった。

「成る程、たったこれだけでも舌に感じますよ、貴方から溢れる魔力を」

 音は聞こえなくても男の吐く息が肌に吹きかかり、シーグルは重い体で男から離れようと体を引いた。

「くそ……」

 呟いている間に、魔法使いの手がシーグルの鎧を外しにかかる。とはいってもまったく動けない訳でもないシーグルが腕を振り回して抵抗するので、それはなかなか上手くいかなかったが。
 だがそれも手間取って時間が掛かったというだけで、結局は抵抗も虚しく、シーグルはほぼ地面に倒れ込んだ状態で胴鎧まで外されてしまったのだった。




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はい、やっとこさ次エロです。



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