前を向く意志と決断の夜




  【4】



 フユの予想通り、下のシーグル達のところへいきなり飛ばされたチュリアン卿は、当然ながらそこで軽く騒ぎを起こしていた。

「チュリアン卿?!」

 シーグル以外の面々はそこで思い切り警戒をして戦闘態勢を取ったし、シーグルだって現れたその時は反射的に手が剣にいってしまった。

「あーそのっ、驚かせて申し訳ない、そちらに危害をくわえに来た訳じゃないんだ、本当にっ……その俺も突然転送された訳で……」
「ウルダ、リーメリ、ナレド、剣を下ろせ」

 シーグルは前に、キールから彼の師匠に当たる魔法使いがチュリアン卿の関係者だという事を聞いていた。周りに魔法使いがいるという事なら、チュリアン卿のこの状況もなんとなくだが分かる。ウルダやリーメリは、つい先ほどまでの仕事のこともあるから必要以上にピリピリしているようで、彼らを避けて前に出たシーグルに思い切り抗議の視線を向けてきた。

「チュリアン卿、今年も優勝おめでとうございます」
「あ、あぁ、ありがとうございます、シルバスピナ卿」
「今回は貴方の褒章の願いが無難なものだったので安心しました」
「いやっ、あの時は本当に申し訳ありませんでした、もうあのような事は致しません。次は最初から貴方にお願いにいきますので」

 シーグルにしては珍しく冗談めかした嫌味の言葉に、競技会では堂々としていたチュリアン卿の体が折り曲がる。
 競技会の優勝者は、報奨金のほかに、何か一つ望みを言っていいことになっていた。前の時チュリアン卿はその願いで、事前承諾もなく突然シーグルと試合をしたいと言ってくれて、その為かなり面倒事に面倒事が重なったような事態になったのだ。

「はい、私も約束は忘れていません。その時を楽しみにしています」

 手を出して握手を交わせば、やっと彼も安堵したらしくその表情も柔らかくなる。

「突然でした為、部下達の非礼をお許しください」
「いやっ、そこは本っ当に私の方が悪いので、こちらこそ申し訳ないっ」

 立派な体をまた申し訳なさそうに縮こませて、チュリアン卿は深く頭を下げる。この人物とは会う度に謝られていると思って、シーグルは苦笑するしかなかった。

「それで、こんな突然やってこられた用件はなんでしょうか?」

 言えば、チュリアン卿は顔を引き締めて、シーグルに真剣な目を向けてくる。

「実は、貴方に少々お話があるのです」
「込み入った話でしょうか?」
「そうですね、少なくとも大きな声では話せない内容です」

 そこでシーグルは少し考える。それから、少し困った様子のチュリアン卿の顔と、睨んでくる部下の顔を見てから軽く息を付く。

「チュリアン卿、失礼ですがこの後のご予定はどうなっていますでしょうか?」

 聞かれたチュリアン卿は、そこで驚いたように少し焦りながら答えた。

「あ、はい、暇です。いえ、あぁっとその、本式典までは時間があるので、少し街をぶらぶらしようかな〜と思っていたところです。水星宮のあの雰囲気は、私は苦手なもので……」

 ウルダやリーメリからは思い切り不審な目で見られていても、最後の言葉は気持ちがわかる為、シーグルも思わずクスリと息が漏れた。

「ではよろしければ、私はこれから首都の館に帰るところでしたので一緒にいらっしゃいませんか? 話はそちらで伺うという事でどうでしょう?」
「あ、はい、そうして頂けるならぜひっ、お供させて下さい」

 そんな彼らのやり取りの上で、上手く行きましたねぇ、と一部盛り上がっている人間がいたことなど、勿論シーグルは知る術などなかった。








「さぁって、暫くはレッサーが一緒でしょうから、私は少ぉし挨拶回りをしてきましょうかぁ」

 のんびりと立ち上がった魔法使いは、背伸びをしてから、杖で自分の肩をトントンと叩いた。

「本当に勝手な魔法使い殿っスね」

 フユが嫌味をこめてそう言うと、気にしていないのか笑顔の魔法使いはぶんぶんと杖を振ってくる。

「貴方にもいろいろお世話になりました。それではまた後で〜」

 それですぐに姿を消してしまうのだから、今度はフユも嫌味を言う暇もない。だから憮然と魔法使いがいた場所をフユが眺めていれば、それよりやけに文句のありそうな顔で、いつも割と穏やかな筈の団の医者が言った。

「全く、本当に噂通り気ままというか、モノ好きというか、ヘンな人だからなぁ」
「へぇ、そんな有名人なんっスか?」

 サーフェスは正式に魔法使いになって間もなく魔法ギルドから追放扱いとなっている為、その彼が知っているならかなり有名なのだろうとフユは思う。

「まぁね、少なくとも一般人の寿命以上は生きてる筈なのに、なんていうかいろいろ好奇心旺盛であちこちに顔出す変わり者って事では有名な人だよ。後はまぁ実際、魔法使いとしての能力の方でも有名な人だね。見た通りクーア神官くらいの転送術とか、自分の専門外でもかなりいろいろ使える人だからね、魔法使いとして対峙したら勝てないって皆分かってるから、彼の気配があっただけでそのヘンの魔法使いならまずあの坊やに手を出そうとしてこないのさ」
「へぇ〜」

 道理で今年は怪しい魔法使いが直接手を出してくる事はなかった訳だ、とフユは思うと同時に、あの御仁なら、自分のトコの魔法使い嫌いなあの主でもぎりぎり話が出来そうだとも思う。

「まぁ今年は、あの魔法使いさんには素直に感謝しときまスかね。いつまでのんきにそんな事言えるかはわからないっスけど」
「確かにね」

 けれどそう言ってから、フユが動き出したシーグル達を追って行こうとすれば、また機嫌悪そうに顔を顰めたサーフェスが怒鳴ってくる。

「ちょっと、行く前に僕がここから下りるの手伝ってもらいたいんだけどな。僕はギルドを追放されてるから、ポイント使って移動が出来ないんだ。騒ぎになってもいいなら自力でどうにかするけど、今は不味いだろ」

 あぁそうでしたね、と呟いてから、フユはこの医者の魔法使いが、本当は自分からあの魔法使いについていてくれたというよりも、自力でどこへもいけなかったのかという事に思い当たって思わず笑う。

「ドクターは今回、災難でしたっスね」
「全くだね」

 シーグルの行先は分かっているし、部下もチュリアン卿もいる今なら、彼を追うのが遅れる程度は構わないだろう。
 そしてフユが思った通り、そこからサーフェスをおろすのはそれなりに時間が掛かったのだった。







 本式典が終わると、祭りの賑わいはかなり落ち着く。
 招待客によっては帰る者もいるし、クリュースの貴族達も、遠い地方から出てきている者は大半が帰り出す。
 シーグルは例によって、海路で来た招待客を今度はリシェの港まで送る役目があるのだが、客の場合は遠くから来た者程祭が終わるまで滞在する事が多い為、祭4日目の今日帰る客は少なく、シーグルがわざわざ送らなくてはいけない客は一組しかなかった。
 だから、その客を送ってリシェに一度帰った後、シーグルはすぐに首都へ帰らずに、シルバスピナの本邸の方に一度帰る事にした。家の様子を見ておく事や、リシェの方の警備状況を確認する事は勿論だが、なによりもロージェンティに今回の件を出来るだけ早く伝えておきたかったというのがある。ウルダやリーメリに報告して貰う事も考えたが、内容の重要性を考えると、やはり自分で報告しなくてはと思ったのだ。

「貴方もご承知されている事とは思いますが、本来ならやはり、この件は断って王子を見捨てるべきだったと私は思います。この家の事を考えると、ウォールト王子を助ける事はこちらにとっては危険ばかり大きく、何の得も見返りもありません」

 彼女にそう言われる事は、シーグルにとって予想済みであった。
 だからといって彼女の事を冷たいとはシーグルは思わなかった。シーグルがどうにも情を切り捨てられないのを分かってくれているからこそ、彼女はわざとシーグルに情を排除した理論的に正しい意見を言ってくれる。それをシーグルはありがたいと思っていた。

「それでも、貴方の決断はまだ最悪ではありませんでした。流石に貴方が王子を連れて戻ってきたら私も怒っていましたけれど。
 今回の件は、貴方が一度も王子と直接会わなかったという部分も良かったと思います。いざとなったら、貴方の指示ではなかったと言う事も可能ですから」

 その提案はウルダによるものだった。シーグルが一度は自分が王子と会わねばならないかと言った時に、彼がそれはすべきではないと言ったのだ。もし何かあった場合、この件は部下が勝手やったと言える状況にしておくべきだと彼が言った事で、シーグルは全て彼とリーメリに任せる事にしたのだ。

「自分の判断ミスを部下に押し付けて、切り捨てるようなマネはしたくないんだが」

 だから本音をぽつりと言ってしまえば、ロージェンティは下を向くシーグルの手にそっと触れてくる。

「それでも、貴方の立場ならそうしなければならない時があります。その場合も、貴方は切り捨てた部下を嘆くより、その部下に報いるだけの存在であらねばならないと考えて前を向いて下さい。上に立つ者は、下の者を踏んで立つ分、彼らを守る義務があります。一人の部下を犠牲にしたなら、多くの民を導き、助ける事で貴方は報いなければなりません」

 彼女の言う事はシーグルも頭ではちゃんと理解している。そうであれと教育されている分、それが正しい姿であるとは分かっているのだ。
 それでも、シーグルの性格上、それをいざ実践する事を考えると心が重い。

「難しいな」

 言えばロージェンティは、握りしめたシーグルの手の上から軽く握ってくる。

「そうですね、貴方は優しいから……それは難しいと思います。けれど、貴方なら出来ると思うから、部下達はいつでも貴方の為に切り捨てられる事を覚悟してくれているのです。そんな貴方だから、貴方の下に付く者達は貴方の為になりたいと思うのです」

 シーグルには、自分が彼らの期待に見合うだけの人間であるという自信はない。それでも、こうして責任ある立場を手に入れる度に、部下達に対して思う事がある。

「俺は幸せ者だ、いい部下に恵まれている」

 ロージェンティは、今度はにっこりとシーグルに笑い掛けてくる。

「それは貴方がいい主だからですわ」
「自分がいい主である自信などないな」

 すかさすシーグルが返せば、彼女は顔に静かな笑みを纏ったまま、手を離して一歩後ろに引く。そうして、改めてシーグルの顔を見て彼女は言う。

「いい部下に恵まれているというのが、貴方がいい主であるという証拠です。私の父は……貴族としては優秀な人物でしたが、いい主ではありませんでした。だから、父にこびへつらっていた者達は、父が死んだ途端、掌を返して去っていきました」

 そうして彼女はその場でドレスの両端を摘まんで、深々とシーグルに向けて頭を下げた。

「ウォールト王子を助けて頂いてありがとうございます。彼は私の幼馴染でもあります。立場にあるだけの覚悟が足りないとはいえ、彼自身は善良な人物です。彼が助かった事は私も嬉しく思います」

 ウォールト王子は無事リパ大神殿に入る事が出来た。そして今朝、予定通りそちらではちょっとした騒ぎが起こって、王子が修道院に入るという話は既に午前中の内には首都にいる貴族達の間に広まっていた。その辺りはテレイズが上手くやってくれたらしい。
 考えれば、彼女がウォールト王子と面識があるのは当然の事で、だから彼女が本心では彼に助かって欲しいと思いつつも、自分に彼を見捨てるべきだと述べたのだというのが分かる。シーグルの甘さを分かっているからこそ、自分の意見は情を捨ててくれたのだという事が分かる。

「ロージェ、頭を上げてくれ。……俺こそありがとう、君はいつでも俺の性格を分かった上で正しい意見を言ってくれる」

 シーグルがそう言って微笑んだ事で、ロージェンティも顔を上げて笑った。

「シーグル様、貴方がそうして微笑んで下さるだけで、どれだけの方が幸せになるか、貴方はお分かりになっていますか?」

 その言葉の意味がよく分からなくてシーグルが目を丸くすれば、ロージェンティは本当に楽しそうに声を出して笑った。



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次回は、祭りの5日目のお話って事で、エロの直前まで。



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