前を向く意志と決断の夜




  【3】



 いかにもどこかの貴族の飼い犬と思われる、目立たない暗い色の体にぴったりとした服を着ている男。男は隙なく辺りを見渡し、建物の屋根を伝って、下の細い路地を走っている長い金髪の騎士を見ている。けれどもその男は唐突に悲鳴を上げると、屋根の下へと落ちていった。

「あぁもう、まったく本っ当〜に、主が主なら部下も手間が掛かる連中っスね」

 そうして落ちた男の代わりに現れた男は、黒い服に灰色の髪の青年――セイネリアの部下であるフユであった。

 シーグルが競技会へと出かけた時、彼の部下が一人、途中から別れて別行動をしたのを見て、フユはまた悩む事になった。このままただシーグルについているか、部下の方をつけるか。その時フユが前よりも悩んだのは、確実に出て行ったシーグルの部下を何者かがつけていこうとしているのに気付いたからで、さすがにそれを見過ごす訳にはいかないと考えたからだ。
 そこへ、ひょこりと、ヘンな魔法使いがフユの前に姿を現した。

「えとですね。シルバスピナ卿は私が見ていますので、貴方はあっちの方を追って頂けませんか? おそらくシルバスピナ卿を狙っている者に関しては私の方が専門ですし、向うの追っ手の方は貴方向きだと思うのですが」

 姿だけをみれば若いのに、空気がそうではないと告げている。背よりも長い杖は魔法使いの印で、しかも見た目通りの年齢ではなさそうとくれば、かなり力のある魔法使いだと思われた。

「それを簡単に信用して従ってたら、こういうお仕事はしてられないんスけど」

 けれどそこに、もう一人が現れるに至って流れは変わる。

「いいよ、その人は信用して」
「おやドクター、どうしたんスか?」
「その人に連れて来られたんだよっ。まったく、祭の間は僕もここにいるのは知ってるだろ。で、いきなりその人に捕まって強制で連れて来られたんだよっ」

 不機嫌そうに立っている人物に、フユはまず、それが本人かどうかを疑ってみたのだが、それはどうやら本人で確定らしい。祭りの間中、魔法使いは皆首都に集まる事になっているそうで、こちらへやってきた彼とは丁度一昨日に会っていた。その時からの様子と比べて違和感はない、と判断したからだ。

「えぇそりゃぁ、私がただ言っても信用して貰えないと思いましたから」

 知らない魔法使いの方は、サーフェスとは対照的なまでににこやかに笑っていた。
 のんびりとした口調はどこか必要以上にゆっくりしていて、その辺りは長く生きたもの特有の匂いがする。

「そりゃそうだけど、もう少しやりようがあったんじゃないかな」

 サーフェスの態度やら、向こうの雰囲気である程度は予想出来るし、どうせ詳しくは言ってくれないだろうと思いながらも、一応フユは聞いてみる事にした。

「で、ドクター、この人は何者なんスか?」

 サーフェスはやはり不機嫌そうな顔のまま、不機嫌そうに言ってくる。

「魔法ギルドの偉い人の一人、ってとこかな。だから何があってもあの坊やに危害は与えない。この人の地位で追われる立場にはなりたくないだろうし、そこは信用していいと思うよ」

 傭兵団において、自分より長くいる医者の青年の言葉となれば、フユとしては十分信用していいとは思える。それでもまだ、フユとしてはその魔法使い本人にも確認しておきたい事があった。

「ではその魔法使いさんは、どうしてシーグル様を見ててくださるなんて言うんスかね?」

 笑みを崩さない魔法使いは、それにはごく自然に答えた。

「あぁ、前にウチのレッサーがですね、シルバスピナ卿に大変な失礼をしてしまいましたので、祭の間中くらいはお詫びがてら虫払いくらいはして差し上げようかと。それに私も彼にはなかなか興味がありますので、単なる個人的楽しみというか趣味も兼ねてですね」

 その正直すぎる答えには信用出来る気がしてしまったフユだったが、それでもまだ悩む部分は残っていた。だから彼にしては珍しく、明らかに渋い顔をして考え込んでいたのだが、それを見かねた同じエンブレムを付ける魔法使いが彼の前に出て言った。

「それじゃ、僕もこの人と一緒にあの坊やを見てるよ、それでいいだろ」

 そのサーフェスの言葉で、結局フユは決断する事にした。そうして彼はシーグルの部下を追う事にしたという訳だが……いざついて行ってみれば、どうやらどうしてもあとを追わなければいけない事情が敵方にはあるらしく、追跡者は一人ではなく全部で三人もいるというなんとも面倒な事態になっていた。

「これで二人、後一人ですかね」

 一人目は一旦捕まえて尋問しようとしたのだが、捕まえた段階で自害された為、もう無駄な手間は掛けずに全て殺す事にしていた。ともかく、あのシーグルの部下が目的地に着く前に掃除は済ませておかなくてはならない。フユとしては最低限、シーグルに助けを求めている何者かを敵に知られる訳にはいかなかった。







 競技会の決勝が終了すると、貴族やら招待客達は次の催し物であり、祭の一番重要なイベントである深夜の本礼祭に向けての準備と休憩を兼ねて、城内にある水星宮に集まることになっていた。女性陣はここで各自、本礼祭に向けたお色直しの時間となる訳だが、男性陣は主に大広間にて雑談に興じるという社交上のやりとりの場となっていた。前夜の晩餐会にくらべて儀式的なものがないため割合自由にやりとりができる上、晩餐会後にあった夜会と違って招待客や貴族の当主ばかりが参加しているとあって、他国代表達や、名のある貴族とパイプをつくりたい連中にとっては、ある意味もっとも重要なイベントであるとも言われていた。
 ただしこれはあくまで休憩と準備が目的であるから、用事があるものはいかなくても構わない事にはなっていた。実際、シーグルは一度もいったことがないので、そこでそんな事が行われているというのはロージェンティから聞いて今回初めて知った事であった。

『ですから、出来るだけは行くようにして下さい。他の貴族達が現在どう繋がっているのか見ることが出来ますし、貴方が貴族内で友好関係を広げるいい機会でもありますから』

 彼女に言われていた事を思い出せば、シーグルは重いため息をつくしかない。いや、そちらに出席しなかった事はまだいい。問題は、今回のウォールト王子の件の方だった。
 ロージェンティはシルバスピナ夫人として、貴族間の繋がりや政治上の事について、現状シーグルの一番重要な相談役でもある。その手の事においての知識はシーグルよりもずっと上で、重要な決定事項は必ず彼女に相談すると約束していた。
 だから、今回の件をシーグルだけで決断してしまった事は、彼女との約束を破った事にもなる。この件が、シルバスピナ家の存続に関わる程の影響を起こしえる事態であるという自覚がある分、それはなおさらだった。
 ただシーグルの言い分として、彼女に相談してあれこれしている時間がなかったというのがある。事後承諾というカタチで話をどうにか収める為には、何があっても計画通りに事が運ばなくてはならなかった。

 来る時のような派出なパレードまではなくても、競技会が終れば貴族やら招待客達が城へと行く列に見物の人々が群がる。シーグルがその列に入らず抜けていくのはいつも通りではある為、それ自体は誰もあれこれと言ってくる事はなかったし、不審に思われる事もなかった筈だった。
 無事に事が進んだのなら、予定ではウルダとリーメリがシーグルの護衛として迎えに来る事になっていた。報告は館へ帰ってからという事で、話を聞いた後、何事もなければ彼ら二人はリシェに帰してロージェンティに報告を頼もうと思っていた。

「アルスオード様、お迎えに上がりました」

 そうして現れた二人の部下の、特に怪我をしている様子もないその姿に、シーグルは安堵の笑みを漏らした。








 さて、そうしてシーグルが部下との再会を喜びつつ合流を果たしたその頭上、傍の屋敷の屋根の上では、奇妙なメンツが顔を並べてそれを見ていた。

「まぁ、これで恐らく一段落って事でしょうスけど……えーとドクター、その増えた人の説明とかしてもらっていいッスかね」

 フユが言えば、ドクター、つまりサーフェスがかったるそうに口を開ける……よりも早く、その増えた本人が一歩前に出て、礼儀正しくフユに礼をした。

「自己紹介が遅れて申し訳ない。俺は――」
「いや、アンタの名前は分かってるンでいいっスけどね、何でアンタがここにいるかを教えてもらえまスかね?」

 そう、その人物が誰かというのは聞く必要がなかった。なにせ彼はそれだけの有名人である。つい先ほどまでそこの会場で、皆の拍手と喝采を独占していた主役本人――チュリアン卿が、何故今ここで魔法使い連中と一緒にシーグルを見ているのかがフユは知りたいのだ。

「それは簡単に言うと、彼は私の子分というか人生の弟子というか――まぁちょっとした付き合いで、今は私が彼の文官をしていたりするからです」

 謎の魔法使いがそう言うと、いかにも騎士団の勇者と言った風貌のチュリアン卿が、その堂々とした体躯を少し曲げて苦笑する。

「フィダンド様、彼は俺がここにいる理由を聞いてるんですよ。もう少し事情も話した方が……」
「態々私にそんな事言ってくるなら、自分で言えばいいじゃないですか」
「いえその、知り合いであるフィダンド様から言ってもらった方がいいかと……」
「何言ってるんですか、彼とは知り合いも何も私もついさっき会ったばかりです」
「え? そうだったんですか! だってさっきあんなに仲良さそうに声を掛けてたじゃないですか」

 えぇ確かに、随分と馴れ馴れしいお出迎えでしたね、とはフユも思う。なにせ、シーグルの部下達の方の監視というかフォローに行っていたフユが、彼らがシーグルと合流すると同時にこの屋根の近くまでやってくると、それに向かって楽しそうにぶんぶんと杖を振って「ご苦労様でしたー」なんて言って手招きしたのがあの魔法使いだったのだから。

「えぇと、説明してくれるならどちらでもいいンで、早くしてくれないっスかね。あんまりのんびりしてると、向こうもそろそろ移動始めると思うんスけど」

 とりあえず、この師弟(?)漫才をさっさと終らして欲しくてフユが言えば、チュリアン卿の方が背筋を伸ばしてフユに向き直った。

「失礼した、ここの魔法使いと俺の関係は先ほどの紹介の通りだ。で、俺は競技会後、シルバスピナ卿に話があって彼を探していたのだが、そこで突然魔法でひっぱりあげられてここに連れてこられて、どうせだから俺もシルバスピナ卿をこっそり護衛する仲間になれ、と言われた訳で……」

 会って間もないものの、この魔法使いならその場面は容易に想像が出来るとフユは思った。

「はぁ……まぁ、つまり貴方は、弟子だか子分だかの立場として、そこのフィダンドという魔法使い殿に強制的に協力しろとここに連れてこられた訳だと」

 とりあえず元凶はそこの魔法使いであるという話なら、その話はもういいかとフユは思いつつ、この面倒くさい状況を責めるように、ちらと団内では医者の魔法使いの顔を見る。見られたサーフェスの方もやはり不機嫌そうな顔で溜め息をついて、肩を竦めてみせた。

「あ、いや、連れてこられた経緯はそうなのだが、そもそも以前俺はシルバスピナ卿にとんでもない失礼を働いてしまった手前、それならその詫びも兼ねて彼を守ろうと思った次第で……」
「あぁつまり、貴方がレッサーという訳ですか」
「その……フィダンド様は俺のことを昔のあだ名でそう呼ぶんだ」

 そこの魔法使いが会った最初に言っていた名前を思い出して、フユはまぁなんとなくいろいろ理解した。そもそも、この魔法使いがこんな事をしている原因が彼な訳なら、そら手が空いたら手伝えと強制召還したのも分かる。

「ま、こっちは魔法使いだけだったからね、彼が来てくれて楽だったよ。魔法使いじゃない怪しいのは、彼がさくっと暫く動けなくしてくれたから。彼が信用出来る人物って事はそこのフィダンド様が保証するそうだしね」

 蚊帳の外を決め込もうとしていたサーフェスも、フユに恨みがましい目で見られた事で一応状況のフォローをする事にはしたらしい。
 まぁ確かに、チュリアン卿が『使える』レベルの腕であるという事は確実であろうし、彼がシーグルの護衛をしていたというなら戦力的には心強いというのは確かだろう。だがそこまで考えて、フユはふと思う。

「そういやチュリアン卿、アンタはあの坊やに話があるんでしたっけ……でしたら俺は思うんスけど、アンタはこれからあの坊やのトコいって、護衛も兼ねて本式典まで堂々と一緒させて貰えばいんじゃないですかね?」

 つまるところ、どうせなら、こういう男は影でこっそりなんてのではなく、傍で堂々と護衛をすればいいのだ、というのがフユの思ったところだった。フユとしても、前の競技会でチュリアン卿がシーグルにどんな失礼とやらを働いたかは一応知っているし、シーグルとも十分面識がある事を考えれば、あの真面目な銀髪の青年なら彼をどうするかも想像出来る。

「いや、それは失礼じゃないだろうか」
「いいえぇ、あの坊やはこれから自分の館に帰るとこっスからね、多分顔を出して話があるんだっていって、本式典までは暇だといっとけば向こうから誘ってくれると思うんスけどね」
「レッサー、確かにその方がいいかもです、そうしちゃいなさい」

 魔法使いフィダンドが言うと、彼らの目の前からチュリアン卿の姿は消える。恐らく、ここへ連れてこられたのと同じに、今度は強制で向こうに飛ばされたのだろうとフユは思って、そこで少し彼に同情した。



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チュリアン卿と師匠もいいコンビです。王子の件は次回で終わります。



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