前を向く意志と決断の夜




  【2】



「まったく、ホントにあの坊やには困ったモンですねぇ」

 また余計な面倒事に巻き込まれてくれるのかと思えば、フユでさえもため息をつきたくなる。祭の間は基本、シーグルをずっと見ている彼としては、さてここはどうすべきかと悩むところでもあった。
 このままシーグルについていくか、それとも彼に会いたいという人物の方を見にいって、場合によっては関わる前に始末するか。――まぁ、始末とまではいかなくても、接触出来ない状況にするだけでもいい。やっかい事にシーグルが巻き込まれる前に、やっかい事をそもそも無くすという、一番効率のいいやり方である。

「とはいえ……やっぱその間にあの坊やに何かあった場合の方がマズイっスかね」

 なにせ祭の間、シーグルは野良魔法使い連中に狙われるから絶対に離れないほうがいい、というのは身内の魔法使いであるサーフェスからの忠告である。実際に祭でシーグルが派手に襲われた事があるのを考えれば、流石に目を離す訳にはいかなかった。
 フユの気分的には、根本からの問題解決としてあの冒険者の依頼主の方を見てきたいとは思うものの、その間にシーグルから目を離して取り返しのつかない事になる訳にはいかなかった。そう……一度やったミスをまたする気はない。だからこそフユは今ここにいるのだから。

 それでも、この状況で彼にあんな方法で接触する人間といえば……浮かぶ者の名に顔を顰めて、フユは冒険者とシーグルの部下が離れていくのを忌々し気に見つめた。最悪の事態だけは避けて欲しいものだと思いながらも、その最悪の事態が来る予感しかしなかった。







 首都の館へ帰ってきたシーグルは、予想通り、まず心配したフェゼントに駆け寄られて何故遅れたのかを聞かれる事になった。それでも今回程度の遅れなら、道が混んでいて回り道をしてきたといえばそれで済んだ。実際、アルスとの会話はそこまで長いものではなかったし、遅れの殆どは回り道を何度もしたせいであるから、フェゼントをそれで納得させるのは難しい事ではなかった。表情が固い事は指摘されても、遅れたせいで急いでいるのだといえば、とりあえず兄の追及は躱す事が出来た。

 とはいえ、問題はここからだった。

 部屋に帰り、出来るだけ急いで着替えを済ませたシーグルは、自分の冒険者支援石が光り出したのを見てすぐさま専用のボウルの前に急いだ。水面に波紋が広がり、それが収まるとほぼ同時に浮かび上がってくる映像に、ごくりと喉を鳴らす。

「アルスオード様、ウルダーツです」

 最初に浮かび上がったのはウルダの顔で、彼の表情が別れた時以上に固い事に気付けば、自分の最悪の予想は当たってしまったかとシーグルは思う――そして。

「貴方に助けを求めている方は……ウォールト王子です。本物です、継承者候補の指輪をお持ちになられています」

 確定された予想通りの名に、シーグルは大きく息を付いた。
 覚悟はしていた為驚きはないが、腹の中にずんと響く事態の重みに、嫌な汗が落ちてくるのは仕方なかった。

「王子の頼みというのは、御身を保護してほしいという事だろうか」
「そうです」

 ウルダの声は表情以上に固い。そして彼がシーグルに向ける瞳は言っている、断るべきだと。
 自分の立場、シルバスピナ家の事を考えるなら、そうするのが最善だという事はシーグルにも分かっていた。それでも、シーグルは大きく息を吐き出すとウルダに答えた。

「ウォールト王子ご本人と話が出来るだろうか」
「……はい」

 一瞬、厳しい目でシーグルを見たウルダは、それでもそこで礼を返すと画面外へと消えた。そしてすぐに水面には別の青年の姿が映る。おそらく、王子本人もウルダのすぐ横にいたのだろう。
 その顔を見ただけで、シーグルの顔は僅かに顰められた。

「シルバスピナ卿っ、もう、私には貴方しかいないのです。お願いですっ、私を助けて下さいっ」

 やせ細り頬のこけた顔、縋るように見つめてくる瞳。『王子』という肩書がおおよそ似つかわしくないその様子を見れば、ヴィド卿の死後、彼がどれだけ過酷な状況にいたというのかがすぐに分かる。

「館の使用人も、長くついていた護衛の者さえ、今はもう誰も信じられないのです。毒味役は既に4人死んでいます。このままでは私は確実に殺されます。前に貴方に守って貰って旅をした時、貴方なら信用出来ると思いました。王位などいらない、継承権など放棄していい、私はただ平穏に暮らしたいだけです。どうかシルバスピナ卿、私を助けて下さい」

 ウォールト王子について噂で聞いた限りでは、争い事が嫌いで、本を読む事が好きな物静かな青年だという事だった。今、その姿を見ればすぐ、実際そうなのだろうという事は確信できてしまう。そしてまた、元々はそこまで後ろ盾が強くなく王になるとは思われていなかった彼が、ヴィド卿がついた事で一気に継承者筆頭に名があがるようになったという経緯からして、彼は王子らしく我がまま一杯に育ったというのではなく、ヴィド卿の顔色を伺いながら弱い立場で生きてきたのだろうという事までも想像出来てしまった。でなければこの切羽詰まった状況下で、下の身分の者にこんな丁寧な言葉遣いで頼んでくる訳がない。
 いっそ、傲慢に助けろと命令のように言われたなら、彼を切り捨てる事を決断出来たかもしれないのに、とシーグルは自嘲ぎみに思う。

「申し訳ありませんが、貴方の後ろ盾になって私が直接貴方を保護する、という事は私には出来ません」

 青年の、痩せて目だけが大きく見えるその瞳が絶望を映す。シーグルは一度歯を噛みしめてから、唇を震わせてまた静かに言葉をつづける。

「……ですが、王位継承権を放棄する、というそのお言葉が本当なのでしたら、リパの修道院に入る事をお勧めいたします。少なくとも、修道院の中までは殿下を狙う者の手も届かないでしょう。もし、殿下がそうご決断されるというのでしたら、その為の準備と、大神殿まで殿下をお送りする役目は引き受けましょう」

 絶望に彩られていた青年の瞳が大きく見開かれて涙を落とす。ぼろぼろと大粒の涙を流し、安堵の笑みを顔に浮かべる青年は、シーグルに向けて頭を下げた。

「あぁ、放棄する、王位などいらない。私は最初からそんなものいらなかったんだ。ありがとう、シルバスピナ卿、本当にありがとう……私は修道院に入る、だからお願いする、シルバスピナ卿……」

 何度も何度も、涙を流して感謝の言葉をいい続ける青年を見て、シーグルは一度目を閉じて息を吐く。これで良かったのだろうかという思いが頭をよぎっても、あの青年をただ切り捨てる事はシーグルにはやはり出来なかった。

 ふと、頭をよぎるのは黒い騎士の姿。
 彼に別れを告げてから、まだたった3月程しか経っていない。それですぐに彼に会う事態にだけはする訳にいかないと、シーグルは自分に言い聞かせる。
 大丈夫、無事王子をリパ神殿に送り届けられればこの件はそこで終わる。だから絶対に失敗する訳にはいかなかった。






 そこからのシーグルの行動は、まさに時間との戦いだった。
 まず、シーグルがすべき事はウィアに頼んで兄の大神官(テレイズ)に連絡を付けて貰う事だった。現在彼が忙しい事は承知しているが、ウィアなら連絡を付けられる。今回の件に関しては、可能な限り迅速に、出来れば祭りが終わる前に王子が大神殿へ入るところまで持っていきたかった。その為にはどうしても神殿側である程度無理を通してくれるような協力者が必要で、シーグルにはテレイズくらいしかアテがない。
 ウルダには次の連絡時間を指定し、決まっている分の指示を出しておいた。彼は見てすぐに分かるくらいシーグルの決断に苦い顔をしていたものの、一言もなく指示に対して了承の返事のみを返してくれた。例え内心はどれだけ不満だったとしても、了解してくれたなら彼は従う。彼なら必ず神殿へ渡すまで王子を守っていてくれる。

「ウィア、すまないが急な用事があるんだがいいだろうか」

 丁度よく、厨房にいるフェゼントとは別れて一人で歩いていたウィアを見つけて、シーグルは声を掛けた。

「なんだシーグル、面倒な話か?」

 お気楽思考に見えるウィアだが、人の感情、というよりその人物の持つ空気を咄嗟によめる彼は、シーグルの顔を見ただけでいろいろと察したらしい。

「あぁ、とても面倒な話だ」
「にーちゃんには内緒にして欲しいって話かな」
「あぁ、そうだ」

 するとウィアはにんまりと笑って、思い切り胸を張る。

「いーよ、言ってみな。いっつも誰にも言わないで勝手に一人でなんかやろーとするお前がさ、俺に相談してきたってンなら聞いてやらなきゃなんねーだろ」
「あぁ、ありがとう、ウィア」
「いーって事よ、俺はお前の義兄(にーちゃん)だからなっ」

 けれど、次に言ったシーグルのセリフの後、満面の笑みを浮かべていたウィアの顔は引き攣る事になった。

「出来るだけ急ぎで、テレイズ殿と連絡を取って貰えないだろうか」





 次の日、聖夜祭当日であるその日も天気はよく、秋晴れの青空はすがすがしい風に吹かれて澄み渡っていて、今夜のリパの月はさぞ美しいだろうと人々に期待をさせた。
 この日の最初の大きな催し物は、祭のメインの一つでもある競技会の決勝戦であった。前日までの予選に残った騎士達が、中央広場に作られた特設会場でその技を競うのだ。
 予選はただの泥くさい騎士達の戦いを観戦するというだけの競技会も、決勝だけは別で、仰々しい参加者紹介や、飾り立てられた馬や鎧、楽隊による派手な演出と、式典の一つとして華々しく催される。しかも選手だけではなく、貴族や王族、招待客達は、城から競技会場までパレードをして会場に入る事になっていて、それもまた祭見物に来た人々の楽しみの一つとなっていた。

 そして、この競技会で優勝したものがその年の月の勇者と呼ばれ、深夜にある本式典で聖火を灯す役が与えられるのだ。

「しかし、つくづく残念ですなぁ。シルバスピナ卿が出場されないのは」

 今日だけで何度言われたか分からない、更に言うとこの人物だけで何度聞いたか分からない言葉に、シーグルは兜の下で苦笑した。

「今年は……どうなのです? この間のようなサプライズというか、特別試合はないのですかな?」
「はい、ウーネッグ卿。期待に添えず申し訳ありませんが、今年はどなたからもそういう話は来てはいません」
「そうですか……」

 それでもまだ諦めきれないようで、シーグルと同じ旧貴族の鎧を着た老騎士は、何度も残念だと呟いていた。この手の式典に参加する時、旧貴族の並ぶ順序というのは決まっていて、シーグルはいつもこのウーネッグ卿の隣である。彼は祖父とも交友のある昔ながらの騎士で、いわゆる最近の軟弱な貴族を嘆いている一人であるから、会うたびにシーグルの事を孫のように可愛がってくれた人物だった。

 音楽が鳴り響き、競技会の始まりを会場内に知らせる。
 歓声の中、馬に乗って入場してきた選手達に、大勢の人の歓声と拍手が鳴り響く。
 観客からも分かりやすいように、騎士達の馬は自分の家の紋章を描いた布で覆われていて、それに乗る騎士達もまた、自分の家の紋章を大きく描いたマントを纏っていた。次々と選手が入場してくる中、一際大きな歓声が響いたと思えば5年連続優勝者のチュリアン卿が入ってきたところで、気さくな彼は観客席に手を振りながら会場内を回るように馬を歩かせていた。だが、丁度シーグルの座っている席の下までくると、はっきりとこちらに視線を向けて明らかに大きく笑顔で手を振ってきた。それにシーグルは軽く礼を返した。

「そういえば、彼との約束も果たせそうにないか……」

 呟いて、大きくため息を付く。
 チュリアン卿は戦場での功績を称えられて貴族の位を貰った、真に実力の伴った立派な騎士である。そしてこの競技会は正式なものであるが故に貴族騎士しか出場できない為、実を言えば実力面ではお粗末としかいえない選手ばかりが出場していた。だからこそ、チュリアン卿が毎回優勝というのは当然過ぎる結果なのだが、彼も内心それがバカバカしくなっているらしく、マトモな試合をしたいという思いのあまり、以前、シーグルを強引な手段で試合の場に引きずり出してくれた事があった。
 だが、そんな事があったものの彼自身は気のいい人物で、その時の試合とは別に、いつかシーグルと本気の試合をしようというのは前々からの約束となっていた。

 選手全員が会場に入ると、今度は改めて彼らの紹介と挨拶が行われる。
 ウーネッグ卿も回りの他の貴族達も、下の競技場の方に夢中になっているのを確認して、シーグルは一人目を閉じた。

 昨日、ウィアは文句を言いながらもすぐにテレイズに連絡を取ってくれて、シーグルは彼に事の次第を相談した。大神官という手前、政治に関しては中立でなければならない彼だが、シーグルの事情も察してくれて、どうにか手順を考えて出来るだけの協力はしてくれる事を約束してくれた。
 とはいえ彼も彼の立場があるから、王子を迎え入れてすぐに修道院に入れるようにすべてのお膳立てを整える、という事までは出来ない。だから彼の提案は、まず王子にリパ大神殿に逃げ込んで貰って、それを一般神官がたまたま見つけて事情を聞き、王子が来たとわざと騒ぎにするという方法だった。

『ウォールト王子はリパ信徒だ、助けを求められたなら救わない訳にはいかないし、修道院にはいるというなら断る事は出来ない。こういうのはこっそりやると却って向うの思う壺なんだ、中立といっても神殿の上にいる連中には裏でヘンなのと繋がってる者も多いからね、闇に葬られる前に公にしてしまえばそういう連中もヘタに動けなくなる』

 今は祭り期間であるから、人ゴミにもまぎれやすいし、王子が逃げ込んでそれを一般神官が見つけるというのは不自然な話ではない。とはいえ当然、本当に人ゴミに紛れて入るのは危険すぎるから、安全に中へ入る為の手順はテレイズの方で整えてくれる、とその為の時間と場所を聞いて、シーグルはリーメリをウルダの元へいかせた。
 予定では、あともう少しでテレイズが指定した時間になる。
 順調に事が運べば、競技会が終わってから、ウルダとリーメリが帰って報告してくれる筈だった。

――何事もなく、無事に済んでくれるといいが。

 競技会の熱気も歓声も遠くに感じながら、シーグルは王子と部下の無事をリパに祈った。





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クリュースでは基本的に、王位継承権がある王以外の王族男子は『王子』呼びです。



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