旅の事情
最終話とエピローグの間の話。アウグで旅している最中あたりの二人。



  【2】



 シーグルを抱きしめて眠りにつくのは、セイネリアにとってなりより幸せを実感できる事の一つである。
 新月であるアルワナの夜は彼の顔が見えにくくて少々つまらないが、月のある晩だとその光を受けてキラキラと光る銀髪に縁どられた彼の顔を見ているだけでも一晩過ごせるくらいだ。盗賊やらが多いようなヤバめの場所ではセイネリアは寝ないで本気で一晩シーグルを見ていたりもするが、どうせ一睡もしなかったとして体に影響は出ないのだからこの時ばかりはこの体の便利さを嬉しく思う。一応睡眠をとらないでいると体は良くても精神的な部分で疲労を感じてくるのだが、シーグルを見ていればその心配もない。しかも彼を抱きしめてその体温や寝息を感じていられるのだから、それ自体が精神安定にはなによりも効果がある。

 青白い光を受けて益々映える彼の白い容貌をセイネリアは眺める。気の強そうな深い青の目が閉じていると、彼の顔が起きている時の数割増しでやわらかい印象になる。長い間貴族様の広いベッドで寝ていた癖に、小さく縮こまって寝てしまうその様は更に彼を幼く見せる。
 見ているだけで我知らず唇が緩いカーブを作ってしまうのはいつもの事で、そうして見ているだけで耐えられなくなって額や目元にキスしたり、鼻をこすりつけてしまうのもいつもの事だった。場所によっては更に悪戯心が出てしまって、首元や喉元を軽く唇で吸ってアトを残したりしてしまったりもするが、野宿が続いていればシーグルも気づかないで終わる事も多い。もし気づいたとしても、人前で見えるような場所でなければ文句だけで済む。そのあたりの加減はセイネリアも慣れたものだった。

 シーグルは幼いころから騎士として育てられただけあって、基本的に気配には敏感だし、寝ていても何かあればすぐに起きて寝ぼける事もない。ただ今の彼はすっかりセイネリアの気配に慣れてしまったから、セイネリアが多少寝ている彼に何かをしてもそうそうには起きない。それが彼の心からの信頼である事を知っているから――こうして、後でバレても許してもらえる程度のいたずらをするのも、寝ている彼を抱いている時の楽しみである。

 暫く彼の顔を眺めて、それからまたぴったりと体がくっつくくらいに彼を抱き込んで彼の頭に鼻を埋めて目を閉じる。そうして彼の体温と匂いと気配と感触を堪能して、また彼の顔を見たくなったら目を開ける――そんな繰り返しだけで幸福感につつまれる夜も、彼と過ごすようになって何度もあるのに未だに自分は飽きないのだから呆れてしまう程だった。

 ……と、そんな感じでほとんど寝ないで夜を過ごしていても、セイネリアだってうとうと程度はする。そして大抵、そのうとうとから呼び戻してくれるのは、明らかに不機嫌そうな彼の声だった。

「…おい、離せ。どうせ起きてるんだろ?」

 普通の感性なら朝っぱらから不機嫌な声で起こされたくない……と思うものなのだろうが、生憎セイネリアは自他ともに認める程感性が普通ではない。不機嫌だろうが怒っていようがシーグルの声が聞こえただけで口元が笑みを浮かべてしまうのだから仕方ない。

「おい、セイネリアっ」

 軽く藻掻きはするが、この時点ではまだ彼も本気ではない、だが次に。

「おい、朝だ、起きるぞ、離せっ」

 足で蹴りながら声が荒くなってくればセイネリアも、そろそろか、と思う。だからそこで腕を緩めてやれば、シーグルはため息とともに体を離して起き上がる。セイネリアもそこで起き上がる。ここで自分も即起き上がるところが、将軍府時代とは違うところだ。

「まったく……毎朝毎朝、なんでこんなバカバカしいやりとりをしないとならないんだ」
「別にいいだろ、時間はいくらでもあるし、誰に迷惑をかけるものでもない」
「俺は迷惑だ」
「俺は楽しい」

 そこでシーグルは反論を諦めてため息をつく。このやりとりも数えきれない。

「そもそもなぜ俺をそこまでがっちり押さえ込んで寝る必要があるんだ、逃げるとでも思っているのか? こういうところなら将軍府と違って、例え先に俺が起きてもその辺で剣を振るくらいだろ。お前が見える場所にいるんだから問題ない筈だ」

 まだ愚痴っているシーグルは、立ち上がって体を伸ばしている。セイネリアも軽く筋肉を解してから、シーグルに言う。

「顔を洗いに行くぞ」

 それにはすぐ返事が返って、二人で近くの川に向かう。水場のそばで寝床を確保できた時のシーグルは割合機嫌がいい。なにせこの後少し剣を振って汗をかいても、水浴びでさっぱり出来るだからだ。

 ちなみに、寝ている時にシーグルが逃げられないように抱いて寝るのは、なにもセイネリアが楽しいからという理由だけではなかった。
 シーグルを黒の剣から守るためでもあるのだ。
 触るなと言ってあるからシーグルが自分から黒の剣を抜こうとする事はない筈だが、剣の方からシーグルを誘う可能性はある。黒の剣はセイネリアの精神を崩すためにはシーグルが弱点である事を知っているから、剣がシーグルを狙う可能性は高い。シーグルも意思が強い人間であるから起きている時なら剣の誘いに捕まる事はそうそうにないだろうが、剣が寝ている時に自分に働きかけていたように、彼にも寝ている時にその精神に入り込もうとするかもしれない。だから彼が剣の近くで寝るようになってからは毎回、彼がへたに一人で起きないように抱き込んでいたのだ。

 ついでに言えば、野宿するようになってから、シーグルを抱き込んだ後必ず彼側は障害物のある方で、敵が来る可能性がある側は自分が背中を向けて寝るような体勢にしている。勿論それも彼を守るためで、敵がわらわら出てきて手に持つ武器で攻撃してくるならいくらいてもどうにでもするが、いきなり遠くから矢を放ってきた場合はこちらに当たるようにするためだ。こちらは不死身なのだから当然の事ではあるのだが……。

「本当にお前はべたべたべたべた……どれだけ俺にひっついていないと気が済まないんだ。これだけ2人でずっといるんだから、そこまでしなくてもいいだろ」

 シーグルの認識としてはそれだけで、だがセイネリアもそれに文句をいう気はない。

「とはいえ街に入ったらそこまで好きにお前にべたべたは出来ないだろ」
「当然だっ」
「なら人目のないところでくらい、好きなだけお前に触れてていいだろ」
「街に入って宿に泊まれたら、ここぞとばかりに服を脱がせてくるくせに……」
「それくらいの楽しみはあっていいだろ。街中じゃ部屋の中でしかお前を満喫できないんだ」
「こうして人目のないところで散々俺にくっついてるくせに」
「その分、外じゃやれないだろ」

 大体において、この手の言い合いは最後にシーグルが頭を押さえてため息をついて終わる。これ以上この話題を続けたらマズイ、と彼としても直観で分かったのだろう。

 川につけばシーグルがほっとしたような顔をして、小走りで川に向かっていく。この川周辺には警戒するような魔力は見えないから、セイネリアは周囲を見つつ、彼に遅れてゆっくりと川へ向かう。
 セイネリアが川の傍で膝をついた時には、シーグルは既に顔を洗っていて気持ちよさそうな声を上げていた。

「水浴びするにもいい川だ、お前、水浴びしたいんだろ?」

 聞けばシーグルは嬉しそうに、勿論、と答えてきた。
 実は昨日は夕方近くにここについたから、水浴びまでする時間はなかったというのがある。

「じゃぁここにもう一晩泊まるのはどうだ? 軽く朝メシを食ったら夕飯の獲物をとりに行って、その後昼を食ったら好きなだけ剣の鍛錬に付き合ってやる。それから水浴びをして夕飯だ、悪くないだろ?」

 急ぐ旅ではないし、こうしてたまに同じところに泊まるのも割とよくある事ではあった。シーグルとしては好きなだけ鍛錬が出来てゆっくり水浴びが出来るというのが嬉しいから、この手の提案はまず断られた事はない。

「そうだな、それもいいかもな」

 嬉しそうに言うシーグルに、セイネリアも笑う。勿論セイネリアとしては、この手の提案をした時には下心もある。そしてシーグルも、その可能性を分かってはいる筈だった。だからこの提案を了承した時点で、彼も本気で許せないレベルで拒絶する事はないとみていい、とセイネリアは思う訳だ。

 シーグルに対して気遣う事は、どれだけやってもシーグルがそばにいるだけで十分見返りとなるから、彼に礼を言ってもらわなくてもいいし、何か返してもらわなくても構わない。ただ、たまにはその褒美を貰ってもいい筈だとは思っていた……それが、多少強引でも。




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 ってことで次回は軽いエロ。
 



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