少年王の小さな冒険
少年王シグネットと振り回される面々のお話



  【11】



 メルセンは複雑な気持ちだった。
 自分の力ではどうにもならない……そんな時に剣の師でもあるレイリースが現れてほっとしたのは当然だが、素直にただ喜ぶ気分にもなれなかったのだ。
 それはやはり自分の不甲斐なさへの怒りと、自分達だけでこの場を切り抜けられなかったといういう悔しさが大きくて、それからあれだけの人数を難なくあしらうレイリースの強さへの嫉妬とか、全てが将軍の掌の上だった事への無力感だとか……とにかくいろいろ負の感情を揺さぶる事ばかり感じて憮然とした顔をする事しか出来なかった。

「メルセン、どうしたの?」

 大好きな将軍と先生が助けにきてくれて嬉しくてしょうがないというシグネットにはメルセンがここでこんな顔をしている理由は分かる筈はない。流石に主に失礼な言葉は言えないメルセンとしては、この国最強の男の腕に収まっている主にむけて恭しく頭を下げるしかなかった。

「なんでもありません、ほっとしたのもあって疲れが一気に襲ってきただけです」

 年齢的にはシグネットももう将軍に抱き上げてもらうような歳ではなく、宰相殿下がいらっしゃったなら小言を食らうところなのだが……勿論、彼に甘い身内だけしかいない時は別である。将軍も将軍で、普通ならシグネットくらいの大きさの子供を持ち上げるとなればそれなりに大変な筈だが、片手でも軽々シグネットを抱えていてちょっとした敵程度ならそのまま片手だけで剣を振り回して倒せる感じだ。

 いくらメルセンだってこの人くらい強くなりたい……とは思わないが、こんなに安心しきって腕に収まっている主を見ればせめてこの10分の1でも頼りにされたい、とは思えてしまう。

 そうすれば将軍の横に急に人が2人湧いて、反射的にメルセンは剣に手を持って行った……が、当の将軍が当たり前のように動じずにそちらを見たので体の力を抜いた。

「これが最後の一人です」

 人影の一人、将軍府の紋章をつけた肩掛けをした女性にはメルセンも見覚えがある。クーア神官である彼女なら唐突に現れてもおかしい事ではないだろう。彼女はそこでもう一人の影……縛られた男をその場に突き出した。その顔を見てメルセンは呟く。

「こいつは……やっぱりこいつがメモを見たのか」

 それはメルセンにメモを渡してきた男だった。となればこの事態はほぼメルセンの予想が当たっていたと思っていいだろう。

「メルセン」
「は、はいっ」

 そこで将軍に呼ばれてメルセンは驚いて背筋を伸ばした。

「さて、こいつが連中の仲間とすると、どういう状況だったと思う?」
「はい、こいつは俺にこの場所を知らせるメモを届けてきた男です。ですからこの男がメモを見て、それで『例の剣』がかなり価値のあるものだと思って仲間を集めてきたのではないかと思われます」
「正直に言って、それは今この男を見て初めて思ったことか? それともそれより前に予想していたか?」
「連中が『例の剣』という言い方をしてそれが何かまでは分かっていない時点で、この男のせいでは……とは思っていました」

 そこまで聞くと将軍はくっと口角を上げて、抱き着いているシグネットを下に下ろした。

「いい読みだ、とりあえず合格だな。お前達はまだガキだ、力が足りないのは仕方ない。今はまだ勉強する期間だからな、自分達だけでどうにかしようとするよりまずこちらを頼れ。大人になって、お前達だけで切り抜けなくてはならなくなる時までに力をつければいい」

 言うとこの国の力と恐怖の象徴でもある男は、シグネットの髪を撫でてから、メルセンとアルヴァンの頭も撫でてくれた。
 それになんだか毒気が抜けた……という訳ではないが妙に体から力が抜けて、メルセンはその場で立ったままでいるのに少々気合をいれなくてはならなくなった。

 それからほどなく、呼ばれてきたのか警備隊の者達がやってきた。彼等がまず将軍閣下に驚いてびくびくしていたのは言うまでもないが、レイリースに言われて治療済で縛られている連中を受け取ると急いで帰っていった。
 その後に護衛官のシェルサがやってきて、ウィアはすぐ帰ると言ったが頼み込んで冒険者事務局に行くのを付き合って貰い、そこからこっそり抜け道を使って城へと戻った。少年王は事務局の報告からポイントがついたと聞いて大喜びだったし、結果的にはめでたしめでたしというところではあるのだろう。

 ちなみに、将軍の関係者とはあの場で別れたのだが、持っていた例の剣はシグネット経由で将軍に渡された。あれをどうするかは分からないものの、将軍が持っているという段階でもうこちらが気にする必要はないだろうとメルセンは判断することにした。というか今回はもうそれ以上考えたくなかったというのもある。







 午後のゆったりとした茶の時間、少し遅めの昼食を取って一息ついた将軍府の執務室には部屋の主の他には側近の騎士しかいなかった。
 今日の一仕事――事務仕事は残っているがどうでもいい――を終えたセイネリアは機嫌が良かった。いわゆるご満悦、という状況に近い。
 なにせ全て計画通りに進んで、シグネットはちょっとした冒険に興奮して喜んでいたし、助けに来たレイリースをカッコよかったと喜んでいた。そのレイリース――シーグルも文句をいいつつ結局は今回の件に関して礼を言ってくれたので目的は全て予定以上に果たせた、と言っていい状態だった。

『あのね、将軍、ちょっと頼みがあるんだ……』

 おまけにシグネットの頼みのおかげでちょっとした楽しみも出来たしな――と思い出して、セイネリアは離れたテーブルから机に置いた布の包みをちらと見た。ステシア卿は無能ではないし現政権に対して協力的ではあるが、セイネリアに対して影で見下した発言をしているのは知っていた。もっともその発言内容は平民出は芸術が分からないと、あくまで彼の得意分野である芸術方面の話であったからセイネリアも気にしていなかったが。貴族共のごてごて飾り立てて褒める感覚など少しも共感できなかったし、その感性を身につけようとも思わない。権力者が自分の権力を示すために身の回りのものを豪華にする意味は理解するから質実剛健であるべきだなんて言わないが、ステシア卿のように金持ちの趣味を必要以上に持ち上げるのには馬鹿馬鹿しさを感じてはいた。

「……それを、どうする気なんだ?」

 自分が例の剣を見たせいか、シーグルがそう声を掛けてきてセイネリアは視線を最愛の青年に戻した。彼は不満そうな顔をしていたが、彼がこちらを見ているそれだけでセイネリアの口元は自然と笑みの形を取る。

「安心しろ、ステシア卿は使える、ほんのちょっと脅す程度だ」
「お前なら一睨みするだけで脅せるだろ、それ以上の脅しを掛けたら怯えすぎて役に立たなくなるぞ」

 まだ休み時間であるから、2人とも仕事用の席ではなく部屋隅にあるテーブルの前に向かい合って座っていた。セイネリアの機嫌が良いのは、すぐ手が届く目の前にシーグルがいるというのも大きい。

「嫌味一つ付け足す程度だ。少しばかり奴の芸術家気取りは鼻につくからな」

 セイネリアが言えば、シーグルは顔を顰めつつもカップを持ち上げて茶を飲む。そんな何度も見てきた仕草でさえ、口元が自然と笑ってしまうくらいセイネリアにとっては楽しいものだった。
 そんなこちらに、シーグルはカップを置くと軽く睨んで言ってくる。

「やり過ぎるなよ。俺もだが、お前を含めて将軍府の連中はそっち方面に興味がないから価値が分からないのは仕方ないが、貴族達を従えるには美術方面に気を使う人間もいないと困る」

 言われてセイネリアは少し顎に手をあてて考えた。

「……まぁ確かにそっちの専門家がいないと、権力を示すための装飾がただの笑いのタネになる可能性があるな」
「そうだ、よく一代で財を築いた商人などが似合ってもない部屋に価値だけはある美術品を無秩序に並べて貴族の失笑をかうようなことがある、あぁいうのが一番恥ずかしいんだ。その手のセンスがないなら装飾など一切ない方がまだいい……という事でシルバスピナ家にはいわゆる美術品というのは贈られたモノ以外ほとんどなかった」

 確かにシルバスピナの屋敷はまさに質実剛健で、飾りとして並べられているのは彫刻ではなく武具ばかりであった。ただ飾りはなくとも大きな扉や柱、重く圧し掛かってくるような天井の高さ等で領主の威圧感を出しているから、セイネリアも将軍府を作る時に参考にさせたというのがある。

「だからお前も貴族のくせにその方面に感心がまったくない訳だな」
「あぁ、正直言えば俺だって芸術的だとかの蘊蓄を聞いても下らないとしか思えない。だが貴族達にとってはそれが重要な事は分かっている。将軍府はそういうのと無縁でもいいが、さすがに王宮周りはそうはいかないだろ」
「まぁな」

 そう軽い返事を返してからセイネリアはじっとシーグルの顔を見つめた。暫く黙ってただ見つめていれば、シーグルも何かを察したらしく不審そうにこちらを見てくる。

「なんだ?」

 そのやけに警戒しているような様子が楽しくてセイネリアはククっと喉を震わせる。……勿論、余計にシーグルは顔を顰めることになる。

「なんなんだ、言いたい事があるなら言え」

 ついには声に怒りが混じったから、セイネリアは茶化して返してやる。

「いや、どんな美術品にも勝る芸術品自身が、芸術をくだらないと言ったのなら奴らもさすがに文句を言えないだろうなと思っただけだ」
「――は?」

 シーグルはそう言って止まる。眉を寄せて考える。だが暫くして言葉の意味が分かったのか、彼の顔が嫌そうに歪んだ。

「……もしかして、俺の事を芸術品と言いたいのか?」
「あぁ、貴族時代はステシア卿みたいな連中に散々賛辞をあびせられてきたんだろ? それこそ奴らの語彙能力をフル回転させてその容姿を褒めた言葉は、今でも詩になって残っているくらいだからな」
「……やめてくれ」

 シーグルは赤くなって顔を下に向けた。セイネリアはその様子が楽しくて尚も続ける。

「どんな芸術品より、お前の美しさを賛辞する詩は多く作られてる。俺も芸術的な美しさなんてのには興味はないが、お前を褒めるために奴らが考えた言葉の豊富さには感心したぞ」
「黙れっ、いない人間だから何重にも美化されてるだけだ、そもそも詩人たちは大げさに表現するものだし、言われる方の身にもなれ……どれだけ恥ずかしいと思ってる」

 顔が赤いだけでなくちょっと涙目になっている辺り、セイネリアとしては楽しくて仕方がない。

「別に事実なんだから素直に褒められておけばいい」
「女じゃないんだ、見た目だけを評価されても嬉しくはないっ」
「あのセイネリア・クロッセスでさえ心を奪われる美貌だからな」
「自分で言っていて恥ずかしくないのかお前は」

 涙目で恥ずかしがる顔も、怒って睨んでくる顔も、セイネリアにとってはどれも愛しくて溜まらないものだった。そしてどんな顔をしていても彼は綺麗だと思って――セイネリアはそこでふと思いついた事を言ってみる。

「……あぁ、芸術家気取りの連中には少しも共感できないが……お前だけは別だな、奴らがお前を褒めるのだけは共感出来る、俺はお前以上に美しいものを知らない」

 シーグルの目が大きく開かれる。それから顔が更に真っ赤になって、彼は怒鳴った。

「ば……馬鹿かお前はっ、お前は俺がそれで喜ぶとでも思っているのか?」
「いや、嫌がって怒るだろうなというのは分かってるよ、しーちゃん」

 言えばシーグルは立ち上がって、凄みをきかせた目でこちらを見下ろしてくる。

「ならそれは嫌がらせだな、そうだろ?」
「違うぞ、ただの本音だ」

 セイネリアはわざと満面の笑みを浮かべて言ってやる。そこでシーグルの拳が飛んできたから、セイネリアはそれを受けて立ち上がった。

「絶っっ対、お前は俺を揶揄いたいだけだろっ」
「それもあるが、本音なのは確かだぞ」
「黙れっ」

 今度は蹴りを入れてきたシーグルのその足を避けて後ろへ下がれば、シーグルもこちらに向かってくる。この部屋の中央が広く何も家具が置いていないのはこういう時のためだった。




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 あと1話かな。剣の話と、シグネットサイドとシーグルサイドの話を予定。
 



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