少年王の小さな冒険
少年王シグネットと振り回される面々のお話



  【12】



 例の剣の持ち主であるステシア卿はシグネットにとって、嫌いとまでは言わないが割合苦手な方の人物だった。
 理由は主に勿体ぶった言い方が分かりにくいのとやたらとこちらの顔を嬉しそうに見てくるのが気持ち悪いためで、あとはセイネリアの名が出ると明らかに嫌そうな顔をするからだ。そこでセイネリアの悪口を言うようだったら『苦手』ではなく『嫌い』だったろうが、一応彼は明らかに悪口と言える言葉はシグネットの前では言った事はない。だからシグネットとしては『話すのが面倒だからあまり会いたくない人物』というところで留まっている。

 そういう事情があるからいなくてはならない場合でない限り、シグネットはステシア卿がいる時の謁見の席には出ていなかった。とりあえず現状この国の実権は母にあるから、ただの仕事の話だけならシグネットは出なくてもいい事が多かったので。

 そんな事情があるせいもあるのか、摂政である母親の名ではなくシグネットの名で呼び出したその日、謁見の間に入ってきたステシア卿はやたらと嬉しそうな顔をしていた。

「この度は陛下に拝謁の名誉をたまわり、このダルクオ・ゼネル・アスト・ステシア、感激の極みでございます。国王陛下におきましてはご機嫌麗しゅう――」

 会うだけで名誉って何ソレ?――と思いながらも、天気を褒めて国の発展ぶりを褒めて、最後にシグネットがどれだけ麗しく聡明で国民から愛されているか……なんて話をだらだらとうざったい言い回しで言われてシグネットはうんざりしたが、さすがにそれを顔に出す程もう子供でもない。聞いて適度に頷きながらもさくっと聞き流し、自分の話す番が来るのを待つ。今回はそのあとの楽しみがあるから待つのはさほど苦痛ではなかった。
 それにしてもよくこれだけ誉め言葉が出るもんだね……なんて考えていれば、やっと待っていた言葉が彼の口から出た。

「――時に陛下、今日はどのようなご用でございましょう?」

 やっとか。シグネットは椅子に座ったまま、出来るだけ背筋を伸ばしてステシア卿に声を掛けた。

「あぁ、ステシア卿の落とし物が届いたので渡しておこうと思った」

 落とし物に心当たりのあるステシア卿の顔が強張る。今まさに彼の頭の中に浮かんでいる言葉は『まさか』という一言だと思われた。しかも次の言葉で彼の顔は青ざめる事になる。

「将軍、もってきてくれ」

 そこで背後のカーテンの後ろから将軍セイネリアが姿を現す。しかもその手にはステシア家の紋章が入った豪奢な短剣があるのだから彼は言葉も出ない状態だ。将軍は歩いてきてシグネットの椅子の横に立つと、笑みさえ浮かべてステシア卿に言った。

「ある親切な人間が届けてくれてな、大切なものだろうから届けさせるより直接渡した方がいいと思って呼び出させてもらった」
「は……はい、とてもありがたく……ご配慮感謝いたします」

 その動揺っぷりにシグネットは笑い出さないよう必死に我慢した。セイネリアが剣を前に出すとずっと後方に控えていたステシア卿の部下が急いで将軍の前にきてその剣を受け取り、主に渡す。
 複雑な表情で剣を見つめるステシア卿に、またセイネリアが口を開いた。

「ステシア卿」
「は、は、はい、なんでございましょうか、将軍閣下」

 急いで顔を上げたステシア卿の顔は青ざめていて瞳の焦点が定まっていない。冷や汗もかいているところからして内心の動揺ぶりが分かる。

「ステシア卿の審美眼には常日頃から感心させられているが、何にでも自分基準の美を適用するのはあまりいいとは思えないな。この剣は確かに形式的なものでもあるが、いざという時自分の命を守る武器でもある。飾っておくだけのものであるならまだしも、使う事も考えた武器には過剰な装飾よりまず武器としての性能を重視されるべきだと思う」
「は……はい」

 セイネリアの声はとにかく冷静でその表情は(シグネットからすれば)和やかで、優しく諭すような感じに思える……が、聞いている内にステシア卿の冷や汗は更に酷くなり、唇がわなないていくのが分かった。

「失礼を承知で言わせてもらうと、武人としての俺からみて使い難いくらいの装飾を施されたこれは酷く不格好で美しくない。今後武器に関わらず、道具として使用するものに関しては性能面と調和された美しさというのをステシア卿には追及して貰いたいと思っている」

 ステシア卿の目は血走って今にも泣きそうだった。
 とうとう彼は下を向くと、力なく答えた。

「はい……閣下のおっしゃる通り、今後はもっと使用感を考えて……調和を大事にしたいと存じます」

 それで彼は下がっていった。
 彼の名誉のため、謁見とはいっても今回は他の貴族を呼んだりはしていない。将軍がいるから守備兵も最小限で外で扉前を守る者だけだ。あとはシグネットの後ろに護衛官が2人と側近候補のメルセンとアルヴァンがいて、将軍の後ろにレイリースが控えているだけだからまず今回の件が外に漏れる事はない筈だった。これなら紋章入りの剣を失くしたと貴族達の間で彼が笑いモノになる事もないだろう。おそらく将軍としては今回はステシア卿にちょっと釘を差すだけで、必要以上に恨まれないようにした、というところなのだろう。

「これで全部めでたしめでたしだね」

 終わってからのお茶の席でメルセンにそういえば、彼は大きなため息をついていた。

「そう……ですね。この状況では口止めも意味ないですから拾ったあの連中をステシア卿が探そうなんて思いはしないでしょうし、将軍閣下としてもステシア卿に釘を刺せて良かったと思いますし……」

 言っている事はいいことばかりなのに、メルセンの表情は暗い。というか、この事件の件からずっとメルセンは何か落ち込んでいる。その理由について、実はシグネットは大体予想は出来ていた。
 だから今回、全部が終ったら彼には言っておくつもりだった。

「ねぇ、メルセン」

 言えば彼は俯いていた顔を上げてこちらを見る。
 シグネットはにこりと笑ってみせた。

「将軍も言ってたけど、俺達はまだ守ってもらえる歳だから自分達だけでどうにかしようって思うんじゃなくて皆を頼っていいんだよ。だからメルセンが落ち込む必要はないと思う」

 それでも真面目で責任感の強すぎる彼の表情は固いままだった。

「それは分かっているのですが……本来陛下を狙う敵はもっとずっと強い連中なのです。それが……今回のような雑魚でさえ私達だけでお守りしきれなかったのは……やはり、自分が情けなくて……」

 アルヴァンを見れば彼は肩を竦めて苦笑していた。この様子では家に帰ってからもずっと落ち込みっぱなしだったのだろうとシグネットは思う。
 だから満面の笑みを浮かべて彼に言う。

「メルセンは強かったよ。あそこにいる奴でメルセンより強い奴なんていなかったじゃないか」
「いえ……あいつらが弱かっただけです」
「うんでも年齢的にあいつらは皆メルセンより年上で体大きくて、人襲うのにも慣れてた連中だったよね」
「それは……そもそも鍛え方が違います。特に私に剣を教えてくださる方々はこの国のトップばかりですから、あんな連中に遅れを取ったら先生方に合わせる顔がありません」

 そりゃね――とは思いつつ、でもシグネットは彼が落ち込んでいるもう一つの理由も知っていたからちゃんと言うべきことは分かっていた。

「ねぇメルセン、もしあの時メルセンがいなかったら俺どうなってたと思う?」

 メルセンは目を丸くする。

「それは……私が陛下の傍にいないなんて……それこそ……」
「うんうん、いないって事はない筈だけど、いなかったら俺確実にあの時無事じゃすまなかったよね。大人しく剣渡してても面白半分で殴ったりけられたりしたかもしれないし、売り飛ばしてやろうって捕まえられたかもしれない。最後には将軍の助けが入って助かったとしても、怪我とか縛られたアトくらいは残ってたんじゃないかな」

 メルセンの表情が強張る。ちょっと青くなっているところからして想像しているのかもしれない。

「だからあの時、レイリースがやってくるまで俺が怪我一つしなかったのはメルセンと、アルヴァンのお陰なんだよ」

 ここはちゃんとメルセンだけでなくアルヴァンの方にも笑いかけて言えば、やっと落ち込みっぱなしの真面目兄の方の表情から影が消えていた。

「メルセン、アルヴァン、あの時は俺の事を全力で守ってくれてありがとう。これからもずっと俺を守ってね、頼りにしてる」

 あとはウィアから聞いた『お願い、をする時はこの角度だっ』と言われているように首をちょっと傾げて彼の顔を見上げてまた笑ってみせれば、メルセンは泣きそうな顔をしてから背筋をピンと伸ばして頭を下げた。

「はい……はい、陛下。命に変えましても、私は陛下をずっとお守りいたします」
「俺もです、陛下っ」

 殆ど泣いているメルセンと違って笑顔で答えたアルヴァンを見て、シグネットは今度はにっと、ちょっといたずらっ子的な笑みを浮かべると、2人に向かって体当たりをする勢いで抱き着いていった。







 将軍府は今日も平和だった。
 というか、基本セイネリアの機嫌が悪くなければここは平和で、シーグルが大人しくセイネリアの傍にいる段階で彼の機嫌が悪い訳はない。つまり、こうしてのんびり執務室で一緒に仕事をしている状況の間は将軍府は平和だということだ。

 ただ勿論、シーグルが大人しく傍にいる――とは言っても、それは何を言われても静かに従っているとかそういう意味ではない。むしろその状態はギスギスしていて平和ではなく、シーグルが怒ってあれこれ文句を言っては喧嘩になることもしばしば……という状態の方が正解だった。

「セイネリア、機嫌がいいのはいいが、サボってないで仕事をしろ」
「別にサボってないぞ、今はちょっとクソつまらない仕事をするための気力を貯めてる最中だ」
「……何をどう貯めるって?」

 シーグルが顔を上げれば、楽しそうにこちらを見ているセイネリアと目が合う。

「こうして暫くお前を見て、気力を貯めてる」
「なんだそれは」
「仕事中はお前から目を離さないとならないだろ。だからその分お前を見ている」

 シーグルは頭を押さえてため息をついた。本気なのか冗談なのか揶揄っているだけなのか――恐らくすべてだろう――セイネリアは楽しそうにこちらを見ていた。ただシーグルもこういう事態は既に慣れていたので、構わず仕事を続ける事にして書類に目を戻した。なにせここでヘタに怒って言い合いになればそれもまたセイネリアの思い通りである。セイネリアとしてはシーグルが自分に構ってくれれば成功なので、ここは無視をして仕事をするべきだと分かっていた……のだが

「そういえばシーグル、この間のシグネットを助けに行った時、お前、あいつが俺に抱き着いてきた事に少しショックを受けてたろ」
「……何の事だ、いつもの事だろ」

 シーグルはそれに顔を上げて彼を見てしまった。
 ついでに思わず睨んでしまえば、セイネリアはくすりと……自分かシグネットくらいにしかまず向けない優しい目で笑ってきた。

「あの時はいつもの状況じゃないだろ。助けてくれたお前には他人行儀のお礼だけで、俺には抱き着いてきたのが寂しかったんじゃないか?」

 あぁ本当にこの男は、どこからどこまでも人を事を見透かしてくれるから余計にムカつくというものだ。

「仕方ないだろ、俺はあくまで先生で、お前はシグネットにとっては父親代わりなんだから」

 父だと名乗っていないのに父親としての権利を主張する気はシーグルにはない。だからこれは仕方のない事で、そして心情的にこちらが寂しさを感じるのも仕方のない事だ。

「だがもし、あの時普通にお前が父親として助けに来て、俺はその手伝いでやってきたただのお前の友人だったとしても反応は変わらなかったと思うぞ」
「……そう……なのか?」
「あぁ、お前がちゃんと父親としてあいつの傍にいた場合、お前は絶対厳しい父親になってたろ。基本シルバスピナの跡取りとしてはこうであるべきだって厳しい事ばかり言って、滅多に褒めない上にまったく甘やかさない父親になっていたと思うぞ」

 シーグルは考えた。そして結論としてはセイネリアの言う通りな気がした。自分の息子であるシグネットには甘やかすより将来背負う義務や責任のために厳しく接してしまう……ような気が確かにする。

「お前は他人に優しく自分に厳しい。自分の分身のような息子には、自分と同じ重荷を背負わせないとならないからと厳しくするだろ。だが俺は今と変わらずあいつを甘やかすだろうからな。あの時の『先生』が『父上』に変わるだけで反応は同じだぞ、きっと」

 言われれば確かに……もしセイネリアがただの友人だったとして、シグネットを甘やかしまくるのも目に見える気がした。となればセイネリアの予想もおそらく当たっているのだろう。少なくとも否定する材料がない……とシーグルは軽くため息をついた。

「それにしても、どっちにしろお前はあいつを甘やかすしか選択肢がないのか。恐怖の象徴の将軍閣下が」

 そうすればセイネリアは唇に少し自嘲を乗せる。

「残念ながら俺自身、父親がいなかった上に母親にもまともに育てられたとは言えないからな、愛情を持って怒るなんてマネが出来る訳がない。子供相手なぞ、怖がらせるか、どこまでも甘くして可愛がるかしか出来ない」

 こうして彼と共にいるようになって、シーグルも彼の子供の頃の話を少しづつ聞いていた。だから彼の言いたい事も理解は出来た。
 だが……シーグルは今度はしっかりと彼の目を見て強い声で言った。

「セイネリア、本当にマトモに育てられていない人間は可愛がる事も出来ないものだ。それが出来るのはお前がちゃんと親に愛されていたからだろ」

 セイネリアはそれに自嘲の笑みを浮かべ、暫くこちらを見ていたが……唐突に立ち上がったのを見て、シーグルも急いで立ち上がった。

「おい、今は仕事をする約束だろっ」
「悪いが今は耐えられそうにない、逃げるなシーグル」

 そうしてまた再び将軍の執務室からはどたばたと大きな音が響いていたが……扉の前で見張っている者も、その下の階の部屋にいた者も、この様子ならいつもの事だろうと特に気にすることはなかったという。



END.


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 ステシア卿とのやりとりはもっと短くするつもりだったのですが……とりあえずこの話もやっと終りました。
 



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