噂好き共の末路




  【3】



 赤子だったシグネットに忠誠を誓ったメルセンは、彼が王になった時に嬉しさと同時に寂しさも覚えた。嬉しさは当然として寂しかったのは、彼がそんなに偉くなってしまったのなら自分のような平民出の子供の誓いなどなかった事にされるのだろうと思ったからだ。さすがに王様になってしまったら、ただの部下の一人にはどうにかなれても、側近とか従者とか、傍仕えの彼を直接守るような立場にはなれないと思った。
 けれど、摂政ロージェンティはメルセンとアルヴァンを城に呼ぶと直接言ってくれたのだ。

『あの時の誓い通り、この子に忠誠を誓ってこの子を守ってくれますか?』
『私などでよいのですか?』
『勿論です。それに、それがあの人の望みでもありましたから』

 その後の事は嬉しすぎて実はよく覚えていない。涙が出て来たのはいいとして、鼻水が出てくるわ、喋っても呂律が回らないわと、ひどくみっともない姿を晒した事だけは覚えている。そこで改めて幼いシグネットに忠誠を誓って、それからはずっと鍛錬するか彼の傍にいる生活になった。

『そんなに畏まることはありません。立場を気にせず、兄のように見守って、時には叱ってあげてください』

 そうかけられた言葉を胸に、シグネットに仕えているの……だが。

「メルセンっ、こっちこっちっ」

 そう言って、今日も新たな抜け道を見つけて嬉々として勉強をさぼって逃走するシグネットについてきておいて、自分はこれでいいのだろうか、とメルセンは悩んでいた。
 メルセンにも一応言い分はある、サボって部屋を抜け出したシグネットに対しては毎回ちゃんとまず最初は部屋に帰るように言ってはいる。ただ強引に捕まえて止める……なんて事は出来ず、帰ってくださいと言いながら付いていって結局は共犯者になってしまう訳である。
 ちなみに弟のアルヴァンは部屋に残ってもらって時間稼ぎ中である。ただし、一定の時間内に戻らなかったら正直にシグネットが抜け出した事を言っていい事になっている。勿論、大抵は正直に話す事になるのだが。

「ほらメルセン、この部屋ね、こうしてドアを全部開けたまま左足から入ってここにいるとね……」
「陛下っ」

 こちらに説明している間にシグネットの姿が消えたから、メルセンは焦った。とはいえこういう事は初めてではない。メルセンもシグネットの消えた場所へ同じようにして行けば、すぐに視界が切り替わって目の前には無邪気に笑うシグネットがいた。安堵すると同時にどっと疲れたのはいうまでもない。

「陛下、せめて説明が終わってから入ってください」
「でも、見せたほうが早いよ」

 いや、心の準備とかがありますからっと大声を出したいのをぐっとこらえて、メルセンは一度心を無にしてから口を開く。

「事前に説明をするのも将来のための勉強と思って下さい。それに、私一人が驚いているだけならいいですが、大勢の部下の前でやったら皆パニックになりますから」
「うーん、そっかー」
「何をしようとしているのかを説明して、皆の同意がとれたら行動する。陛下の立場ではそれが必要です」
「うーん、好き勝手にしちゃだめっていうのは分かってる、けど……」

 シグネットは悩んでいる。
 ちなみに言って置くがシグネットは別に我がままという事はない。困ってる大人を見て喜んだり、他人が自分のせいで苦労してもどこ吹く風、というような事もない。……メルセンが困っているのを見て喜んでいるような時はあるが。
 ともかく、いわゆる貴族の我がまま息子みたいな事はなく、本気で他人が困るような事はしない。だがその代わり、笑って許せるレベルの悪戯やこういうサボりはよくやるのだ。そのあたりのさじ加減が絶妙で、そこはおそらく筆頭家庭教師である某神官様のせいだとメルセンは思っている。

 あとはまぁ……自分が結局はシグネットに甘くて、お願いと言われたら彼にとって本気で危険な事でない限りは許してしまう事も原因だろう。

「ともかく、以後はお気を付けください」
「うん、わかった」

 一応素直ではあるし、この返事も嘘ではないのだ。
 だからいつまでも怒っていても仕方ないと思い、話を変える。いつまでもシグネットにしゅんとした顔をさせていたくもなかったので。

「それにしても、ここは城のどの辺にあたるのですか?」

 シグネットの表情はそれでぱっと明るくなる。

「えっとね、こっちこっち」

 それでついていけば、なんだか屋内にあるバルコニーのようなところへ出る。

「天井の様子からすると……廊下? って、あ、ここは……」

 バルコニーから下を見て分かった。高い天井の、通称東回廊と呼ばれるところの天井近くだ。こんなところにバルコニーがあって下を覗けるなんて知らなかった。というか下からでは見えない。

「ね、ちょっと面白いところでしょ?」

 得意げに言ってくるシグネットに苦笑いを返しつつも、ここは危ないからあまり来ないように――来ても絶対に下を覗こうとしないように言わなくてはとメルセンは思う。

「面白いといってもこんな高いところ危険です。以後はあまりここへはこない方がいいと思います。というかそもそも陛下、こうして知らない部屋や通路に勝手に入るのは危険だといつも言っているではないですか。もし迷って戻れなくなったらどうされるのですか?」

 このクリュース城はいたるところに転送で自動転送されるところがあって、そのせいで目で見えているままの通路をそのまま行って目的地にたどり着く事が出来なくなっている。なので皆、自分が行くべき、知っているルート以外を使ったりしない。へたに知らない道を使うととんでもないところへ飛ばされて迷子になる可能性が高いからだ。

「大丈夫だよ、どうにもならなくなったら助けてって言えば、迎えが来るからっ」
「あー……魔法使いの方、ですか」
「うん、多分。将軍の部下の人のこともあるかな」
「なるほど……」

 シグネットの事をいつも見ている人間がいるのはメルセンも知っている。それがどうやら将軍の部下らしいというのも分かっている。そこはまぁ……まだ子供扱いの半人前の自分に守りを任せておけないのは当然、という自覚はあるので仕方がない。
 あとは城の敷地内にある導師の塔にいる魔法使いが、城内で迷った場合騒げば飛んできてくれる事にもなっている。多分、王であるシグネットには魔法使い側も常に注意してくれてはいるのだろうと思う。
 だから一応、城内であればシグネットに何かあったらすぐ助けはくると思うのだが、万が一というのはある。

「とにかく、迷子くらいならいいですが、たとえばここから落ちた場合等は助けが間に合わない事がありますので、お気をつけください」
「はぁい」

――本当に、言われた事は素直に聞くんですけどね。

 そこで、はぁ、と溜息をついたところで、下から足音が聞こえてきた。足音だから、下の廊下を誰か歩いてきたのだろう。

「誰かな」

 メルセンが止める間もなく、シグネットはバルコニーから下を覗く。メルセンが慌ててシグネットの服を掴んだところで、今度は声が聞こえてきた。

「どうだ、将軍が秘密裡に城に来ている証拠はあったか?」

 将軍、という言葉が聞こえてきたせいか、シグネットが少し身を乗り出したのでメルセンは焦ってシグネットの体の前に手を回した。

「いえ、まだ……見た事がある、という者もおりませんし……」
「なら城外でこっそり会っているのではないか?」
「それも……将軍が側近一人だけを連れて将軍府から出て行く事はあるものの……その、摂政殿下がお忍びで外に出る事はありませんので……」

 あーこいつらはそういう連中か、とメルセンはすぐ察したが、よりにもよってと直後に顔を顰める事になる。城に出入りしていれば、この手の噂話はメルセンだって聞いている。どうにかシグネットの耳には入らないようにしていたのに最悪だ。

「えぇい、あのセイネリア・クロッセスだぞ、手を出していないという事はないだろっ」
「とはいっても、本当にその……証拠になるものはなく……皆憶測ですから。確かに、毎回人払いをして会っているのは怪しくても……摂政殿下のおっしゃる通り、あの短い時間では無理があるかと」
「なら絶対、別のところで会っているのだっ。もっとよく調べろっ」

 一応彼らも声をひそめて話しているのだが、なにせこういう構造の廊下では音がよく響く。ようやくそれでも声がよく聞こえないくらい遠くへ行ってくれたものの、どうしようかとメルセンは困っていた。

 ちなみに、メルセンの見たところでは将軍と摂政が男女の関係というのはあり得ない。確かに将軍の女性関係の噂からすれば何もないのがおかしいという人間の話も分かりはするが、逆に言えば将軍はそういう相手には不自由していないとも取れる。将軍があちこちの女性と関係があるのは真実だったとしても、女と見れば手を出す、というタイプではないだろう。なにせあの将軍が自分から女性を口説く姿が想像できない、あれはきっと女性側から誘ってくるパターンだとメルセンは思う。となればあの摂政殿下が将軍を誘うなんてありえない事だ。

「メルセン、将軍が手を出すって、何を?」

 そこで一番どう返していいのか分からない質問が来て、メルセンは固まった。

「母上は将軍と秘密で会ってるの?」

 ただ次の質問はまだどうにか返せる。

「いえ……さっきの連中は、お二人がこっそり会ってるに違いないと思っているようですが、それを見たりしたものは誰もない、という話をしていたのです」
「うん、それってつまり、将軍と母上はこっそり会ってないってことだよね?」
「そうです」

 メルセンはきっぱりと言い切った。会ってない証拠もないとは言えるが、あの二人がそういう仲ではないとメルセンは確信している。ただ問題はその後の質問で……。

「でもメルセン、将軍と母上が会っていたらどうなるの?」

 これもメルセンとしては困る質問である。思わず頭を抱えたくなる。

「いやその……将軍様と摂政殿下が結婚するのではないかと、彼らは思っているのです」

 男女の関係というのは説明したくなかったので、メルセンとしては結婚という言い方しか出来なかった。

「えー、それはないよね」
「はい、そうです」

 メルセンはほっとした。これで話が終わってくれるならそれでいい。ただ、そこから何か考え込んでいるらしいシグネットを見ていたら、思わず聞いてしまった。

「陛下は、お父上が欲しいですか?」

 考えていたシグネットがきょとんとした顔でこちらを見る。

「うん、父上に会えるなら会いたいよ」
「いえ……その、新しい父上が欲しいと思いますか?」

 何を聞いてるんだ自分は、と思ったが言った言葉は取り消しが出来ない。シグネットは少し首を傾げたが、すぐににっこり笑顔と共に言ってきた。

「いらない。将軍がいるしっ」

 いやその将軍が父上になるかどうかという話なのですが――と思ったが、これ以上聞くべきではないとすぐ思い直す。

「そうですね」
「うん、父上は父上っ、将軍は将軍っ」

 どこまで分かっているのか分からないが、まぁそう思っていてくれるのなら今後もこの手の噂話が入ってきたところでシグネットが悩んだり不安になる事はないだろう。メルセンとしてはそこが気がかりだったので安堵した。

 ただ……もし、将軍と摂政が結婚したとして、政治的に見れば特に悪い事はないのか、ともメルセンは思う。あの将軍のシグネットへの可愛がりぶりを見ているとシグネットを王座から引きずり下す事はないだろうし、そもそもそのつもりがあったら最初から将軍自身が王座に座っていた筈だ。今でも将軍に他の貴族達は頭が上がらない訳で……将軍の立場が摂政と同等になるだけで特に変わる事はない気もする。

――噂をしている連中は、もしその噂が肯定されて将軍様と摂政殿下が結婚したらどうする気なんだろう。

 将軍の発言力がさらに増して自分達の立場がさらになくなるだけじゃないかと、やっぱりこの手を噂をする者は馬鹿なんだなと思うメルセンだった。




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 すみません、メルセンとシグネットの話で終わっちゃいました。次回はセイネリア達の話からです。
 



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