ある北の祭り見物譚
シーグルとセイネリアのアウグ旅話



  【9】



 レザの部屋に帰ってすぐ、レザとラウドゥにも来るように言ってセイネリアは浴室に向かった。そうして肩の男を浴槽の中に落とすと、男の口に詰めた布を取り去った後その首を左手でつかむ、勿論締めるまではしていない。

「あいつはどこだ?」

 恐怖で震える男は何も言えない。

「どこに連れて行った?」

 それでも男は震えて声が出せない。薄く開いた口からはガチガチと歯が鳴る音が聞こえて、セイネリアは舌打ちする。
 そして直後――セイネリアは腰から剣を抜くと、男の首を持つ自分の腕を斬り落とした。

「ひぃがっ」

 声を上げたのは男の方で、男の目が大きく見開かれる。その顔をセイネリアの腕から吹き出した血が勢いよく濡らしていく。男の首にあったセイネリアの腕がぼとりと落ち、自らの血を浴びたセイネリアの顔が男の顔に近づいていく。
 そうして、痛みなどまったく見えない血濡れの顔は笑って男に告げる。

「気絶するなよ、その前にあいつのいる場所を言え。でないとお前の腕と足も同じにしてやる」

 それから真っ赤に染まる腕の断面を男の頬に押し付ければ、男は悲鳴と入り混じったような声を上げて叫んだ。

「ひぁ……ダ、ダセッド通りの倉庫だっ」

 ダセッド通りは裏街の中であたりをつけていた周辺ではある。だが倉庫と言われる場所の特定までは出来ていなかった。

「倉庫とはどこだ、どうすれば行ける」

 目の焦点が怪しい男に、急いでセイネリアは問いかける。

「もと……教会の地下、だっ、祭壇から、下に降りられるっ」

 それでもそう声を上げてきた男に、セイネリアは僅かに口元を緩めた。

「そうか。確かだな?」
「確かだっ、俺はそれしか知らないっ」
「ならもう、気絶してもいいぞ」

 そこでやっとセイネリアは別の意味で笑うと立ち上がった。見下ろせば男は言われた通り気を失っていた。

「あいつを助けてくる」

 セイネリアは言うと剣を腰に戻して上着を着る。その時には斬った筈の左腕は確かに元通りに治っていた。






 セイネリア・クロッセスという男にとって、あの青年だけが別格で、彼に関する事だけあの男が感情をむき出しにするのだと――改めて思ったレザはやれやれと頭を掻いた。

「……で、こいつはどうするんだ? 相応の罰でも与えておくか?」

 浴槽に倒れた男は自らの小便と黒い男の血にまみれて完全に気を失っていた。さすがにもうこれで風呂は入れないなとため息も出る。

「別に、お前がそうしたいなら好きにやっていいぞ」

 言いながら何事もなかったようにマントを羽織っている男に、さすがにレザでも少しぞっとする。

 この男が不老不死である、という事は知っていた。
 だがまさか、脅すのに自分の腕を自ら斬り落とすなんてことはまったく予想できなかったし、実際その腕が元通りになる様をみればある意味恐怖を感じるのも仕方がない。

――別のやり方もあっただろうによ。

 そう思いながらも、彼が脅しのためだけに自傷するようなマネをしてみせたのは、自らのミスに対する苛立ちもあるのだろうと予想する。普通ならどう考えても尋問対象である男本人の腕を斬り落とすところだろう。それをせずに脅しにとどめたのはおそらく――。

「だが殺すなよ、あいつが見た時に明らかに分かるような怪我もさせるな」
「へいへい」

 やはりな、という言葉と共にレザは呆れる。
 この男の最愛の青年は、自分の居場所を探るために誰かを傷つけたと知れば怒るか悲しむだろう。だからどれだけムカついてもその男を殺せない。セイネリア・クロッセスという男の判断のすべてはあの青年のため、それだけしかない。
 それでも押さえきれなかった感情を自分自身にもぶつけた結果が腕を斬る、なのだろうが――斬る時もその後も平然としていたのにはレザでさえぞっとする。痛みはあるとは聞いていたから、慣れなのか……それとも、あの青年の事を考えればそれだけの痛みさえどうという事はないとでも言うのか。

――まったく、本当に化け物の唯一の良心みたいなモノか、あいつは。

 準備が出来次第すぐに飛び出さず、ラウドゥに男の吐いた言葉の内容を確認しているセイネリアを見たところ冷静ではあるのだと思うが……いくら不老不死だといっても自分の腕を斬り落とすなんてのは狂気の行動であることは間違いない。言動はどこまでも冷静だとしても内心はどこまでマトモなのか。レザもさっきまでははらわたが煮えくり返っていたのだが、セイネリアの非常識過ぎる行動を見てすっかり頭が冷えたといったところだ。

「すぐに帰ってくるとは思うが、あの部屋から何か荷物を外に運び出したりしないかだけは見ておいてくれ」
「分かった」

 それですぐにドアへ向かった男に、断るだろうと分かっていても、一応レザは言ってみる。

「俺もいくか?」

 彼の足が一度止まった。

「一人でいった方が早い。おいぼれの足に合わせてる暇はないからな」
「……まったく、口が悪いな貴様は」

 それでも、この男がどれだけあの青年が大切で愛しているのかが分かってしまったから、レザとしては告げる言葉は一つしかない。

「貴様の武運を祈っておく」

 それに一度だけ振り返って口元を皮肉げに歪めてみせると、黒い男はすぐに部屋を出て行った。






 やっと目的地についたらしく、移動が終わって運んでいた人間が離れてどこか別の場所へ行ってしまったのを確認してから、シーグルは箱の中で目を開くとまずは自分の体の確認をした。腕は前で縛られているが間に布が挟んであるのか動かしても縄が擦れて痛いという事はない。足はどうやら縛られてはいないようだから、この箱の蓋に鍵が閉められていても蹴ればどうに出られるかもしれない。ただ……。

――服が違う。

 確かに移動中も感触的に違和感があったが服を緩められただけというのもある……と思っていたシーグルだったが、触ってみるとどうやら完全に着替えさせられているらしい。それにシーグルは顔を顰めた。なにせ、服を取り換えられているとすれば引かれ石がここにない。あれがあれば、片割れをもっているセイネリアはすぐにこちらを見つけられるのに――マズイな、とため息をつく。
 とはいえセイネリアなら何があってもシーグルを見つけ出すだろうことは疑いようがない。時間が少しかかるかどうかだけの話だ……考えながら、シーグルはこの自分が入れられている箱の蓋、上にある板を押してみた。

――まぁ、開かないだろうな。

 ガチ、と音がして板は途中で止まる。ただ思いきり蹴ったならどうにかなるのではないかと思って軽く膝で蹴って感触を確かめた。

――開けられる、か。

 ミシ、と蓋が軋む音がしたからシーグルはわずかに笑う。鍵は鉄製だろうが板は割れる。この感触ではそこまで分厚い板という訳ではなさそうだ。
 だが、そう思って本気で蹴ろうとしたシーグルは、外からの声でそれを止めた。

「だめ、静かにしていて。大きな音を立てると見張りが入ってくるから」

 か細い女性の声にシーグルは手足を下ろす。自分がそういう意図で捕まったのなら、ここにいる女性はおそらく……。

「もしかして、君は攫われてきた女性、だろうか?」
「はい……そうです」

 そこでシーグルはわずかに安堵する。

「君達を探していたんだ、ほかの女性達もそこにいるのか?」
「はい……あ、いいえ……全員ではありません……が」

 はい、という声は明るかったがその後の言葉が濁る。これはいない者の事を考えてか、それともこちらを警戒しての事なのか……シーグルは考えて聞いてみた。

「ターリナ、エチェット、クロース、ウォーナ、デビト……という名前の女性はそこにいるだろうか?」

 それには小声でざわめきが起きて、それから数人の声が返してくる。

「私、エチェットです」
「デビト……です」
「ターリナが私」
「ウォーナ、ですけど……」

 どれもが行方不明になったとあの助けた少女から聞いた名前で、シーグルはひとまず彼女達の無事に安堵する。とはいえここにあげた名前だけでも一人、クロースはいないらしい。

「街の……君達の知り合いから聞いたんだ、いなくなった君達を探してほしいといわれている」

 そこで再び上がった小さなざわめきは、少しだけ安堵の響きがあってシーグルもわずかに微笑んだ。これで少なくとも、こちらに対する警戒を彼女達は解いてくれるだろう。

「俺は捕まってしまったが、仲間が必ず助けてくれる筈だから希望を持ってほしい」
「はい……ありがとうございます」

 次には啜り泣く声が聞こえてきて、シーグルは一度ため息をついた。
 引かれ石はない、がセイネリアならあの宿の出迎え係が怪しい事は気付くだろうとシーグルは思う。そうすればこの場所も突き止められるかもしれない。とはいえ、出来るならここから自力脱出する方法も考えておくべきで……。

「そっちからこの箱は開けられそうかな?」
「いえ……鍵が掛かっていて、私たちの力では……」

 やはり鍵はかかっているか。ここまで閉じ込めたならそこまで長い時間放置されるとは思えないから行動を起こすなら早い方がいいが、無理やりこじ開けるのも問題があるらしい。

「見張りは……その、音がすれば来る程すぐ近くにいるのだろうか?」
「はい」
「見張りの人数は分かるかな?」
「すぐ傍にいるのは一人だと思いますが……少なくともあと5,6人は別室にいると思います」
「そのあたりに剣……の代わりになりそうなモノはあるだろうか」
「いえ、木の棒さえありません」

 最後は当然無理だろうと思ってはいたが、そうなるとどうするべきかとシーグルは考える。上手くこの蓋になっている板を壊して武器に出来ればいいが、壊してる最中に見張りが入ってきたらお終いだ。セイネリアならこんな板あっという間に壊せるだろうし、それこそこの箱自体を武器にしたり、いっそドアを壊して敵をなぎ倒してしまうかもしれないが……生憎そういうマネは自分には出来ない。

「この部屋のドアは向こうへ押すタイプ、かな?」
「いえ、向こうからこちらへ押して開くタイプです」
「君達は縛られているのかい?」
「いえ、縛られてはいません」

 少なくともここには捕まった女性が4人いるのは確定している。なら最悪でも、ドアを全員で押してもらえばすぐ傍にいるという見張り一人が入ってくるのを止めてもらう事は出来るだろう。
 ただ勿論、他の連中もやってきたら押さえきれないだろうからいきなり仕掛けてみる事は出来ない。チャンスを待つしかないか……シーグルはまたため息をついてから、おそらく聞こえる筈はないと思いつつも心の中で『彼』を思い浮かべて念じてみる。

 セイネリア、俺はここだ、と。



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 セイネリア、シーグルに何かあると行動が少し危険になりますので……。
 



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