ある北の祭り見物譚
シーグルとセイネリアのアウグ旅話



  【7】



「貴様、何をしていた」

 シーグルとセイネリアが二人して部屋に入って、レザが言った第一声がそれだった。セイネリアは見せつけるように機嫌よく笑うと、少しぼうっとして体に力が入り切れていないシーグルを引き寄せてその髪を撫でてみせた。

「想像通りと思っていいぞ」

 と返せば当然とてつもなく嫉妬の目でこちらを見てくる、それを笑ってやるのが気分がいい。

「いやレザ……別に、貴方が思ってる程の事はしていない」

 シーグルが言い訳のようにそういうが、その言い方は暗に『その前までの事をしていた』というのを肯定している訳で、レザの機嫌が直る筈はない。

「それより例のゴダン伯のところへ挨拶にいくのだろ? 俺も貴様の護衛としてついていっていいか?」

 セイネリアが聞けばレザはシーグルをちらと未練がましそうに見ながら言ってくる。

「……まぁ、そうだな。貴様より親類として本当ならそっちの方を連れて行きたかったのだが」
「それは無理だ、この状態のこいつを人前に出せと?」
「この状態って、別に俺は病気でもなんでもないだろ」

 シーグルが抗議してくるが、レザはため息と共に納得した。本人は気付けないだろうが――待たされたレザがしびれを切らしてもう一度呼びにくるまでずっとキスをしていたのもあって、今のシーグルの纏う空気は少々人に見せられる状態ではない。

「……くそぉっ、俺もせめてせめて触るか匂いを嗅ぐくらいはだな……」
「ふざけるな。まぁお前はこの部屋で待っていろ」

 ふざけるなはレザに向けて、その後のセリフはシーグルに向けて言えば、シーグルは少しだけ不機嫌そうに分かった、と答えた。





 と、いう事で。
 セイネリアとレザはゴルダ伯のところへ行ってしまい、シーグルといえばレザの部屋で留守番をしていた。ラウドゥもいないと不自然だと思われるという事で彼もついて行ってしまったから部屋には一人、シーグルしかない。
 だから、人目もはばからずにシーグルは鏡を見ていたのだが。

「そんなに……何かおかしいのだろうか」

 鏡に映る自分の姿を顔を顰めてのぞき込む。
 セイネリアもレザもその顔で人前に出るな、と言っていたがシーグルには何がマズイのかが分からない。それはさすがにキスが終わった直後だったら少し頭がぼうっとしていたし頬が赤くなるくらいはしていたかもしれないが、今鏡に映る顔はどうみてもただのいつもの自分で何かがマズイという事はない……筈だった。

「まぁ別に俺が行く必要はないから留守番は構わないが」

 そう思って鏡から離れて椅子に座る。セイネリアが件のゴダン伯を直接見てくるという段階でシーグルが行く必要がないのは当然だ。セイネリアなら気付かないが自分なら気付くのに――なんてことはまずないだろうと分かっている分、そこを彼に任せるのは構わない。
 ただなんというか――微妙に自分に対して納得がいっていないだけである。

『言っておくがシーグル、お前は自分が思った以上に色気があって誘う雰囲気を持っている』

 最後にダメ出しのように言われたセイネリアの言葉が特に納得がいかない。そのセリフ自体は騎士団時代にキールやグスから言われたことがあるが、セイネリアに言われると『誰のせいだ』くらいは言ってやりたい。……いや、あの場でそこからまたくだらない口喧嘩を始める気はなかったから言わなかったが。

――別に俺は誘っているつもりはないし、レザやセイネリアと違っていつでもそういう方面の事を考えている訳じゃないぞ。

 その程度の愚痴は言ったっていいだろう。
 シーグルはため息をついた。待っているだけの無為な時間というのはどうしても持て余してしまうが、暇だとロクな事を考えない自分にも嫌気がさしてきた。というかそもそも、ただ待っている、とか、何もすることがない、なんて状況にシーグルは慣れていない。部屋の外にはへたに出るなと言われているから暇なら剣を振りにいくという訳にもいかない。この部屋は広いが、こんな高価そうなモノが並ぶ部屋で剣を振る程シーグルも礼儀知らずではない。

 だがそうして『どうやって時間をつぶすか』なんて自分にとってはまず滅多にない題材と向き合っていたシーグルは、部屋をノックする音を聞いて後ろを振り返った。

「すみません、少々お話したいことがあるのですが」

 シーグルは少し考えて、その声がこの宿の者――正確には入口で来客の確認をしていた人物である事に気が付いた。

「どうしたんだ?」

 ドアを開けずに聞けば、向こうからも声だけが返ってくる。

「先ほど聞かれたあの部屋への『客』についてなのですが、気になる事を思い出したのでお教えしようかと」
「そうか、それは有難い」
「それで……その……大きな声では言いづらく……」

 確かに廊下で話していると誰に聞かれるかわからないうえにドア越しでは声を大きくせざる得なくなる。

「分かった」

 だからシーグルはドアを開けた。とはいえその前に、持ってきていたフード付きのマントを急いで羽織って顔は極力隠すようにした。
 開ければそこにいたのは確かに声の通りの人物で、シーグルは警戒せずに彼を一時的に部屋に入れた。

「気になる事とはどんな内容だろうか?」
「はい、客の一人に見た覚えがあった気がしたのですが、その方の名前を思い出したのです」
「聞いてもよいか?」
「はい、少しお耳をよろしいでしょうか?」

 確かに人の名前であれば特に警戒して小声になるのは当然だろう――そう思ったシーグルは素直に耳を出して彼の方に傾けた。

「前にいらした方だったので覚えていたのですが……」

 相手の声は相当に小さくてシーグルは神経をそちらに集中する。
 だから、油断した。
 ふと目の前に赤い石が現れてそれを見てしまって――ここがクリュースであればまだしも、まさか、という思いがあったせいでそれをマトモに見てしまった。キラキラと光る石は見た相手を眠りへと誘う……それはクリュースでは金を出せば簡単に手に入る、アルワナ神官が作る『眠り石』だった。

 まずい、と思ったのと、何故ここでこの石が、と思ったのはほぼ同時で、シーグルは体から力が抜けていくのを自覚する。ガクリと膝を落とした次の瞬間には視界がぼやけて、そのままシーグルの意識は眠りの中に沈んでしまった。





 その人間がどういう人間か、というのは顔と話し方と立場だけで大半は分かる。たとえ会話内容の大半が分からなくてもそれだけで本人と会う意味はある。なにせレザとゴダンの会話となれば回りくどい貴族的な言い回しが入る、一般人との会話ならほとんど意味が聞き取れるセイネリアであっても会話内容の方は最初から聞き取れないものだと考えておくことにしていた。

「これはこれはレザ男爵、この度は余計な心配をおかけした上に部下の無礼な態度、どうかお許しください」
「いや、こちらもいらぬ世話だと思いつつも気になって余計な事をしてしまっただけだ、こちらこそ出過ぎたマネをしてしまった、許してもらいたい」

 互いに謝るつもりなどないのに謝る、というのもこの手の場ではお約束だろう。そういう貴族同士の腹の探り合いなどばかばかしいと思いつつも、こういうやりとりはその人間の格というのが分かりやすい。
 ゴダンは演技過剰になるでもなく、さらりと上手く謝って見せる。成程これはかなり裏であれこれやり慣れたタヌキだ、というのがこれでわかる。これは会話でボロを出すようなタイプではないから、上手く罠にはめるか、きっちり証拠を見つけて追及するしかないだろう。

「そういえばまた今日は珍しい者を連れていますな」

 当たり障りのない会話を続けていたゴダンが、途中でセイネリアを見てそう聞いてきた。いくらいいガタイのレザの後ろにいたとしても、自分のような物騒そうな人間がいたら何かあるのかと勘ぐっても仕方ないかとセイネリアも思う。

「あぁ、最近遠出した時に見つけてな。いい腕だからこうして連れ歩いている。なにせ私ももう歳だ、護衛くらいは連れて歩くようにはしようと思った訳だ」
「何をおっしゃっているのですか、この間軍の訓練に付き合って、各隊の隊長達を吹き飛ばしていたと聞いています。まだまだアウグの勇者、『吼える男爵』はご健在ではないですか」

 アウグだとセイネリアの外見は『蛮族出身』という事にしておくのが納得されるらしい。だからそれだけでゴダンには、レザが国境近くか国外まで行った時に見つけた蛮族の青年を連れて歩いている、というのが伝わった筈だった。
 セイネリアは瞳を伏せて見えないようにしながら軽く会釈をした。

「何、気持ちではまだ若い者に負けていないがな、人の言う事も聞くものだと思ってな」
「成程、つまり奥方に連れ歩くように言われた訳ですか」
「まぁそれはある。なにせ常々、もう歳だからと言われまくっているのでな」
「そうですか、奥方公認なら本当にただの護衛なのですね。私はてっきり、貴方の趣味も随分変わられたものだと思いました」

 そこでレザが一瞬、止まる。
 ……まぁ、この親父の普段の行いを聞いていれば、確かに新しい若者を連れていれば護衛だけではなくその手の相手として連れて歩いていると思われても仕方がないところだろう。

「い……いや、この者は本気でその腕を買っているのでな、それ以外の役目はない」

 レザの顔が引きつっている。そういう相手としてセイネリアの事を想像してしまったのなら当然の反応だろう。というか、怒って騒いで大声で否定したいところを耐えて抑えているのだろうというのが分かる。……もちろん、セイネリアもたとえ想像だけだとしても考えたくないというのは当然だ。

「そうですか。ならば余程の腕なのでしょう。それは心強い事ですな」
「あ、あぁ、腕の方は相当だ、これは保証する」

 どうにか気を取り直してレザが返し、後はまたさしさわりのない世間話に戻す。それもさほど長くはせず、レザはそこから間もなくゴダン伯に別れを告げた。なにせ今回はあくまでただの挨拶だ、余程強く引き留められない限り、さっさと引き上げたほうが向こうに余計な警戒をされずに済む。
 セイネリアとしてもゴダンの人間性を観察したかっただけだから別に会話での収穫を期待していた訳ではなく、成果としては十分、会うだけの意味はあったなと思っていた。

 ……そう、レザの部屋に帰るまでは。



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 いつもの(?)シーグルさんピンチ発動。
 



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