ある北の祭り見物譚
シーグルとセイネリアのアウグ旅話



  【15】



 早起きをして、朝の鍛錬が出来て、食事をささっと取って出かける――そういうきちんとした時間の使い方をした場合のシーグルは機嫌がいい。……まぁそもそも彼は機嫌が悪くても誰かに当たるような人間ではないが。もっというと彼の機嫌が悪い時はセイネリアがわざとやった事が原因な事が殆どだから、意図して機嫌を損ねさせていなければ機嫌が悪くなる彼ではない。
 と、やけにきびきび動いて元気そうな彼を見ながらセイネリアは考える。

「何やってるんだ、セイネリア。疲れたんじゃないだろ?」
「まさか。ちょっとお前を離れて見てただけだ」

 言うと彼は暫く黙った後、軽くため息をついてから返してきた。

「俺より周りを見ろ、せっかく珍しい祭りを見にきたんだ」

 祭り初日と二日目の昨日は外を見る余裕もなかったシーグルは、今日は街に出た途端ずっと楽しそうで、あちこちにある氷像や氷の細工物や飾りを見ては目をキラキラさせて眺めていた。あまりに見る方に夢中になってこちらに話しかける事もなくどんどん進んでいく彼を見ていたら、ちょっと癪になったというのもあるが少し離れてその姿を見てみようと思って足を止めた……というのが現在のセイネリアの状況だ。

「氷像などより俺はお前を見ていたほうがいい」
「俺はいつでも見れるだろ」
「俺が興味あるのがお前だけなんだから仕方がない」

 シーグルが絶句して黙る。このやりとりはクリュース公用語だからまず周囲でわかる者はいないだろう。分かった者がいたとしても今は別に敵国ではないから問題はない筈で、シーグルが勝手に恥ずかしがっているだけの話だ。

「……まったく、お前はもう少し恥ずかしいという感覚を持ってくれ」
「どうせここなら言葉の分かるやつはいない」
「とはいえな……」
「言葉が分からないなら、男同士で何か言われて赤くなってるお前の方がおかしく見えるぞ」

 言えばシーグルはフードを持って顔を隠す。そんな様に笑いながら、セイネリアは彼の方に歩いていった。
 シーグルが少し顔を上げてこちらを睨む。

「折角こういうところにいるんだ、お前はもっとちゃんと祭りを楽しめ」
「ちゃんと楽しんでいるぞ」

 言ってもシーグルは疑わしそうにこちらをまだ睨んでいる。

「本当か?」
「あぁ本当だ」

 実際のところ、セイネリアは別に祭りを楽しんでいない訳ではない。周囲の氷像も氷細工もそれなりに面白いものだと思うし一応一通り見てはいる。ただそれより、それを見た時のシーグルの顔を見ている方が楽しくて胸が満たされるのだから仕方がない。だからあえてここでしか出来ない体験として氷の風景の中にいるシーグルを見たかったというところだ。……実のところ、離れてしまうとフードを落としているシーグルの顔はよく見えないのだが、そこは想像で補完していた。なにせいくら人が多くて他人を気にしている者は少ない、とは言っても、シーグルの容姿は目立ちすぎるから素顔を堂々と晒して歩かせる訳にはいかなかった。

「それよりお前、寒くないのか?」

 顔をのぞき込めば鼻や頬を赤くしているシーグルを見て、セイネリアは彼の体を引き寄せた。

「大丈夫だ、寒さには慣れてる」

 恥ずかしそうに離れようとするシーグルを更に引き寄せて体をくっつけさせると、セイネリアは笑う。

「セニエティよりずっと寒いぞ、ここは」
「アッシセグ暮らしが長かったお前とは違う」

 こちらを睨んで偉そうに言ってくるその顔にキスしたくてたまらなくなったが、セイネリアはそれをどうにか抑え込んだ。代わりにフードの中に手を入れて、彼の髪の毛をぐしゃぐしゃと撫でる。

「生憎と俺の生まれた街は冬はセニエティより寒い」
「わ、おい、やめろっ」

 彼がこちらの手を両手で掴んで止めようとしてきたから、空いている腕の方で彼の体を引き寄せる。そのまま彼の体をこちらのマントの中に入れてやれば、シーグルが驚いて見上げてきた。

「おい、人前でこれは恥ずかしいだろっ」

 セイネリアは構わずにシーグルを抱きしめて彼の頭に顔を押し付けて言った。

「うつむいて黙ってろ」
「……は?」
「厚着してるから顔を見せなきゃ男か女か分からんさ。恋人同士ならこれくらいくっついているのはあちこちにいる」

 シーグルが黙る。様子からすれば周囲を見回しているのだろう。
 ここは一番広い展示場だから人はそこまで密集している訳ではない。だからパッと見でも、あちこちに二人でぴったりくっついて歩いているカップルがいるのが良くわかる。彼らは手を繋いではしゃいでいたり、抱き合ったりキスしてるのも珍しい事ではないから今のセイネリアとシーグルの恰好も別段他と比べておかしいものではないと言えた。

 シーグルは暫く黙っていたが、そこで軽く息を吐くと大人しく顔を下に向けた。どうやらここで男同士で抱き合っているという状況をみられるくらいなら女のフリをしたほうがいいと思ったらしい。
 セイネリアは笑いながら彼をぴったり抱き寄せた状態で歩きだす。

「おい……」
「祭り見物をしたいんだろ? このまま見物続行だ、これくらい他の連中もやってる」

 それにはシーグルも文句を返せない。なにせ寒い地の所為もあるのか、周囲のカップルはやたらと皆体同士をくっつけている。家族でも小さな子供達と母親はべったり一塊になっている。

「……上を向けないと景色が見えないんだが」
「なら顔が隠れるように注意しながら顔を上げろ、多少なら見えても大丈夫だ」
「俺の顔は女に見えるのか」
「顔の一部だけなら区別がつけにくい」

 実際、女性にしてはシーグルは背がありすぎるし(ただセイネリアの方が更に高いから不自然には見えないだけで)女顔ではないから、体のラインが分かる恰好で顔を全部出していれば女にはまず見えない。ただシーグルの顔はパーツ単位で見ると男くささがほぼないから、着ぶくれして体形が分からない状態だと女だといえば女で通せるだろう。

「……思いきり不本意ではあるが」
「いいだろ? くっついてた方が暖かい」
「確かに……そう、だが」

 セイネリアは喉を揺らして笑う。周りに夢中になって勝手に先に歩いていく彼についていくのはちょっと面白くなかったが、こうして歩けるなら文句はない。レザがいたら無理だったろうが――彼は今回、知り合いにさんざんあいさつ回りをした所為もあって祭り中はあちこちの貴族に呼ばれまくられていた。特にゴダン卿の事件については既に貴族間に広がっていて、事の顛末について教えてほしいと熱心に誘われて断れない状況らしい。
 シーグルに祭り案内をする気満々だったのが他の貴族連中の付き合いに振り回される事になって、恨めしそうに出かけていったレザの顔を思い出す。
 おかげで一番最初の思惑通り、二人きりで祭り見物が出来たのだからセイネリアとしては気分がいいことこの上ない。

 ただ、すべてうまくいったのはそこまでで、そこから間もなく、二人きりを満喫したかったセイネリアの思惑も、女のふりをしてくっついてる事の不自然さを誤魔化すしかないというシーグルの思惑も、どちらもあっさり崩れる事になった。

「レジエン様っ、良かった、まだいらっしゃったのですねっ」

 腕の中でシーグルの体がびくりと震える。
 セイネリアも声で分かった。あの廃教会で助けた娘の一人だ。ただ、シーグルが返事をするべきかどうか迷って何も言わずにいれば娘の声が不安そうに聞いてくる。

「あの……レジエン様ですよね? だってそちらはレジエン様のお仲間の方に間違いないですし」

 なるほど、シーグルが見えたというより自分が見えたから確信した訳か。セイネリアがシーグルを見下ろせば、彼はそうっと娘の方をのぞくように顔を向けようとしていた。セイネリアが腕を緩めてやれば完全に彼は諦めたらしく体毎彼女を見てフードを少し上げた。

「すまないが、その……目立つ訳にはいかないから……」
「あぁっ、すみませんっ、そうですよねっ」

 娘が安堵の笑みを浮かべて頭を下げる。それから今度は声のトーンをかなり落として聞いてくる。

「あの、ありがとうございましたっ……それで、あれから皆がどうなったかとか、お礼とか……いろいろ、その……」

 つまり話があるというのだろう、それを察してシーグルが彼女に言う。

「分かった、なら少し人のいないところへ行こう」

 娘はまた満面の笑みを浮かべる。

「はい、ではこちらへ」

 土地勘では彼女のほうが上なのは確実だから、ここは素直に彼女の言う事を聞く事にする。この娘が悪意がなくて騙す気がないのは確実だし――もし騙す気だったとしてもセイネリアとしては構わないが――ともかく彼女について行き、セイネリアとシーグルは広場から少し離れた路地裏に入って行った。



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 いちゃいちゃさせすぎて長くなりました……。次回こそ終わります。
 



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