希望と陰謀は災いの元




  【8】



 大きく背伸びをして、ラークは朝の清々しい空気を目一杯吸い込んだ。こんな早起きをしたのは何年ぶりだろうなんて考えながら、庭に出れば自然と足は温室へと向かってしまう。そこは領主としてよりは長い魔法使い(見習い期間を含めて)の性という奴だろう。

 リシェへやってきた国王一行の予定はいつも、その日はシルバスピナの館に泊まって翌日の午後に首都へ帰る事になっていた。そのおかげで昨日は朝から晩まで忙しかったラークは、研究で夜更かし……というのはせずに早くに寝て、その所為で朝早くに起きたという訳だった。なにせいつものように昼まで寝るなんて訳にはいかず、国王一行と朝食を取らなくてはならないからと気合いを入れて早寝しのだが……疲れているのもあって早く寝すぎた所為か流石に早く起きすぎた。

 だからまだ朝食には時間があるという事で、ラークは庭の散歩とついでに温室の様子を見に来た訳なのだが……久しぶりの早朝というのもあってか、静かな上に空気が新鮮で気分が良い。国王滞在という事でいつもより増し増しであちこちにいる警備はちょっと無粋ではあるが、ヴィド夫人のおかげで見て楽しい庭を歩くのも気分がよければ、朝露に湿った植物たちの生き生きとした様子を見るのもまた楽しい。思わず鼻歌さえ出てしまいながら歩いていたラークだったが、そこで朝の静けさを破る声にびくりと足を止めた。

「ほらそこっ、もっと右っ、そうそこっ、たく何トロトロやってんのよこのでくの坊っ」

 女性の声ではあるが聞き覚えがなく、ラークはそっと大きい植木の横から声の方を覗いてみた。

「ほら急いでっ、奥様が起きるまでに終わらなかったらその無駄にデカいケツを蹴るわよっ」

 自分は薔薇の密集地に手をつっこんでいる女性は、周囲にいる2人の男達に指示を出しているようだった。そこまで分かって様子を見て、ラークは彼らが庭の花木の手入れをしている最中なのだという事に気づいた。
 この庭と温室はヴィド夫人のお気に入りの庭師に任せているが、勿論彼ひとりで全部を世話する事なんて無理なので温室の規模拡大に合わせて人を雇う許可を出していた。だから新しく雇った庭師なのだろうとは思ったものの、若い女性がきびきびと動いて体の大きい男達に指示を出している様は、なんだかとても痛快でかっこいいとラークは思う。

「ほらほら、この子はデリケートなんだからそんな乱暴に触っちゃだめでしょっ。……ごめんね、痛かったでしょ」

 怒鳴っていたと思ったら今度は優しく花に謝っている、そんなところもなんだか良くて、花に向かって『この子』なんて言ってしまうところも女性らしいなぁなんて思ったりもする。
 しかも彼女を見ていて気付いたのだが……背まである長い髪を後ろできゅっと縛って纏めているその髪の色は金髪に近い茶色で、フェゼントや母親とかなり近い色をしていた。そう思ったら自然と目が彼女を追ってしまって、ラークはいろいろ頭から飛んだ。
 だから、ちょっとミスをしてしまった。

「……ヴァンテア様?」

 名前を呼ばれてはたと気が付く。どうやら彼女を見ていて身を乗り出していたらすっかり植木から体が出てしまっていたようで、こちらを向いた彼女に思い切り見つかってしまった。

「あー……その、庭の手入れ中だよね、邪魔しちゃったね、えーと……いつも有難う」

 何か領主として気の利いた事を……と思ったがそうそう上手く行くはずもなく、我ながらチグハグな事を言ったなぁと直後に落ち込んだラークだったが、そこで彼女はにこりと笑うとその場で丁寧に礼をしてみせた。

「勿体ないお言葉でございます。私こそここに呼んでくださった事には感謝の言葉しかございません。ずっと塞ぎこんでいた奥様が元気になられて、私達にはとてもやりがいのある仕事も与えてくださって、父と、それに祖父もここに来てから毎日楽しそうにしております」

 ちょっと彼女に見惚れていたラークは、気付いてすぐに言葉を返す。

「あーうん、いやそのっ、俺もすごい助かってるからっ」

 と、そう返してから更にラークは気づいた。

「もしかして君って、夫人の連れて来た庭師さんの……娘さん、かな?」

 兄とほぼ同じ金髪に近い茶色い髪の女性は、また満面の笑みでラークに返した。

「はい、フォル・オズローの娘、シスリーナと申します」

 ラークの頭の中では、春を告げる鐘の音が鳴っていた。







 居並ぶ貴族達の顔を眺めてシーグルは兜の中でため息をつく。リオロッツが倒された後に大幅な改装が入った水星宮は、特に会議場は大きく変わって貴族院の委員たちの席と王座の他、ゲストとして呼ばれる者達用の席が出来た。その席の中でも一番位置の高い特別席にセイネリアが座り、シーグルはその傍に立っていた。見下ろす他の招待された者達を見れば確かに騎士団関係者が多く、しかも新政府発足時に上層部の大幅な入れ替えが行われたにも拘わらず半分以上はシーグルの知っている顔だった。

――確かにこれは、いかにも、という状況だな。

 摂政は王と共に今日はリシェに行っていて不在。夕方には帰ってくるがその前に決着をつけてしまおうというのがよく分かる。委員達の出席率もほぼ空席がないくらいに良く、議会全体が妙に緊張した空気に包まれていた。……それは単にセイネリアが議会にいる、という理由だけの可能性もなくはないが、怪しむ材料としては十分すぎた。

 時間になると、進行役のサネヴァード卿が議会の開始前に今日のゲストを紹介する。これは地位的に下の者から呼ばれるから、当然ながらセイネリアは最後になる。時折知らない顔だと思った者が名前だけ知っていたり等あって、シーグルとしては紹介自体はかなり注意して聞いていた。
 セイネリアといえば当たり前だが公の場では仮面をしていてその表情は読み難い。
 だがゆったりと座っていつも通りの余裕のありそうな空気を出しているから、逆に委員達の方が追い詰められている気さえする。そもそも将軍セイネリアに意見を言える程の者がいるのかというのが一番の問題だから、レイリース・リッパーについてどう追及してくる気なのかというのが気になるところだった。

 次々とゲストの名が読み上げられて、それぞれが立ち上がって拍手の中礼を取る。そうしてセイネリアの番がくると、セイネリア自身は座ったまま今度は委員や他のゲスト達が立ち上がった。
 セイネリアの名が読み上げられ、セイネリアが手を上げると同時に一斉に議会の全員が礼を取る。今日は摂政のロージェンティがいないから、現状ここにいる人間では地位的にセイネリアが一番上になる。いくら平民出のセイネリアに頭を下げるのが嫌だと思ったところで彼らも形式を破る事はない。

「そうしてその傍にいるのが、今年の月の勇者、そして本日の議題の一つの主役であるレイリース・リッパー殿となります」

 セイネリアが手を下げるのに合わせて一斉に皆が座った後、唐突に名を呼ばれてシーグルは一瞬困惑した。とはいえ現在の地位ではここにいる中で一番下になるから、シーグルはその場で礼を取って辺りに拍手が起こる。
 そうして拍手が止んでから、議会の開始が告げられた。



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 いよいよ……というところですが、次はまたラークパート。
 



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