希望と陰謀は災いの元




  【7】



 セイネリアが余裕を持って『大丈夫だ』と言っていて大丈夫でなかったことはない……のだが。
 シーグルは考える、目の前で機嫌が良さそうに大口で料理を平らげている男を見ながら、今回も本当に大丈夫なのだろうかと。

「シーグル」

 唐突に名を呼ばれてシーグルははっと意識を戻した。
 セイネリアがフォークに刺した肉をこちらに向けてにっと笑う。

「また食う気がないというなら俺が食わせてやろうか? なんなら口移しでもいいぞ」

 思わずかっとして、シーグルは怒鳴った。

「ばっ……ふざけるなっ、お前は浮かれすぎだ」

 言えばセイネリアは楽しそうに笑って、こちらに差し出していた肉を自分の口に放り込んだ。

「あぁ、今の俺は浮かれすぎてるな」

 どうやら自覚はあるらしい――とは思っても、だから大丈夫かとも思えなくてシーグルはやっぱり不安になる。いくら浮かれてもセイネリア・クロッセスがこの手の事でそうそうミスをする事はない――危ない要因があればいう筈だし、これだけ自信満々に大丈夫だと言っているのだからまず本当に大丈夫なんだろう――とは思っても、ここまで上機嫌で浮かれている状態をずっと続けているこの男を見た事はない。彼が浮かれて油断した、なんてことはないと思っても、なんというか目の前にいる『あり得ないセイネリア・クロッセス』を見ているとシーグルとしては不安になるなという方が無理だ。

「シーグル」

 また名を呼ばれて、シーグルは焦って持っていたスプーンでスープを掬う。食べ始めればセイネリアはにこりと笑って食事を続ける。なんだかそれがちょっと恥ずかしくて頬が熱くなるのを自覚しながら、シーグルはパンを千切ってスープに浸すと口に入れた。それから肉にフォークを刺して、噛み切って咀嚼する。ちらと見ればセイネリアはこちらの倍以上は確実にあった肉を食べ終わるところで、相変わらずの豪快な食べっぷりには感心する。昔は彼の豪快すぎる食べ方を見ているだけで胸焼けがする時もあったのだが、今ではつられてこちらも普段以上に食べれてしまうのだから不思議だった。

「今日の肉はいい香りがしたろ」

 急にセイネリアにそう言われて、シーグルは口の中のものを急いで噛んで飲み込んでから返事を返した。

「あ、あぁ、そういえば確かに……いい香りだ。あといい感じに辛みがある」
「お前の弟が持ってきた新しいハーブを挟んで焼いたそうだ」

 言われてシーグルは残っている肉に目をやる。そうして思わず口元を綻ばせる。

「ラークが来たのか」
「……正確にはその使いだがな。どうやらお前の弟が外国産の植物と掛け合わせて作ったそのハーブが今、貴族の間で評判らしくてな、もう少し改良したら量産しようという話になっているらしい」
「あぁ、確かにこれなら欲しがる人間は多そうだ」

 香りだけでなく辛みを感じる事で肉の味にアクセントが出来る。シーグルでさえあまり途中で休憩を入れず食べられているのだから、肉をよく食べる貴族達からは評判がいいというのは頷ける。

「何気に今、お前の弟は魔法使いの中でもかなり有名になっているぞ。魔法使いの領主というだけでも注目はされていたが、貿易商人達からの土産の植物とその財力のおかげで研究の捗り具合が相当らしい」
「そうなのか?」

 シーグルはそれに目を大きく開けて聞き返す。常々ラークは『兄弟の中では一番魔力が低い俺は魔法使いにはなれない』と恨めしそうに言っていたから、彼が魔法使いになってそれで更に成果を出せていると聞けば嬉しくない筈はなかった。

「あぁ、植物系魔法使いだからな、こと研究方面についてなら、魔力自体より所蔵植物の種類とそれを栽培できる環境というのは大きいだろうさ。欲しいタイプの植物を探すなら冒険者を雇うよりリシェの領主に頼んだ方が確実だ、と魔法使いの間でも言われているらしい。ドクターもたまにリシェの温室に行ってるぞ」
「すごいな……」

 彼が勉強家なのを知っているから、シーグルとしては自然と笑みが零れてしまう。

「それにこのハーブが量産されれば金にもなる、リシェの商人達も大喜びで協力してくれているそうだ」
「あぁ、それはそうだろうな」

 それには思わずクスリと声を漏らしてしまう。リシェの議会に集まる大商人達の顔を思い出せば、大喜びでラークに商談を持ち掛けている姿がすぐに浮かぶ。ちょっと商人達は調子に乗りやすいところがあるが、その口車に乗って飛ばし過ぎないよう、きっとウルダが抑えてくれているだろう。

「リシェといえば領主の役目は防衛面だが、そちらに関しては自分はそっちの専門家じゃないから、ということで側近や古参兵達に任せて報告だけを聞いているらしいな。それはそれでヘタに口を出さないから上手くいっているらしいぞ、何せもともとの領主の気質からしてリシェの兵は質がいいからな」

 それにはウルダやリーメリ、そして古参の守備隊長達や、直属の警備兵たちの顔が浮かぶ。どの顔もシーグルが信頼していた頼もしい人々ばかりで、彼らなら丸投げで任せても大丈夫だろうと思えた。

「ラークは、上手くやっているんだな」

 言えば、ずっと気味が悪いくらいの上機嫌だったセイネリアが急に眉を寄せて軽く顔を顰めた。

「どうかしたのか?」

 だから聞いてみれば、セイネリアはその顔のまま、やはり機嫌が悪そうな声で答えた。

「なに、やっぱりお前はいくら深刻に考え事をしていたとしても、家族の話をすればすぐ嬉しそうに笑うと思ってな。俺を目の前にして心ここにあらずといった態度を散々取られた後だからな、少しばかりムカついても当然だろ」

 つまり、拗ねているのか――将軍セイネリア・クロッセスのその態度に、シーグルは正直頭が痛くなった。

「そうそう会えない人間と、いつでも傍にいる人間の差もある、お前より家族が上という話じゃないだろ」
「なら俺の方が上なんだな?」

 何をガキみたいな事言っているんだこの男は、とシーグルは顔を引きつらせた。

「そういう問題じゃない、家族とお前では感情が別だ、比べるものじゃないだろ」

 それからそれ以上話すのを拒絶する為にも、こちらをじっと見てくる彼を無視して黙々とシーグルは食べた。セイネリアは暫くじっと食べるのを止めてこちらを見ていたが、不機嫌そうな顔のまま、今度は唐突に言って来た。

「俺にとってお前は一番ではなく唯一だ、お前と比べられるものなどない。俺はお前だけを愛してる」

 言いながら最後はふっと幸せそうに笑って見せるのだから、この男にはやはりこの手の経験値では勝てない、とシーグルは思う。

「お前は? お前にとっての俺はどうなんだ?」

 続いた質問は予想していたが、それにすぐ答えられる筈などない。……かといって、だんまりを決め込む訳にもいかない。シーグルは大きくため息をついた。

「俺にとってもお前は唯一だ、お前に対する感情はお前にだけだ、同じような感情を抱く相手はいない、それは確実に愛だと……思う」

 ここで一番はお前だ、とも、お前だけを愛している、とも言えないあたりがシーグルが正直過ぎるところだが、セイネリアはその台詞には僅かに片眉を跳ね上げてから、軽く息をついて腕を組んだ。

「もう少し気の利いた返事が出来ないのか、お前は」

 それにはシーグルもムっとなる。シーグルとしては精一杯の、恥ずかしさを我慢して言った言葉だったのだから。

「生憎、今の俺はお前におべっかを使ってやらないとならない立場ではないからな」

 だが半分怒ってそう返せばセイネリアはククっと喉を鳴らして、それから楽しそうに笑いだした。……こういう時本気でシーグルはこの男が分からない。

「なんだお前は、不機嫌になったり笑いだしたり、不気味過ぎるぞっ」

 だからそう怒鳴れば、セイネリアは楽しそうに笑いながらテーブルに肘をついて手に顔を乗せてこちらを見てくる。

「怒るな」
「誰の所為だっ」
「まぁ、俺の所為だな」
「分かってるなら謝れ」
「あぁ、すまなかった。だが……拗ねても怒っても恥ずかしがっても、どんな顔をしていてもお前はいいと思ってな」

 それにはもう怒る気力も失せてシーグルは口を閉じた。つまりこの男は、わざとこちらを怒らせたり恥ずかしがらせたりして楽しんでいたわけだ、と。

「シーグル」

 反応するのがバカバカしくなって、シーグルは無視して食事を再開した。

「しーちゃん」

 無言でもくもくと食事を口に運ぶ。こうして別の事を考えて食べているのも、何気に食が進むものだと思いながらシーグルはただ食べる。

「シーグル、今日は議会に呼ばれている、多分お前がシルバスピナ卿ではないかと追及される可能性が高い」

 ぴたりとシーグルは手を止めた。ここでちゃんとした用件を言ってくる辺り、この男は本当に話の運び方が上手い。シーグルとしてはこれでは無視を決め込めなくなる。

「表向きはお前を騎士にするのを承認する為の会議という事で、既に可決されてはいるから承認だけであるし是非本人も連れてきて欲しい……ということだからな、そこでお前の正体を追及する流れに持っていくつもりだろ。騎士団の幹部連中も呼んであるそうだからほぼ確実だ」

 シーグルは自然と大きくため息をついていた。そういう重要な話をどうして馬鹿馬鹿しい遊びの後にするんだと考えれば頭が痛い。

「……どうする気だ」

 仕方なく彼の顔を見て尋ねれば、セイネリアはまた嬉しそうに笑って返す。

「別に、対処方法はちゃんと考えてあると言ったろ。お前はネックレスと腕輪を忘れなければそれでいい。あとは俺が言う通りにして適当に話を合わせろ。あぁそれと、何があっても自分はレイリース・リッパーであるという態度は崩すなよ」

 この間から思っていたが、ネックレスと腕輪を絶対というなら兜を脱ぐこともあるという事か、それでもシラをきり通す気なのか――一体セイネリアがどんな対策を考えているのか分からなくてシーグルとしては困惑するしかない。

「大丈夫だ、問題ない」

 やたらと笑顔で気楽にそういう男の顔を見て、やっぱりシーグルの不安は拭えず蓄積するばかりだった。



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 無茶苦茶楽しそうだなセイネリア。
 



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