四ツ目屋の風呂敷包み ――蘭法妙薬編――

家守 きょう、呼んだのはタイトルに「四ツ目屋の風呂敷包み」とあるように、江戸時代にあった四ツ目屋という店で売られていた、あるいはそれに類するもののいくつかを紹介していこうってことで……。
初美 四ツ目屋って何なの?
家守 江戸時代の後半から記録に登場する性薬、性具店。つまり、いまでいうところのアダルトショップだね。川柳にもたくさん詠まれていて、当時はとても有名な店だった。
初美 いやだなあ。何で私がこんなところに出てこなくちゃいけないのよ。どうせ女の私には関係のない話なんだろうから、趣味がご一緒の野郎を引っ張り出したほうがよろしいんじゃないの?
家守 いま、ちょっと軽蔑してる? でも、いいじゃん。どうせ暇でしょ? しばらくつきあってよ。
初美 嫌だといっても帰らせてもらえないんでしょう。
家守 帰るってどこへ帰るつもり? 帰るところなんかあるの?
初美 決まってるでしょ、現実の世界へよ。私にだってプライバシーと社会生活がちゃんとあるんだから。でも、まあ、しょうがないわね。こちらの世界では私が誰なのかを知ってる人はいないし、しばらくの間ならつきあってあげるよ。で、四ツ目屋ってどこにあったの?
家守 当時、江戸随一の繁華街だった両国の米沢町というところ。いまの中央区東日本橋2丁目あたりにあった。
初美 両国って現在は隅田川を越えた東日本橋と向かいの一帯の地名だけど?
家守 当時は両国橋の東西、回向院から柳橋、東日本橋周辺までの広範囲な一帯を両国と呼んでたんだ。夏の隅田川の花火や屋形船、東西の広場では大道芸、見世物小屋などがたち、浄瑠璃の稽古所、髪結床、鰻屋、茶店などいろんな店があったそうだ。通りを行く人も老若男女、武士、町人、僧侶、俗人、往来での行商人など、大勢いたそうだよ。
初美 そんな人通りの多いところにあったら、入るのはけっこう恥ずかしいんじゃないかしら。いまだってそうでしょ。家守くん?
家守 いや、入るときよりも出る姿を外の人に見られたほうが。でも、一時の恥も後々に快楽が増すと思えば……。いや、いや、そんなことはどうでもよくて、四ツ目屋の目印は、黒地に四ツ目結び紋の看板。背景の模様の紋だね。で、店内は比較的広かったらしいんだけど、薄暗くて、顔を見られないで買えるような工夫をしてあったそうだよ。左の絵が四ツ目屋の店内だね。これは『春情妓談水揚帳』の3章後半あたりの挿し絵で、お銭がお側女中に頼まれて四ツ目屋へ張り形を買いに行った図。
初美 手前の男が店員みたいね。ということは対面販売じゃない。
家守 左上に障子から何かを持った手が出ている。「これも買いませんか」みたいなことを言っている手なんじゃないのかな?
初美 ふう〜ん。顔が見えないといえば、私はよく知らないけど、エッチホテルの受け付けでも店員と客が顔を合わせなくなっているところがあるみたいね。顔が見えちゃ、あとでバツの悪い思いをすることもあるだろうし。で、これはっていう最も有名な商品なんてあったのかしら。その張り形っていうのもそうなんだろうけど。
家守 薬で第一に有名なのは長命丸だろうね。
初美 長命丸?
家守 長命丸という薬は意外と早くからあったらしい。米沢町に四ツ目屋ができたのは江戸後期、1750年以後だと思われるけど、長命丸はそれ以前からすでにあった。四ツ目屋の看板に「長命丸は明応(1500年前後)のころ、長崎に伝わり、寛永(1630年前後)のころに江戸で販売しはじめた」と書かれていたそうだよ。もっとも明応というと戦乱の真最中の時代だから、その看板の文句は嘘だろうと言われているけど、少なくとも1700年の初めごろには長命丸という薬が江戸市中に出回っていたらしい。また、記憶が不確かなんだけど、そのころ書かれた『魂膽色遊懐男(こんたんいろあそびふところおとこ)』って小説にも長命丸が出てきたと思ったよ。もっとも作者の江島其磧は京の人だから、そのころすでに長命丸は案外全国的に知られていた薬だったのかもしれないね。四ツ目屋では長命丸のほかに、女悦丸、帆柱丸(危檣丸)などという薬も売ってたらしく、四ツ目屋が扱っていなかったのも含めて性薬全般を四ツ目屋薬なんて言うこともある。
初美 長命丸というのは飲み薬? そのバイ……。
家守 バイアグラ? 飲むんじゃなくって塗りつけるんだよ。二枚貝の貝殻に入った丸薬で、いくつかをつばで溶いて男のナニに塗りつけるってわけ。使用法に「おかさんと思う一時前につばにて溶き、頭より元までよく塗るべし。そのときひりひりすべし。驚くべからず。交わる前に玉茎温かになり申候。その時、湯か茶か、または小便にて洗い落とし、交わるべし。そうじて水にて洗うことを忌むなり」とある。
初美 オシッコで洗うなんて、きったないなあ。
家守 でも、水で洗うと効果が薄れるというのは本当に信じられていたみたい。
初美 白湯ならよくて?
家守 長寿の薬と勘違いして飲んでしまい、苦しがるおばあさんに水を飲ませたら治ったという話や、エッチの最中に水を飲んだらたちまちイッちゃう、なんて話が残ってるよ。長命丸の効能は「この薬、用いて妙は玉茎温かにして、太さ常にまさりて勢い強くして、淫精のもるることなく心まかせなるべし、気のいくこと度なし、衰えることなし、いかほど慎む女、または遊女にても覚えず息をあらく声をあげ、腎水流れ、喜ぶこと限りなくして、男を思うこと年寄るまで忘れることなし。もし男、気をやらんと思うときは、湯か水かまたはつばにても飲むべし。その漏れること妙なり」だそうだよ。
初美 本当かなあ。
家守 信憑性ってことなんだけど、長命丸という薬は成分がわかっていて、匂いつけのための丁字、竜脳、ジャコウなどのほかに、阿芙蓉(あふよう)、蟾酥(せんそ)などが入っていたそうだ。阿芙蓉はケシの実からとった液、蟾酥は一種のガマの油でそれ自体は有毒だけど、漢方では鎮痛、解毒、強心剤などに使われている。
初美 ケシといったら麻薬じゃない。
家守 麻薬というけど、麻酔効果もあるから、ぬりたくると局所麻酔的になって感覚が鈍る、つまり長続きするというわけだね。
初美 でも、やはり危ないよ。
家守 長命丸を誤って飲んで死んでしまった遊女の記録が残っているからね。でもさ、いまから見ると江戸時代って危ないものがけっこうあるよ。たとえば、おしろいには鉛が入っていたし、歯磨粉には細かな砂が入っていて、歯の表面を削って白くしたんだよ。使いすぎて「歯が折れて悲しい」なんて日記を残している男もいるしね。長命丸に類する薬は、ほかに鶯命丹(おうめいたん)、玉鎖丹、如意丹、西馬丹、人馬丹、陰陽丹、壮腎丹、蝋丸、通知散、得春湯、遍宮春なんて名前が知られている。多くはコショウ、山椒、山芋あたりを混ぜて作ったものらしい。よ
初美 げえ〜っ。そんなのをつけたままされたら、女の子のほうがまいっちゃうよ。
家守 だから、これらも直前に洗い落としたんじゃないのかな。もちろん、塗るところが敏感な粘膜の部分だから男だって大変で、使いすぎるとかゆくなったり、ひどいときには炎症を起こすこともある。
初美 山芋でかゆかゆって子どもみたい。
家守 だから息子っていうんだよ。嘘だけど。それはさておき、そんなだから「長命の薬、寿命の毒なり」なんて川柳も残っている。
初美 長命丸って、春を呼んで長生きするんじゃなくて、長持ちするって意味だったのか。
家守 32文か64文で一時の快楽、命を減らしても、そこは快感原則の生き物だから、どっちかといったらやっぱり目の前の快楽を優先するよ。糖尿病の恐れがあっても好きな酒はやめられねえって人、多いじゃん。
初美 貝殻1個分で32文と言われても、長さだったらかの故人となられた人の足のサイズだから大きいのはわかるけど、これはお金よね。現在の金額に換算するといくらぐらいなの?
家守 単純に比較するのは難しいけど、立ち食いのかけそばのような屋台の二八そばが1杯16文、夜鷹が1回24文、安い鰻のどんぶりが100〜200文ぐらい。いわゆる9尺2間(3坪)の裏長屋の家賃は月500文で、腕のいい大工のような職人なら1日600〜800文は稼げたというから、1文が15〜20円ぐらいかな。
初美 夜鷹って立ちんぼというか、夜の姫でしょ。男の相手をしてそんなに安い値段なんてなしだよ。
家守 姫は姫でも多くは梅毒に冒された鼻散る姫だからねえ。値段も江戸の初めこそ24文だったけど、後半には10文になったという話もある。それ相応なんだろうね。だから、少しゆとりのある人は岡場所とか吉原に行く。おい、おい、睨むなよ。言っとくけど、吉原は幕府公許の場所だからね。それに江戸市中の人口は男のほうが多いんだから、そういう場所があるのもまあ、やむをえないことだったんだ。
初美 だからいいってものじゃないでしょ?
家守 確かにほめられたものじゃないよ。教科書的にいえばね。だけど、それは今日から見たらの話であって、当時は将軍さまからして妾がいて当たり前だったし、店の大旦那だって隠居したら、目黒あたりに拵えた別宅にてかけを囲ったりしたんだよ。
初美 当時だったらよかったのに、などと思ってんじゃないでしょうね。
家守 そんなことはないよ。「伊勢屋、稲荷に犬の糞」って言葉があるように、犬の糞に注意して歩かなきゃいけないってのは嫌だよ。ちょっと例えが違うか。
初美 ところで、長命丸が男性用の薬なら、女性用の薬もあったんでしょう?
家守 ここにも出てくるように、女悦丸というのが代表的なものだね。丁子と山椒が成分で、「よき酢にて和らげ、行なわんと思うとき、玉門に入れおき、しばらくして取り掛かれば女喜ぶこと甚だし」いんだそうだ。
初美 さっきから盛んに自分の資源を活用してるよねえ。資源というほどのものではないけどさあ。
家守 うるさい。で、この薬も使いすぎるとやっかいで、長命丸の類と同じように炎症を起こしたり、化膿したこともあった。一方、避妊薬というのもあってね、朔日丸(ついたちがん)とか天女丸なんてのがある。朔日丸のふれこみは、毎月1日の日に飲めばその月は安全というもの、天女丸は式亭三馬が発売していたそうだ。
初美 浮世ナントカという本を書いた人が売ってたの?
家守 式亭三馬はたしかに薬屋を営んでいて、おしろいがよくのるという「江戸の水」などを売っていたし、『浮世風呂』にもその広告が出ているけど、天女丸については本人が作って売ってたかもしれないし、ほかの誰かが作ったのかもしれない。そのへんのよことはよくわかってないんだけど、その天女丸の能書きコピーがあってね、「月々の経水滞れば、さまざまの病となるゆえ、早くこれを通じさせるがよし。いかほど久しき不順も治らぬことなし。しげく子を産む人、この薬の用いようにて何か年も懐妊せず。もはやよきころと思わば薬を止むべし。その月より懐妊すること自在の奇方なり」という文句だった。
初美 それは嘘だよ。
家守 うん。成分はわかってないし、効果のほどなんてほとんどないと思うよ。でも、朔日丸は100文、天女丸は124文というけっこうな値段だった。
初美 いい加減なのね。
家守 経験がなくても看板を掲げればその日から医者を名乗ることができた時代だよ。落語の『死神』みたいに借金で首の回らない男でも、医者を名乗って評判がよければ金儲けができた。だから代償も当然あっただろうね。ちなみに中絶費用は372文だったそうだ。
初美 出産だって命がけだった時代なのに、雑な手術でそんなことされちゃたまらないよね。いまだって大変なことなのに。
家守 朔日丸というのは中条流、堕胎専門の産婆さんといえばいいのかな、そんな人が売っていたそうだよ。安政というから江戸の末期だけど、そのころのそういう人たちの家には、「朔日丸」という看板が一般的にかけられていたらしい。
初美 今日からみるとかなりいい加減な時代だったのね。
家守 現代のほうが知識があるからそう思うけど、当時は当時でそれで通用してたんだから、一概にいい加減と決めつけてしまうわけにはいかないよ。二日灸という一種のおまじないがあって、旧暦の2月2日と8月2日に灸をすえると無病息災で過ごせる、とくに避妊の効果があると言われていて、遊女がその日、よく灸をすえたそうだよ。
初美 でも、セーフティセックスの第一はコンドームを使用することよね。そのようなものってあったのかな。
家守 あるよ。大坂で出版された『江戸買物独案内』というショッピングガイドに四ツ目屋が小間物屋として出ていて、「日本一元祖 女小間物細工所 鼈甲水牛蘭法妙薬 江戸両国薬研堀四ツ目屋忠兵衛 諸国御文通にて御注文の節は箱入封付にいたし差上可申候」とある。ここにある『鼈甲水牛』というのが張り形とかゴム的に使うものを指してるんだろうね。ふうん、この文章によると四ツ目屋は通販もしてたみたいだね。
初美 ねえ。長くなってきたし、そろそろページを変えようよ。
家守 そうだね。休憩も必要だし。
初美 今回はちょっと話が重たかったよ。次からはもっと軽くいきましょ。

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