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Kadanz ─カデンツァ─




  ゴールウェイ・コンクール本選三日目。
 『アスタロト』の名を持つストラディヴァリの行方も、ヒギンズを殺した犯人もわから
 ないまま、コンクールの終りが近付いてくる。
  きょうはリハーサル風景も撮影する予定だ。アメリカのクライブなら、ハンサムだし、
 絵になるだろう。彼の、あの真面目そうなところがいい。
  わずかな時間しかないリハーサルは、参加者にとって真剣勝負だ。一秒たりとも無駄
 にはできない。
  クライブのリハーサルを、JJは薄暗い舞台袖で聴いていた。
  カメラはリハーサルの様子を客席から撮影しているはずだ。
  本選の舞台はピアノ伴奏だけをバックにする予選と打って変わって、ステージいっぱ
 いにフル・オーケストラが並び、実に壮観だ。暗い舞台の袖から見るステージはきらび
 やかな夢の世界にも見える。ただし、まだリハーサルなので、オーケストラのメンバー
 も、主役のクライブも正装していないし、客席も明るいままだ。夜の本番では燕尾服に
 身を包む音楽家たちが、ステージに並ぶのだ。リハーサルの十倍も華やかに。
  クライブが本選に演奏する曲はパガニーニの協奏曲第2番。
  JJは、クライブの演奏の迫力に驚いていた。
  彼がヴァイオリンを弾く様子はまるで、名ヴァイオリニストであったパガニーニその
 人が乗り移ったかのようだ。聴く者に、ヴァイオリンと一体になって猛スピードで坂か
 ら転げ落ちて行くような錯覚を抱かせる。まるで竜巻に巻き込まれたように。演奏には
 予選では見られなかった力強さと情熱が感じられ、リハーサルからこんなに全力で弾い
 てしまってよいのだろうかと心配したくなるほどだった。
  普通、リハーサルは、音出しの後さらりと通して、オーケストラとの駆け引きで大事
 な箇所を確認するくらいだ。準備運動で全力疾走するのは、かえって逆効果のはずなの
 に。
  曲が終楽章の有名なロンド『ラ・カンパネラ』(鐘)のところまで来ると、このリハ
 ーサルに立ち会っている会場の人物すべてが、今がリハーサルである、ということを忘
 れていた。おそらく舞台の上のオーケストラの面々もそうであったに違いない。

 「すごいな」
  思わずJJはつぶやいた。
 「音が……波みたいに襲ってくる……」
  気がつくと、すぐ隣にアン・イチノミヤがいた。兄弟子の様子を見に来たのだろう。
 いや、同じ最終審査に残ったライバルか。
  イチノミヤはみじろぎひとつせずにいた。薄暗い舞台袖で、彼女の目だけが明るいス
 テージを映して光っていた。
  彼女は、ただ一心にクライブの奏でる音楽に集中している。耳はクライブのヴァイオ
 リンの音色を、目はクライブの演奏する姿を追っていた。
  この天才少女を陶酔させるものが、きょうのクライブにはあるのだ。
  舞台の上のクライブは圧倒的な迫力で周囲の者を飲み込もうとしていた。
  JJもイチノミヤも、その気迫に満ちた演奏にとらわれたかのようにリハーサルの間
 中、舞台の袖に立ち尽くしていた。
  イチノミヤはクライブが指揮者とリハーサル終了本番よろしくの握手をするまで一歩
 も動かなかったが、クライブが袖へ引っ込んで来る寸前に、呪縛を解かれたようにパタ
 パタと小走りでその場を離れていった。

  客席で撮影しているニックのところへ行こうとしたJJは、イチノミヤと入れ違いに
 楽屋口の方から入ってきた厳しい顔つきのバーンスタインに腕をつかまれた。
 「わっ! マエストロ!!」
 「JJ、ちょっと来てくれるか?」
 「急ぎの要件ですか? まさか犯人が判明したとか?」
 「いいから」
  そのまま応接室まで引っ張っていかれた。

  応接室にはゴールウェイがいた。
 「実はえらく困っている。君に相談したくてね。取材の上でも、もう無関係じゃないし」
  ゴールウェイは進退極まったという様子で一息に言った。
 「ヒギンズが死亡した件だが……、あれはやはり殺人であろうということだ」
 「そう……ですか」
  ほかに言葉もない。別にビッグ・ゴールウェイのせいではないのに。なんだか痛々し
 くさえあった。
 「犯人は、まだわからない。だが」
  一瞬の躊躇。
 「あの時間、彼を窓からダイブさせることができるのは、どうやらコンクール参加者で
 しか有り得ないようなんだ」
 「まさか!!」
  それだけは、かんべんしてほしいと願っていたことが、真実だったのか。
 「あの時、ひとりで練習室にいたのは、ルミエール、ブーキン、クライブ、イチノミヤ、
 ローニだ。あの日が本番だったトーマスは楽屋で複数の友人と家族が一緒だったし、ペ
 ドロフはリハーサルの真っ最中。ウィリアムスはお茶が飲みたくて、伴奏者と一緒に外
 へ出ていた。君や私を含め、他の連中は誰かしらと一緒に行動しているところが確認で
 きた。ようするに確実なアリバイがないのは、ルミエール、ブーキン、クライブ、イチ
 ノミヤ、ローニだけということだ」
  コンクールの参加者が楽器商のヒギンズを殺す、何の理由があるのだろう。それは、
 やはり……。
 「おそらくヴァイオリン絡みではないかと思う」
  ゴールウェイの言葉に納得する。
 「でもストラディヴァリは、まだ見つかっていませんよね」
 「ああ。とにかく、ストラディヴァリ絡みなら、少なくともソビエトの二人が犯人であ
 る可能性はないな。少しは気が楽だよ」
  とても『少しは気が楽』などという風には見えない顔で、そんな事を言うゴールウェ
 イ。
 「まだコンクールは終わっていない。容疑者は、みんな、入賞の可能性を残したファイ
 ナリストだ。犯罪者を1位にできるかい? 犯罪者のレコードを売り出すことができる
 かい? そんなことは不可能だ。何よりコンクールに傷がつく。企画は失敗。ヘタをす
 れば我が社も大打撃だ。長期に渡って取材した君のテレビ番組だって、公開できないも
 のになるかもしれない。それどころか、アメリカのクラシック音楽界そのもののスキャ
 ンダルになってしまう恐れもある。そんなことになったら耐えられないよ。ただ音楽が
 好きで、よかれと思ってしたことが、悪い結果を生んでしまうなんて」
  血を吐くような、ゴールウェイの叫びだった。JJは胸を押さえた。
 「盗んだストラディヴァリで演奏しようという参加者がいるんでしょうか」
 「わかりやすい動機だ。ヴァイオリニストでストラディヴァリを弾いてみたくない者な
 んて、いないよ」
  経験で知っているゴールウェイの答えは明確だった。
 「でも盗品で、人の心を打つ演奏なんかできないでしょう? 犯罪を犯して、美しい音
 楽を奏でるなんて」
 「それは違うな」
  それまで黙っていたバーンスタインの突然の否定に、JJは少なからず驚いた。
 「違うって、どういうことですか?」
 「……誤解を恐れずに言うならばね、犯罪者だから、優れた音楽を奏でることができな
 い、ということはないよ。それは全然別のことだよ。もちろん、その人の音楽に対する
 姿勢は、自ずと演奏に現れる。やさしい人の演奏はどこかやさしいし、真面目な人の演
 奏はやはり真面目だし、情熱的な人の演奏はなぜかしら情熱的なものだ。でもね、音楽
 と真摯に向き合っている限り、その演奏者が例え殺人者だったとしてでさえ、演奏の善
 し悪しと罪深さは、イコールではないんだ」
 「そんな……」
 「そりゃあね、最後までテクニックをつきつめていったら、あとはいかに演奏者の精神
 を高めて、表現を豊かにしていくかという域になるだろう。そうしたら、やはり負い目
 があれば挫折してしまうだろうね。でも、それはもう神の次元に近い。私だって、とて
 もそんな域には手が届かない。モーツァルトみたいに音楽で天上美を表現した天才だっ
 て、実に俗っぽい男だという記録が残っていたりする。すべてを超越してしまっている
 天才ってことだね。もちろんここにモーツァルトがいるというわけじゃないが」
 「コンクール参加者が犯罪者である可能性が高いんですね」
 「そう考えるべきだろうね」

  JJはゾッとした。取材を通して、コンクールの決勝進出者それぞれに好意を抱いて
 いる。彼等の中にヴァイオリン欲しさに人を殺した者がいると考えるのはいやだった。
 (でも、マエストロの言うことは正しい)
  JJは事件を始めから整理して考え直そうとした。
  そうだ、考えて見れば、すばらしい楽器を何より欲しているのは、やはり演奏家では
 ないだろうか。

  ゴールウェイが経営者の顔を保ったまま、重々しく告げる。
 「犯人が見つからないのに、このままコンクールを続けるわけにはいかない。しかし会
 期を延長することはスケジュール的にも不可能だ。結局、中止するしかないのか……。
 どうやって発表すればいいのか? もう私は八方ふさがりだ。とにかく、これから至急、
 社の者も呼んで緊急会議だ。審査員の先生方の意見も聞かないとな。JJ君のテレビ局
 側の責任者にも参加してほしい」
 「本選の開演まで……あと一時間ですよ」
 「きょうの審査を中止にするわけにはいかないだろう。混乱が大きすぎる。準備の時間
 もない。最終審査発表は明日なのだから、きょうは続行するしかないだろう」
  バーンスタインの判断にゴールウェイもうなづいた。
 「そうだな。では終演後に会議だ」
 「徹夜だな、これは」
  バーンスタインは落胆を隠さずにつぶやいた。
  JJの口からは、もうため息しか出てこなかった。



  きっと、ひどくゆううつそうな顔でいたのだろう。
  スタジオにいるディレクターのスコットに電話して、会議の件を告げた後、JJはホ
 ールの客席に向かう楽屋前の廊下で、声をかけられた。かわいいアン・イチノミヤに。
 「JJさん、気分が悪いの?」
 「いや、大丈夫だ」
  無理に笑顔を作ろうとしたけど、何だか弱々しいものになってしまった。
 「何かあったんですか?」
  感受性の鋭い芸術家を前にして、演技をするのは至難の技だ。
 「いや、今電話してたら、きょうは徹夜仕事が決まっちゃってね。ほら、ニュースって
 生物だからいそいで仕事しないと。それでうんざりしていたんだ」
 「JJさん、コンクールの取材で、ずっとホール通いですものね。なあんだ。それじゃ
 別に、コンクールがどうこうっていうわけじゃないんですね」
  無邪気な彼女の言葉に、一瞬言葉が詰まった。
  彼女は、それを聞き逃してはくれなかった。天才少女ヴァイオリニストの耳はごまか
 せない。
 「やっぱり……コンクールのことなんですね」
 「いや……」
  そうではない、と嘘をつくべきなのに、イチノミヤの真っ直ぐな視線にさらされてい
 ると、言葉が出なかった。ニュース原稿なら、いくらでもスラスラと読めて、アドリブ
 だって得意なJJなのに、今、この時に言うべき言葉が出てこない。
  突破口を開いたのは、イチノミヤの方だった。
 「殺人犯がつかまらないから? それでコンクールが困ってるの?」
  かわいい少女からとんでもないことを聞かれて、JJは呆然とした。それが事実であ
 るから尚更だ。
 「なぜ、そう思うんだい?」
  質問に質問で返されて、少女は少し不機嫌そうに眉をひそめた。
 「そうかなあって思っただけよ。コンクールのことで問題があったに決まってる。さっ
 きバーンスタイン先生と、ミスター・ゴールウェイと三人で難しい顔して部屋から出て
 きたんだから」
 「見ていたのか……」
 「偶然よ。練習室の鍵を事務局に返しに行こうとしてたから。もうすぐ開演でしょう?」
  何かが、JJの頭の奥にひっかかった。

  待て。さっき彼女は何と言った?

 (殺人犯がつかまらないから? それでコンクールが困ってるの?)
 (殺人犯がつかまらないから)
 (殺人犯が……)
 (殺人)

 「殺人犯を探しているって、なぜわかるのかい? ヒギンズ氏の落下死は自殺か、過失
 か、殺人かは、まだ発表されていない。君は何を知ってるの?」
  ごく冷静にJJは聞いた。
  彼女は目だけで驚いて、それからうつむいた。背の低い彼女が少しうつむいただけで、
 もうその表情はJJには見えなかった。
 「ねえ、君は何を知ってるの? そうだよ、このままではコンクールが中止になってし
 まいそうなんだ。せっかくたくさんの国から優秀なヴァイオリニストが集まって、デビ
 ューを目指すアメリカで最初の国際コンクールが、だめになってしまうかもしれないん
 だ。君ががんばって最終選考に残ったのに、無駄になってしまうんだよ」
  JJは少女の肩に両手を置いて、話を続けた。こんな廊下でする話ではない気がした
 けれど、幸い、誰も通らない。このタイミングをのがすわけにはいかなかった。
 「このコンクールを企画したミスター・ゴールウェイはね、自分のストラディヴァリが
 盗まれた時は、コンクールが成功するならヴァイオリンが見つからなくてもかまわない
 と言ったんだ。自分がヴァイオリニストを目指していた時から夢だった、憧れのストラ
 ディヴァリをあきらめてもコンクールを成功させたいって。けれど、そのせいで人が死
 んでしまったら、もうミスター・ゴールウェイの力だけじゃあ、どうにもならない。で
 も、まだ間に合うよ。審査発表は明日だ。君の演奏も明日だろう? 何か知っているな
 ら、吐き出してしまった方がいい。心に重りがついてると、いい演奏ができないんじゃ
 ないのかい?」
  それまでピクリとも動かなかった少女が、うつむいたまま、ゆっくりと言葉を返して
 きた。
 「ミスター・ゴールウェイが簡単にストラディヴァリをあきらめられたのは、たぶん、
 すぐまた別のヴァイオリンが買えるからだわ……」
  JJは少女の洞察力に舌をまいた。
 「君は……、君は、何で……」
  少女はきっぱりと顔を上げて、十三歳の可憐な笑顔を見せた。そうして、彼女が口に
 したのは、その笑顔と、あまりにも不似合いな内容だった。
 「何で殺人だってわかるかって、それは簡単よ。だってあの人を窓から突き落としたの
 は私ですもん」
  一瞬、時が凍りついた。

 「バカな。君みたいな小さい女の子が、大人を窓から突き落とせるわけないだろう」
  JJはショックのあまり、声が震えてしまった。ニュース・キャスターの声が震えて
 いたら話にならないのに。
  彼女はポケットから白いハンカチを取り出すと、片隅を右手の親指と人差し指でつま
 んで、ひらひらさせた。
 「別に難しくないわよ。半分は偶然だし、あんなイトスギみたいな人だもの。最初は練
 習室で珍しいヴァイオリンを見せてくれるっていうから行ってみたら、あの人は、私の
 ヴァイオリンを取ろうとして……。ヴァイオリンを取り上げてでも私を棄権させる、な
 んて言うんだもの。あの日は暑くって、空調もあんまり効かなくて、窓を開けて体を半
 分乗り出してたから、そこをドンって押してやったら、簡単だった」
  彼女はハンカチをつまんでいた指を放した。汚れのない白いコットンのハンカチが、
 ふわりと床に落ちた。
 「なぜ、なぜ、そんな事になったんだい」
 「だって、私の演奏の邪魔するから」
  JJは嫌な予感がした。
 「たぶん、私がお金になるって思ってたんじゃないのかな」
 「お金って……」
 「子供がヴァイオリンを弾くってだけで、いいのよね。きっと」
  イチノミヤは不機嫌そうに言い切って、落ちたハンカチを拾い上げた。
 「JJさんのテレビに映った頃から、何度も声をかけられたわ。コンクールなんか関係
 なく、デビューさせてやろうって。それが、私が最終に残ったことがはっきりした後に
 は、コンクールを棄権しろってしつこく言われた。今、こんなコンクールで勝たなくた
 ってスターになれるからって。コンクールに出るのをやめて自分と契約すれば、ただで
 いいヴァイオリンを手に入れてあげようとも言ってた」
 「ヒギンズが?」
 「ええ、そうよ。バカみたい。私がそんな事、決められるわけないじゃない。だったら、
 まずママにでも言えばいいのに。私が言う事を聞くかどうかは別だけど。みんな都合の
 いい時だけ子供扱いしたり大人扱いしたりするのね。大人になれば天才もただの人って
 言うつもりで、ちやほやしてるんじゃないかって思うことがあるわ」
 「ミス・イチノミヤ……」
  彼女は片手でもてあそんでいたハンカチをクシャッと握りしめた。
 「私はヴァイオリンが弾けて、それを聴いてくれる人がいれば嬉しいだけなのに。ずっ
 とヴァイオリンが弾きたいの。別に私は天才少女なんかじゃないわ。私が十三の女の子
 だから、すごいっていうのよ。そんなこと言われたって、ちっとも嬉しくなんかないわ。
 そうじゃなくって、私が弾いた曲がどうだったかってことを聞きたいの。どんな風に感
 じるかってことを知りたいのよ。私が楽しい気分で弾いているのが、ちゃんと伝わって
 るかどうかが問題なのに!!」

  彼女はキュッと唇をかんだ。そのしぐさは彼女を、いつもよりなお一層幼く見せた。
 けれど自分に向けられる評価に憤る彼女は、すでに一人前の演奏家としてのプライドを
 持っているのだ。
  天与の才に振り回される、アンバランスな精神状態。
  十三歳のイチノミヤは、音楽表現に関して飛び抜けて成熟してしまっている。一切が
 音楽に流れ込んでしまって、ほかのモラルはどこかへ追いやられる。
  悪気はない。
  知らないでやっているのだ。だから平気で、ヒギンズを突き落としたなどと、言える
 のだ。

 「どうして黙っていたの?」
 「……ちょっと怖くなったの。だってあの人死んだの私のせいよね。でも本選に出られ
 ないのはイヤだったから。終わってから言えばいいかなって。でも中止になるなんて、
 中止になるなんて思わなかったんですもの」
  JJは混乱していた。それは正当防衛に近い状態だったんじゃないのか。彼女は怖く
 て黙ってたんだ。ヴァイオリンが弾きたくて。
  では『アスタロト』はどこにいったんだろう。ヒギンズが彼女に見せるといったヴァ
 イオリンは『アスタロト』ではなかったのだろうか。
  空のヴァイオリンケース……。
 「ねえ、それじゃあ、君はストラディヴァリのことは知らないんだね。ヴァイオリン・
 ケースはその時、部屋にあったのかい」
 「中は見なかったけど、ケースが置いてあったのは覚えてるわ。あの人が持ってきたん
 だろうって思ったけど」
  どこかに、どこかに『アスタロト』があるはずだ。
 「警察に話せるよね」
  彼女はこっくりとうなずいて、しわくちゃになったハンカチをポケットにしまった。

  JJは彼女の手を引いて、きょうもホールに来ているはずの刑事のところへ連れて行
 くことにした。
  舞台の方から拍手が聞こえてくる。
  ブーキンのコンチェルトの演奏が始まったのだ。





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