憬文堂
遙の書棚 Fullkissの書棚 いろいろ書庫 憬の書棚 刊行物ご案内 お食事日記掲示板 web拍手 メールフォーム

The First Screening ─第一次審査─



  音楽コンクールなのだ。
  取材とはいえ、一日中、次から次へとヴァイオリンの同じ曲ばかり聴くのは、はっき
 り言って、すぐに飽きるのではないかとJJは思っていた。

  そもそも、JJは普段クラシック音楽はめったに聴かない。聴くんだったら、いわゆ
 るポピュラー。
  ジャズは好きで、特にマイルズ・デイビスのトランペットはイカスと思っているし、
 大人がこぞって眉をひそめたプレスリーのロックンロールに熱狂する若者(いや、JJ
 だってまだ充分若い!)に、共感を覚えることだってできる。
  音楽は理屈じゃない。ハートで感じればいいのだ。
  しかしまあ、クラシックとロックは合い入れない世界ではある。

  何と言っても、今回の仕事はアカデミックなクラシック音楽のコンクール。取材中に
 会場で居眠りするのだけは、絶対に避けなければ。
  こういう相談は、やはりミス・プラムに持ちかけたい。
  自分たちのホーム・グラウンドであるテレビ局の会議室で、スタジオ入り前のスタン
 バイ時に何気なく相談を持ちかけてみる。
  願わくば、こんな色気もそっけもない会議室ではなく、感じのいいレストランかなん
 かでプライベートで向かい合う時が持てればいいのだけれど、いまだにそれは叶わない。
  しかし、100マイルの道も一歩から、である(ホントか?)。

 「クラシック音楽ばかり聴いてたら、さぞかし眠くなるだろうなァ。何とかしないとマ
 ズイよな」
  スチール机に頬杖をついてため息をつくJJに、向かいに座るミス・プラムはながめ
 ていた番組の進行表から顔をあげて、アドバイスをくれる。
 「気持ち良く眠れるくらい心地好い音楽でしたっていうのは、どう?」
 「クラシック音楽って苦手なんだよな。僕の知ってるクラシックってさ、ベートーヴェ
 ンの『運命』くらいだよ。ホラ、ジャジャジャジャーン、ってやつ。それも、そのジャ
 ジャジャジャーンのとこしか知らないんだ。あれは最初の1楽章の出だしだよね。そこ
 しかわからない。『運命』でも2楽章とか3楽章をやられたら、わからないんだ」
 「まあ、普通は、みんなそんなものよ。オーケストラでロッシーニの『ウィリアムテル
 序曲』を演奏して、子供たちに「この曲知ってる?」ってきくとするでしょ。そしたら、
 全員、声をそろえて言うわよ。「ローンレンジャー!!」ってね」
 「ローンレンジャー? オープニングで「ハイヨー、シルバー!」って叫ぶドラマのあ
 れかい? あの曲は『ウィリアムテル序曲』っていうのか」
 「JJも子供と一緒なのね」
 「うーん。そうらしい」
 「でも、その方がテレビを見ている人に伝えるのには、いいかもしれないわ。視聴者と
 目線が同じっていうことですものね」
 「……そうか。そうだね。うん。そう言ってもらえると、気が楽だな」
  ミス・プラムは天使の微笑みをJJに与えてくれた。アーメン。

  彼女はさりげなくJJの気持ちを浮上させてくれるのだ。ごくごく自然に。
  彼女もいっしょにコンクール会場に来られればいいのに。彼女が隣席ならば、ヘタク
 ソなヴァイオリンだって、きっと天上の音楽に聞こえるだろう。
  でも、彼女はテレビ局のスタジオで、JJは現場へ向かう運命だ。是非もない。



  しかし、である。

  同じような曲が、次から次へと演奏されるコンクールの第一次審査。
  もう三日目になる予選なのだが、これが意外と面白いのでJJは正直驚いた。堅苦し
 いコンサートよりずっと面白い。
  いや『面白い』などと言ったら、真剣な出場者たちには申し訳ないのだが、本当なの
 だから仕方ない。

  コンクールというのは、結局のところ戦いだ。集まった多くの演奏家たちの演奏に優
 劣をつけるのだ。出てくる演奏家たちを比べっこするのだ。
  普通のコンサートと違い、優劣を決めるコンクールのノリは、言ってみればスポーツ
 観戦に近いのだ。

  客席数二百のこじんまりした小ホールは、一番後ろの座席に座っていても、演奏者の
 表情がよく見える。
  審査員ではないJJには順位を決定する責任などないので、黒皮張りの座席に深く腰
 かけて、気楽に演奏を聴き、自由に評価してみる。うまいとかヘタだとかいうのは、案
 外素人にでもわかることが興味深い。
  音がフラフラしていて、テンポがズルズルと遅くなったりするのはバッド。
  聴いていて気分がいいのはグッド。
  はやいテンポでエネルギッシュな演奏だったりすると、専門的なことはよくわからな
 いけれど、とにかく上手いと思ってしまう。
  少なくとも課題曲は、みな同じ曲を演奏するわけだから、演奏者それぞれの個性が、
 よくわかった。同じ曲が演奏者によってこんなに違うなんて、こうして続けて聴いてみ
 なければわからないことだった。
  それは、JJにとって、なかなか面白い体験だったのである。

  演奏もさておき、演奏者の支度や様子なども観察していると面白い。
  次の演奏者は男か女か。どこの出身で、何歳か……などということを気にしつつ登場
 を待つ。
  緊張してあがっているのか、ステージに出てくるなり、周りも見ずに演奏を始める者。
  最初から最後まで真面目そうにキチッと折り目正しく演奏する者。
  流行色のピンクのシャツを身に付けて登場し、見ているものの度肝を抜いてくれる者
 (しかし、こういう奇をてらった格好をした者の演奏が素晴らしいことは、まず無いよ
 うだ)。
  客席にいる審査員など気にせずに、自分の世界に入っていける者。
  なぜだかユニークな……うまく言い現せないのだが、出てきただけで雰囲気が笑いを
 誘ってしまう者。
  うまいな、いいなと思うと改めてプログラムを見直して名前をチェックする。自分が
 いいな、と思った演奏者が、予選を勝ち抜くかどうか。これは、ちょっとしたゲームに
 近い。

  舞台に金髪の青年が出てきた。
  姿勢がいい。演奏前に客席を見渡してひとにらみ。いい度胸だ。
  コンクールでは、コンサートではないから、審査員のいる客席も暗くはならない。こ
 の小ホールなら、ステージからでも客席がよく見えるはずだ。
  この青年は、きっとうまい。演奏者を何十人と見ていたら、音を出す前の態度で、何
 となくうまいかヘタか見当がつくようになってしまった。
  演奏が始まった。課題曲のパガニーニのカプリース24番。難曲だ。
  はたして、金髪のハンサムの演奏は上等な部類だとJJには思えた。
  プログラムを見る。ロイ・クライブ。ニューヨークの学生だ。二十歳。参加者の中で
 は若い方だ。
 「どうせなら賭けるか?」
  JJの座っている席の後ろの通路に陣取っているカメラマンのニックが、とんでもな
 いゲームを持ちかけてきた。
 「今の彼が最終選考に残るかどうか」
 「おまえねェ……」
 「いーじゃないの。堅い事言うなよ。仕事だって楽しまなきゃ」
 「残る方に5ドル」
 「5ドル〜ッ?! しみったれてんなァ」
 「給料日前だから」
  JJはシレッと言ってみせた。

  どうして、どうして、眠くもならずに審査風景を見守る毎日となりそうだ。
  コンクール参加者たちは、誰もが真摯で、ここへやって来るまで、みんなそれぞれの
 ドラマがあるのだろう。そういうことが、舞台での様子や演奏に伺えるのだ。
  これなら、ドキュメンタリーとして見応えのある番組が作れるだろう。


  休憩時間にロビーへ出て、一服しようと思った。演奏を聞いていること事態は苦痛で
 はないが、ずっと座りっぱなしだと体がつらい。立って歩きたくなる。
  予選会場の小ホールのロビーには、それほど人がいるわけでもない。中庭に面したガ
 ラス窓に向かっていくつか設置されている長椅子に、ポツポツとまばらに人影がある程
 度。いくら国際コンクールといっても、予選から見にくる一般客は、めったにいないか
 らだ。
  JJはコーヒーでも飲もうかとカウンターを探した。と、前方で、長身の男が立った
 まま煙草を吸っているのを見とめて、顔をしかめた。
  ブルーグレーのスーツが板についている。ピンと伸びた背筋に、高貴な育ちが伺える。
  尊大でプライドの高そうな彫りの深い顔立ち。身のこなしにそつがない。
  あの油断のならない男を、JJは知っていた。

  いや、彼は謎の多い男だから『知っている』とは言えない。何度か顔を会わせたこと
 があるという程度だ。わかっている事はほんの少し。
  どうやらヨーロッパの貴族らしく『バロン(男爵)』と呼ばれている。ヨーロッパで
 おとなしくしていればいいものを、何だか知らないが、わざわざ嫌っているらしいアメ
 リカにやってきて、ケチをつけては帰って行くという妙な男なのだ。
  この広いアメリカで、どうして、そんなたったひとりのヨーロッパ人が目に付いてし
 まうのか。異常といえば異常な話だが、その男の行動は、確かに妙過ぎた。

  初めて会ったのは、三年ほど前、ジョージア州のアトランタだったか。
  バロンは札束に物を言わせて、アトランタのコーラ工場を買収し、地元から強い反発
 を受けたのだ。経済界のハードなニュースなので、騒ぎがおこった時は、JJもアトラ
 ンタへ取材に出向いたのだ。
  JJは、その少し前に、バロンに取材を試みようとして、あっけなくかわされていた。
 バロンの買収工作には、少なからず怪しい動きがあった。かぎつけていたスクープを物
 にできなかった悔しさはひとしおだった。
  結局、コーラ工場は、別の人手に渡ったようだったが、バロンのアメリカ物件荒らし
 がやむことはなかった。

 「所詮、歴史のない国は」とか、「成り上がりは成り上がりらしくすればいい」などと
 言いながら、あの手この手で強引にアメリカの企業を買収しようとする姿勢を崩さない。
  この前もウォール街で見かけたのだ。どこかの銀行を買収する話をしていたようだっ
 た。全く、いけすかないったらありゃしない。

  バロンはJJ目指して真っ直ぐ歩いてくる。ここまで来て無視するのは、ちょっと無
 理だ。
 「ミスター・ジェンセンじゃないか。ごきげんいかがかな」
 (なんてキザったらしい男だ)
  JJの気分は、いっぺんにマイナス方向へ落ち込んで行く。一分の隙もないキングス・
 イングリッシュで話しかけられると、背筋がゾワゾワする。
 「さっきまで良かったけれど、今、最悪ですね」
  にっこり笑ってイヤミを言ってやったが、バロンはこれくらい、なんとも思っちゃい
 ないようだ。
 「それはそれは。予選では、まだ聴くに耐えない演奏もあるものね。君はクラシック音
 楽は好きなのかい?」
 「コンクールの取材で来ているんです。あなたは、また何でアメリカに? アメリカが
 お好きでないなら、来なけりゃいいじゃないですか」
 「ヴァイオリンが気になるからね」
 「は?」
 「ゴールウェイ・カンパニーの成長ぶりは目を見張る物があるね。アメリカで、こんな
 大規模な国際音楽コンクールが開催されるなんて、思いもしなかったよ」
 「ゴールウェイ・カンパニーに何かするつもりじゃないでしょうね」
 「……まさか。企画されて、すでに開催されたコンクールに、私が何をするっていうん
 だい? 君は私を買いかぶっているよ」
 「いつか取材させてもらいますよ。あなたの正体を」
  JJのジャーナリスト根性に賭けて、必ず。
 「楽しみにしているよ」
  バロンは客席へ戻って行った。
  JJの中に不安の種が残った。



 「ハロー! JJです!! きょうはニューヨークのゴールウェイ・ホールで開催されて
 いる『ゴールウェイ国際音楽コンクール』の会場に来ています!」
 『JJ・ニュース・ショウ』のテレビ中継だ。
  いつも最初の一声が肝心だと思う。『始めに視聴者に呼びかける声は、できるだけ元
 気に』をモットーにしているJJだった。
 「各国から集まった若いヴァイオリニストたちが、このアメリカで演奏を競っています。
 すでに一週間に渡った第一次審査を終わり、第二次審査へ進む参加者の審査発表が張り
 出されています。今回のコンクールに参加した八十七人中、第二次審査へ進めるのは、
 約4分の1の二十四人。第二次審査ではこの二十四人から、さらに最終審査でオーケス
 トラをバックにコンチェルトを演奏する八人に絞られます」

  カメラは、ゴールウェイ・ホール前のJJから、ホールのロビーに張り出された審査
 結果を熱心にながめている参加者および関係者たちに移ってゆく。
  明るい午前中の光が差し込むロビーの一か所に、黒山の人だかりができているのは、
 なかなか異様な光景だ。解説なしで、掲示板の前のざわめきがそのまま流される。結果
 を前にしたコンクール参加者たちの生々しい声が聞こえてくる。
 「ちょっと見える? ねえ、どうなの? 名前ある? 名前……」
 「押さないで!!」
 「ああ、彼、二次に進めるわ」
 「おい! あの16番、残ってるぜ」
 「あいつ、俺よりヘタだったのに!! 後半でボロボロミスしてたじゃないか!!」
 「23点。そんなもんかね。30点満点なんだろう?」
 「二次の順番は何番目? 何日目に演奏するんだ?」
 「先生に電話しなけりゃ」

  ざわめいている掲示板の前から、ホールの練習室へと画面は移る。
  第一次審査演奏前の出演者の表情を伝えようというわけだ。
  アップライトのピアノのある狭いスタジオ風の部屋で、体格のいい青年がヴァイオリ
 ンを弾いている。
  JJも画面に映る。
 「ジョルジオ・ローニさんはイタリアからコンクールに参加するためにやってきました。
 なぜ、このアメリカのコンクールに参加されることになったか伺ってみましょう」
  JJがマイクを向けると、青年は演奏を中断して、にこやかに答えた。
 「おもしろいコンクールになりそうだと思ったからです。審査員に現役の演奏家が多い
 ということも魅力でした。こういうチャンスはめったにないでしょう? 彼等に評価さ
 れれば、プロになれる確率が高い」

  次に、楽屋でヴァイオリンの糸巻きねじをいじっている、やけにかわいらしい、まっ
 すぐな長い黒髪が印象的な少女が出てきた。
  JJがまだ幼さを残す少女にインタビューする。
 「サンフランシスコからやってきたアン・イチノミヤさんはコンクール参加者の内で最
 年少の十三歳です。どう? まわりが大人ばかりで怖くはないですか?」
  少女はヴァイオリンの糸巻きから手を放し、あごあてに折りたたんだハンカチをのせ
 ると、視線をカメラに向けて、なぜそんな質問されるのかわからない、という顔をして
 答えた。
 「ヴァイオリン弾いてる時は関係ないです。ヴァイオリンを弾いて、聴いてもらえるの
 が、うれしいの。別に怖いことなんかありません。少し緊張しちゃったりはするけど」

  少女のコンクール予選での演奏風景が映し出される。
  白いレースの飾り襟のついた、ひざ下までの長さのある紺色のしゅすのワンピースは、
 ほっそりした彼女によく似合っている。いかにもオーソドックスでシンプルなデザイン
 が、かえって彼女の可憐さを引き立てていた。
  何もないステージは、小柄な彼女をさらに小さく見せると思われたが、ヴァイオリン
 の演奏が始まると彼女は大きく見えた。それがテレビの画面からも伝わってくる。
  課題曲であるパガニーニのカプリース。ありとあらゆるヴァイオリンの演奏テクニッ
 クが次から次へと出てくるアクロバティックな曲だが、決してただの練習曲ではなく、
 音楽作品としても評価されている曲だ。
  イチノミヤの小さい体から信じられないほどの、超絶技巧的な左手の指使い。激しく
 ても乱れない正確なボーイング。正しい音程。美しい音色。
  そして、誰よりかわいらしい。
  JJが思った通り、少女はテレビ映りが良かった。


 「東洋人の年齢は、わかんないな。あの子、十歳くらいにしか見えないよ。あのヴァイ
 オリン、子供用1/2サイズじゃないのかい?」
  カメラマンのニックが、彼女を撮った後、ゴールウェイ・ホールから引き上げる道す
 がら、JJにささやいた。
  あどけない少女。
  その方が効果がある。この世界には神童の出現を夢見る体質があったから。天才少女
 現るというのは、誰もが心ひかれるニュースだ。
 「彼女はこのコンクールでスターになるかもしれないな」
  JJは予感を口にした。最年少の少女であるアン・イチノミヤは絵になる。そういう
 捕らえ方は褒められた物ではないのかもしれないが、テレビマンとしては致し方ない。
  彼女が最終選考に進むといいと思う。
  彼女の演奏を聴き逃したくないと思う。
  テレビを見たほとんどの人が、そう思うだろう。
  それも、ひとつの才能だ。
  天才少女ヴァイオリニスト誕生。アメリカに第二のジネット・ヌヴー誕生か。宣伝文
 句なんかいくらでも浮かんでくる。

  ジネット・ヌヴーは、1949年に飛行機事故で若くして世を去ったフランスの優れ
 た女流ヴァイオリニストだ。十一歳でパリ音楽院を首席で卒業。十六歳でワルシャワの
 ヴァニヤフスキ・コンクールで第一位になり、世界的に活躍した。
  女優のように美しかったヌヴー。
  コンクールの審査員たちの間で、イチノミヤは、そのヌヴーの再来のようだと評判ら
 しい。
 (ヌヴーの飛行機事故で失われたヴァイオリンも、立派な物だったろうな)
  美しい女性ヴァイオリニストの楽器は、やはりストラディヴァリであったのだろうか。
  JJは、なんとなく、そんなことを思った。





戻る 戻る    次へ 次へ


遙の書棚 Fullkissの書棚 いろいろ書庫 憬の書棚 刊行物ご案内 お食事日記掲示板 web拍手 メールフォーム
憬文堂