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う き 波  廿壱
仲秋 憬 




  少女を拘束していた荒縄は、友雅の力を持ってしても、簡単に切れるものではな

 かった。

 「ただの縄ではないね。呪詛がかけられた物のようだ」

  それでも武人の渾身の力で、どうにか切ることができた時は、友雅の額にも汗が

 浮かんでいた。

 「すまない、時間がかかったね。君を傷つけてしまわないか、怖くてね」

 「大丈夫です。ありがとう、友雅さん」

  ようやく解放された手足をなでさすりつつ、少女はよろけながらも久しぶりに自

 力で立ち上がった。

  気がつけば、ほとんど光の入らない薄暗い部屋の中が、さらに暗くなっている。

 「だいぶ日が陰ったようだね。かなり時を費やしてしまった。急ごうか」

  友雅が太刀をさやに収めようとした時、遠く離れたところで鳴る雷鳴がふたりの

 耳に届いた。

 「雷……かな?」

 「まだ雨は降らないと思うけれどね」

  四神の解放が為されなければ、雨が降ることはないはずだった。

 「でもとにかく早くここを出た方がいいですよね?」

  少女の問いに友雅が答える前に、真っ暗になった部屋の中、わずかな光がもれて

 いたすきまに白い光が走ったかと思うと、突然、屋敷全体を打ち壊されるような轟

 音と激しい揺れがふたりを襲った。

  自分の悲鳴も聞こえぬほどの雷鳴と、大地が裂けたのかと思うほどの衝撃によろ

 けて、膝をつく。それはまるで黒い雷雲の中の雷神の目の前にいきなり放り込まれ

 たようだった。

  急に飛び込んできた稲光に目を焼かれ視界を奪われると、次には耳をつんざくす

 さまじき雷鳴で、耳がおかしくなったかのように何も聞こえなくなる。

  常日頃から鳴神を恐れている藤姫でなくても恐怖を覚えずにはいられないほどの

 激しい雷は、友雅にも経験のないものだった。


 「神子殿! 神子殿?!」

  ようやく戻ってきた友雅の視界に最初に映ったものは、彼のすぐ目の前で倒れ、

 気を失っている少女の姿だった。無我夢中で少女を左肩へ抱え上げ、側にあった太

 刀を手にすると、邪気を払うように数度振りかぶってからさやへと納め、右手に構

 えたまま、出口を求めて駆け出した。

  しかし、どうやって少女の元へたどりついたのかもさだかではない、鬼の呪いか

 結界に覆われているらしい屋敷は、どこをどう進んでも庭につながる廂や廊に行き

 当たることができないのだ。勘を頼りに、壊れかけた板戸や襖障子を押し破り、太

 刀でなぎ払うようにして進む。いくつかの板戸を越えて、突き当たった引き戸を開

 けると、そこはすでに火の海であった。

 「さっきの落雷か……」

  これまでどんな苦境にあっても、常に幾ばくかの余裕を見せていた友雅の声に、

 隠しようのない焦りがにじんだ。

  ごうっと炎の波が近づき、もうもうと煙がたちこめてくるのを見て、友雅は燃え

 上がる火の手から少女をかばうようにして、逆へと走った。だが、圧倒的な勢いの

 炎が屋敷を飲み込んでいくのに太刀打ちすることはできない。雨のない五月のせい

 で乾ききっていた廃屋は、殊のほか火の回りが早く、まるで真冬の火事のように手

 がつけられなかった。

 「だが、こうして燃えてしまえば、少なくとも鬼の結界も解けるはずだ……」

  この炎の海さえ乗り越えられるなら──。

  周囲に満ちてくる煙を吸い込まぬようにして、降りかかる火の粉を避けつつ、炎

 の見えぬ方へと進む。しかし炎を避けて進むことで屋敷の外へと出るのが更に難し

 くなっているのは否めない。ひたすら出口を求めてさまよう友雅が、炎に追い立て

 られるようにして、またもや屋敷の奥へと逆戻りしていることに歯噛みした時、頭

 上でみしりと大きくきしむ音がして、煙と炎の中から、くすぶった柱が、意識の戻

 らぬ少女を抱えた友雅の方へと倒れてきた。

 「くっ……!」

  友雅はとっさに火の気のない方へ少女を投げ出し、柱からかばうようにして、自

 身もそちらへと倒れ込んだ。

  落雷の衝撃に劣らぬ振動が彼らを襲う。ばらばらと梁から焼けこげた木屑に火の

 粉や煤が降ってくる。熱風と黒煙に顔を上げられぬまま、友雅がひじをつき何とか

 起き上がろうとした所へ、今度は頭上から焦げた太い梁が落ちてきた。友雅は反射

 的に頭をかばい、少女を守ろうと身をよじろうとした時、自分が立ち上がることが

 出来ないことに気がついた。

  彼の両足は倒れ落ちてきた柱と梁の下でつぶれていた。どうしたことか、痛みは

 少しも感じない。

  くすぶる柱の向こう、たちこめてくる煙の間からちらちらと赤い炎が見えてきて

 いた。まだ火の手の爪が及んでいない部屋の隅には、彼の腕から投げ出された少女

 がうつぶせに倒れていた。

 「神子殿! 目を明けて!! 起きなさい、神子殿!! あかねっ!!」

  あらん限りの声を張り上げて、友雅は少女を呼んだ。手が届かないもどかしさか

 らか、その声は、今まで決して友雅が出したことのない怒声のような叫びである。

  その声が聞こえたのか、少女の体がびくんとはね、続いて、片手で額を押さえな

 がら、のろのろと頭を上げる。ふたつに分けて耳の横でみずらのように束ねていた

 髪が乱れてほどけ、上半身を起こした少女を覆いつくすように、彼女の表情をも隠

 していた。煙を吸い込んだのか、少しせき込み、頭を振って、長い髪をかき上げる。

  ごうっと風が鳴るような音がした。火の粉がはぜる音も聞こえてくる。

 「あ………………」

  うつろな目をして少女が友雅を見る。

  ふたりはうつぶせから上半身を起こしかけた、よく似た体勢で向き合っていた。

 異なっているのは、友雅の足の上には自力で動かせそうもない柱と梁が横たわって

 いるということだ。

 「神子殿、立てるかい? 無事だね? 情けないことに今の私は動けなくてね。す

 まないが、君の側に転がっている私の太刀を持ってきて、手を貸してくれまいか」

  少女が友雅の指さす方に顔を向けると、彼女の後方、数歩歩けば拾えるあたりに

 彼女と共に投げ出されたのであろう鞘に納まったままの友雅の太刀があった。

  少女はふらつきながら立ち上がると、せき込みよろけつつも太刀を拾った。

  友雅が彼女にそれを頼んだのは、自力のみで持ち上げることのできない柱や梁も

 太刀先を入れ梃子にして体重をかければ、思うように力の入らない友雅と少女の力

 でも、彼が足を引き抜く隙間くらいは作れるだろうと考えてのことだ。

 「悪いね。それをこちらへ」

  友雅がうながすと、少女は太刀を手に友雅を振り返り、おもむろに鞘から刀を抜

 き放った。鞘は投げ捨てられ、部屋の隅へ音をたてて転がった。

  どこからか降りかかってくる火の粉が薄闇と煙の中にある抜き身の刃をきらめか

 せた。

 「神子殿?!」

  少女の瞳が異様な光を帯びている。だが、友雅は寸前まで、その少女の表情を確

 かめることができなかった。

  彼女は無言で太刀を手に足を縫いつけられた友雅に斬りかかった。

  この時、初めて友雅は少女のうつろな瞳を見て、可能な限りの早さで身をよじり、

 かろうじて正面から太刀を受けるのを避けた。

  全身で友雅にぶつかりかかるようにして太刀をふるった少女は、よろけて膝をつ

 く。刃は友雅の左肩をかすめ、肩からひじのあたりを袖もろともに、ざくりと切り

 裂いた。

  友雅は右手で切られた袖で傷を押さえるようにして、体をひねり、不自由な体勢

 でも何とか少女の方を向こうとした。

  少女がぶつかったのか、彼女が膝をついた拍子に、倒れ込んだ方にあった板戸が

 きしみ、めりめりと音をたてて破れる。

  途端に熱い煙がさらにもうもうと流れ込み、気が遠くなりかけた友雅は、火が燃

 え建物きしむ音とは別の、異質なにぶいうなりを聞き、黒煙が自然とは異なる動き

 で渦を描くようにしてゆらめくのを見た。


  その渦の中に長身の人影が姿を現し、太刀を手にしたまま膝をついた少女と、動

 けない友雅の間に立った。友雅はこの男を見知っていた。鬼の中でもアクラムに近

 い立場にあるらしい一風変わった隻眼の男。

 「ラン……もう良い。もうこれで充分だ。お前の不安定さは、お前のせいではない」

  突然現れた男にランと呼ばれた少女がゆらりと立ち上がる。同時に少女の手から

 友雅の血に濡れた太刀が、がちゃりと音を立てて床に落ちた。

 「誰…………?」

  少女の声は、かすれて不安気である。それをなだめるかのように隻眼の男の声は

 低く落ち着いていた。

 「来なさい。お館様のところへ帰るんだ」

 「帰る……」

 「そうだ。お館様がお呼びだ」

 「お館様が……」

 「ああ」

  その言葉を聞いて、少女は今度はよろけずに隻眼の男の元へと歩み寄る。

  男は少女の肩を抱き寄せると、友雅を振り返り、哀れみとも悔悟ともつかぬよう

 な一瞥(いちべつ)を投げかけた。

  友雅には怒りもなく、ただ、全てが腑に落ちたと感じていた。

  最早、互いに言葉はない。

  鬼が八葉を攻撃することはあっても、救い出すことなどない。判りきっていたこ

 とだった。

  ごうごうと火の鳴る異様な響きが大きくなっていた。

  傷を負い、動くことのかなわぬ友雅の目の前の空間が、またぐねぐねとゆがみだ

 す。友雅が、もう何度も見た現象だった。

  渦を巻くゆがみの中に、鬼の男と娘の姿は消え去り、後には友雅ひとりだけが残

 された。



  煙と共に炎の波が近付く音は更に大きくなっていた。燃えさかる炎のまぶしさと

 熱が、否応なしに友雅を苛んだ。この有様では、死を覚悟せざるを得ない。すでに

 煙はこの場を満たしつつあり、息をするのもやっとである。

  これまでの人生で、友雅は死の足音を、ここまで強く感じたことはない。すでに

 意識も、おぼつかなくなりつつあるが、しかし不思議と痛みや苦しみを感じなかっ

 た。

  死を恐れたことはなかったし、このまま生きながら死んでいるのと変わらぬよう

 に次第に朽ち果てて行くならば、いっそ一思いに死に場所を得たいという望みすら

 あった。だが、自ら死に場所を得ようとするような激しい情熱こそが、かつての友

 雅には欠けていた。

  命を投げ出すような情熱など持ち得ない。決して本気にならない。

  そのないはずの情熱を呼び覚ました、この世でたったひとりの少女を想う。

  自分の質に半ばあきらめもして、目の前の享楽だけを気ままに追った日々を後悔

 しているわけではなかったが、ただ、できるなら最後に一目、自分を本気にさせた

 希有な少女の笑顔を見て、自分の名を呼ぶ声を聞きたかった。

  彼女が友雅をどう思っているのか知りたいと思う。
  
  しかし、それは高望みというものだろう。むしろ、この今際の時に、あかねの心

 が元通り自分の体に戻っているだろうことを確かめられたことに感謝せねばなるま

 い。ランという少女が、ああして戻っていたということは、おそらく泰明のもとで、

 あかねも元に戻ったはずだ。

  友雅は、くすりと軽やかに笑った。

  すべてに満足とは言えないが、自分にしては驚くほど充たされた最後を迎えつつ

 あると思う。生まれて初めて本気になり、己の唯一の情熱を見出した少女を助ける

 一端を担うことができた。彼女の宿望であろう異界への帰還につながる最後まで、

 守り戦えないことは心残りであったが、残りの八葉は、それこそ信ずるに足る者ば

 かりだ。彼らも死にものぐるいで彼の姫を守ることに疑いはない。

 「そう悪くない人生だったと言うべきだね。君に巡り会うことができ、助けること

 ができたのだから」


  ちらちらと炎の波濤が見える。

 「火の波よりは水の波こそ欲しいところだが……。しかし、どちらも美しいことに

 変わりはないか」

  この業火に包まれて死ぬ。

  煉獄の焦熱地獄に己の業を思い、恐れをなしてもいいはずだが、友雅は静かだっ

 た。念仏も口をつくことはない。

  美しい炎は友雅を慰める。


  燃え上がる炎にも似た茜色の空を共に眺めたのは、いつだったろう。

  夜空に流れる、きらめく星の川を。

  輝く月を。

  舞い散る花吹雪の中を肩を並べて歩いたのは。


  彼女は自分の知らない彼女の育ったところへ帰るだろう。

  風のように軽やかで優しすぎる桃源郷の月の姫。

  今ここではかなくなる友雅が、ほんのひとかけらでも彼女の中に残ることができ

 るだろうか。


  もうしばらくすれば、炎の波は友雅の足下からまるごと彼を飲み込むだろう。

 「うき波の……かへるかたにや身をたぐえまし…………か」

  まだ見ぬ美しいものも数々あった。できれば共に愛でたかった多くのものを思い、

 友雅は夢の中に入って行こうとした。


  その時、何かが突き破られ壊れる激しい音がして、熱い炎を背に、小さくても驚

 くほど命の輝きにあふれた人影が友雅の目の前に転がり込んできた。

 「友雅さんっ!」

  友雅が、焦がれていた姿と声が、そこにあった。

  肩の上で切りそろえられた童女よりも短い髪は熱風に煽られて乱れ、紅潮した頬

 も煤に汚れている。衣の裾や袖は、ほころび引き裂かれあちこち焼けこげており、

 むき出しの細い足のそこかしこにも火膨れや打ち身の赤黒い痣が刻まれて、見るか

 らに無惨な形だった。

  なのに、これほど美しく、自分を捉えて離さない存在を目にしたことはないと、

 友雅は思う。

  紅蓮の炎を映し、きらきらと輝く瞳。こんなに小さな可憐な人なのに、あふれる

 ほどの力満ちた気をほとばしらせ、まぶしいばかりの存在は友雅を魅了してやまな

 い。

  ただ呆然と、夢うつつの間で、友雅はその美を享受していた。鈴を振ったような

 声がしきりと自分の名を叫んでいるのが聞こえてはいても、陶然として何もできず

 に、幻を愛でている心地でいるばかりだ。

 「友雅さん、しっかりして下さい! 友雅さん!! 聞こえないの? このまま、こ

 こにいたら死んじゃいますっ!! 友雅さん! 友雅さんっ!!」

  少女が友雅の肩をゆすぶって半狂乱で叫んでいる。

 「……こんな私にも今際の際に、神仏は望みを叶えてくださるのか……」

 「何、言ってるの? 友雅さん!」

 「恋しい人の面影を眺めて逝けるのは嬉しいが……願わくば花のような笑顔を見た

 いね」

 「友雅さんってば!」

  少女は大きく息を吸い込むと、膝をつき、男におおいかぶさるようにして、唐突

 に唇を合わせてきた。

  友雅は彼らしくもなく完全に虚をつかれ、目を見開いたまま少女の口づけを受け

 たが、何が起こったのかに気付くと、後は夢中で自分に重ねられている甘い唇を思

 う様むさぼるために少女の頭をかき抱こうとした。その途端、左肩に鋭い痛みが走

 り、我に返ると、少女が思い切り力をこめて男の腕から自分の体をもぎ離そうとし

 ていた。

 「うっ……み、神子殿……?」

  信じられない思いで知らずに洩れたうめきと共に呼ぶと、真っ赤になって恥じ入

 りつつも、怒っている幼げなあかねの顔が、友雅を正面から見つめていた。

 「も、もう……っ。友雅さんが言ったことでしょう? これで、おあいこです。私

 は本物ですよ。夢とか幻なんかじゃありません」

 「神子殿……なぜ…………」

 「助けに来たんですよ。決まってるじゃないですか! ランは……迎えが来たんで

 すね。鬼の人が来たんでしょう?」

 「……ああ」

 「天真くんのところへ一緒に帰って欲しかったけど、でも助からないより、いいで

 すよね。次に会えたら、もっとちゃんとたくさん話し合って来てもらうの。友雅さ

 ん、行きましょう。ここから逃げなきゃ。あきらめなければ道は見つかるって、私

 は信じてます!」

  輝くばかりの笑顔が炎に照らされている。

  死んでも構わないと、充たされて死に行く場所をついに見出したと思った友雅を

 彼の月の姫が否と告げる。

 「足と……肩も……痛いでしょう? まずこの重たいものをどかさなきゃ。今、五

 行の力を送りますから。友雅さん、星晶針を使いましょう!」

  胸の前で両手を合わせ組んで、目を閉じて集中するあかねから、炎とは別のあざ

 やかな光がほとばしり、五行の力が友雅の身の内へと一気に流れ込んできた。その

 力を身に受ける快感に恍惚となって、体中にみなぎる力に突き動かされるようにし

 て友雅は術を唱えた。

 「きらめきよ、つらぬけ。星晶針!」

  細くきらめく幾多の光の針が、友雅の足を押しつぶし横たわる柱と梁に降り注ぐ

 と、重さは一気にはじけ飛んだ。木の破片が周囲の火の海に飛び散って、更に音を

 立てて炎の波が大きく猛る。

 「怪我ひどいですね。ごめんなさい……ちょっと待ってください」

  あかねは、たもとから回復符を一枚取り出して手にすると、一心に祈った。

  焼けこげそうなほどの炎にあぶられる中で、冷たい清水を浴び清められていくよ

 うな清々しさが体中に広がったかと思うと、もうその時には友雅の傷はすっかり癒

 えて、元通りになっていた。

 「神子殿……君という人は……」

 「これで一緒に行けますね。死ぬのは無しです。友雅さんは私を助けてくれるんで

 しょう? 守ると約束してくれましたね? みんな一緒で無事でなきゃ京を守った

 ことにならないって、私、思うの。ほら、もうここ危ないです。ここで友雅さんと

 焼け死んだりしたくありませんから!」

 「ああ……そうだね。仰せの通りだ。私の月の姫。君の望みが私の全てだよ」

  友雅は笑って立ち上がり、部屋の隅に転がっていた太刀と鞘を拾い上げると、刀

 を納めて、あかねを抱き寄せ並び立った。

  あかねが友雅を見上げて言った。

 「朱雀が道を作ってくれます。大丈夫。行きましょう!」

  火の羽根に覆われた神鳥が、ふたりの周りをくるくると舞うように飛びまわって

 いる。

 「頼もしい道案内だ」

  かん高い朱雀の鳴き声が業火の中に響き、その羽ばたきで、炎の波が分けられ、

 煙も火の粉もはじかれてゆく。


  友雅とあかねは朱雀の後を追って、火の海の中にぽっかりと出来た泡に包まれる

 ような形で炎をくぐり駆け抜けた。





  どれだけ休まずに駆けたか覚えはない。

  無我夢中でひたすら駆けて、目の前を飛んでいた朱雀が地面に降りた時、友雅と

 あかねは燃えさかり崩れかけた屋敷から外へ出ていた。

  つないでいた手もそのままに笹藪の中へ倒れ込んだ。激しい動悸を鎮めるのに、

 ひどくあえぎ、何度も息を吸っては吐いた。

 「神子!! 友雅!!」

 「あかねちゃんっ!」

 「ご無事ですか、お二人とも!」

  それぞれ叫びながら駆け寄ってくる八葉たちの声を遠くに聞きながら、友雅はめ

 まいを感じていた。

  藪に倒れ込んだ時に抱き寄せた、この世の何よりも大事な彼の宝物は、友雅の腕

 の中で彼以上にあえいでいた。

  ほっとして最初に思い出したのは熱い炎の中で夢うつつに味わった甘い唇だった。

 「私の本気はね……あれくらいでは済まないよ……」

  何を言われてるかわかったら、彼女はまた恥じらって怒るだろうか。でも、もう

 遅い。友雅は本気になってしまったし、何度も命を彼女に救われてしまったのだ。

  たとえあかねがいらないと言っても、友雅の一切は、あかねのものだ。

 
  腕に感じる重みと息のかかる位置にひどく安心すると、抗いがたい脱力感と眠気

 に襲われて、友雅は愛しいぬくもりをさらに抱き込んで目を閉じた。









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