憬文堂
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う き 波  拾九
仲秋 憬 




  友雅は背にした門が閉まる音にも振り返らず、目の前の屋敷を見上げた。

 「このような鄙(ひな)には稀なる作りだが……さて、どこから入れていただくか」

  土御門殿には及ばずとも、どうしてどうして山荘としては立派なものである。た

 だし昼間であるのに蔀(しとみ)は下り、妻戸も閉まっていて、こじんまりとした

 庭に面した階まで近寄ってみても人の気配はない。

  友雅は階を上がり一番近くの妻戸に手をかけてみると、思いがけずあっさりと戸

 は開いた。躊躇せず戸を開け放したまま屋敷の中へ入って、友雅は我が目を疑った。


 「まぁ! このような鄙びた山奥に、ご立派な殿方がいらっしゃるなんて!!」

 「あなた様は、どちらのお方でございましょう?」

 「道に迷われたのですか?」

 「内裏に参内なさっている公達とお見受けいたしますわ」

 「良きところへおいでくださいました」

 「ささ、こちらへお上がりになって」

 「どうぞ奥へ」

  きらびやかな女房装束に身を包んだ美しい女房達に、あっという間に取り囲まれ

 たかと思うと、背を押され、両手を引かれて、有無を言わせず連れ込まれ屋敷の奥

 に案内されると、御簾の前に居心地よく用意された客人の席らしい円座の上へ半ば

 無理矢理に座らされた。

  力で来られれば抵抗もしようが、美しい女人総出でもてなそうとしてくるのを、

 振り払うでもなく、友雅は大人しく従った。

  蔀が下りてすっかり戸締まりされていた暗いはずの屋敷の中に入ってみれば、ど

 うしたことか、真昼のように明るく、燈台の明かりだけでもこうはなるまいという

 まぶしさである。几帳や屏風も美しく調えられ、友雅の前には折敷が置かれて、酒

 肴の用意までされている。

 「どのようなご用で参られたかは存じませぬが、遠いところをよくお越しください

 ました。さ、まずは一献」

  内裏や左大臣家にいる粒揃いの女房達に勝るとも劣らぬ美女の中でも、とりわけ

 臈長けた風情でめでたき長さの見事な髪をした女が、友雅のすぐ隣に侍ると、盃を

 差し出し、提子(ひさげ)を傾けて見せた。

 「見ず知らずのあやしき者を、このように歓迎してくださるとは、ありがたきお心

 遣い。いずれ劣らぬ花に囲まれ、まるで桃源郷にでも迷い込んだ心地だね」

  友雅が微笑むと、周囲の女房達も、一斉にさんざめく。

 「ま、お上手ですこと」

 「それでは、ぜひとも花を味見てくださらなければいけませんわ」

 「どうぞ盃をお取り上げくださいな」

 「さあ」

 「さあ」

  女房達が揃って見つめるただ中で友雅が差し出された盃を手に取ると、隣の美女

 が、すかさず提子から酒を注いだ。

 「遠慮はいりませぬ。まず一口お飲みなされませ」

  美女はあでやかな微笑みを浮かべて、さらに勧める。

  友雅はゆっくりと盃を頂き、口をつけると見えたその瞬間に、いきなり盃を宙へ

 放り上げた。

 「きゃっ!!」

 「何をなさいます!」

  投げられた盃から酒は周囲に振りまかれ、それをかぶった女房の悲鳴が上がって

 も注意を払うことなく、友雅は素早く片膝を立て太刀を手に取ると、目の前に落ち

 てきた盃を、鞘から抜かないままの太刀先で一気に突きつぶした。

 「折角のおもてなしだが、これをいただいて永遠に休んでいる暇が、今の私には無

 くてね。龍の姫は、どこにおられる?」

  ばりっと音をたてて盃が砕け散ると同時に、友雅を取り囲んでいた麗しい女房達

 が、さらさらと砂となって崩れていくようにその姿を変えていく。美しい衣と外皮

 がはがれ落ちた後に残ったのは、狐や狸といった獣の白骨で、かろうじて保ってい

 た姿勢も、明かりをいっぺんに吹き消したかのごとく暗くなったところで、形を留

 めず、ばらばらと床板に散らばった。

  居心地よく整っていたはずのその場所は、すでに暗い廃屋の一間の姿に変わって

 いる。まるで何かに化かされたように、散らばる骨以外、そこには何もなかった。


 「私も段々と物が見えるようになったということかな……」

  友雅はひとり平然とつぶやいて立ち上がると、少女の姿を求めて、がらんとした

 暗い屋敷の中を走りまわった。



 「神子殿! どこだい?!」

  どう考えても、こんなに広い屋敷のはずはないと、片端から探しまわる友雅はい

 ぶかしむ。同じ廊をぐるぐると廻らされているのではと気付いた時、それまで見え

 なかった廂と母屋とを隔てているらしい襖障子の前へ出た。

 「神子殿!!」

  大きく叫んで破れた障子を勢いよく開け、中へと踏み入ると、奥に妻戸が外れて

 一方を開け放されている塗籠があった。


  確信を抱いて、その塗籠をのぞけば、そこには荒縄で手足を縛られ身動きもろく

 に出来ずに闇の中へ放り出されている少女がいた。彼女は膝をそろえて曲げ、両手

 を後ろ手に拘束されたままその身を横たえており、うつむき加減の顔は、長い髪の

 影で確かめることはできない。

  友雅は少女に駆け寄りかがみこむと、両手で細い肩を支えて抱き起こす。


 「ここにいたね……やっと見つけた」


  優しい声に気がついたのか少女は伏せていた顔を恐る恐る上げてゆく。まっすぐ

 に流れる黒髪をわけた間に白い額がのぞく。薄闇の中で、その奥にある少女の瞳が

 光り大きく見開かれた。そこに驚愕の色があるのを友雅は、はっきりと見て取った。

 「……と……友雅……さ…ん……?」

  震える声で名を呼ぶ、その声音は少女の本当のものではなかったが、その呼び方

 は紛れもなく彼の人のものだった。

 「君を迎えに来たよ。神子殿──いや、あかね殿」

 「…………わかるの? 私……私が、あかねだって」

 「わかるよ。もっと早く助けに来られなかった私を許してくれるかい?」

  少女は激しく首を横に振る。

 「違うの! 許すなんて、そんなことじゃないの。……わ、私……自分でも、わか

 らないのに……。本当は、あかねでも、龍神の神子でもないかもしれないって……

 そう言われたから、思い込んでるだけかも知れないって……でも……でも……」

 「静かに」

  友雅は右手の人差し指をそっと少女の唇に当てた。男の柔和な笑顔が、いつにな

 く真剣なものに変わる。

 「ここには呪いがかけられている。このまま君をすぐにでも外へ連れ出したいが、

 そうはいかないらしくてね。鬼も、なかなかやっかいな真似をしてくれたものだ。

 いいかい? 今から私が君の拘束を解いたら、すぐにまっすぐ廂と廊を突っ切って、

 屋敷の外へ出なさい。ひとりで走れるね?」

 「走るのは平気だけど……ひとりで? 友雅さんは?」

 「私はここに残るよ。この呪いは場所に贄を縛り付けるものだから、身代わりがい

 る。ふたり一緒に逃げるのは無理だ。どうやっても出られないのだよ」

 「そんな……何か……何か方法は……」

  少女は無意識に自由にならないその身を乗り出すようにして友雅に近づいていた。

  友雅は少女の肩を抱き寄せて、やんわりと首を振る。

 「──年経つる苫屋も荒れてうき波のかへるかたにや身をたぐへまし──ってね。

 ……仕方がないことさ。他にどうしようもないよ。大丈夫。私の命など物の数では

 ないし、生も死も大して変わりはない。この身ひとつで君を救えるなら……いくら

 でも捧げましょう、姫君。君のためなら、はかなくなるのも悪い気はしないからね」

  友雅が憂いを帯びた美しい笑みを浮かべて告げると、少女は激しく反応した。

 「やめて! そんなこと言わないで! だめっ! だめです! どうして、そんな

 簡単に死ぬなんて言うの? 私は誰かの犠牲で助かりたくなんかありません! 友

 雅さんが、そんなこと思ってるなら、私もここを動かない!!」

  少女は肩を支える男の手を振り払うように全身でいやいやをして、あらん限りの

 声で叫ぶ。

  その様子をじっと見つめていた友雅は急に甘いとけるような笑顔に戻ると、それ

 までにない力で、きつく少女を抱きしめてささやいた。

 「ほら、あかね殿だ。間違いないよ。この私に、そんなことを言うのは君だけだ」

  思いがけない言葉と態度の急変に少女は驚いて友雅を見上げた。限りなく愛しい

 ものを見る目をした男が彼女の目に映っただろう。

 「あ……友雅さん…………わざ……と…………?」

 「君が自分に自信がないなら、私がいくらでも証を立ててみせよう。過去も記憶も

 関係ない。君が私に教えてくれた。こうして、いとも容易く私をとらえて離さない

 ……ひたむきな情熱を宿した優しすぎる私の月の姫……。冷え切った私という闇を

 照らし、暖かく輝く光を投げかけてくれる……」

  こんなに優しい声を聞いたことがあっただろうか。

  言葉にならない想いがあふれたのか少女の瞳から涙がこぼれ落ち、暗がりの中で

 どこからかもれてくるかすかな明かりに光った。

  悲しくて辛くて泣くのではない。

  それは疲れてほこりをかぶってしまった心を洗い流すかのような浄化の涙だった。


  友雅は少女の頬にかかる長い髪をすくい上げると、あらわになった彼女の目尻に

 軽く口づけた。

  手足を動かせない少女は、それを避けられるはずもなかったが、口づけされた途

 端、はっと我に返って肩をすくませ、その身をよじった。

 「とっ友雅さんっ!!」

  薄暗い中でも、少女の頬が真っ赤になっているのがわかる。

 「本気の口づけは、君の本当の唇にね。さあ、行こうか。一緒に行けるね?」

  友雅は、そう言って笑うと、少女の拘束を解くために、太刀を抜き、彼女の足を

 縛っている荒縄に刃を立てた。









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