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う き 波  拾四
仲秋 憬 




  三人の八葉が意識の戻らないままのあかねを土御門殿の西の対へと連れ帰り床へと

 つかせてから、ほどなくして頼久が泰明を伴い戻ってきた。

  神子の休む奥に近い廂の間に入るなり、泰明は友雅に確かめた。

 「頼久に聞いた。神子がまた一人抜け出し、一条戻り橋で鬼の娘と共にいたところで、

 何らかのあやかしが起き倒れたのに相違ないな」

 「ああ。君の帰りを引き止めておくべきだったと思ったよ」

 「……神子は中か?」

  御簾内の帳台のある辺りの暗がりに目をやり尋ねる泰明に、天真がうなずいた。

 「見た目に怪我とか傷はねえよ。ただ眠ってるみたいに見えるけど……あいつ大丈夫

 か?」

 「それを確かめに来たのだ。ただ、私は神子の身に大事が起きたというしるしは感じ

 なかった。神子に大事あらば我ら八葉が何も感じぬわけはない。命に別状はないだろ

 う」

  泰明は表情を変えぬまま、そう告げると脇に控えていた女房に合図して、御簾の内

 へ入った。残された四人の八葉は、ただまんじりともせず、泰明が出てくるのを待っ

 ていた。ただ待つ間、暗がりにぼうっと灯る燈台の大殿油がじりりと燃える音が、恐

 ろしく響いて聞こえた。



  おそらくそう長い時を待ちはしなかったはずだが、待っていた八葉達には、永遠に

 も思えた刻が過ぎた。泰明が静かに御簾を上げ、廂の間へ戻る。

 「あかねはっ!?」

  天真がせき込むようにして泰明に問う。泰明は静かだった。

 「……深い眠りだ。しかし大事はない。…………ないはずだ」

 「はず? それは、どういうことかな」

  友雅が泰明らしからぬ言い様に、すぐさま気付く。

 「気の乱れは感じない。眠っているのと同じことだ。私が見た限りでは穢れや呪いの

 跡も感じない」

 「だったら……それなら、あかねちゃんは『問題ない』んでしょう?」

  不安そうな詩紋に、泰明は、いつもの彼の決まり文句を言わなかった。

 「今見た限りでは、ない。しかし、少し気になる」

 「何がです? やはり神子殿に鬼による障りが……」

  めったに口出しをしない頼久の言葉にも、泰明は淡々と返した。

 「いや、わからぬ。はっきりしないのだ。神子が目覚めれば、問題はないと思うが、

 眠りは深い。無理に目覚めさせることは気の乱れに通じるだろう。ここ数日、神子は

 身の内の龍神の力を余りあるほど顕わしていた。神子は、この世のただ人とは違う。

 常ならぬ器だが、それでも肉体に反動は出るはず。物忌みも近い。となれば、無理を

 強いることはさせられぬ」

 「なら、どうしろって言うんだ?」

 「まずは神子が目覚めるまで動かさぬことだ。次の子の日まで、まだある。差し迫っ

 て祓うべき怨霊もないはず。しばらく神子は静かに休むことができるだろう」

  結局、八葉に今この場でできることはない。それがはっきりして、天真は不満をあ

 らわにした。自分自身の力の無さに腹を立てている表情だ。

  友雅は、大きく息をついた。

 「藤姫には、その辺りを大事にせぬよう聞き分けていただかなければね。明日、あの

 お役目に熱心な姫君が、夜中と言えど神子殿の一大事に、何故、自分を呼ばなかった

 かとお怒りになるのが目に見えるようだよ。詩紋、君も姫をなだめるのに手を貸して

 くれるだろうね」

 「え、ボクにできることなら……」

  話の途中でも構わず、泰明がその場を離れようとするのに、詩紋が気付いた。

 「泰明さん、どこへ行くの? あかねちゃんが目が覚めるまでいないんですか?」

 「──まかせる。もちろん、何かあれば、すぐ戻る。わからぬことが多すぎるのだ。

 出来る限り確かめねばなるまい」

  それはおそらく泰明にしかできない仕事だ。すぐに詩紋は納得した。

 「そうですか……。じゃあ気をつけて」


  泰明が去って残された八葉達は、あかねの側を離れる気にはなれなかったが、結局

 詩紋はいつもの自分の房、友雅は客として急ごしらえであてがわれた房へと下がるこ

 とにした。

  頼久と天真は当初からの予定通り宿直するべく、廂の間から動かなかった。いつも

 ならば、神子と八葉とはいえ、これほど近くで夜を過ごすことなどないが、今となっ

 ては、八葉の誰かが常に目を離さずいるという単純な方法を取らざるを得なかった。

 それでも、人智を越えた存在に呼ばれてしまうあかねを止めることはできないのかも

 しれないが、これ以上くり返し同じ轍を踏む気など、彼らにはなかった。

  天地の青龍は、一言も口を聞かず、うたたねもせずに、ぼんやりとした燈台の明か

 りをたよりに、あかねが横たわる帳台のある間と廂の間とを隔てている御簾を、神経

 を研ぎ澄ませて、夜が明けるまで見つめ続けていた。





  翌朝、友雅が言った通り、黙ってことを運んでいた八葉達への藤姫の憤りは並々な

 らぬものだったが、未だ目覚めぬあかねを前にして、余計な騒ぎを起こすような少女

 ではない。

  泰明が動かすなと言ったと聞けば「では、このままわたくしも神子様がお目覚めに

 なるまで、お側から動きません」と言って、あかねの寝顔を見下ろす枕辺につきっき

 りになった。


  いつも八葉たちが集まる刻限になっても、あかねは目覚めなかった。


  廂の間には、イノリ、鷹通、永泉もやって来て、泰明を除いた八葉が勢揃いし、夕

 べの事件が説明された。しかし、知ったところで、今、彼らにはどうすることもでき

 ず、あかねを案じて祈るか、ひたすら待つより他はない。

 「友雅殿、内裏や、左近衛府の方はよろしいのですか?」

  参内せずに土御門に居続けの友雅に鷹通が尋ねた。

 「かまわないさ。私の代わりなどいくらもいる。仕事のことを言うならば、鷹通、日

 頃から真面目な君の方が、よほど周囲が困っているのではないかい?」

 「そのようなことはございません。それに、京が滅びてしまうかもしれないという危

 機に、神子殿に仕えるより優先させるような仕事があるでしょうか」

 「……それもそうだね。ならば私も君も変わらない……ということか」

 「ええ……。ところで昨夜のことですが、話を伺って気付いたのです。このたびの神

 子殿が遭われた異変は、神子殿が河原院で合われた異変と似ていませんか?」

  鷹通はその場にいる八葉すべてに聞こえる声で問いかけた。

 「私はどちらの異変も話を伺っただけで、その場にいることがかなわなかったので、

 尚更そう感じるのかもしれませんが……。夜半に気がつくと神子殿が屋敷内のどこに

 も居られず、たったお一人で誰にも止められず抜け出され、追ってみれば、鬼にとら

 われているという天真殿の妹御と会われていて、何とも知れぬあやかしの術か何かで

 気を失われてしまうという……」

 「ああ! その通りだぜ! オレもそう思ってた!!」

  手持ちぶさたそうにして廊の近くあたりに座り込んでいたイノリが勢いこんで同意

 する。

 「これは何者かの意図があるのでしょうか。それとも、ただの偶然なのか……」

 「なぁ、両方に居合わせたのって頼久だろ? どう思うんだ?」

  イノリに問われて、頼久は少し考えてから口を開いた。

 「……確かに似通った状況ではあった。だが昨夜は神子殿を追ったのは私一人ではな

 く八葉四人であったし、鬼の首領まで現れたことを考えると、まるで同じというわけ

 ではないと思う。最初の時は神子殿は実際に池に落ちられ、頭を打たれたりされたこ

 とが直接の原因だろうが、昨夜は、それとは違うだろう」

 「そうか……。でも似てるよな」
 
「偶然にせよ、神子の行動が記憶を無くされた時をなぞっていたならば……」

  それまで数珠を手にしたまま、ずっと隅の座で黙っていた永泉の、小さな声のつぶ

 やきに、その場にいた八葉たちは一斉に、このすでに俗世を離れた気高い天の玄武を

 見た。

 「……そのことによって、過去を思い出されるということはないでしょうか」

  失われた思い出を取り戻すことこそ、彼らが真に待っているあかねの目覚めであっ

 た。




  すっかり日が高くなり、正午も過ぎた頃、朝からずっと帳台の中であかねの枕元で

 寝顔を見守っていた藤姫は、あかねが小さく身じろぎしたのに気がついた。

 「神子様……?」

 「……ん…………」

  小声で呼ばれたことに反応したのか、あかねのまぶたがふるえるように動き、まば

 たきを何度かくり返して、ゆっくり目をあけるのを、藤姫は緊張して見つめていた。

 「あ……ここ……?」

 「いつも神子様がお休みになられている御寝所ですわ。……神子様、どこかお体に痛

 みはございませんか?」

 「みこ…………」

  ぼんやりとしたあかねを驚かせないように、藤姫は丁寧に話しかけた。

 「神子様、昨夜のことは覚えておられませんか?」

 「…………夜…………橋……で…………」

  あかねは左手で額のあたりを押さえ、思い出すように口を開いた。

 「そうですわ、神子様は夜半に屋敷をお一人で抜け出されて、一条戻り橋で鬼に会わ

 れ、怪異によりお倒れになったのです。八葉がここへお連れして帰ってまいりました

 の。一晩、そのままお眠り続けになられて、今はもう昼です。ああ、でもご無事でよ

 うございました! 八葉達も心配して先の間に控えております」

 「……そう……あ……なら挨拶……しないといけない……? 神子の役目……が……」

  あかねが体を起こそうとするのを藤姫はあわてて止めた。

 「いいえ、いいえ神子様。ご無理はなさらないでください。神子様はお疲れです。幸

 い神子様のお働きで、玄武の呪詛はすでに祓っておりますし、今はお体を大事になさ

 る時ですわ。お願いです……まだ、記憶も戻っておられないのに……ここで無理をな

 されてはいけません!」

 「あ……ごめ……なさい。何だか……混乱……してて……」

 「ああ、申し訳ございません。わたくしとしたことが、星の一族でありながら神子様

 をお悩ませするようなことを」
 
 藤姫は見るからに慌てていた。

  その時、帳台の外から女房の合図があり、藤姫は我に返って帳台の端へといざり寄

 り女房から何事かを伝えられた。藤姫は女房に肯いてみせてから、あかねの方へ向き

 直った。

 「神子様、もし起きあがれるようでしたら、ほんの少しだけ、八葉達にお顔をお見せ

 いただけますか?」

  藤姫の言葉にあかねは、ゆっくりと体を起こした。




 「神子殿、ご無事で!」

 「あかねちゃん……」

  単衣に袿を軽くかけただけの姿のあかねを見て、八葉たちが、一様に安堵し、何か

 言おうと前がかりになる。廂の間と神子の間を隔てている御簾を巻き上げての八葉と

 神子の対面に、あかねの側にぴったりと身を寄せている藤姫が、あかねが口を開く前

 に彼らを牽制した。

 「神子様は、まだお疲れが残っておられます。しばらくゆっくりと休んでいただきま

 すので、八葉の皆様もどうぞそのおつもりでお願いいたします」

 「わかっていますよ、藤姫。神子殿、お加減はよろしいのか。何か変わったことは?」

  友雅がやんわりと尋ねると、ようやくあかねが口を開いた。

 「……いえ…………心配かけました……」

 「そう。ならよかった」

 「あかね、無理するなよ。オレたち八葉は、おまえを守るためにいるんだからさ、面

 倒はオレらにまかせて、もっと楽にかまえてろよ。な?」

  イノリがにっこり笑ってあかねに声をかけた。

 「ありがとう……でも……私……まだ神子としての力の使い方も思い出せてない……
 
し……」

 「ご自分を追い詰められてはいけません、神子」

  永泉も微笑みを浮かべて、安心させるように言う。

 「時が至れば必ず良きようになると信じましょう。御仏は必ずお救いくださいます」

 「神子殿が、お休みになられるのでしたら……藤姫」

  鷹通が藤姫に向かって告げる。
 
「先ほどから、我々で話をしていたのですが……、どうも神子殿には外界から何らか

 の異変や働きがあって、供も連れずに、お心もあやふやなまま抜け出されてしまうよ

 うです。しかも、それを止めることが、ただ人には無理であるとお見受けいたします。

 ここはひとつ、物忌みでなくても、しばらく八葉が一人、必ず神子殿のお側について

 いるのがよろしいかと思うのですが、いかがでしょうか?」

 「……そう……そうですわね。神子様に何かあった時、八葉がお側にいれば……きっ

 と、もうあのようなことは起こりませんわね……」

 「我らが神子殿から目を離さずにお守りするのが、一番確かではないかと思うのです」

 「鷹通殿のおっしゃることは、いいお話だと思います。神子様、少しきゅうくつな思

 いをされてしまうかもしれませんが、わたくしたちは神子様をお守りしたいのです。

 どうか今のお話、承知してくださいませんか?」
 
「……八葉が…………守って……くれるの……?」

 「ええ、もちろんです」

 「でも……迷惑かけたり……とか……何も……できないし……思い出しても……ない

 のに……」

 「あかね、そんなこと関係ねーよ。俺らは仲間なんだぜ。必ず守ってやるから」

 「そうだよ、あかねちゃん!」

  天真と詩紋の力強い口調にうつむき加減だったあかねは顔を上げた。

 「神子殿、それほど重く考えることはないよ。ここにいる男どもは皆、君の役に立ち

 たいだけなのだから、笑って顎で使ってくれたらいいさ。恋を語るというわけにはい

 かなくてもね」

 「友雅殿……っ!」

  友雅の言い様に藤姫がさすがに眉をひそめたが、彼は軽く微笑んで、藤姫の怒りを

 きれいに受け流した。

 「神子殿、どうか……」

  頼久が頭を下げるのを見たあかねは、とまどった表情はそのままであったが、小さ

 く肯いて了承した。

 「わかりました……お願い……します」

 「ああ、よろしゅうございました! 神子様、では本日は、どなたがお側でお守りさ

 せていただきましょうか? 幸い、今は七名の八葉がそろっておりますが……」

 「私が選ぶの……?」

 「ええ、どなたでも、神子様のよろしいと思われる者を」

  さすがに皆がそろっている前で「では誰を」と名指しするのはしにくいものだが、

 かと言って、ここでわざわざ奥に戻り、一人を呼び出すまで待たせるというのも、手

 数がかかるし、具合が悪い。

  藤姫は、なるべくあかねに負担をかけないように、何でもないことだし、誰を選ん

 でも平気なのだという風に尋ねた。

 「……じゃあ……………………」

  言いよどむあかねが友雅を見たのに、彼はすぐに気がついた。

 「私にそのお役目を許してくださるのかい?」

 「友雅殿ですか? 友雅殿でよろしいんですの?」

   藤姫の、いかにも意外だという声に、あかねがうろたえる。

 「あ……あの……よかったら……で……」

 「いいに決まっているよ」

  友雅の微笑みが、その場を圧倒し、その日はあかねの側に友雅がつくことになった。









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