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う き 波 拾参
仲秋 憬 




  にわかに騒然となった土御門の西の対。天地の青龍二人が門を確かめるまでもなく、

 あかねは屋敷のどこにもいなかった。

 「やはり外に出られたね」

 「たぶん西だ。何となく、そんな気がする」

  友雅の判断に、天真がつぶやく。友雅はそれを肯定した。

 「おそらくそれは正しいよ。神子殿の気の名残が感じられるのだろう。頼久、あの晩

 と同じかい?」

 「はい」

 「では急ごう。八葉が四人もいれば、難なく神子殿の行く先をたどれるだろう」



  土御門で寝起きしている頼久、天真、詩紋に、あかねを送った後、留まっていた友

 雅を加えた四人の八葉は、あかねの気の痕跡をたどって、夜の京を駈けた。

  貴族である友雅が馬にも車にも乗らずというのは異常であったが、そのようなこと

 にこだわっている猶予もなかった。

  つごもり間近のあるかなきかのか細い月明かりだけが頼りの暗い夜道に、あかねの

 通ったであろう道筋が、まるで蛍の通い路のごとく、ぼうっと白く光を放っているよ

 うに彼らには見えていた。それは少女の残像を残し、点々と続いている。

 「こんなに簡単にあかねちゃんの行く先が感じられるのに、どうしてお屋敷を出よう

 とした時、ボクたち気がつけないんでしょう?」

  小走りの足を止めずに、詩紋が疑問を口にした。

 「さあ……泰明殿に言わせれば、龍神が呼んでいるから……かな」

  友雅にしても答えようがなかった。天真は苛立ちをあらわにする。

 「好きでなったわけじゃない。でも俺たち八葉は、その神子を守るためにいるんじゃ

 ねえのかよ?! 俺たちに知られないように、あかねが抜け出すのが龍神の意志か? 

 だったら何で八葉なんかいるんだよ!! あかねだって望んで神子になんかなったわ

 けじゃない。どうしてだよ? どうしてあいつが……っ」


 「……天真」

  天真の言葉を頼久がさえぎった。

 「何だよ?」

 「前を見ろ……神子殿だ」

 「あかねちゃん!!」

  暗い夜道は見通しがきかないが、それでも八葉達にはわかる。

  今、彼らがたどり着いた辻の先、一条戻り橋のたもとに、こちらに背を向けて、あ

 かねが立っている。橋に足はかかっていない。

  そして、橋の上、半分ほど進んだちょうど真ん中あたりにあかねと向き合って立っ

 ている、あかねと同じくらいの背格好の長い髪の娘が一人。

 「蘭っ! 蘭じゃないか!! こんなところで、あかねと何を?!」

 「天真、はやるな!」

  頼久が押さえようとしたが、天真は止まらない。

 「何で止めるんだよっ! あいつは俺の妹だ!!」

  天真の声が届いたのか、あかねが驚いた顔をして八葉達の来ている後ろを振り返っ

 た。天真はなりふり構わず、少女に駆け寄ろうとした。

 「あかねも蘭も俺が守る。来いっ! こっちだ、蘭! あかね!!」

  全力で駆ける天真が、橋のたもとのあかねにたどりつくまであと十数歩かというあ

 たりで、彼は突然、目に見えない壁に突き当たり、はじかれたように、後ろへ飛ばさ

 れた。

 「うあっ!」

  勢いがあっただけに、派手に尻餅をついたように転ぶ。天真は、どうしても二人の

 いる橋に近づくことができなかった。

 「な、なんだよ、これ……っ」

 「……結界のようだね。禍々しいことこの上ないな」

  追いついた友雅が眉をひそめる。

 「こんなわけわかんねえもんのせいで……、あかねっ! 蘭! こっちに戻れって! 

 帰ってこい!!」

  天真が声を張り上げる。

 「あかねちゃんっ!」

 「神子殿、お戻りください!!」


  あかねの前には、橋の中程に立つランと呼ばれる少女、振り返れば辻のあたりで、

 あかねを呼んでいる八葉達。あきらかに、あかねはとまどっているようだ。

 「…………妹……さん?」

  体勢を崩したまま声を張り上げていた天真と、橋の上に立ち尽くす青ざめた少女を

 見比べて、あかねが、ぼんやりとした調子でつぶやいた。


  その時、ランの背後、橋の向こう側の暗がりが、かげろうでも立つようにゆらりと

 白くにじんでゆがみ、そのゆがんだ空間から突如として仮面の男が現れた。鬼の首領

 を名乗る男だ。

 「アクラムっ!!」

 「過去を失って尚、龍神の神子たろうとする様は哀れですらあるな」

 「あなたは…………」

  あかねは呆然と橋の上をランに向かって歩いてくるアクラムを見た。

 「ラン、来るがいい」

 「はい……お館様」

 「蘭、どこへ行く?! お前は俺と帰るんだ! てめぇ俺の妹を返せよっ!!」

  天真の叫びを聞いた途端、あかねが声を上げてランに向かって呼びかけた。

 「待って! 私を呼んだのはあなたじゃないの? どうして? こっちを見て!」

  その声に、あかねに背を向けようとしていたランの動きがぴたりと止まる。しかし

 アクラムはかまわずランを手招くように右手を差しのべた。

 「ランは正しく龍を呼べなかった娘。いわば神子のなり損ないだ。とは言え、それな

 りに役立つこともある」

 「……人を……人をなんだと思って…………」

  アクラムの言葉にあかねが憤る。

 「いかにも、ランは私の命を受け、道具となって動いている。だが、そなたと、どこ

 が違う? そなたも過去を失っているが、縁もゆかりもない京に殉ずる贄となるため、

 その身を捧げているではないか」

 「おのれ、世迷い事を……!」

  頼久が離れた位置からでも太刀に手をかけ歯噛みする。

 「真実を言い当てられれば怒りもしよう。所詮、八葉ごとき、神子がいなくば何の力

 もない」

 「てめぇ、勝手なことぬかしやがって」

  結界にはばまれているのも忘れて、また飛びかからんばかりになる天真を、片手で

 押さえるようにして、友雅の低い声が響いた。

 「神子殿をたばかるのもいい加減にするがいい。最初に己の身勝手な野望にために、

 龍神の神子を招かんとしたのは、鬼よ、お前だろう。不完全な儀式で、そこにいる娘

 を呼び、さらには龍の宝珠を盗んで、神子殿を引きずりこむきっかけを生んだ本人が、

 何をたわけたことを」

 「なればこそ、私が呼んだ神子が何故そなたらに殉じるわけがある?」

 「龍神の神子こそは京の守護者。お前の召還儀式は、ただのきっかけだ。お前達が、

 この京を穢れと呪詛で傾けんとした故に神子殿が降臨されたのだ。断じて鬼の悪行を

 許すためではない!」

  頼久が叫ぶが、アクラムは、くっとあざ笑うようにして口元を手にしていた扇で押

 さえた。

 「それゆえ己らに正義があるとでも言うか? 神子にとって、いや、このランにとっ

 ても、そこにいる神子と共に来た二人の八葉とても、元いた世に帰るという望みの前

 に、病んだ京を守らねばならぬという根拠がどこにある? ただ己だけは手を汚さず、

 弱き者から搾取するばかりの雲客どもを救うか? なんと無為なことだ」

 「……間違えるな。穢しているのはお前だ」

  頼久が怒りを押さえた口調で言い返したが、アクラムは気にとめた様子もなく居直

 るだけだ。
 
「生きるために力を欲して何が悪い。より良く、より高く、誇りを持って生きるため

 に力を得るのだ。時にそれが復讐を伴うからといって、どれほどの非難を受けようが、

 かまう道理などあろうか。何度でも言おう。これが事実だ。我らに力を貸そうが、そ

 なたらにつこうが、神子にとって神子の力を欲するということに何の違いもない」

 「そんなの……そんなの私は……わたし……は…………」

  あかねが何かを告げようとして言いよどむ。


 「ああ、もうその辺で無粋な戯れ言はやめにしてもらおうか。どうも、そこの鬼の御

 仁は我らが神子殿を京の贄にすると思っておられるようだが……」

  友雅が本当に呆れた口調で割って入る。

 「その通りではないか。どんな言い方をしようと同じ事よ」

 「わかってないね。真に神子殿がそれを望まないのなら、京など、どうなろうとかま

 うものか。我らは神子殿を守り仕えるもので、京を守る使命などないよ。神子殿の望

 みこそがすべてに先んずる」

  友雅の言葉に、あかねの方が驚いて友雅を振り返った。アクラムは面白そうに小さ

 く笑った。

 「ほう。だが、そこの若造は、しばしば神子よりも己の妹が大事と見えたがな。どち

 らつかずの八葉が。……ラン、お前の兄は、あの神子の八葉。やはり頼みにならぬよ

 うだぞ。哀れなものだ。血の絆など、所詮むなしいもの」

  あかねがアクラムとランに向き直る。

 「家族を心配するのは当たり前じゃない。何よりあなた達だって、金髪とか、とても

 綺麗なその容姿は親から受け継いで……それで迫害されたんじゃないの……? だっ

 たら血の絆がむなしいなんて……おかしいよ……」

 「……あかねちゃん…………」

  詩紋が小さくつぶやいた。


  あかねはずっとランを気にしていた。アクラムの前に、意志のない人形のようにし

 て立ち尽くしている少女。

 「ねえ、あなた、ラン──っていうのね? 天真……くんの…………妹さん? 前も

 会ったことあるんだよ……ね……?」

  あかねが橋へ足を踏み出す。ランは、まだ橋の中央にいて、アクラムはその向こう

 側の橋のたもとのあたりから一歩も動かず、ランに向かってくるあかねを見ているよ

 うだった。

 「神子殿いけません!」

 「頼久、太刀を!!」

  友雅が叫ぶと同時に頼久は太刀を抜き、先ほど天真がはじかれた空間へ、太刀を構

 えてそのまま突撃するかのように、あかねの側、一条戻橋に向かって駆け出した。

 「あかねちゃんっ!!」

  詩紋が思わず目を覆う。


  あかねが歩み寄りながら差しのべた左手のひらと、それを向かえるようにして上げ

 られたランの右の手のひらが、指先からつと触れ合った、その時、その手のひらから

 すさまじい二つの気があふれ出した。

  橋のただ中でその二つの気の流れは、ぶつかって渦巻き、空間はさらに大きくゆが

 む。黒煙と白煙がまざりあうことなくたちこめて、八葉たちの視界は遮られた。


 「神子殿──っ!!」


  頼久の太刀の刃先が見えない壁につきささり、そこから稲妻のような光が一気にあ

 ふれて、地鳴りのような音と共に空気が震えるような衝撃が走った。

 「うあっ」

  硬質な耳鳴りが八葉を襲う。頼久の太刀はますます白く輝きを放ち、そこから視界

 が晴れていく。

  橋の上の二人の少女は、今や鏡に対するように、互いの両手のひらをぴたりと合わ

 せて向き合い立っていたが、見開かれた瞳には目の前の互いすら映っていないようだ。

  さっきまで煙のように見えていたものは光の帯となって、二人をかこみ螺旋を描き、

 天をめがけて昇っていく。それはまるで、天から下りてきた命を持つ二種の天衣の帯

 が、彼女らを向かい合わせに縛り上げ、そのまま天へと引き上げようとしているかの

 ようだ。

  何か、得体のしれないことが、橋の上で起こっていた。

  ぐらりと少女の体が共に傾いだ。

 「九字を切れ! 頼久っ!!」

  友雅の絶叫。

 「臨、兵、闘、者、皆、陳、列、在、前!」

  頼久が太刀で格子を描くように九字を切り、最後に右から左へ袈裟がけに一本加え

 九字ならぬ十字を切り終えた途端、彼らをあかねから隔てていた結界はおびただしい

 光をまき散らして霧散した。

  二人の少女を縛り上げていると見えた光の帯も、少女たちを残して渦巻きながら、

 天へと上がり、消えてゆく。それと同時に支えを失ったかのように、二つに分かれて

 倒れる二人。光は急速に失われ、ふたたび濃い闇があたりを支配しようとしていた。

 「神子殿!!」

 「あかねちゃんっ!」

  ようやくあかねのもとへと駆け寄ることができた八葉たちが手を伸ばす。身軽な天

 真が飛び込み、あかねが地に頭を打つ前に、かろうじて彼女を支えるのに間に合った。


  太刀を構えたままの頼久は、更に橋の先に挑むが如く視線を向けたが、アクラムは、

 目に見えない従者が抱き上げたように宙にふわりと浮かんだ意識のないランを伴い、

 今まさに、闇のゆがみの中へ消えていこうとしていた。

 「まだ終わりではない。我らには失う物などないのだからな。せいぜいあがくがよい」

 「あがいているのは、てめぇらの方だ!! 返せ! 蘭を返せよっ!!」

  天真は気を失っているあかねを抱えたままアクラムに向かって叫んだが、鬼の首領

 は、それ以上、言葉を返さず、ランとともに、ゆがみに吸い込まれるようにして完全

 に消え去った。

  二人の姿が見えなくなると同時に、空間のゆがみも消え、橋はただの橋に戻ってい

 た。



 「神子殿……」

  友雅はすっとかがみ込んで、膝をついた体勢の天真に抱きとめられたまま気を失っ

 ているあかねの口元に手をかざし、それから首筋へとその手を滑らせ当てがった。

 「…………息はあるね」

  そう言って、自分も詰めていた息をほうっと吐いた。

 「とにかく土御門へお連れいたしましょう」

  太刀を納めた頼久が、天真の腕からあかねを抱き取ろうとすると、天真はそれに抗

 い、自らあかねを抱いたまま、立ち上がった。抱き上げられたあかねの手足がぐった

 りと力なく宙に浮く。

 「俺が連れてく」

 「天真先輩……」

  詩紋の心配そうな表情も、頼久の物言いたげな表情も無視して、天真は歩き出そう

 とした。友雅は、そんな天真に構わず、頼久に告げた。

 「いや、頼久、お前はこのまま安倍晴明殿の屋敷へ行き、泰明殿を土御門へ連れて来

 てくれまいか」

  頼久は、その言葉にはっと面を上げ、「承知しました」とだけ答えると、足早にそ

 の場を去った。

 「あ……っ」

  さすがに目の前のことしか見えていない自分の行動を少し恥じたのか、天真が小さ

 く声を上げたが、友雅は構わなかった。

 「帰るよ。こんなところに長居は無用だ」

  三人の八葉は、あかねを守りつつ、たよりない月明かりのみの道を迷いもなく、土

 御門の屋敷へと急いだ。










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