憬文堂
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う き 波  拾
仲秋 憬 




  朝食を終え、詩紋があかねの分の膳の片付けも引き受けて下がったところで、端近に

 控えていた女房から泰明の来訪が告げられた。

  これはかねてから予定の訪問であったのでお目付役の藤姫もすんなり了承し、泰明は

 あかねのいる御簾内へ入ってきた。

 「失礼する」

 「おはようございます、泰明さん。昨日はすみませんでした」

 「神子が詫びることはない」

 「でも心配かけちゃって」

 「お前を守りきれなかった私こそが至らなかったのだ」

 「泰明さんも、友雅さんと同じこと言うんですね」

 「……八葉だからな」

  泰明の言葉にあかねがふっと口をつぐんだところで、側にいた藤姫がおもむろに告げ

 た。

 「神子様、わたくしは最後の占いに参りますわ。玄武の呪詛を探すために」

 「あ、占いで探すの……ね」

 「ええ。在処がわかれば、泰明殿とともに呪詛を祓いに行っていただくことになります」

 「うん、わかった。よろしくね」

 「はい、頑張ります。それでは失礼いたします。神子様、きょうはどうぞごゆっくり体

 を休めていてくださいましね」

  藤姫はそう言うと、するすると正装の長い裳を引きつつ女房を伴って下がっていった。

  あかねはその場に泰明と二人で残された。

 「今日は一日動かないでいた方がいいんですね」

 「そうだ。お前は何度か一人で出かけて鬼と会っている。記憶を失った夜もそうだろう。

 今日はどうあっても一人で出かけられないよう、私が先に来ることにしたのだ」

 「すみません」

 「かまわない」

  泰明のぶっきらぼうな物言いを特に気にするようでもなく、あかねは話していた。

 「玄武が最後って言ってましたよね」

 「そうだ」

 「白虎と同じように玄武を解放したら、そうしたら雨が降るって……雨が降ったら……」

  そこから先の言葉は告げられない。

  刻々と近づいてくる足音が聞こえるようだ。その足音を止めることはできない。

 「四神も最後の玄武のみ。おそらくは鬼も本気であろう。神子は注意深く呪詛を探し、

 己の力をみがくことだ。さすれば自ずと道は開かれる」

 「私にできること……ですよね」

 「神子でなければ、できない」

  揺るぎない泰明の言葉は、あかねを安心させたようだ。

 「私、頑張ります」

  そう言って微笑むあかねを見て、泰明は円座から立ち上がった。

 「それでよい。──気が……」

 「え?」

 「いや、何でもない。私はもう行く。まだ今日は日が高いが、お前は屋敷から出るな。

 お前は思慮深くない。過ちを起こす前に私を呼べ」

  聞きようによっては、ずいぶんと失礼な言いぐさだが、あかねは気分を害することは

 なかった。



  そうして泰明も出て行ってしまい、あかねは一人ぽつんと部屋に残される。

 「……あれって、危なくなったら自分を呼べってことなんだよね? わかりにくいなあ、

 ホント」

  泰明の言葉を反芻しながら、あかねは何をするでもなく、側にあった几帳から垂れ下

 がっている野筋をもてあそんだ。

 「きれいなリボン……あ、リボンって無いなあ、ここ。…………あれ?」

  頭をかすめた何かを追おうとすると、途端にかすんでわからなくなる。そのもどかし

 さに、あかねは困惑する。


  その時、あかねの耳に飛び込んできた音があった。

  鈴の音だ。まるで呼びかける声のように、その音は響いてくる。気のせいではない。

  何かを呼び覚ます音。その音が伝えようとしていることがあかねにはわかる。理屈で

 はなかった。

 「何……? 出かけちゃダメって言われたところなのに……。勝手に外に出たら、また

 心配かけちゃう……」

  しかし、鈴の音はひっきりなしにあかねをせき立てる。

 「ああっもう! 行けばいいんでしょ、行けば!」

  ますます鳴り響く鈴の音にたまりかねたあかねは、立ち上がると、何の迷いもなく庭

 から外へ飛び出した。自分の行動が、かつてと同様であることなど知らぬまま。

  それをとどめる者は、やはりいなかった。




  鈴の音に導かれているあかねは、自分がどこに向かっているか、わかってはいなかっ

 た。何もわからぬまま、船岡山へたどりついた時、あかねは肩で息をしており、どうし

 てこうまで急かされるようにして、このような山奥へ来たのか疑問でいっぱいになって

 いた。ただでさえ、自分で自分がわからないのだ。

 「急いでここまで来たけど……。どうしてこんなところに来ちゃったんだろう? どこ

 なの……ここ……」

  呼吸も整わないまま、辺りを見回していると、背後から声がした。

 「──誰だ?」

 「え? 誰って、あの……」

  硬質に澄んだ高い声の誰何にあかねが振り返ると、そこには腰まである長い髪を両方

 の耳もとで結っているほっそりした少女が立っていた。彼女の視線はまっすぐにあかね

 に向けられている。冷たい目をした美しい少女。

 「よくわからないんだけど……」

  文字通りの状態であるあかねは、ためらいつつ、そう答えるしかなかった。あかねは

 自分のことも他のことも、一切がわからないままなのだ。

 「私は、あかねっていうんだけど……あなたは? あなた…………」

 「龍神の神子か…………お前を排除するのがお館様の望み」

 「え? どうして……。私を知ってるの? お館様って?」

 「お館様が、そう望んでいる……そうだ。だから私は…………」

  不安定なあかねの前で、見知らぬ少女は、もっと不安定な面もちで宙を見た。

 「ねえ、大丈夫? あ!」

 「ああっ……」

  あかねの目の前で、少女は急に両手で耳をふさぎ、うずくまった。

  それと同時にあかねの頭の中で響くように、シャンと鈴の音がした。その音を聞いた

 途端、突然ひらめく記憶のかけらがあった。


  ──知っている。これと同じことがあった。それは、いつ? 

  この少女を、あかねは知っている。

  呼んでいたのは、誰? 

  呼ばれたのは、どちら?

  伝えなければ。彼女を捜している人が…………そうだ、もうずっと苦しんで…………

 苦しんで? 誰が?

  何もできない。力が足りない。どうすればいいの? どうしたら?

  龍神の神子なら、龍神の神子だったら、きっと…………!


  鈴の音に重なって、ひどい耳鳴りがあかねを襲った。

  まるで目の前の少女と共鳴するように、鈴の音と耳鳴りが、わんわんと頭の中で鳴っ

 ている。あかねも、また耐えきれずに耳を押さえるが、そんなことで音はやまなかった。


 「呼ばないで……呼ばないでほしいのに……でも…………」

  か細い少女の声が、あかねをも追いつめる。

  あかねをさいなむ耳鳴りが闇の淵となって口を開けて迫りくる。その闇に飲み込まれ

 るような恐怖を覚えて、あかねは身を震わせた。目をつぶり、耳をふさいでも、意味は

 なかった。

  まるで折り重なるように少女二人はその場にうずくまる。

 「いや……いやなの。だめ……! やめて……やめて!」

  耐えきれずにあかねは声をあげた。


 「……忘れるから! 忘れるの!! 思い出したら、だめなんだから……っ!」


 「破邪! ……神子! 無事か」

  一瞬にして、闇は霧散し、あかねは、はっと面を上げた。

  あかねの前には、まだうずくまったままの少女がいて、その後ろに印を結んでいる泰

 明の姿があった。 

 「や、泰明さん……あ……大丈夫。私は大丈夫だけど……」

 「鬼、神子を惑わし、手にかけようとは」

 「え? 鬼? 鬼って……、この子が?」

 「そうだ。この娘は鬼の一族の者」

  あかねは目の前で震えている少女を見る。自分と変わらない姿に恐怖は感じない。鬼

 などと呼ぶのは似つかわしくなく、もっと身近な気がして、頭を振った。


  しかし泰明に気が付いた少女は、急に立ち上がると、いきなり背後へ飛びすさり、泰

 明を見据えて敵意をあらわにする。それは突然の豹変で、あかねの困惑は、ますますひ

 どくなった。

 「八葉、お前を排除する」

  少女が抑揚のない声で宣言する。そこへ更なる介入があった。

 「ラン! こんなところにいたのか」

  長身の銀髪、隻眼の男が、鬼だという少女を追ってきたようだった。

 「お前は今、不安定な時期だ、戻るんだ」

 「…………」

 「ラン!」

 「……わかった」

  どういったあやかしの技なのか。男と少女の体がかげろうのようにゆらめいたかと思

 うと、二人は一瞬にして幻のようにあかねと泰明の目の前から姿を消した。

 「ああっ……行っちゃった…………」

 「神子」

 「は、はいっ」

  泰明の声が少なからず不機嫌な響きを帯びていた。

 「私を呼べと言わなかったか」

 「あっ…………ごめんなさい」

 「謝れと言ってはいない。怪我はないか」

 「あ、はい。これからは気をつけます」

 「期待はしていない」

 「……ごめんなさい」

  あかねはいたたまれずにうつむいた。もう鈴の音も耳鳴りもしない。あかねは、ぼん

 やりと虚脱していた。

  鬼の少女と出会った時のあの衝撃にも似た何かは、あかねの中からすっかり抜け落ち

 て、一体、なぜ、あれほどまでに狂おしく感じたのか、すでにわからなくなっていた。

  泰明が問いかけた。

 「神子、なぜ思い出してはならぬのだ」

 「……え?」

 「私がここへ来た時、お前が叫んでいた。思い出してはだめなのだ、と」

  あかねの顔から血の気が失せ、突然がたがたと震えだした。

 「神子!!」

  泰明は驚いてあかねの肩をつかんで軽くゆすった。あかねは今にも正気を失いそうな

 ほどだった。

 「………………こわ……い」

 「お前は何をかばっている?」

 「かばう……? かばってなんかない……です……」

 「神子……まさか」

  泰明は何かに思い当たったのか、あかねを凝視する。

  あかねは、目の前の泰明を見ていなかった。

 「…………思い出せないの。思い出したら迷惑がかかるもの」

 「それはどういう意味だ?」

 「え? 意味……意味って……私……あ……」

  あかねは、また追いつめられる恐怖の予感にとらわれたかのように身をすくませた。

  泰明はそれ以上あかねを問いつめることをしなかった。

 「……神子、もういい。私が悪かった。考えるな。帰るぞ」

 「帰る…………」

  魂が抜けてしまったように、あかねが無意識にくり返す言葉を、泰明は聞き逃すまい

 としていた。

 「そうだ。お前の帰りを待つものがいる。お前はそれを覚えているはずだ」

  あかねは返事をしなかった。









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