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う き 波  壱
仲秋 憬 




 「おい、なんであかねに会えないんだよ、おかしいだろ? 何があった? 藤姫を呼べ

 よ。ちょっと、そこの人!!」

 「天真先輩、この女房さんは、言いつけられた通りにしてるだけなんだから……」

 「頼久の野郎まで、朝から変だ。いつもの剣の稽古もバックレて、あかねの寝てる間の

 前に詰めっきりだろ。これで何もないと思うほど、俺は、おめでたくなんかねえぞ」

 「先輩……」


  朝、龍神の神子である、あかねを誘いに来た時に、いつも待つことになっている場所。

 彼女の休む左大臣家土御門殿の西の対の一郭、孫廂(まごひさし)にしつらえられた場

 で、地の青龍である森村天真は、苛立ちを隠さずにいた。

  相手をしている地の朱雀、流山詩紋は、天真のなだめ役にまわっているが、心配なの

 は彼も同様なのか、制止の声は常日頃よりも遠慮がちだ。

  いつもなら、八葉である彼らが、ここへ来てあかねへの訪問を告げれば、すぐに女房

 を介して藤姫が取り次ぎをし、身支度を済ませたあかねが顔を出す。

  なのに、この日は違っていた。

  物忌みでもないのに、蔀(しとみ)を下ろし、御簾を下ろし、何やら物々しい様子で、

 女房が控えているばかりだ。あかねを訪ねようとしても、通してくれない。藤姫を呼ぼ

 うにも、いるのだか、いないのだか、はっきりしない。


 「夕べ何かあったのかな」

 「夕べ? 一体、何があるんだよ。あかねは普通に夕方帰ってきて、その後は、飯食っ

 て、寝ただけだろ。昨日、誰と、どこ行ってたんだ?」

 「どうだろう……。朝、友雅さんが来てたみたいだったけど……」

 「友雅ァ? なんだよ、あいつ、あかねに何かしたんじゃねえだろうな」

  詩紋から友雅の名前が出た途端、天真はぎらりと物騒な気配をみせる。詩紋はまずい

 ことを言ったと思ったのか、そんな天真を上目遣いでちらりと見てからうつむいた。


 「私が何をしたって?」

  突然、背後からかけられた張りのある男の美声を聞いて、詩紋は首をすくめ、天真は

 振り返る。声をかけたのは、もちろん橘友雅だった。

  寝殿から続く渡殿から、友雅をはじめとして、イノリ、鷹通、永泉、泰明といった八

 葉の面々がやって来て、孫廂の間に入ってきた。庭先に控えている頼久を含めれば、朝

 から八葉勢揃いである。

  先頭を切って天真と詩紋の前に進み出た友雅は、表面上はおだやかに話しかけた。

 「聞き捨てならない話をしていたようじゃないか。いったい何の話だい?」

 「おい、友雅、昨日あいつに何をした?」

  天真は不愉快そうな態度もあらわに、友雅を問いつめようとする。

 「あいつ? 神子殿のことかい?」

 「昨日の朝、お前が迎えに来たっていうじゃないか」

 「確かに、昨日の朝一番に神子殿をお誘いしたのは、私だったけれどね」

 「それで、どこへ行った!? 何があったんだよ!! 何にもなくて、きょういきなり

 あかねが出てこないわけないだろ」

 「出てこないって、神子殿は、どこか具合でも悪くされたのかい?」

  天真の物言いに、それまで平静だった友雅の顔色が、いぶかしげに曇った。

 「聞いているのは俺だ! 昨日、何があった」

 「何が、と言われてもね。とりたてて皆に報告するようなことは……。私は橋渡しをし

 ただけのようなものだし」

 「橋渡しィ?」

  訳が分からないといった表情の天真をそのままに、友雅は端近にいた藤原鷹通の方に

 視線を投げかけた。

 「……鷹通?」

  友雅に声をかけられた鷹通は、その場にいた八葉たちの注目を一斉に集めた。知って

 いて黙っていることなど許さないと誰もが視線で訴える。

 「昨日、神子殿とご一緒したのは私です。友雅殿が糺の森にいた私の元に、神子殿をご

 案内して連れてこられた……。そうですね? 友雅殿」

 「ああ。その後のことは私にはわからないよ。鷹通と神子殿しか知らないことだろう」

 「少し話をしました。私の迷いで神子殿にご心配をかけてしまいましたので。けれど、

 帰りは確かにお部屋までお送りいたしました。怨霊と戦ったわけでもありません。昨日

 の晩まで、神子殿に何か切実な障りがあったとは見えませんでしたが……」

  幾分、青ざめた面もちで鷹通は説明した。

  天真はぎりっと唇を噛んだ。

 「じゃあ、何だよ。今朝急に具合が悪くなったとか…………。頼久! てめぇ何か知っ

 てるだろう。何を隠してる? 吐けよ!! 俺らが八葉で、みんな、あかねに仕える者

 だって言うなら、てめぇだけが隠してていいことじゃねえだろ?! こっちへ来て話し

 てみやがれってんだ!!」

  急に頼久のことを思い出して、天真は庭先に控えていた頼久を引き出すべく、その場

 にいた詩紋や友雅、鷹通をかきわけて、庭へ駆け下りようとした、その時。


  あかねの休む間とを隔てている御簾がさらりと上がり、藤姫が姿を見せた。

 「藤姫!」

 「おい、あかねはっ!?」

 「神子殿は、いかがされた?」

  矢のような八葉たちの問いに藤姫は答えず、いつもの幼いながらもしっかりした彼女

 のかわいらしく高く澄んだものとは違う、低く感情を抑えた声で、言った。

 「皆様、お揃いでしたか。……泰明殿と永泉様、どうかこちらへいらしてください」

  はじかれたように泰明は立ち上がり、永泉も常になく素早い動きで、それに続く。

 「おい、藤姫、いったい……」

  天真が文句の一つも言おうと口を開いた時、藤姫はさらに言葉をつなげた。

 「天真殿と……、そう、詩紋殿のお二人も、こちらへ」

  自分が呼ばれたことに、とりあえずは納得したのか、天真は黙って、ずかずかと奥へ

 進み、上げられた御簾の内に入った。詩紋も迷わず続く。

  残された者は、なぜ彼らが呼ばれたのかを探るような目で、藤姫を見た。

  藤姫は自分よりもずっと年上の大人たちである彼らの視線を受け止め、それでも事態

 は、そのことに動揺などする余裕もないのだとでも言うように、固い口調を崩さずに、

 庭先の頼久に向かって告げた。

 「頼久、昨夜のこと、お前のわかる範囲で皆様にお話ししておおきなさい。わたくしは

 神子様のお側を離れるわけにはまいりません」

 「藤姫、神子殿に何があったのです。お体の具合を崩されたのではないのですか」

  友雅は、いつものやわらかい調子ではなく、ごく真面目な様子で藤姫にたずねた。こ

 のまま、黙って外に置かれるのは許さないとでもいった風情だ。いつもいつも、他人に

 不真面目だ、気楽すぎると言われ続ける彼の態度とも思えないような物堅い調子だった。

 「……神子様のお体は……心配ないと、医師(くすし)も申しております。その点につ

 いては、おそらくそれほど悩まれるようなことはございません」

 「では、何が?」

 「頼久、後はお前が。頼みましたよ」

  藤姫は足早に御簾の向こうへ去ってしまった。



 「一体、どういうことだい? え? 頼久」

  友雅にしては珍しく詰問する口調で彼に問う。この場に残された半分の八葉の中で、

 多少なりとも事情を知っているのが頼久だけらしいのだから、無理はなかった。

  そのすぐ脇でさっきからいらいらした様子で爪をかむイノリも、青ざめたままの鷹通

 も、一緒に、廂の間に上がってきた頼久を取り囲む。頼久は動揺も見せずに静かに話を

 始めた。

 「昨夜、子(ね)の刻も過ぎた頃でしたか、神子殿が寝所におられないことに気がつき

 ました。私は御前の庭に控え、宿直(とのい)しておりましたのに、神子殿がいつ、そ

 こからいなくなられたのか、気付かなかった」

 「なんだよ、あかねが、あんたの目をかすめて抜けだしたのか?」

  イノリが疑問を口にした。

 「いえ、よくはわかりませんが、何か別の力が働いていたように思います。神子殿の気

 配をたどることは可能でした。神子殿は外へ出られていた。土御門殿の門を抜けるのに、

 誰にも見とがめられない訳がありましょうか。私はずっと庭先で、奥に神子殿がおられ

 る廂の妻戸を見ておりましたのに」

 「わけを考えるのは、後だ。それで?」

  友雅は先を促した。

 「即刻、神子殿の気配をたどり追いました。神子殿の神気はまぶしいほどですから、迷

 うこともなく追えました。河原院に向かわれていました」

 「河原院……。神子殿は、あんな廃屋に、深夜おひとりで向かわれたのですか」

  鷹通がつぶやいた。

 「東門にたどりついた頃、庭先からお声がしました。神子殿とは別の禍々しい気があた

 りにたちこめて……神子殿の悲鳴が聞こえ、私は抜刀して、神子殿を探しました。月夜

 ではありましたが、あたりは暗く、それからすぐに、何かが壊れる音と水音がして……、

 私は間に合わず…………っ」

 「おいっ、あかねはっ?!」

 「何者か、おそらく鬼、ではないかと思いますが、その何者かのたくらみか、まやかし

 かでおびき出され、襲われたかと。神子殿は崩れかけた池の橋に足をかけられて、その

 まま池に落ちられた。橋の残骸もろとも崩れて落ちたのです。私は夢中で神子殿を池よ

 りお助けして、こちらへ戻りましたが、神子殿は、ずぶ濡れの上、あちこち強く打たれ

 たご様子で、気を失われたまま、今朝まで」


  そこまで聞いた途端、友雅は、突然、立ち上がると、話していた頼久や、鷹通、イノ

 リを置き去りに、廂の間の奥、あかねのいるであろう奥へと足を進めようとした。御簾

 の側に控えていた女房が慌てる。

 「少将様、この奥はっ」

 「おい、友雅っ!!」

 「友雅殿!」

  残された八葉の面々も、らしくない友雅の行動に驚きを隠せず、思わず声を上げる。

  その時、御簾の向こうから、天真の声が響いた。

 「あかねっ!! どうしたっていうんだ! ふざけてんじゃねぇぞ。しっかりしろよ!」


  友雅は、その場をさえぎろうとした女房を、上に立つ者の力で、容赦なく払った。

 「どきなさい。無礼は承知の上だ。八葉であるのだから、かまわないだろう」

 「待てよっ! おい! オレだってっ!!」

  イノリがばたばたと友雅の後を追いかける。鷹通はちらりと頼久を見てから、やはり

 耐えきれないとばかりに、後に続く。その頼久も、一瞬ためらいの表情を面に浮かべは

 したが、ひとりこの場に残りはせずに、彼らに続いた。




  友雅が遠慮もなく入り込んだ、御簾の奥、十重二十重(とえはたえ)にめぐらされた

 几帳の向こうに、あかねはいた。


  床についているわけでもない。

  彼女は普通に、いつもの短か目の水干を身につけて、藤姫を隣に、屏風の前の畳にき

 ちんと座っていた。額のあたりと腕や足のところどころに白布が当てられていたが、普

 通に起きあがって、痛みに顔をゆがめてもないところを見れば、身体に大事はないよう

 である。

  あんまり、彼女が普通の様子なので、かえってその場へ物々しい態度で割って入って

 きた友雅は、一瞬、困惑したかのように、あかねをしげしげと見た。


  あかねが、大きくまばたきをして、その場の侵入者である友雅を見る。

  確かにはっきりと見交わされる視線。

  あかねをとりまく、藤姫や、天真をはじめとする呼ばれて側へ来た八葉の面々の顔は

 蒼白で、あたりは凍りついたように重い空気がよどんでいる。

 「神子殿……、ご無事であられたか…………」

  かすれた声が、友雅からもれた。


 「みこ……っていうのが、私のことなの?」


  友雅は声を失った。


 「あなたは、誰?」









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