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花 形 見
仲秋 憬 





  京の桜が散り、柳の緑が萌える頃、土御門殿の女主人である北の方を筆頭に華やか

 な一団が、初瀬詣に出発した。仕える女房たちも引き連れて、それぞれ車に分乗する。

 連なる車の簾からこぼれる出衣の色とりどりの重ねの美しさは、見事という他なく、

 まるで祭の行列のようなあでやかさだ。

  あかねは、もちろん藤姫と、数人の女房たちも一緒に、着飾って車に乗り込んだ。

 藤姫は前夜からすっかり興奮していて、車の中でも落ち着かなかった。

  車の物見の窓を開け、しきりと外の様子をうかがって、やれ、見たことのない花が

 咲いている、蝶が目の前を飛んでいった、あの山並みの美しさはどうだ、川のせせら

 ぎが聞こえたと、事あるごとに、はしゃいでいる。

  まるで、いつもの好奇心でいっぱいのあかねと、幼いながら落ち着き払ってそれを

 諫めていた藤姫の立場が、ちょうど反対になったようで、本当ならこれが当たり前な

 のかもしれないと、あかねは微笑ましく思った。



  そうしてゆるゆると進む牛車の列は夕刻に左大臣家の宇治の別邸までたどりついた。

  今宵は、この宇治で一泊して、明日の朝早く、また初瀬へと向かうのだ。

  龍神の神子として八葉と共に京中をかけずりまわっていた頃、あかねは、この宇治

 の手前の墨染には半日もかけずに何度か来ていた。牛車で丸一日かけて進むなどとい

 う、ゆったりした移動をろくに経験していなかったあかねは、この旅で初めて、この

 時代の旅の苦労を思って感心した。身分ある女性の外出は、かくも大変なものなのだ。

  いずれにせよ、牛車にゆられてのんびりとした移動も、同行している女同士の気軽

 さにおだやかな春の陽気も相まって、これはこれで楽しく、今まであかねが決して味

 わえなかったものだった。

  宇治の別邸は、手入れもされていて人もいるので居心地は良く、修学旅行気分で床

 を並べて横になり、これからの予定を確認しあうのも楽しい。



  こうして順調にゆくと思われた初瀬までの道行の中、宇治で迎えた明け方のことだ。

  この左大臣家の初瀬詣の一行を追って、宇治まで、京から早馬にて駆けてきた者が

 あるという。ちょうど女達が身支度を済ませ、そろそろ発とうかというところだった。

  申しつぎの侍女が、あかねや藤姫が集っていた局へ、あわてた様子でやってきた。

「大変です! 神子の君に急ぎお会いしたいと京から人が。お通しして差し支えござ

 いませんか?」

 「なんだってそんな……いったいどなたが? 旅の道中を追いかけてくるなんて」

  藤姫がいぶかしむのは、もっともだった。

 「それが……あの、橘の少将様、御自らおいでになられまして……」

 「友雅さんが?!」

  あかねは驚いた。

 「もう、そちらの廂の先までいらしております」

 「な、何があったんだろう」

 「神子様……」

  行っておいでと送り出してくれた友雅が、明け方に早馬で追いかけてくるなどと、

 尋常ではない。何かあったと思うのが普通だ。


  友雅は騎乗のためか、狩衣を身にまとい、豊かな髪をひとつにゆるくくった姿で、

 あかねと藤姫の前へとやってきた。突然のただならぬ事態に、御簾や几帳の隔ても置

 かれなかった。

 「友雅殿……いったい何事ですか」

 「無礼は承知の上ですよ、藤姫。追いついてよかった。私としても、初瀬詣の道中を

 妨げる無粋な真似はしたくなかったのだけれど、今を逃せば確かめようがなくなって

 しまうかもしれない事があってね」

 「友雅さん……」

 「神子殿」

  友雅はめったに見せないごく真面目な表情で、あかねを見つめ、口を開いた。

 「ずっと行方の知れなかった鬼とも思われる者の消息の噂が入った」

 「え? ど、どんな……」

 「都を離れた吉野の里でね、近頃、山中に素性の知れない者の姿を見るようになった、

 ──と」

 「……吉野……」

 「吉野には京の者でも御岳詣で参る者もいる。そこにも噂が届いているのだよ。姿を

 隠して、何やらあやかしの術を使っているとか、いないとかね。はっきりした事は判

 らないが、顔を隠しているという噂もある。女であるようだとも言う」

 「それは鬼……なの……? それとも……」

 「判らない。だから、それを確かめる必要があるだろう」


  京を救うなどと、そんな大それたことが、自分の力でどうにかなったのだとは、と

 てもあかねは思えない。京に来て一年の月日がたった今でも、それは変わらない。 

  神泉苑での最後の戦いにおいて、京を手中にせんと企んでいた野望をうち砕かれた

 鬼の首領アクラムは、朝廷の大がかりな追捕もむなしく、いまだ行方が知れなかった。

  そのアクラムに術を施され翻弄され続けていた、あかねの級友である天真の妹、蘭

 もまた、行方は杳として知れないままだ。天真が元の世界に帰らずに京に残ったのは、

 妹を今度こそ探し出して救うためである。

  蘭のことはあかねにとっても、人ごとではなかった。彼女もまた龍神の神子として

 有無を言わせず召還され、力及ばず破壊を司る黒龍の神子として鬼の手に利用された、

 あかねの悲しい対だった。

  友雅と恋を育んで京に残ったあかねの中には、いつも彼女の陰がある。忘れること

 は決してなかった。


 「そのこと……天真君には?」

 「噂でしかない。まだ何の手がかりも確証もないのに、天真には言えないよ。そうだ

 ろう? 彼はまだ何も知らずに京にいるよ」

  少しばかり短気で血気にはやる気性の天真のことだ。このことを告げたら、きっと

 闇雲に探し回る。下手をすれば見つかる者も見つからなくなる。それを友雅は言って

 いるのだ。

 「正式に鬼の残党と確認され、追手がかかるとなったらね、たとえ利用されていたと

 はいえ、天真の妹御も、ただではすまない。それだけの事を彼女はしている」

  あかねは一瞬にして血の気が引く思いがした。

 「だから、本当に鬼なのかどうか、騒ぎになる前に私が来たんだよ」

 「友雅さん……」

 「初瀬に向かう道中は途中まで吉野と重なる。同じ大和の地だ。新妻に骨抜きの左近

 の少将は、内裏の務めに無理矢理折り合いをつけ、結局後を追いかけた……というの

 は、よくできた筋だろう?」

 「友雅殿、それでは、これから吉野へ行かれるのですか?」

 「ええ、藤姫。表向きは、私もこちらへ同行したということにしておいていただこう

 と思ってね」

 「友雅さん、私も吉野に行きます!」

 「神子様!」

  きっぱりと言い切るあかねに藤姫は悲鳴のような声をあげたが友雅は驚かなかった。

 「……そう言うと思ったよ」

 「ランがいるなら、私きっと感じることができます。だから……お願い。友雅さん!」

 「藤姫、神子殿を連れて行くよ。かまわないね?」

  思わず両手で狩衣の袖にすがるあかねを抱きとめた友雅は藤姫を見下ろして言った。

 「神子様は……いまだ龍神の神子であられます。友雅殿は神子様をお守りする八葉で

 す。ならば、わたくしにお止めすることはできませんわ」

 「藤姫、ごめんね、藤姫……」

 「天真殿の妹御のことは、わたくしも気にしておりました。神子様、どうか、お気を

 つけて。長谷の観音様に、ご無事を祈願してまいりますわ」

 「ありがとう……大好きよ、藤姫」

  あかねが思わず藤姫に抱きつくと、藤姫は、ぱっと頬を染めた。

 「では急ごう。馬で行くよ、神子殿。支度をね」

  友雅の声に、あかねは我に返ると、はおっていた袿をその場で脱ぎ出す勢いで、藤

 姫と女房たちを慌てさせたのであった。






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