憬文堂
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  天つ袖ふる 三  




  翌日の寅の日の夜は、御前の試(おまえのこころみ)と言って、帝が清涼殿に舞姫を召
 して、その舞をご覧になる。
  本番に向けて入念な試演が繰り返されるのは五節ならではで、この長い祭の式次第は、
 あかねを驚かせたようだ。
  そんなあかねの様子を側で飽かずに見守りたいと思うのに、友雅は、この日も参列が、
 かなわなかったのだ。

  殿上の淵酔(えんすい)という酒宴が清涼殿で催され、この時は友雅もいたし、請われて
 今様(いまよう)をひとくさり謡いもした。
  そうして、いよいよ御簾内の主上が東廂に舞姫を召して試演をご覧になるというところ
 で、どういうわけか左近衛府の方から少将を呼び出す言づてがあったのだ。
  この宴席に無粋な呼び出しとは如何なることか。
  しかし、この宴の最中に宮中に大事があっては近衛の役目を為さない。公卿である中将、
 大将を、御前から呼び出すわけもいかずに、少将たる友雅にすがりついてきたというとこ
 ろだろう。
  いったい何事かとしぶしぶ中座し、左近衛府に向かえば、何のことはない、ささいなつ
 まづきを慌てて報告してきたというだけで、友雅は気を落とさずにはいられなかった。近
 衛府はこんなに無能ばかりが揃っていただろうか。明日の新嘗祭の警備に対して、こんな
 状態では、いつものごとく堅苦しい務めは人まかせにして、自分は、あかねの側で過ごそ
 うというのも、どうやら無理な気配だ。

  うんざりしながら清涼殿にとって返すと、舞姫はすでに退出した後で、人々は口々に舞
 姫の様子を噂していた。
 「今年は一の上(左大臣)のところの舞姫がことのほか光輝く様子で、結構なものですね」
 「何でも龍神の神子であられたという……」
 「ああ、あの姫が。どうりで主上も先ほどあの姫の櫛を召されたわけだ」
 「そうでなくても、あの神々しいまでの美しさでは、主上も、さぞ、うち捨て難くお思い
 でしょう」
  御前の試では、舞姫は、舞を舞う時に、色々の紙を重ねて、櫛を包み、帝の御前に差し
 置いて退出する。帝は目のとまった舞姫の櫛を召しとるもので、いまや儀式化されてその
 こと自体に大きな意味はないのだが、友雅はどうしてもいやな予感がしてしかたなかった。

 「今回の五節の舞で、神子を特別に叙位なさろうというのですから、神子の櫛を召される
 のは当然ではないですか。友雅殿もご心配が過ぎますよ」
  清涼殿を退出する時に、またも出くわした永泉に、平然とそんなことを言われて、いつ
 になく引っかかりを覚える友雅だったが、立場上、敬うべき法親王の永泉にそう言われて
 は、何を言い返すこともせず、釈然としないまま、その日を終えたのであった。



  翌日の卯の日は童女御覧といって、帝が舞姫の介添えとして付き従う二人の童女を清涼
 殿に召し、不備な点はないかごらんになって点検する。この日は新嘗祭(しんじょうさい)
 でもあり、主上は大内裏にある中和院(ちゅうかいん)の正殿である神嘉殿(しんかでん)に
 出御され、身を潔め、今年の新穀を天神地祗(てんじんちぎ)に献上した上に、自らも召し
 上がるという大事な儀式がある。
  その間も、清涼殿の殿上の間では、殿上人たちが酒を酌み交わし、乱舞は続いているの
 である。常寧殿の五節所あたりはつねににぎやかで、内裏中が晴れがましく、いそいそと
 している。
  殿上人たちの一団がにぎやかに扇や笏で拍子を取りつつ「つかさまされとしき波ぞたつ」
 と歌いながら、局々の前を通っていくさまも、にぎにぎしいばかりだ。

  しかし友雅はそんな一団に立ち混じっているわけにいかなかった。
  あかねは左大臣が出した舞姫だが、左大臣の娘である藤壺の女御付きの若い女房からも、
 お付きの者を出していたので、その様子を伺う使いに友雅が呼び出されたのである。
  藤壺の女御は、御歳十八で、藤姫の腹違いの姉姫だ。聡明で美しい姫君で、まだ御子こ
 そ産まれてはいないが、主上の御寵愛も深く、ときめいている。
  実を言えば、友雅は左大臣家とは直接の関係は薄い存在であるが、龍神の神子を預かる
 家と八葉という結びつきと、いずれ神子を娶るならば、左大臣家の婿扱い、という気安さ
 から、左近少将は藤壺側から、実に近しい殿上人と受け止められているのだった。
  何より近衛の少将としては後宮の守りも仕事といえば仕事で、女御のお声掛かりで出向
 かないわけにはいかない。
  まして、藤壺にいる選りすぐりの美しい女房たちの中には、友雅の昔のなじみも少なく
 なかった。
  後宮の女性たちの憧れの公達である友雅だったから、神子と巡りあってからの彼は、ず
 いぶんと内裏の女性達をがっかりさせていたのである。


 「左近の少将、よく来てくれました。いよいよ明日は豊明節会ですが、常寧殿の舞姫の首
 尾はいかが?」
  側仕えの女房を介して女御から御簾越しに御言葉がある。
 「女御様のお心入れもあり、上々かと」
 「それは何よりです。明日、五節の舞が終わったら、舞姫には、こちらの御局に上がって
 いただく所存ですので、少将殿もそのおつもりでいらしてくださいね。舞い終わった美し
 い天女を、そのまま盗まれでもしては、と心配する者がこちらにおりますの」
 「それはまた異なことを。いったいどちらからそのような」
  当たらずしも遠からずなことを考えていた友雅が、内心舌打ちでもしたい心地で、ほん
 の少し形のいい眉をひそめた途端、几帳の奥から、高く澄んだ幼い少女の声が響いた。

 「わたくしがお願いしたのですわ。神子様と女御様と、こちらでご一緒できることなんて、
 もうこれきりかもしれませんもの」

  八葉として龍神の神子を訪ねる時に、まず聞いてきた声だ。友雅は一瞬驚いて、軽いめ
 まいを感じずにはいられなかった。
 「……いつのまに参内されていたのですか、貴女(あなた)という方は」
 「あら? 友雅殿は、わたくしが藤壺にいては、何かご都合がお悪いことでもございます
 の?」
 「よくお父上が許されましたね、藤姫」
 「女御様がお招きくださったのに、どうして父が許さないはずがありましょう。本当は舞
 姫の介添え役の童(わらわ)の一人として、神子様とご一緒に参内したかったのですけれ
 ど、さすがにそれは止められました」
 「裳着(もぎ)もすませた立派な姫が、お付きの童役など、できようはずがないでしょう」
 「神子様にお仕えするお役ならわたくしがふさわしいと思いますのにね。残念でしたわ」
 「……藤姫」
  どうも、この姫はあかねが京に残ってからというもの、友雅に対していささかの隔意が
 あるようだ。仲の良い姉君を奪われるとでも感じているのだろう。

 「それはそうと、わたくし、これからこちらの皆様と常寧殿の五節所へ伺って、神子様と、
 お会いしてくるつもりですの。友雅殿はこれから新嘗祭の近衛のお勤めがおありでしょう。
 そろそろ中和院に向かわれた方が、よろしいのではございませんか?」
 「五節所は、舞姫の他は、髪上げ一人とお付きの童二人以外は立ち入り禁止ですよ」
 「友雅殿、わたくしをだまそうとしたって、そうはいきません。今宵は帳台の試の日では
 ございませんもの。こちらのみなさんと一緒に行けば、常寧殿の当番の蔵人(くろうど)
 だって、入れてくれないわけはありませんわ。ねえ、みなさん?」
  側に控えていた女房たちから一斉にふくみ笑いがもれ、ぱっと華やかなさざ波が広がっ
 た。不義理を恨んで一矢報いたといったところだろう。
 「やれやれ、私のような数ならぬ身の上では、こちらの花々には、とてもかないませんね。
 それでは失礼することにいたしましょう。藤姫、これから左大臣様にお会いするので、お
 伝えしておきますよ。藤壺で時ならぬほととぎすの雛のさえずりを聞きました、とね」

  それまで高らかに声を上げていた藤姫がぴたりと黙り込んだ。藤姫が、実は大変に父親
 に弱いことを友雅は知っている。深窓の姫君としては少々はしたないまねを女御の御前で
 してしまったことを、父に告げられたくはないはずだ。幼くても気位は一人前の藤姫は、
 そんな事態をよしとしないだろうという計算ずくで、友雅はからかい半分、釘を刺した。
  何はばかることなくあかねに会いに行ける藤姫をうらやむ気持ちが、友雅にこんな大人
 気ない真似までさせてしまう。

  それでも新嘗祭はつつがなく終り、あとは五節の舞の本番を待つばかりとなった。






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