憬文堂
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  Romantic Realist  

仲秋 憬




V




 御堂家の門の前で車を降りても、むぎは半信半疑の怪訝そうな顔で一哉を責め立てた。

「なんで、ここに来たの? 一哉くん、まだこの家、使ってたの? まさか今更ここに忘れ

物とかあり得ないよね。ホテルにいたのに。ねぇ、どうして?」

「いいから上がれ」

 背後から肩を押して門から玄関へ追い立てると、むぎの目の前で扉が開いた。


「ようこそお姫さま。待っていたよ」

「依織くんっ!?」

「むぎちゃん、会いたくて死にそうだったよ!」

「瀬伊くんまでっ!!」

 美男二人に両側からそれぞれ手を取られて、目を白黒させながら、むぎは後の一哉を振り

返った。

「どういうコトなの? 外資系のパーティは……っ」

「鈴原むぎ嬢の十八歳のバースディパーティだよ。主催者は御堂一哉でね」

「しゃくだけど、こっちの休暇や予定を見越して航空券までそろえてお膳立てされたらね。

こう先回りされちゃ抜け駆けもできないったら」

「アメリカ在住の俺が仕切るんだから外資系だろ」

 一哉がにやりと笑うと、むぎは口をぱくぱくさせるだけだった。

「み、三ツ星フレンチ……って」

「ケータリングを仕上げてここで給仕をするのはあいにく素人だが、嘘じゃないぜ」

「よぉ、来たな。んじゃ始めようぜ。準備できてっからさ!」

「麻生くん……」

 キッチンの戸を開けてむぎを迎え出てきた麻生は、まるでビストロのギャルソン姿だ。

「今日の食事は俺に任せとけって」

「一哉がケータリングの手配してくれてよかったよ。せっかくのパーティ料理まで、みんな

羽倉にやらせたらカレーパーティになっちゃうもんね。それは、いかにむぎちゃんでも遠慮

したいだろうし」

「うるせぇな。てめぇだけそうしてやってもいいんだぜ、一宮」

「わー最低。そんなのホスト役としてスポンサーが許さないよ」

「ほら、くだらない話より瀬伊にも役目があるんじゃないのかい?」

 リビングとダイニングが続きになっている広い居間に通じる扉を依織が開けると、ちょう

ど部屋の真中にグランドピアノがあるのを見て、むぎが目を丸くした。

「なんでピアノがあるの? 下のピアノ室から動かしたの?」

「いや、これはピアノ室のより小さいモデル。特別なパーティだから用意してもらったんだ。

ちゃんと調律もさせたからバッチリだよ」


 瀬伊はさっさとピアノの椅子に座り、試し弾きのようにぱらぱらとアルペジオを鳴らして

から、おなじみのメロディーを弾いた。

「ハッピバースデートゥユー、ハッピバースデートゥユー、ハッピバースデーディーアむぎ

ちゃん、ハッピバースデートゥーユゥー」


 立ち尽くしているむぎの手を引いて、依織がダイニングの主賓席に導く。

 一哉が椅子を引いてやると、むぎは腰が抜けたようにすとんと席に着いた。

 瀬伊の歌が終わったところで麻生が待ってましたとばかりにシャンパンの栓を抜き、まず、

むぎの前のグラスにそそいでから残り四つのグラスにも順についで回った。


「お誕生日おめでとう」

「素敵な十八歳に」

「おめでと、むぎちゃん!」

「……おめでとう鈴原」

「あ……みんな……ありがと……ホントに……」


「じゃあ、僕らのむぎちゃんにかんぱーい!」

 瀬伊の音頭で一斉にグラスを空けた後、最初のうちはまだかろうじてオードブルから始まる

ディナーのコースよろしくフランス料理を味わっていたのだが、麻生一人が給仕に徹すること

をよしとしないむぎが、突然のサプライズで雰囲気に呑まれていたこともあり未成年の飲酒を

ためらう暇もなく、一同が思う存分舌鼓を打ってデザートのバースデイケーキと紅茶にたどり

つく頃には、すっかり無礼講になっていた。



「むぎちゃん、これは僕から誕生日プレゼント」

 ケーキのろうそくを吹き消したところで、依織が一番に祝いの品を差し出した。

「ありがとう! 開けてみていい?」

「もちろん。お姫さま」

 桃色のリボンをほどいて厚みの薄い箱を開けると、ちりめんの布でできた袱紗包みが現れた。

「わぁ、キレイ! あたし和風の小物ってほとんど持ってないの、依織くん、知ってたの? 

あ、お帛紗も入ってる!」

「最近、遊洛院さんとたまにお茶を点てたりしてるんだってね」

「うん。もしかして夏実に聞いたりした? お点前は、まだまだでお客様ばっかりだけど……

うれしい、ありがとう! 依織くん」



「たいしたもんじゃないけど、俺はこれな」

 麻生は細かい模様の入ったカラフルでどこか古風なビーズを皮ひもに通した民俗調のブレス

レットを、むぎの手首にまいた。

「トンボ玉って言ったかな。昔、アフリカで交易に使ってた、けっこう古いものらしいけど。

普段のお前に似合いそうだろ」

「かわいいー! 麻生くんが選んでくでたの?」

「あー、ま、まぁな。ちょっとついでがあった時に……さ。ホントそんな簡単なもんで悪いな」

「ううん、すごくうれしいよ! 気に入っちゃった。どうもありがとう!」



「じゃあ、僕はこっちね」

 瀬伊は食卓からピアノに戻ると、軽やかなワルツを弾き始めた。

 それはこれまでに全く聴いたことのない美しい曲だった。ところどころでキラキラした音の

粒がはねるような速いテンポの旋律は、くるくる表情を変える誰かを思い出させる。

 演奏が終わるやいなや、むぎが力いっぱい拍手をしたので瀬伊はことのほか悦に入った表情

を見せた。

「本邦初演の『The Waltz of Bell』でしたっと」

「Bellって、あたし?」

「そ。気に入ってくれた?」

「もちろん! 何だか楽しくなる曲だね」

「よかった。じゃあ、むぎちゃんのテーマ曲にしてやってよ。これに入ってるからさ」

 瀬伊はピンク色のラベルに手書きで曲名を書いたCDロムをむぎに渡した。



 それぞれからもらったプレゼントをかかえ、むぎはまぶしい笑顔を一哉に向けた。

「本当にありがとう、一哉くん。もう心臓おかしくなるくらいびっくりしたよ」

「こんなことくらいしかできないからな」

「ううん。この家で、あの頃みたいにみんなと会えて、こんな風にお祝いしてもらって……、

誕生日に、これ以上うれしいコトなんてないよ」

「そうか……よかった」

 この笑顔ですべてが報われると、一哉はしばし満足感にひたる。

 見返りを求めない愛情は、ずいぶんと彼の心を豊かにしてくれた。


「はいはい、元ディアデームは健在ってねー。世界の御堂の仕切りっぷりには脱帽するけど、

今日の主役は僕らのむぎちゃんなんだから、一哉の独り占めは無しでね!」

 瀬伊がにぎやかな曲を次々にピアノで弾き出し、即興の歌詞で歌うむぎの調子はずれの歌で

大いに盛り上がる。

 大騒ぎの楽しい時間はあっという間に過ぎていった。






「おい、寝るならベッドにしとけ。お前の部屋、使えるようになってるから」

「ん……も、食べられなーい……」

 むぎは床に腰を下ろしてソファに突っ伏すようにしてうたた寝をしており、瀬伊はピアノの

下で猫のように背中をまるめて転がっているし、麻生は窓際でボトルをかかえて、やはり寝息

をたてていた。

「一哉、無理に起こすのも可哀想だ」

 むぎの向かい側に座って、静かにティーカップを傾けていた依織が声をかける。

「しかたのない奴」

 むぎが伏しているソファに腰を下ろしていた一哉は、自分の膝横にある彼女の頭をそっとな

でた。

「前にも似たようなことがあったね。七夕だったかな。この家の屋上で……やっぱり、麻生と

瀬伊とむぎちゃんが、先に騒ぎ疲れて、つぶれてしまって」

 依織が小さく笑う。

「松川さんも、元の部屋は、そのままだが」

「ああ、僕は残念だけど、そろそろおいとまするよ。明日は舞台で後見があって……黒衣をさ

せてもらうのも修行の内だから」

「そうか。車を呼ぶか?」

「いや。乾杯の一杯だけだったから、さすがにもうすっかり抜けたよ。ありがとう」

「本当は飲める松川さんが飲まないで、こいつらが酒盛りなんて間違ってるな」

「まぁお祝いだし、いいじゃないか。いつものむぎちゃんなら絶対に止めるのに、今日は気づ

かなかったようだね」

「黙ってシャンパンで通したから、ただの炭酸飲料だとでも思ったんだろ」

「それだけ驚いていたんだよ」

 依織は、懐かしそうに目を細めて、眠るむぎをながめていた。


「ねえ、一哉、聞いてもいいかな?」

「何を?」

「わかっているくせに。君は、むぎちゃんをどうするつもりかと思ってね」

「俺が決めることじゃない。こいつの人生だ」


 そう。むぎの意志を無視して、どうこうできる話ではないのだ。

 それができるなら、もうとっくに何とかしていた。


 依織は、むぎから一哉に視線を移し、まっすぐに見据えて口を開いた。

「僕は祥慶を卒業して、この家を出てから、何度も思い出していたよ。むぎちゃんが来てから

の、この家の暮らしをね。一年足らずの短い間だったけれど……かけがえのない日々だった。

色々なことがあったね」

「……そうだな」

「みんな、この子が好きだったけれど……、あの日々の内に誰かが無理に一歩を踏み出してい

たら、今日みたいに集まることができたかどうか。でも、もう時は満ちているんじゃないかな」

「松川さん……?」

「僕はね、むぎちゃんに幸せになってほしいんだ。それだけを願ってる」

「こいつが誰を好きだったか、あんたは気付いていたろう?」

「おそらく外れてないと思うけれど」

「俺が一度ならず二度も振られたことも知っているとか」

「いや。二度もとは知らなかったな」


 少なくとも一度は振られたことに気付かれていたわけで、どこまでも傍観者でいた依織に

感謝するべきか、一哉は戸惑う。


「俺は、その気のない相手をあきらめきれないのは、みっともないと思っていたんだが……」

「どうして? 本気の恋なら、なりふり構っていられないとは思えないかな」

「こいつに会うまでこんな想いは知らなかったからな。でも一年以上かけて悟ったんだ。無理

をするのはやめた。気持ちが止められないのは、どうしようもないと理解できたから、長期戦

もありだと考え直したわけだ。離れている時間にも意味があると知ったことは……、たぶん良

かったんだろう。俺のためにも……むぎのためにも」

「恋愛は理屈じゃないからね」

「そう……なんだろうな」

 一哉は大きくひとつ息をつく。


「この家で同居していた最後の頃……あんた達まで巻き込んでしまった中泉の事件で逮捕され

た東條葵に執行猶予がつかないことは予測できた。あの裁判で直接的な東條の証言のおかげで

証拠がそろって中泉の有罪が確定することを考慮すれば、御堂が保釈金を出して、わずかでも

あいつとの時間を作ってやることは不可能じゃなかった。そうしたら、東條と鈴原は理事長と

秘書ではない関係を築けたかもしれない……だが俺はそれをしなかった」

「一哉……」

「そんな義理はない、と思ったんだ。むぎのためにもならないと」

「僕も、そう思うよ」

「結局、東條からむぎへの手紙を預かっただけで終わった。……これは罪に値するだろうか」

「どうだろう。僕にはわからないよ。一哉」

「……そうか」

「それが罪かどうかより、むぎちゃんが、どう思うかの方が問題だったんだろう。一哉も案外、

年相応に臆病なところがあるとわかって嬉しいよ」

「松川さんに言われたくないんだが」

「ふふっ、ごめん。ちょっとした庶民のひがみさ」

「心にもないことを」

「本当だよ。あの子に差しのべられる手を持つ君が、僕はずっとうらやましかった。おそらく、

東條氏も、そう思っていたんじゃないかな」

「それでも選ぶのは、あいつだ」

「健闘を祈るよ。君があきらめないこともわかったし……僕はいつだって彼女の味方だから」

「知ってる。こいつの味方が、あんただけじゃないのも、な」

「なら安心だ。目が覚めたむぎちゃんによろしくね」

「いつだって、その気になれば、また会える」

「そう願いたいね」

 依織は鮮やかに微笑むと、静かにその場を離れていった。









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