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  Romantic Realist  

仲秋 憬




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「なんなの……この部屋……あり得ない」


 誕生日会の翌朝、昨夜の主賓は、いつの間にか、ピンクのかっぽう着を身につけたこの家

の家政婦に戻っていて、散らかしたままのパーティ会場だった居間を片付け、残り物やあり

あわせで朝食の仕度をし、意気揚々と二階の一哉の部屋へやって来て、現在、食事に呼びに

来たことも忘れて怒っていた。


「一哉くんずっとホテルにいたじゃない! この家に来たのって昨日じゃないの?」

「いや、一昨日からだ。準備させるのに家主が立ち会わないわけにもいかなかったしな」

「それだって、どーして、たった二日間で、ほとんど家具もない広い部屋が、こんな腐海に

なるのよっ!」

「さあな。俺も忙しいから、いちいち構っていられない」

「もー、信じられない! 一階とか、あたしの部屋とか、昔のまま綺麗だったから安心して

たのに……一哉くん、アメリカで、どうしてるの? ホテルに住んでるの?」

「マンハッタンにあるビルのマンションだが」

「……まさかそこも、こんな感じになってるんじゃ……」

「専属家政婦がいないんだ。仕方ないだろう」

「一哉くんだったら、いくらでも雇えるでしょ!」

「あいにく使い勝手のいい奴が間に合わなくてな」

「そんなコト言ってる場合じゃ……」

「すでに契約済で仕事につける状態になるのを待ってる」

「なーんだ、なら大丈夫──」

「忘れているのはお前だろ」

「は?」

「一生こきつかってやるって言ったぜ。口頭とはいえお前は引き受けた。契約は完了してる」

「ちょっと待って! あたしィ?!」

 突然の展開に、むぎはすっかり面食らっているようだったが、一哉は気にせず、たたみか

けた。

「物覚えの悪い奴だな。200*年1月24日、お前は確かに俺と生涯契約したからな。俺

の記憶力をあなどるな。お前は俺が「ずっとここで家政婦しろ」と言ったら「いいよ、やっ

ても」と確かにその口で言った。間違いない」

「いや、だってそんな病気の時のうわごとを……」

「うわごと? 俺があの時、中泉を相手に常に戦闘中のフル回転だったのを忘れたか」

「いや……そりゃそうだけど、でも」


 本来なら入院して安静にしているところを無理して自宅に戻り、ずっと戦っていた一哉の

ことを忘れたりはしないだろう。むぎだって一哉の力になることを了承して、住み込み家政

婦の復帰をはじめとして、スパイもどきの理事長秘書をし、危険な目にもあったのだ。

 むぎが一哉の看護をしている時の他愛ない口約束を深く受け止めていないことは百も承知

で、一哉はそれをたてに賭けに出る。


 きっかけは同情でも、成り行きでも、なんでもよかった。

 人は生まれてきた限り、幸福になろうとする権利がある。

 一哉はむぎを幸せにしたかったし、自分も幸せになりたかった。

 そのためになら、あらゆる努力をするだろう。


「もし、お前に他にやりたいことがあるなら別だ。契約を破棄したいというなら……」

「そ、そういうわけじゃないよ。一哉くんには感謝してるし、今は後見人だし、家政婦って

あたしの天職かもと思ってるのは間違いないけど……さ」

「なら永久就職と考えて構わないな」

「永久……って……それはちょっと意味が違うんじゃ……」

「まぁ俺の専属のプロとなると、もう少し身に付けるべきものもある。祥慶を卒業した後、

本気で家政学と国際儀礼を学ぶつもりがあるなら推薦してやるから一年か二年、そこで勉強

してこい」

 一方的に話を切って、一哉は机の上にあった書類の山からぶ厚い大きな封筒を取り出し、

むぎに渡した。

「なに、これ」

 むぎは封筒の中から、海外旅行のガイドブックのように美しいカラー写真がたっぷり載っ

ている冊子を引っ張り出してぱらぱらと見た。

「少人数で限定されたスイスの全寮制女学校の案内書と入学願書の書類一式だ。日本で学べ

ないものが身につくぜ。祥慶で副科のフランス語がやっとな状態じゃ困るんだよ。どうせ、

お前は実践向きなんだから、日本でバイトしながら半端な専門学校になんか行くより、周囲

が全部外国語のトップレベルの環境に飛び込んだ方が早いだろう。基本的に同じ国籍の者は

同室になることはないそうだが、遊洛院のお嬢さんもここに留学するというし、何かと心強

いんじゃないか。日本よりはイギリスに近いから、休暇に姉さんと会うのも今よりたやすい

はずだ」

「ちょっと一哉くん、何、言って……」

「どうせ目指すなら世界一になれよ。今までの頑張りを評価して俺が先行投資してやる」

「なんで、そんな…………」

「お前には時間が必要だっただろう」

「なんの時間?」

「──東條葵と連絡を取りたいか?」

「へっ? ……いきなりどうして、そんなコト聞くの?」

 むぎは本当に思ってもみないことを言われたらしく、驚いている。

 一哉はかすかな胸の重みを無視して告げた。

「待っていたいんじゃないかと思ったからな。…………好きだったろ」

「一哉くん……もしかして……」

「なんだよ」

「違ってたらバカにしてもいいけど」

「だから、なんだ」

「一哉くんって、あたしのコト……好き……だったりする……?」


 いったいこれはどちらの告白なのか。


 一哉はむぎに対する好意と恋心を隠しているつもりも、押しつけるつもりもなかったが、

本人からのこんな反撃は予測していなかった。


「だったら、どうする?」

「いや、どうするって……なんでさっきから、あたしが聞くことに答えないで、逆に聞いて

くるばっかりなの?」

「それはお前の方だろ」

「話を混ぜっ返してるのは一哉くんでしょ!」

「好きでなけりゃ誰がこんなことをするって言うんだ! 好きに決まってるだろ。バカバカ

バーカ!」

「バカはそっちでしょ! バカって言う方がバカなんだからね!」

「だったらお前もだ!」

「だから一緒だって……っ!」

「なら、もう待つのはやめだ。俺はお前を手に入れる」


 一哉は散らかり放題の部屋の真ん中で、むぎを抱きしめた。彼女が手にしていた書類を落

としてしまっても構うことはなかった。

「……一哉……くん……」

「俺はあきらめないから、お前も早いところ降参した方がいいぞ」

 暴れて逃げ出すかと思ったが、驚いたことに、むぎはぎゅっと一哉にしがみつくように抱

き返してきた。

 一哉の胸に抱き込まれた彼女の表情は見えないが、小さく震える全身が何かを必死に耐え

ているようにも感じられて、一哉はますます彼女を離せなくなり、閉じこめる腕に更に力を

込めた。


「あたしね、早く大人になりたかったの。ニセモノの教師や秘書じゃなくて、ちゃんと中身

があって一人前の……」

「……そうか」

「でも、なりたくない気持ちもどこかにあって……」

「ああ」

「ただ、この家の家政婦としてだけは、案外イケてたかなって……、振りとかじゃなくて、

それなりに……さ」

「そこは自信を持っていいぜ」

「ありがと。あのね、一哉くんに会えてよかった。本当にそう思ってる」

「サンキュ」

「……やるよ。ずっと……一哉くんの家政婦。約束したもんね」

「ああ。専属だ」

「でもさ、約束は『ここで』だったよね。アメリカとかスイスじゃないよね」

「………………」

 そこを思い出させるべきじゃなかった。

 自分のうかつさに心の中で舌打ちしたのを、むぎはお見通しのようだった。

「ここって、この家だよねー?」

 むぎはニコニコしながら一哉を見上げた。この笑顔に一哉は弱かった。

「場所じゃねぇよ」

 わざとくだけた言葉遣いで開き直る。わずかにひるんだむぎを抱き上げるようにして目を

合わせた。

「お前はずっと、ここにいるんだ。俺の側に」

 額に口づけながら告げた言葉に、むぎの頬が薔薇色に染まった。

 ずっとながめていても飽きない美しい色だと一哉は思う。

「覚悟するのはお前の方だぜ。俺はとっくにわかっていたんだから」

「……何を?」

「御堂一哉の女はお前だけってことだ」

「!!!!!!」




 ダンダンダンと乱暴に扉をたたく音がしたと思った途端に、元同居人で昨夜はリビングで

つぶれてそのまま夜を明かしてしまった瀬伊と麻生の二人組が乱入してきた。

「むーぎーちゃーん! おなかすいたー! 朝ゴハンじゃなかったのー? 一哉ってば、何

してんのさ!」

「鈴原、コーヒー落としといたけど……って、おわっ!!」

「ごごごごごゴメン! すぐ、するからっ! 一哉くんも早くね! ゴハン食べたら、ここ

も片づけるから、これ以上ごちゃまぜにしないでっ、あ、も、すぐだからねっ!」

 飛び上がって一哉の腕から抜け出したむぎは、慌ててそこら中に散らばった本や書類の山

といった障害物によろけつつ、あたふたと退散していった。


 瀬伊はむぎが走り去った後に落ちていた冊子を拾い上げ、一哉の目の前でめくってみせた。

「へーえ、これってフィニッシング・スクールってやつでしょ。皇太子妃に決まったお嬢様

とかが王室に入る前に入学してお后教育受けたりするみたいな」

「最近は単なる花嫁学校でもない。その気になれば学士や資格も取れる」

「ふーん、スイスのモントルーね。僕のいるパリからけっこう近いよね。少なくともアメリ

カのニューヨークよりは」

 瀬伊が現在留学している先はパリの高等音楽院(コンセルヴァトワール)である。

「……全寮制で身内以外の男はおいそれと面会もできないし、休日の門限も厳しい」

 かみ合っているとは言い難い一哉と瀬伊の会話に首を傾げた麻生が焦れて口を挟んだ。

「朝から何の話だよ? おい。メシだって言ってるだろ。せっかく鈴原が用意してくれたん

だから早く下行って食おうぜ」

「羽倉って幸せだよね」

「はぁ?!」

「さーて、バカンスの間は久しぶりの日本で、むぎちゃんとめいっぱい遊んじゃおっと! 

一哉は、すぐニューヨーク帰るんでしょ?」

「まだしばらくいる」

「でも仕事だよね?」

「……俺はあいつの後見人だし、あいつは俺の家政婦だ」


 とりあえず今のところは。すぐにもっと一番近い身内になるつもりだが──。


「だけどプライベートは自由ってね。むぎちゃんも、十八になったんだから、いい加減うる

さい保護者気取りは邪魔かもよー?」

「誘えるものなら誘えばいいだろ」

「無理しちゃってぇ!」

「だから朝メシ食ってからにしろっての!」 


 この家に集まると、すぐあの頃に戻ってしまうのは、良いことなのか、悪いことなのか。

 たぶん、この関係は一生続くのではないかと一哉は思う。

 それは、たとえむぎが一哉を選ばなくても、消えることのない、かけがえのない絆だった。


「パン焼けたよー。スープ冷めちゃうから早く早く!」

 階段下から、むぎが呼ぶ声が聞こえて、三人の元同居人たちは、足早に、彼女の待つ食卓

へ降りていった。







                   <終>



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