憬文堂
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  Romantic Realist  

仲秋 憬




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 一度むぎに承諾させてしまえば、一哉の組んだスケジュールに抜かりはない。

 約束の7月9日は段取り通りに、むぎの自宅へ送迎車を手配し、自分はいくつかの仕事を

終わらせてから彼女がすでに到着しているはずの場所へ向かった。

 青山のKIMIKOの本店だ。ファッション・デザイナーである一哉の母のブランドだが、

この時期、本人はパリで日本にはいない。強いて母親の店を利用する必要もなく別の店でも

よかったのだが、融通が利いて、てっとり早いのでここにしたのだ。


 特別な内装のフィッティング・ルームのついた顧客応接室で、着替え人形になっていたら

しいむぎは、やって来た一哉の顔を見るなり爆発した。

「ちょっと一哉くんっ、こんなのないよ! どうして持ってるドレスじゃダメなの? ほら、

一哉くんと依織くんの卒業プロムの時にみんなに選んでもらったのだっていいじゃない!」

「あれはお前に似合っていたが、一年半も前の春のドレスを着たパートナーじゃ、俺が恥を

かくんだ。必要経費なんだから遠慮せず選べよ。制服支給だとでも思っておけ」

「そういうわけにはいかないでしょ! 一哉くんの感覚は普通じゃないんだから。こんな…

…こんなお店でねえ」

「今、着ているのも似合ってるじゃないか。お前が青を着ているのは新鮮だ」

 フィッティング・ルームから出てきたむぎが身にまとっているのは、ふわりと薄羽のよう

に透け青碧と白のグラデーションに染められた布が胸の下のハイウエストの位置から膝下ま

でたっぷりとひだをとって幾重にも重なり流れていて、海の波をイメージしているようだっ

た。あらわになっている白い肩を引き立てるような青いドレスは、海から上がってきたばか

りの無垢な人魚を思わせた。

「いいな。それにしよう。首元がさびしいから、何かアクセサリーが欲しいな。あまり装飾

過多でないシンプルなものを」

「いくつかお持ちしますわ」

「頼む」

 側にいた店員が、すかさず動くのに一哉がうなずくと、目の前のむぎがいっそうふくれて、

彼のシャツの袖をつかんで引っ張った。

「一哉くん、聞いてるの?!」

「そのドレスが気に入らないのか? まあ、このブランドは今のお前より、もう少し大人の

女性がメインターゲットだが……」

「ドレスはステキだよ。そうじゃなくてねえ」

「時間もないからオートクチュールじゃなくてプレタポルテだ。もっと時間があって本気で

俺が選んでやるなら、もっと徹底してやってるぜ。一日足らずで、こんな風に必要最低限の

ものを買うくらいで気にするな。重要なのはお前が気に入って、身につける価値があるかど

うかということだ。どんなに安くて買い得だと言われても、どこか気に入らないものなら、

たとえ、ただでも無意味なんだよ。安物買いの銭失いって言うだろ」

「一哉くんと話してると、力が抜けるよ……。言ってることは正しいと思うけど、判断基準

があたしと違い過ぎるもん」


 店員が表面に黒いベルベットの敷かれたトレイのような台に、ネックレスやチョーカー、

イヤリングといったアクセサリーをいくつか乗せて戻ってきた。

「あまり数はございませんが」

「いや、種類があればいいというものじゃない。……これは、いいんじゃないか」

 一哉は台の真中に並んでいた、銀色のからみあうアラベスク模様がつらなる中央に青く光

る石が三つはまっているチョーカーを手に取った。

「そちらは、ロンドンから入荷したばかりのアンティークですわ」

「悪くない」

「あ……っ」

 むぎの首にそのチョーカーを軽くあてがう時にかすかに触れた彼の指先に、彼女が反応し

たことに、一哉はがぜん気をよくする。

「つけてみてくれ」

 一哉の指示に、女性店員はチョーカーを受け取ってむぎの背中側に回り、ほっそりした首

にチョーカーをまわし留めてから、何も言わずに一緒にあったデザイン揃いのイヤリングも、

むぎの両耳に手際よくつけた。

「……よく似合ってる。見てみろよ」

 少し離れてむぎの全身をながめ満足した一哉は、彼女を壁一面が鏡になっている方に向け

て押し出した。

「どうだ。気に入らないか」

「そりゃステキだけど、でも」

「結構。なら、これでいいな。靴は……ああ、そのヒールなら許容範囲か」

「これ、あたしのじゃないよ。このドレスの試着で一緒に出してくれたのを履かせてもらっ

て……」

「そうか。じゃあ上から下まで全部だな。このままもらっていく」

「かしこまりました」

「一哉くんっ!」

「どうせ連れて行くなら見目のいい相手がいい。人は見かけじゃなくて心だと言うのは、あ

る意味、間違いだ」

「どういう意味?」

「心を取り出して見せるわけにはいかない以上、人に会う時は、まず見た目で受ける印象が

すべてだろう。会って目を見て挨拶をして言葉を交わす、その時の格好と立居振舞いの第一

印象が一番強い。そこで悪い印象を与えてしまったら、その情報を覆すには何倍もの力がい

る。だったらその第一印象をできるだけ良くするために自分を磨くのが、一番早道で確実だ。

もちろん中身が伴ってこそだぜ。自分を安く見せることはない。その上で中身と外見がつり

あうように、その場にふさわしくあるべきなんだ。よく覚えとけ」

「……確かに一哉くんと初めて会った時の第一印象は最悪だったよ」

 一哉はぐっと一瞬詰まったが、すぐにおかしくなって笑ってしまった。

「それこそ、お互い様だろ」

 ぴんと指で額をはじいてやると、むぎは、わざとらしくふくれて見せる。どんなに着飾っ

ても変わらない素直な様子に救われた人間がどれだけいるか、彼女はきっと考えてみたこと

もないのだろう。

「まぁいい。とにかく仕度はできたからな。世話になった」

「お役に立てて何よりですわ」

「あたしの服っ!」

「ああ、それはまとめて送ってくれ。送り先は……」

 その場にあったメモに、何も見ることなくむぎの現住所と連絡先をよどみなく書いた一哉

に、むぎは絶句していたが、知ったことではない。


「少し時間を取ってしまったな。ほら行くぞ」

 できるだけさりげなくむぎに手を差し伸べると、こぼれそうなほどに瞳を見開いていた少

女は、恐る恐る一哉の腕にエスコートされるようにつかまった。

「ありがとうございました」

 頭を下げる店員に軽くうなずき応接室を出て、ビルの正面フロアから店舗部分をつなぐ吹

き抜けの中央に位置する階段を並んで降りていくと、ブティックに数名いた客は一斉に一哉

とむぎを見た。

 注目を集めた瞬間に、わずかにひるんだむぎの背中に腕をまわして一哉は先をうながした。

「似合っているから見られる。これはそういう視線だ。堂々としていればいい」

 小声で告げると、むぎの背から緊張が抜けて、一哉の歩みについて、そのままゆっくりと

店を出た。




 駐車場からビルの前まで来ていた車に乗り込んですぐに、むぎはいかにも大仰に疲れた顔

をして一哉に話しかけた。

「一哉くんってさ、実はシンデレラとかマイフェアレディとか、そういうの好きだったりし

ない?」

「メルヘンもミュージカルも、あまり興味はないが」

「興味って言うか……やり過ぎなんだけど。去年も振袖とか浴衣とかいっぱい買ってくれた

りしたでしょ」

「勘違いするなよ」

「何を?」

「俺は意味なく誰彼構わず、こんな事をしてるわけじゃない。お前を着飾ってみせるのも、

俺の意思だ」

「……うん」

 うなずいてはいるが、むぎが一哉の真の思惑を理解していないことは百も承知だ。

 それをはっきりさせて拒絶されるのを、一哉はもうずっと長い間、恐れていた。

「お前に付き合うのは退屈しないからな。要は楽しんだものの勝ちってことだ」

「楽しいの?」

「お前はつまらないか?」

 ぶんぶんと首を横に振るむぎを見て、一哉は安堵する。

「なら、いい。じきに着くぞ」

 二人を乗せたリムジンが目的地に近づいてくると、最初は大人しく外をながめていたむぎ

が騒ぎ始めた。

「ねぇ、一哉くん、どこに行くの? お呼ばれしたパーティ会場に行くんじゃなかったの? 

ここって……」

 むぎが驚くのも無理はない。

 車はむぎが今でも通っている祥慶学園に程近い、一哉たちラ・プリンス四人とむぎが一年

弱の間、同居していたあの家、田園調布の一哉の家へ向かっていたのだ。






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