憬文堂
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隠 家 物 語
四神の君の評判と今内裏を退出するまで





 
 突然の花嵐みたいだった三人の女房と入れ替わりにやってきたのは心強い筒井筒の友で

ある夏実だ。

 遊洛院さんたちを呼びにきたのは夏実だったのか。助かった〜。

「ちょうど言づけを頼まれたから、おつかいがてら来てみれば……なに? その書状の山」

 夏実は私の前の紙の束に目を丸くした。

「明日までに確認しておけって、さっき言われたんだよ〜。女房仲間は手ごわいし、明日

から姫宮さまに絵のご指導もしなきゃなんないし……」

「わぁ……やっぱり、宮さまの絵の先生なんて大変そうだね。でも、まあ、しかたないよ。

始めから無茶なことをやってるんだもん」

「そうだけど……。これじゃ、姉さまと関わる公達のことをつきとめたくても手が回んな

いよ」

 あたしが愚痴をこぼすと夏実は心配そうに顔をのぞきこんできた。

「ねぇ。その苗さんと縁のあった公達について調べるって、具体的には、どうするの?」

「まずは、同じ蔵人所の人たちに、話を聞いてみるつもり。家族とか親しい友人がわかれ

ば会いたいんだけど、内裏で見つかるか、わかんないしね」

「う〜ん……。それは、やめといたほうがいいんじゃないかなぁ」

 夏実が眉をよせて難しい顔をする。

「どうして?」

「だって、その人……その、蔵人として主上にお仕えするために参内していて、苗さんと

駆け落ちしたらしいって内裏で噂になっているんでしょう? 家族や蔵人所のえらい人に

とっては、あまり触れられたくない話題じゃない? ヘタして自分たちの殿上を差し止め

られたり位を下げられたりしたら困るもの。内裏で帝にお仕えするっていう大事なお役目

を放り出して失踪した事情なんて話してくれるかなぁ。逆に、ヘンに思われるかもよ」

「それは、そうかも……」

 あたしが思った以上に、これは微妙なややこしいできごとなんだ。

「あんたは参内したばかりなんだし、まずはこの後宮の藤壺になじんで、信頼を得ること

じゃないかな」

「……そうだね。いられなくなったら、全部パアだもんね」

「大丈夫だよ。苗さんのことだもの、焦らなくたって、きっとどこかで元気にしてるって」

「うん……」

 夏実の助言と励ましは、あたしに心強さを与えてくれる。

「……そういえば、今朝は詳しく聞きそびれたけど、あんた、藤壺に絵師として参内する

他に、祥慶殿の四神の君と同居して女房やってるわけ?」

「夏実、あの四人のコト知ってるの?」

 あたしが尋ねると、夏実は軽く肩をすくめて見せた。

「参内してからこっち、みんな寄ると触るとあの四人の話ばかりなんだもん。ただの公達

を通り越して、ほとんど皇子様状態だよね。まぁ、あたしも御堂の中将様と縁ができたっ

て聞いた時は驚いたけど」

「夏実、一哉くんのコト、前から知ってたんだ?」

「一哉くん、なんて恐れ多くて呼べる方じゃないって……御堂の中将っていえば、おじい

様の御堂院様が、とてもかわいがられて、元服の時も今の帝が東宮様だった時に負けない

くらい立派なお披露目をされた宮さま中の宮さまじゃない。御堂の宮家くらい婚家の財産

をあてにしてない宮家もないよ。確か、この祥慶殿も御堂の宮家が私有地内に建てたのが

始まりだったと思うよ」

「へ、へぇー、そうなんだ。帝が代替わりすると冷落しちゃう宮家も少なくないのに、

すごいんだね……」

「その御堂の宮家の跡取りなんだもん。生誕時には血筋で言えば東宮になってもおかしく

ない若宮のご誕生ってことで、内裏中の貴族がお祝いに駆けつけたって言うわ。おまけに、

お父上は時の帝の一の宮様だったのに皇位の争いにならぬよう東宮宣旨を避けられたこと

で関白左大臣にまでなられたし、お母上も内親王さまでしょ。そのやんごとなきお血筋の

一人息子で、御仏がこの世につかわした生きてる源氏の君か狭衣の君かって市井のものに

まで噂されてあれだけ有名な公達もいないのに……あんたってば、どうして知らないの?」

「興味なくてさ……。斎院宮にいると内裏の噂も、あたしなんかいるところでは、そんな

に話さないし。どうりで最初、あきれられたワケだわ。じゃあさ、他の三人も同じくらい

有名なのかな?」

「御堂の中将ほどじゃないけど……まず、松川の権中将は、今業平って評判の色男で代々

勅撰和歌集にも選ばれてる歌人の多い松川の家でも、童殿上の頃から才能を認められてる

方よ。権中将とお文を交わせたら死んでもいいって女房は後宮に山ほどいるくらい」

「ははぁ、それで今業平?」

「うん。それだけじゃなくて、恋のお相手に宮姫とか年上の貴人とか、そうそうたる方を

お相手に色めいた噂が尽きないからね。でも二年前くらいに突然、東下りされてたんだっ

て。それで宮中に戻ってきたのが今年、火事の後、内裏が祥慶殿に引っ越してきてからだ

そうよ。どうして東下りしてたかまでは、よくわからないんだけど……、でも東下りって

だけでも業平みたいじゃない。それで叙目も2回くらい飛ばしてるから、昇進もちょっと

遅れてるのかな」

「ふぅん……御堂の中将より年上だとは聞いてたけど、そんなわけがあったんだ」

 京からろくに出たことのないあたしには想像もつかないな〜。

「羽倉の蔵人の少将は今の大納言家の跡取りね。お姉さまは東宮妃だし、けっこう年下の

東宮さまが、お年若だから、まだ当分先の話になるでしょうけど、男皇子様がお生まれに

なったりしたら、次の中宮皇后候補間違いなしでしょ。ぴっかぴかの名門貴族の将来有望

な公達だわね」

「あの無愛想な乱暴者が? 全然そうは見えないよ。なんで!?」

「あたしに聞かれても……。でも雅でたおやかな公達が多い宮中で、あの荒武者のような

蔵人の少将も颯爽としてて男らしくてかっこいいって、一部の女房たちには、ものすごい

人気みたい」

「はぁ……宮中の趣味って、わからないもんだね」

 あたしは首をかしげるだけだ。

「一宮の侍従は、奏楽で御名の高い一宮家の若君でね、ご両親も管弦に天賦の才がおあり

で、主上のお声がかりの宴で特にご指名をいただくことも多いそうよ。お父上の式部卿の

宮様は横笛の名手で有名だけど、侍従の君も童殿上の頃からことに琴の琴(きんのこと)の

才能を高く評じられていて、あちこちの宴で引く手あまたなんですって。なんでも落飾さ

れて北山へこもられた琴の名手の法師様から、ただひとり見込まれて秘琴を受け継ぐほど

の飛び抜けた腕前だとか」

「そうだったんだ……まあ、世間的にどうかは知らないけど、屋敷じゃ、ただの困った人

たちなんだけどね」

 宮中でおつとめする方々を敵にまわす気も夢を壊すつもりもないから、黙ってるけどさ。



 噂話に夢中になっていたら、かたんと御簾の向こうで物音がして、思いがけない人が

声をかけてきた。

「失礼します。絵師の女君はこちらに?」

「依織くん!」

「依織? じゃあ、この方が……?」

 あたしも驚いたけど、名前を聞いて、夏実はもっと驚いていた。

「お取り込み中ですね。じゃあ、また」

 立ち去ろうとする気配に、あたしはあわてて引き止めた。

「あ、依織くん、大丈夫だよ。この子は夏実。紫野の斎院宮で女童の頃から、あたしの筒

井筒の仲良しなの。わざわざ、つてを頼って藤壺の女房として出仕してきてくれたくらい

だから、事情は全部知ってるの」

「そうか。ずいぶん友人思いなんだね」

「はじめまして、松川の権中将さま。夏実と申します」

「いいよ、そうかしこまらないで。僕も、夏実ちゃんと呼ばせてもらうから」

「ありがとうございます……権中将さま」

「かわいらしい花々が咲きそろうのは華やかでいいね。ところで、気をつけないと、話し

声が外にもれていたよ?」

「え、本当?」

 声をひそめてささやく依織くんの忠告にあたしは飛び上がる。

「ほんの少しだけどね。……それで、誰が困った人たちなんだい?」

「なんだ、聞こえてたんじゃない。だったら、早く声かけてくれたらいいのに」

「フフ、あまり楽しげだったものだから。ところで、唐菓子のおすそ分けに来たんだよ。

初めての参内でお疲れだろうと思ってね。よかったら、おやつにしないか」

「え、ホント? うれしい、ありがと」

 巻き上げた御簾の下から差し出された折敷には、かわいらしい形のさまざまな唐菓子が

盛られている。

「決まりだね。ささとはいかなくても、さ湯などあればうれしいね」

「あ、お願いしてみる。でも、あたしみたいな新参が権中将とあまり親しくしてると、

ヘンに思われないかな?」

「問題ないよ。他の殿舎の女房たちとも、ちゃんとつきあっているから」

「そ、そうなんだ」

「君も一緒にどう? 夏実ちゃん」

「いえ、そんな……悪いですから、私はおいとまして……」

「いや、僕からお願いしたいんだよ。御簾越しとはいえ、さすがに後宮で新参の女絵師の

君とふたりきりでは目を引きすぎるかもしれない。君が一緒にいてくれると助かるんだけ

ど……嫌かい?」

「そんな、イヤだなんて。……でしたら、ご一緒します」

「ありがと、依織くん」

「どういたしまして」

 御簾の向こうにすかし見るだけでも彼の笑顔はあたしたちを大いにときめかせてくれる。

 こうして依織くんが持ってきてくれためずらしい唐菓子を食べながら、あたしたちは藤

壺の片隅でなごやかなひとときを過ごした。





 夏実と依織くんとでささやかなおやつをいただいた後、預かった書状と巻物になんとか

目を通し、どうやらそろそろ退出の刻限だ。

 はぁ……やっと一日目が終わるんだ。

 疲れたけど、帰る前に藤壺の周り歩けるところだけでも見て回ろうっと。

 もう、迷わないようにしなくちゃ。

 あたしはそろそろと透渡殿へはい出ると、涼やかな風と水音にひかれてに美しい庭の池

に突き出ている釣殿へ行ってみた。

 澄んだ湧水の池の上の釣殿のながめは、それはもう美しくて物語に出てくる蓬莱みたい。

 さらさら流れる鑓水に松の緑が映り、橘も薫る初夏の風が池の中の島にかかる橋のたも

との夏草をゆらしている。

 そして釣殿の欄干にもたれる美々しい公達の姿が……って、あれ?

「瀬伊くんじゃない」

「どうしたの? 女の子がそんな端近に突っ立って」

 侍従の君はあたしに気付いて振り向いた。

 あざやかな淡い萌黄の袍の袖がふわりとなびく。

「いやー、ステキな庭と釣殿だなぁと思って」

「ここ? そうだよね。祥慶殿は御堂の宮家の総力で作った御殿だから、今内裏としても

遜色ないね。はじめは出家した宮姫の尼寺として建立するためのところを、尼君が伊勢に

下られて、一族の学舎にすることになったらしいよ。祥慶殿の縁起絵巻を拝見したことが

あるけど、とてもきれいな方だったみたい」

「……瀬伊くんって絵も好きなの?」

「気分によっては好き、かな」

「へぇ。じゃ、ひょっとして絵合わせとかも興味ある?」

「どこの絵合わせ?」

「うーん、藤壺、とか……?」

「今は、そうでもないかな。絵師がいまひとつだから」

 ……それって、あたしがいまひとつだからってことだよね……。

 うそっこ絵師の自覚はあるけど、面と向かって言われると堪えるなぁ。無理ないけどさ。

「ゴメンね。あたしって、そんなにダメ?」

「嘘だよ。ま、今後に期待ってとこかな。がんばってね、むぎ先生」

 瀬伊くんは、今言った言葉さえ、ひるがえす。

「どうしてあたしが、宮姫さまにむぎ先生って呼ばれるの知ってるの?」

「……どうしてかな。当ててみてよ」

「わかんないよ〜。勘じゃないの?」

「ふふっ。まぁ、どうでもいいじゃない。気にしないで」

 瀬伊くんは綺麗だけど、ちょっぴり意地悪な人の悪い笑顔でさらりと流した。

 何と言うか、つかみどころのない人だなあ。斜に構えて人をからかうのが趣味なのかも

しれない。もうちょっと普通に話してくれたらいいのに。

 それでも内裏にくわしい人に直接話を聞ける機会は貴重なので、あたしは今日ここで疑

問に思っていたことを尋ねてみた。

「……そういえば今朝、中納言の……右近の大将に会ったけど。あの人って御堂の宮家と

縁があるの?」

「中納言の桜木永世? ないよ」

「永世って……大将を呼び捨てにしちゃマズいんじゃ」

「君が、告げ口する?」

「……………」

 だから、どうして、いちいちそういう言い方をするかな。面倒な人だ。

 あたしが困っていると、瀬伊くんは案外すんなり答えてくれた。

「桜木の大将は、御堂の宮家じゃなくて桜木家の人だよ。父親は先の内大臣で、けっこう

前に出家した桜木の入道」

「桜木の入道……?」

「知らない? まぁ初参内じゃ無理もないかもしれないけど、桜木家は豊かな荘園をあち

こちに持ってる大貴族だよ。この間も、どこだかの土地を主上に寄進したって聞いたな。

桜木の入道は亡くなられた先の皇后様の父親で大将は弟にあたると思ったけど。ただ今上

に入内できる年まわりの娘がいないのが苦しいところだよね。自分の血筋の帝が生まれな

きゃ摂関家になれないわけだから」

「はぁ〜なるほど……内裏って、あたしみたいに後宮の端っこにいるだけでも、偉い貴族

の方々にばったり会ったりしちゃうんだね」

 関係が入り組んでいてよくわからないけど、とにかくえらい人だってのはわかった。

 瀬伊くんは、それ以上説明せずに、またふっと池の方をながめて、ため息をつく。

「あ、それじゃ、そろそろあたしは行くね」

「うん。またね」

 偶然とはいえ、さすがに公達とふたりっきりで立ち話しているのを誰かに見咎められて

もまずいよね。

 あたしは今日のところはこれ以上の探索をあきらめて祥慶殿を退出し、暗くなる前に、

いばりんぼの主の屋敷、白梅院へと帰宅したのだった。








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